実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第2部その26
ハイドレインジャ
第2部その26
「拙者は蒲生氏郷さまに従い會津へ来て、氏郷さま亡き後お家騒動があって宇都宮へ減封処分となり、一時蒲生家より離れ、我が岳父石田三成昵懇の上杉景勝さま家臣直江兼続さまの許へ参りました。」
半兵衛が切り出した。
「はい。その減封ですが、お家騒動ばかりが理由ではないと聞きます。氏郷さまの奥方があの織田信長の次女で、見目麗しく、氏郷さま亡き後あの豊臣秀吉が<またもや>かつての主信長の近親女性を側室にしようとしたー
ところがその氏郷さまご後室相応院さまは髪を切り、貞節を守った。秀吉はそれを不快に思い、腹いせで秀行公を宇都宮へ飛ばしたと。あるいは、その秀行公のご後室が徳川家康の三女・振姫、後の正清院であり、反徳川の石田三成公がそれを危惧し、入れ知恵したとも。」
「その三説、全てまことでござる。ただし、三成さまがお考えになられたのは、秀行公がまだ十代で幼く、會津で伊達や徳川を抑えるには力量が足りないの危惧されたからというのが正しい見方でござろう。氏郷さまと比べるには早過ぎでござったゆえ。」
「本当に蒲生氏郷さまは傑出した人物、嘱望された方だったのですね。」
凛がしみじみ感心して言った。
「妻は信長の娘、息子の嫁は家康の娘って!それに比べて秀吉って・・・。」
「・・・拙者は秀行公により筆頭仕置奉行に引き立てていただき、津川城の主となり申した。」
半兵衛が続けた。
「拙者が上杉方に奉公しておりますと間もなく関ヶ原の戦いとなりまする。徳川方に攻められる前に蒲生へ戻れと秀行公は仰せになり申したが、拙者を拾うてくださった直江様、景勝様へのご恩に報いたいと丁重にお断り申すと、逆に秀行さまは忠義厚き者とお褒めくださり、會津に戻られてから拙者を特段に遇してくださったのでござる。」
「いい話ですね。ただ、その遇し方が破格で、その理由につきいろいろと噂がありますがー」
俺は恐る恐る話を向けた。
「衆道、でござろう?男が男に惚れるというのはありましょうぞ。殊に戦国の世では、死を覚悟する者同士、互いの勇気、才気により強く感動することはままありまする。それがいかなる惚れ方かは様々でありましょう。不遜を承知で言えば、秀行さまは拙者をちょうど信長さまが氏郷公をご寵愛されたのと同じように身共をご寵愛くださったということでしょう。」
「なるほど。いちいちご尤もです。」
「ちなみにー
拙者と同じく秀行さまに支えた仕置奉行に町野繁仍(しげより)がおりました。この町野氏は近江蒲生郡日野の出身、主君秀郷さまと同郷でござる。その子息幸和殿は拙者が駿府で切腹させられて後、我が息子吉右衛門をお庇いくださり、しかもご息女おたあ殿を娶らせてくだされた。」
「あ、知ってます!」
俺は興奮してその話の顛末を代わりに語り出す。
「その吉右衛門殿とおたあ様の娘が自証院様、徳川家光の側室となり、徳川尾張家光友の正室となる千代姫をもうけられたのですね。そしてその血筋がなんと今上天皇までつながる!」
「さようー」
半兵衛が満足そうに頷く。
「もったいないことでござる、まことに。」
「しかも、吉右衛門殿は、石田三成公の次女小石殿と半兵衛さまとの間のご子息!
