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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第3部その5

ハイドレインジャ
第3部その5

俺は「漱石病」に罹って苦しんで以来、あまりこの文豪ゆかりの地へは行きたくなくなっており、今回千駄木界隈に来たのも、凛のルーツを知るためだからしかたなくというようなことだった。

地下鉄に乗り、電車が表参道駅に着いてから俺はようやく口を開いた。

「もう、俺の言う『漱石テリトリー』から離れたから話すよ。」

「え?ああ、千駄木もそうだし、早稲田南町辺り、つまり彼の中後期作品が書かれ、また小説の舞台となったところのことね。」

「そう。」

電車が代々木公園駅にまで至ると、俺はほぼ重い気分から解放されていた。

「病状悪化のトリガーになったのは、『行人』、いや『それから』を読んだときだったかな。とにかく漱石先生の<脳病>が凄まじい状況だったことがわかる描写がある作品さ。『それから』のラストなんて完全に狂気さ。主人公・代助が乗っている路面電車・街鉄でのラストのシーン、外の赤い世界は飯田橋と、その先、目白通りの大曲(おおまがり)辺りで、俺はその近くに住んでいたから、なんつーか、迫真度が極まったって言うか。共感が激し過ぎたって言うか。」

「病状悪化っていうことは、症状はもうその前にあったわけで、その原因は何だったの。」

やはり凛は鋭く突いてきた。

「・・・お決まりだね、道ならぬ恋、その破局さ。」

凛は「ふう」と息を吐いた。電車は地下トンネルを抜け代々木上原駅手前の地上へ。その夜景を見つめて、凛は、

「とは思っていたわ」

と呟いた。

「漱石の小説で三角関係はお決まりですものね。」

「俺は、でも、フィクションが好きになれず、読書と言えばそれ以外のものばかりだった。漱石は、『坊っちゃん』と『こころ』しか読んでいなかったしね、それまで。」

「じゃあ、<事後>漱石の他の著作を読み出したってことね。」

「そう。」

俺たちは代々木上原のフォームで小田急の電車を待った。
地上世界では、雨が降り出した。


成城学園前駅に着いて、俺はタクシーを拾おうと言った。
傘を持っていなかったからだが、凛の家までならいわゆる「ワンメーター」で気が引けたが、そこよりは若干遠い俺の家へ行こうと思っていたからだ。

タクシー乗り場で待っているとき、俺は臆面もなくー
とは云え小声で、John LennonのNobody Loves You (When You're Down and Out) を歌った。

I've shown you everything
I've got nothing to hide

But still you ask me
Do I love you

凛はそれを聴いていて、ポツンと言った。

「everythingとかnothingとか、そう簡単に使ってはいけない言葉よ。」


(つづく)




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