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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第3部その25

ハイドレインジャ
第3部その25

カラオケをやりながら、めいめいが60年代から80年代中心の洋楽について語り合った。

そんな中、俺は、自分の小遣いで初めて買ったレコードの『Hello, Good-bye』を唄って感極まってしまった。当時小5だった俺が、『Sgt. Pepper's』以来その難解さに付いていけずBeatlesを<見限った>長兄の代わりに、他の姉兄弟の先陣を切って「ビートルズ新譜」を買った興奮がそのまま蘇って来たのだ。そしてもちろんその頃のことー 父母がもちろんまだ若く、家も新築したばかりで、小学校も楽しく、友人もたくさんいて、それらの思い出が塊のようになって一瞬で蘇り、それがそのままこみ上げるものになって、嗚咽になった。

「どうした、ユウちゃん!」

みんなが囃し立てたけれど、みんな俺がどうして嗚咽するかは分かっているのだった。

「な、懐かしいよな、いい時代だったよな!」

酩酊している転石が、少し呂律怪しく叫んだ。

「こいつはね、転石師、小学校ではもう先進的児童で有名だったんだ。」

大堀が言う。

「ませてるし、成績も良く、しかもポピュラーなヤツで、俺は小学校は違っていたんだけれど、ユウの同級生の女の子たちから噂でしょっちゅう聞いててさ。聞けば5歳でビートルズを知り、もうすでにいろんな洋楽の歌詞を誦じてたって言うんですよ。ヤツの仲間たちはみんなその影響を受けてて、ヤツが通った原町小学校の児童は本当に音楽的に垢抜けていて驚いたんです。俺は森野小学校で児童会会長をやってたそれなりポピュラーな少年でしたけど、會津西中学でユウたちと合流して、なかなか劣等感が拭えなかったですよ、ええ。」

「そんな昔のこと、どうでもいいだろ!」

俺は大堀を窘めるように言ったが、すぐに自分でおかしなことを言っているのに気づいた。

「いや、まあ、昔のことを懐かしんでいるんだから、どうでもいいはずはないが。まあ、俺の過去の栄光は措きつつー

その『Hello, Good-Bye(Paulが作った)』のレコードだけれど。『I Am the Walrus(Johnが作った)』がB面だった。今にして思えば、Johnはきっと怒り心頭だったろうってね。ロック史的な観点なら、誰だってWalrusの方に軍配を挙げるに違いないんだ。もうすでに始まっていたJohnとPaulのrivalryー」

「う、library?」

「ライバルリ、好敵手関係。」

「ああ。なんで英語で言うだッ!すぐ横文字使うから嫌ぇだ!」

「この2曲のA面獲り合戦は決定的だったと思えるんだ。Helloの方が、今度は大衆ウケはどっちと言われたら、圧倒的に支持された。商業的には大正解だ。Johnだってそれは分かっていたと思う。けれど、Sgt. Pepper'sを経て、Johnはビートルズはもはやpop音楽バンドではないと思っていたんだ。もうそういう路線で十分稼いだ。Julianという子もいて、Yokoさんとも知り合って、I wanna hold your handなんて歌っていられない自分を強く意識していたんだ。もう、すさまじいほどの早さで彼は藝術的に成熟していたんだ。」

「俺も『Hello, Good-Bye』買ったんだぜ。」

後に「道」というグループで関根リーアンと複雑なコード進行の曲をさんざんやったReds岡野が言った。

「JohnとPaulは『Lennon-McCartney』として、二人の作品のいずれであっても作詞作曲のクレディットを分かち合っていた。そんな厚い信頼関係、友情が、揺らぎ始めたんだ。『Hello, Good-Bye』という歌だって、もう既にその二人の関係を表していると俺は思う。段々水と油になってきた天才作曲家の二人のことだ。Johnは<jealous guy>だから、自分が中心でできたビートルズでPaulがリーダーシップを取り出したことを快く思わなくなっていた。そしてpop性に関してはPaulに及ばない自分が悔しかった時も絶対あったはずだ。」

「おいおい、長広舌だな。何を言いたいんだ、そんな新しくもない説。」

大堀が茶々を入れた。

「ビートルズがそんなことになっているという現実が3千マイル離れたイギリスにあって、俺は會津の片田舎で、小5の男の子としてそんなことをな〜んにも知らず、You say yes / I say Noって歌っていたんだよ。」

「だからどうした。」

「どんな大成功者でも、必ずなにかしらの苦悩を抱えて、周囲の人間と折り合えず、あるいは喧嘩をして、全てにおいて大成功なんてことはこの世にありはしないって、俺は小5の子どもとして、知りたかったんだ!仲良さそうな、大好きなビートルズのメンバーたちが、各々現状に不満があって、もうやめたいなんて思っていたなんてことが悲しすぎて、俺はあの頃に戻ってファンレター書いて、どうか2年とか3年後に解散しないで。このままいけば、きっと後悔することになるよ。ソロでやりたいことがあっても、ビートルズを解散しないで、お互いに友達のままで、そうしてって。12、3年後にはJohnは殺されちゃうんだよって!」