つまり、今上陛下のご血脈には、徳川はもちろん、関ヶ原で仇敵であった石田三成公すらも連なるのですね!」
「徳川殿はお心が寛い、ということでしょう。」
「なるほど。秀吉さんとはちょっと器が違いますね。」
俺はつくづく感心しながら応答した。
「そんな半兵衛さまですが、失礼ながら、仰る通り、歴史上では、え〜、obscureって言うか、なんつぅんだ、日本語で適当なのは、え〜・・・」
「無名で良いのでござるぞよ、野澤殿。」
「は、はい。」
「野澤殿のお父上が御自著で拙者の切腹につき語られておられ、その理由を推し量られております。」
「ええ。」
「その拙者お咎めの理由のひとつに、秀行公のご後室・振姫さまは、會津地震で大被害を蒙った折に、寺社の復興を第一とされ、拙者が民生を重視すべきと抗論したことが挙げられておりまするな。さらに、姫さまと対立したにも拘らず、拙者がこの如法寺と原町の熊野神社の再興に限ってはいち早く成し遂げさせたのはどういうわけか、と。」
「はい。父の疑問でした。」
「その答えが、野澤殿と藤原殿の今生の邂逅に大いにかかわるのでござる。」
凛も俺も唾を呑んだ。
(つづく)
第2部その26
「拙者は蒲生氏郷さまに従い會津へ来て、氏郷さま亡き後お家騒動があって宇都宮へ減封処分となり、一時蒲生家より離れ、我が岳父石田三成昵懇の上杉景勝さま家臣直江兼続さまの許へ参りました。」
半兵衛が切り出した。
「はい。その減封ですが、お家騒動ばかりが理由ではないと聞きます。氏郷さまの奥方があの織田信長の次女で、見目麗しく、氏郷さま亡き後あの豊臣秀吉が<またもや>かつての主信長の近親女性を側室にしようとしたー
ところがその氏郷さまご後室相応院さまは髪を切り、貞節を守った。秀吉はそれを不快に思い、腹いせで秀行公を宇都宮へ飛ばしたと。あるいは、その秀行公のご後室が徳川家康の三女・振姫、後の正清院であり、反徳川の石田三成公がそれを危惧し、入れ知恵したとも。」
「その三説、全てまことでござる。ただし、三成さまがお考えになられたのは、秀行公がまだ十代で幼く、會津で伊達や徳川を抑えるには力量が足りないの危惧されたからというのが正しい見方でござろう。氏郷さまと比べるには早過ぎでござったゆえ。」
「本当に蒲生氏郷さまは傑出した人物、嘱望された方だったのですね。」
凛がしみじみ感心して言った。
「妻は信長の娘、息子の嫁は家康の娘って!それに比べて秀吉って・・・。」
「・・・拙者は秀行公により筆頭仕置奉行に引き立てていただき、津川城の主となり申した。」
半兵衛が続けた。
「拙者が上杉方に奉公しておりますと間もなく関ヶ原の戦いとなりまする。徳川方に攻められる前に蒲生へ戻れと秀行公は仰せになり申したが、拙者を拾うてくださった直江様、景勝様へのご恩に報いたいと丁重にお断り申すと、逆に秀行さまは忠義厚き者とお褒めくださり、會津に戻られてから拙者を特段に遇してくださったのでござる。」
「いい話ですね。ただ、その遇し方が破格で、その理由につきいろいろと噂がありますがー」
俺は恐る恐る話を向けた。
「衆道、でござろう?男が男に惚れるというのはありましょうぞ。殊に戦国の世では、死を覚悟する者同士、互いの勇気、才気により強く感動することはままありまする。それがいかなる惚れ方かは様々でありましょう。不遜を承知で言えば、秀行さまは拙者をちょうど信長さまが氏郷公をご寵愛されたのと同じように身共をご寵愛くださったということでしょう。」
「なるほど。いちいちご尤もです。」
「ちなみにー
拙者と同じく秀行さまに支えた仕置奉行に町野繁仍(しげより)がおりました。この町野氏は近江蒲生郡日野の出身、主君秀郷さまと同郷でござる。その子息幸和殿は拙者が駿府で切腹させられて後、我が息子吉右衛門をお庇いくださり、しかもご息女おたあ殿を娶らせてくだされた。」
「あ、知ってます!」
俺は興奮してその話の顛末を代わりに語り出す。
「その吉右衛門殿とおたあ様の娘が自証院様、徳川家光の側室となり、徳川尾張家光友の正室となる千代姫をもうけられたのですね。そしてその血筋がなんと今上天皇までつながる!」
「さようー」
半兵衛が満足そうに頷く。
「もったいないことでござる、まことに。」
「しかも、吉右衛門殿は、石田三成公の次女小石殿と半兵衛さまとの間のご子息!
つまり、今上陛下のご血脈には、徳川はもちろん、関ヶ原で仇敵であった石田三成公すらも連なるのですね!」
「徳川殿はお心が寛い、ということでしょう。」
「なるほど。秀吉さんとはちょっと器が違いますね。」
俺はつくづく感心しながら応答した。
「そんな半兵衛さまですが、失礼ながら、仰る通り、歴史上では、え〜、obscureって言うか、なんつぅんだ、日本語で適当なのは、え〜・・・」
「無名で良いのでござるぞよ、野澤殿。」
「は、はい。」
「野澤殿のお父上が御自著で拙者の切腹につき語られておられ、その理由を推し量られております。」
「ええ。」
「その拙者お咎めの理由のひとつに、秀行公のご後室・振姫さまは、會津地震で大被害を蒙った折に、寺社の復興を第一とされ、拙者が民生を重視すべきと抗論したことが挙げられておりまするな。さらに、姫さまと対立したにも拘らず、拙者がこの如法寺と原町の熊野神社の再興に限ってはいち早く成し遂げさせたのはどういうわけか、と。」
「はい。父の疑問でした。」
「その答えが、野澤殿と藤原殿の今生の邂逅に大いにかかわるのでござる。」
凛も俺も唾を呑んだ。
(つづく)