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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第2部その25

ハイドレインジャ
第2部その25

如法寺本堂に入って、「ころり観音」に手を合わせ、凛は真っ赤なお守りを買った。
当代住職さまが丁寧に応対してくださった。

「東京ガらおいでですかネ?」

「はい。私は野澤一の息子です。そして妻です。」

凛はそう紹介されるのにもうすっかり慣れているようだった。

「えーッ!」

住職さまは心底びっくりしているようで、

「いやいや、あなたの父さまにはほんとに色々とお教えいただきました。ああ、そうですか、野澤さんの・・・次男さん?」

「三男です。」

「あ〜、東京で音楽やってらした・・・らっしゃるかな?」

「まあ、一応まだ歌手のつもりです。」

「そうですか。とにかくまあ、ご参詣いただいてありがとうございます。」

「こちらの宗派は何になりますか。」

凛が訊くと、住職さんは、

「真言宗です。ただし、最初、つまり創建の平安初期は法相宗、これは開祖徳一大師の宗派でした。」と快活に答えた。

「次には天台宗。これは当時県の教育委員会の文化財調査員だった梅宮先生とあなたのお父さんが突き止められた説でねぇ。詳しく言うとうんざりするでしょうから省きますが、その後ね、臨済宗の寺になったんです。これは私の父も確認しています。鎌倉の建長寺、円覚寺とのつながりができたんですなあ。」

「はい、私も父の著作で読みました。山城国つまり京都府の葛城郡宇多野を根拠とする宇多河信濃守道忠が鎌倉幕府の御家人となった。この豪族は葛城郡に在る松尾神社を崇敬していたと。鎌倉では五山のひとつ寿福寺を建立、そしてどういうことか會津に来て地頭となり、ここの中平、今の松尾に、真福寺を開いたんですね。そのとき、住職さまのお寺、この如法寺も同時的に臨済宗の寺院となった。」

「さすがは野澤さんの息子さんだ。そうなんです。宇多河氏の力は強大だったんですなあ。ウチはどうあれ、その真福寺は大変な繁栄で、鎌倉幕府・源家の庇護も得て、なんと尼将軍政子奉納の大般若経600巻を蔵し、御朱印三百貫、末山37寺を擁する大寺院となったんです。」

「宇多河道忠は山城の人、畿内もいいところの出身ですね。本当にこのN町は伊勢や紀州、そして山城と、大きく言って関西圏の人が多く流入していますね。」

「そうですなあ。字は違っても今でも<うたがわ>の姓の人が町の宝川地区にいらっしゃいますなあ。」

「Hybridization(異種交配)はどこでも、よね。」

凛が言った。住職さんは目を丸くする。

「なんだって、まあ、すばらしい発音だごと!」

「純粋なんてものはない、だね。」

俺が応える。

「There's nothing pure in this world.」

俺と凛はユニゾンで歌った。
高野山大学出の学士である住職さまは「こりゃ、どうも!」と言って、

「Have a good day!」

と寺務所へ引っ込んで行った。


俺と凛が仁王門に差し掛かったときだ、声がした。その真っ赤なお顔の仁王さま、執金剛像が話されたのかと思った。

「よく訪ねて来られた、野澤殿、そして藤原凛殿。拙者岡半兵衛重政でござりまする。」

仁王さまに重なるように、月代(さかやき)の美しい、凛々しい侍の姿が芒っと見えたー
凛の名を旧知のように言えるのはどうしてなのだろうと凛も俺も驚きながら。

「お会いできて光栄です。」

俺たちは声を揃えて言った。

「こちらこそでござる。」

半兵衛は微笑をたたえて言った。

「私は岡様とはきっとこの如法寺で、あるいは原町の熊野神社で、お会いできると信じておりました。」

俺が熱を帯びた声で語り掛ける。

「拙者のような世に知られぬ者を・・・かたじけない。」

「とんでもない!私はあなた様の、會津のために為されたことをもっと深く知りたいのです。會津地震復興でのあなた様のご活躍には、後世の會津人として感謝しております。」

「蒲生秀行公の威を借り、専横の限りを尽くした者のように言われてしまうことの多い拙者でござるぞよ。」

「それそのまま鵜呑みにはしておりません。」

「さようでござるか。」

やや間があって、半兵衛は意を決するかのように続けた。

「野澤殿、凛殿。お二人にとりまことに重大なお話をいたしまするぞ。」

平日、雨がいつ降ってもおかしくはない六月中旬、閑散とする如法寺境内ではあるが、たまに自動車で参詣客が来る。新潟のナンバーのものが多い。

「半兵衛さま、こちらでお話を伺いたく存じます。」

樹齢1200年の天然記念物・高野槙の太い幹の陰へ俺と凛は移動する。


(つづく)




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