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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第3部その17

ハイドレインジャ
第3部その17

この辺りは「世田谷区立成城3丁目緑地」と名付けられている。
北側には視界が開ける展望スポットが在って、俺と凛はそちらに移動した。

晴れていれば成城から西の景色、世田谷区喜多見や狛江市、さらに西に川崎市多摩区の市街地が見え、奥には多摩丘陵、さらに丹沢山地と富士が見える。

俺と凛は黙って西の景を見る。
今は雷雲の下になっていて多摩丘陵まではなんとか見えるが、それより西は漏斗状の黒雲さえ見える鼠色の空で、川崎市多摩区には雨が降り注いでいるのが分かる。間もなくこちらも降り出すだろう。

「NHKで米寿近い現役藝術家・横尾忠則さんの密着取材番組をやっていてね。」

俺が話を切り出す。

「多くの映画でブルジョアの家のロケ地として使われた5丁目の『龍野邸』は今その横尾さんが所有しているんだ。」

「そうなの。横尾さんて?」

「はっとんだ藝術家だよ。John Lennonとも親交があった。David Bowieとかとも。彼が描いたBeatlesの絵のポスターを田舎の俺の部屋に貼っていたもんだ。デザイナーだったんだけれど、ピカソにやられて以降画家になったんだって。」

凛は俺のただの蘊蓄披露系の話として聴いていたと思う。けれど俺はそれから大展開を見せる。

「この成城からの景色、成城の環境ー」

俺は間を置いた。

「成城に暮らした数多の著名人たちもこの静けさと佇まいをきっと気に入ったからこそ引っ越してきたに違いないし、その静寂と街の落ち着きがいろいろな想いを抱かせ、また霊感を与えてきたに違いない。

俺には映画人たちの家ー 黒澤明(いわゆる「マンション」だったが)、三船敏郎、志村喬などの「黒澤組」の面々、石原裕次郎やその他多くの俳優たちのー にもそれなり関心はあるが、散歩中に偶然見つけた大江健三郎さんの邸宅には感じ入った。野川に下りていく通称「ビール坂」に近く、成城地区でも屈指の緑と花の豊かなところなのだ。大江さんが成城に居を構えたのは、ずっと憧れの存在だった柳田國男が住んでいたからというのが大きいと、大江さんと親しかった読売新聞の記者が語っていたっけ。

柳田はかつて牛込に住んでいて、まずは息子が通学上安全だからという理由で近隣の成城小学校へ通わせたのだという。そしてそこの校長・澤柳政太郎と、同じ信州の士族出身ということや、また薩長藩閥政府における非主流の官吏同士であることの共通点があり、そしてさらに成城学校の自由な校風・理念にも共感して、成城学校・成城学園へ深く関与するようになっていったという。

柳田も大江も、成城の森(あるいは木立)に惚れたことは疑いない。日本の中心東京で、しかも国分寺崖線の手付かずと言っていい武蔵野の森に隣接する家を持ち、いつでも神韻縹渺の世界へ入っていけるのだから。横尾さんだって、そうさ。横尾さんも、柳田も、大江さんも元々は西国の人さ。横尾さんと柳田さんは兵庫、大江さんは愛媛。功成り名を遂げて、東京に終の住処を構えた人たちさ。彼らなら千代田区ででも港区ででも豪邸を建てられたろうけれど、成城にした理由はそこにあると思う。

都心の緑なんて、みんな人工林だ。
そこに、人を戦慄せしめる森など、木立など、ありはしない。
妖気がない、本当の静寂がない、十分な癒しがない。

たまに人間の猥雑を敢えて求めるなら、新宿、渋谷、六本木、赤坂、銀座と、すぐに行ける。
そこでまた各界で日本を代表する一廉の人物たちと集い、話し、飲み、食べ、知的あるいは藝術的知見を互いに披露し合って、そしてまた、東京23区で故郷のに最も近い木立がある成城へと帰るんだ。

Hannah Lynn、君の故郷はそういうところなんだよ。」

「そして、ユウ、あなたが愛している地ね。」

「そう。功成り名を遂げては、全然、いないがね。」

「そんなことは問題じゃないわ。」

凛は語気強く反論する。

「ユウは自分でも言っているじゃない、問題は自分が満足する作品をものにできるかだって。他者の評価は二の次、三の次でしょう。あなたと私で、いかにこの愛する崖線の森と野川、多摩川を生き生きと詩と音楽で表現しきるかってことよ。」

「その通りだね。」

俺は凛の手をさらに強く握った。

「でも、時間がないんだろ?」

俺は登戸辺りで揺れる<雨のカーテン>を見つめながら言った。


(つづく)




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