「おいおい、ユウ。ヤバいぞ、おめ。」

大堀が、もう手がつけられないという面持ちで言った。

「JohnもGeorgeも、もう何度もPaulやRingoのところに来ているんじゃないのか。」

「お?」

俺は大堀の顔をまじまじ見た。

「いいこと言うな、ミツ。抗えなかった運命を今、二人はDTsになって、Let it beだったってPaulに言っているかな。俺らは確かにもっと長生きしたかったけれど、今安らかだよって。」


(つづく)









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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第3部その24

ハイドレインジャ
第3部その24

蘭との四半世紀ぶりの再会をして間もなく、転石会があった。
藤倉Mick転石を囲む会である。

会はまず、ほぼ会員全員の共通の友人知己であった故・内館圭介への献杯で始まった。
内館は、俺が2回目のデビューをしたときの音楽事務所でA&R(Artists and Repertoire)部門の一人だった。俺にとって彼はまさにノリが「業界人」の典型であった。江戸っ子の家系で、背は高くなく、少し太り気味、しかしいつもこ綺麗な格好で服のセンスが良く、話好き、愛嬌があって、またアーティスト寄りの姿勢ゆえ、俺はもちろん、バンドSuper Stringのメンバーからも好かれていたし、当時レコード会社側のプロデューサーだった転石とも仲が良かった。

その「ウチさん」が最近、鬼籍に入ってしまったというのだった。

俺は彼とはもう10年以上は会っておらず、そういう意味では縁が薄かったのだけれど、俺の歌『Is This America』を好んでくれていて、遠い昔渋谷のコヤで誰かのギグが行われた際に彼と会ったのだが、「ユウちゃんがあの歌歌うの聴きたかったなあ」と言ってくれたのだった。その『Is This America』が俺に降りてきたのは、ウチさんら事務所の人々と共にNew Yorkへ行った直後のことだった。

NY到着はちょうどFourth of July、独立記念日で、ある大物女性歌手主催のディナーパーティーが、ハドソン川に浮かぶクルーザー上で行われたのだ。俺も招いていただいて、時差ぼけ甚だしい中、夢じゃないのかというような絢爛な時間を過ごした。ラジオでの建国の理想を語る心打つナレーションの後、カウントダウン、壮大な打ち上げ花火、夜空の華が川面に映るー

そのときこの日本人主催のディナーを供する側には白人、ヒスパニック、中東系、黒人と様々なwaitersがいて、中にはいつかはこのクルーザー・パーティーを自分が主催する立場になりたいと夢見る人がいたに違いないのだ。いわゆるAmerican dreamを実現させる、と。

俺はそのとき感受したことを『Is This America』と『The Sweet Rain of July(摩天楼の夜)』という歌にした。ウチさんは、その経緯を知っている数少ない<内輪の人>だった。

俺はそのことを転石会で話した。
転石とStick(ドラマー)が、やはりその経緯を知る者として感慨深そうに聴いてくれた。

雪夫が口を開くー

「その内館さんとお会いしたことはありませんが、愛されるキャラクターの人だったんですね。じゃあ、ユウさん、ユウさんはDTsにほぼ自在に会えるんですから、どうですか、早速。」

「え?」

「DTs、日本の伝統的な言い方をすれば、能で言う『客人(まれびと)』を招来し、ユウさんがそれらの歌を再び世に問う、と言うか、聴いてもらうという意欲を表して、内館さんの供養とするというのは?」

「ユウちゃんと今度内館さんの菩提寺、台東区に在るんだけど、そこへ墓参する時に祈ればいいよ。」

転石が応えた。

「そうですね。ここでは、まあ、ああウチさんが来てくださっているなって感じるだけでいいかも。」

俺は言った。

「え?来てるの?」

転石が驚く。

「ええ。いらっしゃいますね。な、凛。」

「ええ。やさしそうなお人柄の方ですね。」

「ハハ、ウチさん、美人が好きだったから、凛さんのそばにいるんだね。」

転石が納得する。

「俺たちには見えない、感じられないけれど、そう言われりゃ、なんだかウチさんと飲んでる時のあの感じがするなあ。」

「いらっしゃるからですよ。」

俺が応えた。

「ウチさんのお寺は浄土真宗らしいですね。『後生の一大事』、ウチさん、いかがですか?」

「還相回向(げんそうえこう)をお願いします!」

雪夫が言った。
俺は笑った。

「ユウちゃんも雪夫ちゃんも真宗信徒なんだっけ?」

転石が問う。

「根本山神社の氏子です!」

俺と雪夫がユニゾンで言った。
一同は大笑いとなった。


「還相回向」はすごいアイディアだ。哲学者梅原猛はこのことを信じ、絶賛していた。浄土へ往った者が、穢土へ戻って人々を仏の道へ導くことだ。「往って還ってくる」というのが梅原のお気に入りで、これこそ日本列島人古来の宗教観、すなわち古神道とピッタリ合うと言うのだ。「死んでお山に帰って、またこの世に還ってくる」ということだ。

