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あらためての(ゆるい)決意

大昔に買った放送大学のテキスト『宗教への招待』は、文学博士(京大)で
大阪大学名誉教授、しかも俳人の大峯顕(あきら)先生によるもので、
そのテキストを読みながら総武本線の各駅停車に乗っていた2003年頃の夏のことを
思い出す(そのことについては過去にもここで書いた)。

その電車内でのことー
「宗教と言葉」と言う大きな章の中の「言葉の根源」という小章で、
Heideggerの『ヘルダーリンの詩の解明』に言及しているところを読んでいる時、
電車のドアが開いた。南酒々井駅であった。
すると熱い空気の流入よりも先に車内に入って来たのはけたたましいとも言うべき
ほどのヒグラシによる大合唱の声だった。
私は深く深く感動した。

大峯先生はWikiによると2018年逝去されたようだ。
哲学者、俳人、そして浄土真宗僧侶としても活躍されての87年の生涯だった。
その先生による先述のテキストを数日前から再再々読している。

ほろほろと山吹散るか滝の音
六月や峯に雲置く嵐山

これらは芭蕉の句であるが、先生はこれこそ「スイスの批評家マックス・ピカート(略)」
「の言ったことが本当であることを証明」する句の例だと言われるのだ。
「言葉がじっさいの物を宿すこと」の証明だと。

私には父の助言あって、

蜩(ひぐらし)の聲止みてより風一陣

という句が三十路に入ってから降りて来ていたが、
大峯先生もピカートも、Heideggerも、よい詩であると認めてくださるだろうか。
南酒々井駅で私はヒグラシの大合唱に打たれ、己のこの句を思い出してもいた。
そして大峯先生のご本を抱きながら思ったー
こういう詩歌を、singer-songwriterとしても追求しなければと。

南酒々井駅でのこの体験は私が四十代半ばの頃のこと。

膨大な時を経て、今新たにその決意を噛み締めている。
なにしろ時間がそうないのだから。
でも、焦りはしませんよ。(笑)



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