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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第3部その9

ハイドレインジャ
第3部その9

凛のことをブログ記事にしてから、昼食は結局外でとるということになり、俺たちは散歩も兼ねて2キロほど離れた小田急線喜多見駅の方へ歩いて行った。

まずは名もない区道を西へ、坂道を下って仙川を渡り、DCMを左に見て成城2丁目に入って上り、明成小学校を左に見て右折、成城3丁目の豪邸立ち並ぶ道を4丁目方向へ歩く。途中に小田急線のはるか上を跨ぐ不動橋があって、ここから西の眺めが素晴らしいのだ。富士山とほぼ正対する。

天気は上々で、しかしさすがに大気には湿気が多く、富士も、前衛峰のような丹沢の山塊も霞んで見えた。それでも清々しい景色ではあるー 俺には蒸し暑くてしかたないが。

「俺、夏場この時刻で歩くことはないから、つらいよ。」

「あら。ここ数日ジョギングしていないから、いい運動だわ。」

不動坂を下る。左手に喜多見不動堂がある。俺はその門のところで合掌、一礼する。凛も俺に倣った。
すると凛が、

「ちゃんとお堂の前まで行って拝みましょうよ」

と言った。

「そりゃいいけど、すっかりHannah Lynnもmulti-religiousになってんだね。」

俺は応えた。

「父母がイギリスで聖公会の教会に通う縁をいただいて、幼い私はそのまま信徒として登録されてSunday Schoolに行くことになった、それだけのこと。もちろん神を信じたし、今も。でもその『神』は特定のものではないわ。神仏がいっぱいいらして何の不都合があるのって感じよ、今は。」

「ダイアナの話が出たけれど、古代ギリシア人やローマ人の多神教は興味深いし、今だって多くの人たちがその神話世界に魅了されているよね。」

「ユウはその多神教世界のアニメで主題歌を歌ったものね。」

「ああ、そうだね。」

不動堂は緑に包まれている。
明治初年、水害があって、上流から流れてきた不動明王像をこの喜多見の村人有志が成田山新勝寺で入魂して、ここに祀ったのだ。

「キリスト教は、各地の土着宗教に取って代わってしまう一神教だ。アイルランドみたいに融和的な布教の例もあるにはあるけれど、それでもユダヤ教、イスラム教、みな堅固な一神教だ。

翻って日本は、八百万の神の国。仏教が神道とうまく融和し混淆して行ったと言っていい。明治初期にアホな廃仏毀釈ってぇのが藩閥政府によって断行されて、それまでの神仏習合といううるわしい形態を乱暴に破壊した。天皇・神道中心の国造りは結構だが、その天皇すら多くが厚く信仰した仏教そのものや神仏習合の神社仏閣の教えを否定する権限が薩長の野蛮な国粋主義者、漢意排撃主義者にあるはずがなかった。」

「熱く語るわね、ユウ。」

「熊野は本当にその神仏習合、土着宗教と他国生まれの宗教との融合のうるわしい例さ。」

「私の父母も、新宿の熊野神社をお参りしていたのよ。氏子ですらあったわ。」

「ああ、それでいいんだよ。聖なるものを畏敬する気持ちって、何も特定の宗教の神とかにだけ湧くものじゃない。数多の聖なるもの、それらを束ねる、統括する神などというのも想定する必要はない。そういう存在がもしいるなら、その存在だってきっとさらに上にその存在を統括する、あるいは生み出した存在がいることになって、果てしないことになる。」

「果てしなくてもそれはいいと思うの。」

凛が言った。

「でもね、私は階層があるというアイディアには与しないわ。上だ下だっていうのは、いかにも重力にだけ縛られた発想だとしか言いようがない気がするの。この世を成り立たせ、維持している力は重力だけじゃない。<ただ>聖なるものはいくつもある、それでいいって。」

「そうだね。Das Heilige、聖なるものー この地球に宇宙に、満ち満ちている!」

お堂の前で俺と凛は深々と礼をして、合掌した。

ウグイスの爽やかな声がすぐ近くの木立から聞こえた。


(つづく)



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