「かえる」というのはおもしろい言葉だ。卵が孵化することも「かえる(孵る)」と言う。このことひとつ取っても、日本語を生み、つないできた人たちにとって、生まれることは還ってくることなのだと思えるー

カラオケが始まった。
70年代洋楽がメインとなった。
メンバーの歌や駄洒落などに付き合いながらも、俺はそんなことを考えた。

還相回向があるなら、俺が今まで会ってきたDTsは未だ還相しておらず、あの世で迷っているのか。それともあの世が<良すぎて>、穢土になど戻って来たくないのか。

凛は藤原秀衡の娘の生まれ変わり、では凛はこの世に戻ってきてくれて、俺やみんなを<教化>してくれているということか。

俺はまじまじと凛を横から見つめた。

「おい、ユウ!今更ヨメさんに色目使ってんじゃねぇぞ!」

大堀が言った。

「しょーもねぇ野郎だ、人前で、まあ。」

「ミツ(大堀)、おめはこの穢土に還って来たのか。」

俺は煙に巻こうとした。

「は?江戸?そうだな。埼玉から最近東京に戻ってきた。そんなこと、おめ、わかってんだろうが!今更何言ってんだ。」

「じゃあ、回向してくやれ(くれや)。」

「え?足らなかったか。んじゃ、もうちょっとリバーブを。」

「その<エコー>じゃねぇッつの!」

夜は更けていった。


(つづく)



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If he was a woman, I'd surely...

昨日安曇野のMooさんからメール頂戴ー

<やっぱり>、一部ながら、「ハイドレインジャ」をコピペしてくださっていました。

本当にありがたいことです。
感謝しかありません。

「トーホグマン」とかの時、ずっとまとめてデータ化してくださっていたのですが、今回もそうしてくださっていた。

Mooさん、あなたこそ「凛」や「蘭」のような人だ。



ありがとうございます!


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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第3部その23

ハイドレインジャ
第3部その23

凛はその後、俺と蘭には積もる話もあるだろうからと独りで帰って行った。
むろん俺には気まずさがあったけれど、四半世紀ぶりの再会であり、確かに話したいことは山ほど有った。それにしても、凛の心の広さにあらためて感銘を受けた。

「私(あたし)は長く狛江を離れていたのよ。」

蘭が切り出した。

「そうだったんだね。俺が狛江を歩いたりしていても、ちっとも遭わなかった。君の家の前も何度も通った。もう20年も前のことになるかなあ、ある日また君の実家の前を通ると、違う人の表札がかかっていた。驚いたよ、本当に。」

俺は芝生の上で遊ぶ親子をぼんやり眺めながら言った。

「母が新たに中央区の方に家を建てたの。私もそこへ移り住んだけれど、ようやく大学で職位が上がって、独り立ちができたの。」

「慶應?」

「いいえ、法政大学。」

「じゃあ、千代田区富士見のキャンパス?」

「そう。<あの後>ユウは漱石病に罹って、あの辺り、陰鬱な顔で歩いていたの?」

「ハハ・・・いや、笑い事じゃない。生きるか死ぬかだったもんな。」

「・・・そうよね。私だって。」

「あの辺りで暮らしていたの?」

「いいえ。職場はあなたとの思い出だらけのところに在ったから精神的にキツくて。住むところは遠くになきゃって。氷川台よ。城北公園の近く。」

「そりゃ絶対、遭遇すらない場所だ。」

話したいことは、繰り返すが、山ほど有った。けれども、俺の最大関心事は、なぜ蘭は四半世紀の関係断絶の決意を破ったのか、だった。

「今日俺と凛がここへ来るのがわかったのはどうして?」

「それは偶然よ。偶然と言ってもかなり出来しても不思議ではない偶然だけれど。私は氷川台からまた狛江に戻ってきたの、去年の3月。やっぱり故郷が一番なのね。野川が、多摩川が恋しかった、ずっと。

私も大雨とかでない限りは散歩するの。毎日のようだから、きっとユウとも出くわすことがあるだろうとはずっと思っていた。」

「なるほど。」

俺はしばらく黙った。

「なぜ禁を破ったか、でしょう?訊きたいのは。」

蘭が俺の気持ちを察してくれた。

「うん。」

俺はなんだか力無く返事をした。

「私ね、婦人科の病気、それもかなり深刻な病気を抱えているの。」

「えぇッ!?」

「判った時はさすがに慌てたわ。生老病死、誰にでも訪れる宿命だともちろん覚悟は普段もしていたけれど、泰然自若でいられるほどの覚悟ではなかったわ。」

「手術をしたの?」

「ええ。経過はいいのよ。医師も予後は良好だって言ってくれてはいるの。」

「よかった!一応、だろうけれど。」

「ユウは大丈夫なの、体。」

「ああ、おかげさまで。白内障の手術は受けたけどね。」

「夕陽の見過ぎだったんでしょ。」

俺は力無く笑った。蘭も。

「俺って、養老孟司さんの言動をいつも追っているんだ。もちろん本や新聞やネットでだけれど。彼は医者のくせに医者嫌いを公言しているし、タバコはちっともやめない。86歳だけれどね。この前のネット配信でも、インタビュー受けながら、折々タバコをうまそうに吸っている。じゃあ、ずっと健康だったかってなると、心臓に相当な不具合があって、教え子にICUでカテーテル治療してもらって、死ぬ一歩前から生還してもこの<不摂生>だ。」

「憧れちゃダメよ。」

「って言うか、そういう生き方も生き方だろってね。我儘って言えば我儘、偏屈って言えば偏屈なんだけれどね。

どんな質問にも答えていくような、ほとんど日本一の碩学は、こんなふうに生きているんだ、そして悔いの言葉を一切口にしない。病院は嫌いだけれど、いざとなれば利用して、86歳にまでなっているんだから。」

「ユウだって、白内障の手術で医療のありがたさに感じ入っていたじゃない。」

「ああ。君も読んでた?俺のその当時のブログ記事。」

「最近ね。」

蘭はそう言ってから、そろそろ家に帰らなければと告げた。俺は、そうなら、東野川まで一緒に行くよと応じた。蘭は嫌がらなかった。


小田急線喜多見操車場の北側を西へ二人で歩いた。

「死が間近に迫ったって思うと、人間て、やっぱりそれまでの思考や行動のパターンから外れざるを得なくなるものね。」

蘭が言った。

「決意っていうのは、ある程度その継続が見込まれるからこそのこと、生い先短いと知った時点では、ただの意地っ張り、ただの拘りでしかなく思えてきて、くだらないって。」

「分かるよ。俺も、父、長兄、母、従姉が2年ちょっとの間で次々亡くなったとき、鬱状態になった。次は俺だって思えてね。ちょうどその時目が急速に悪くなって、さらに、今なら原因は判っているけれど、ある健康器具の誤用で、そのときはそうとも知らず背骨を痛めて、いよいよアウトだと。

いろいろ考えた。ほとんどネガティブなことばかりだったけれど、でも、人生を振り返って、自分のそれまでの愚行も、もう時効だって思えた。どうせ間もなくその愚行の主もいなくなるんだから、って。もちろん執着もすごかった。ああ、俺が愛する四季の美をもう楽しめないのか、そんなの絶対に嫌だって。だから泣いたよ、そう思うと。」

「私も全く同じ。」

「そう。」

「ユウの変化は、また最近も観察できたわ。あ、恋したなって。過去の罪は<公訴時効>になって、じゃあ、居直った生き方になるかとなればそうならず、自分の<精華集>=anthologyを編みたいっていう意欲、そこで来世への前向きさを見せているー

そのきっかけをもたらした誰かがいるって、ピンときたの。

すてきな人ね、凛さん。

きっとユウが野川や多摩川を心から愛していることが、同じ思いの彼女に通じたからね。どうしてもそのsingerに会いたくなってしまったってことかしら。」

I Love You Tooって歌さ。君に、できたてを聴いてもらった。」


蘭の家の近くに来た。

「ねぇ。今度3人で、成城みつ池緑地に行かない?」

「3人で?」

「嫌?」

「いや、そんなことはないけれど。」

「ねぇ。蛍が出る頃行きましょう。」

「だいぶ先だね。」

「そうね。冬至がもうすぐ、蛍が出るのは夏至のちょっと前くらいかな?半年先ね。」

「神がお許しになれば、って感じ?」

「私、生きているわ、絶対。」

「もちろん!」

「その頃までには、凛さんと、そしてお仲間と、精華集『Hydrangeas』、完成させている?」

「ああ、そう願いたいね。」

「神が許せば?」

「ハハ、そうだね。」


「じゃあ、ここで」と蘭は言い、狛江市立第5小学校の角のところで俺たちは別れた。


(つづく)



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