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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第3部その4

ハイドレインジャ
第3部その4

地下鉄千代田線は小田急と直通運転をしているから、千駄木へは楽に行ける。
俺は夜の方がDTs(懐かしいーDimension Transcenders)が出易かろうと凛に告げ、「勉強」をしてから夕方に成城を出た。

千駄木では団子坂を登って、鴎外先生の観潮楼前を通り、薮下通りで漱石旧居後へ。すぐ先が日本医科大学だ。しかしだ、漱石旧居跡とは云え、この家は夏目先生入居前の住人が森鴎外だったのだから、なんという曰くつきだ。

俺は漱石先生がDTとして出て来られるかとも思ったが、なんと俺が感じたのは、厳格な声調の持ち主で、もう長谷川泰が現れたかと思ったのだが、その声がもうひとつの声と何やらやり合っているのだ。

「Hannah Lynn、聞こえるかい。」

「Mmm, I think I'm hearing two men arguing, a little fiercely.」

「そうなんだよ。ひとりは鴎外先生のような・・・『我、功利の人間に非ず、いち石見人にて虚飾なく葬られんと望みし者ぞ』なんて言ってるし。」

「『てやんで〜、ベラボーめ、官立がそんなに偉いか、帝大医学部だけが医の道か』って言ってる?もうひとりの人。」

「言ってる。ということは、長谷川泰先生ですかな、もう一方は。有名な私立医学校済生学舎を取り潰す山縣有朋の息がかかった医学官界の代表鴎外先生といまだにやり合っているのか!」

「東京は狭かったのね、その当時。ここが相次いで鴎外、漱石の家になったり。さらにその鴎外先生、長谷川を追い詰めた<官製医学界>の代表的人物だったんでしょう。さっき通った観潮楼で歌会を主宰している頃、自分らが潰した済生学舎の関係者や卒業生らがあそこに日本医学校、後の日本医科大学を建てるんだから。」

「『「ヰタ・セクスアリス」、ラテン語で<性生活>なんてアラレもない本を書きながら、陸軍の医務局長、中将相当官位にあって脚気の病理を意固地になって細菌説で押し通し、何万も陸軍兵士を見殺しにしたくせに、何なんだ、その権威主義は!』って長谷川さん、怒ってるね。」

「ええ、河井継之助さんを看取った医師として、薩長中心、西国出身者中心の政府によほど腹が据えかねているのね。東大とその医学部の設立にも関わるくらいの人物だったのに、薩長嫌いが祟って左遷されたりしているわ。鴎外さんは石見・津和野藩のこちらも藩医の家出身、でも長州と隣の藩だものね、きれいに薩長側よね。」

「すみません!」

俺は日本医科大学キャンパスの方へ歩みを進め、声を発した。

「長谷川泰先生、お話を伺いたくて参りました。鴎外先生、すみません、外していただけますか。無限にやっておられる医学や医学教育についての論争は、またの機会にしていただきたくー。」

「失敬な!しかし、まあ、そのwunderschöne junge Dame(美しい若い女性)に免じて許してやろう。」

鴎外はそう言って気配を消した。

「長谷川先生!」

凛が声を掛ける。

「初めまして。藤原凛でございます。私の母は旧姓長谷川と申します。先生と同じ姓で、しかも同じ長岡の出身なのです。母が言うには、詳しくは知らないが、ご先祖は元々會津のもので、戦国時代末期蘆名一族と運命を共にして離散、越後・新潟へ逃れた者もいて、その流れらしい、と。」

「ほう。」

長谷川が関心を寄せた。

「母上はご存命か。」

「はい。ロンドンで暮らしております。」

「母上にお会いできればなお確たることも言えようが、貴女を見ているだけで、わしの親戚筋の女性たちに容貌がよく似ているから、血のつながりを感じるのぅ。わしも會津との縁は聞いたことがある。しかし、わしと血のつながりがあるとして、それで何だと言われるのかな。」

「私は、隣におります野澤熊と共に世田谷区に暮らしております。長谷川さまが東京にお暮らしの頃は、荏原郡や多摩郡だったところでございます。今は住宅地として家が密集しておりますが、それでも、まだ武蔵野の名残のようなところが散在し、また多摩川や野川という大都会のオアシスのような河川もあって、私は故郷として愛しております。この野澤は、會津の生まれ育ちながら、この世田谷や狛江に縁を持ち、やはりこよなくその土地を愛し、歌を作っており、また随筆を書いておりまして、私はその活動を知ることになったのでございます。

私は野澤がさらに多神教的、あるいは汎神論的な思想で歌を作っていることにも強く共感し、その共感の強さ加減が相当なものですから、何かしらの縁を野澤に感じざるを得ず、私から近いたのでございます。

そして彼の生まれ故郷にも昨日まで行っており、そこで私の母の家系的ルーツが野澤の故郷にあるのではないかと思ったのでございます。

今、私と野澤の縁がどういうものか、少しずつ分かってきたように思い、運命的なもの、あるいは宿命的なものを感じて私はさらに<うれしく>野澤を愛することができております。」

「え、エホン。」

「私の父方の話もしたいのですが、長くなりますので、なにしろあなた様が私の母の家とつながる方かどうか確かめたくここに参りました。」

「お母上の下の名は?そしてそのご両親の名は?まあ、できればもっと遠い先祖の名だが。」

「母は秋と申します。長谷川秋です。その両親は、父が輝明、母が冬子、輝明の父母は、確か康四郎、そして・・・。」

「長谷川康四郎・・・おお、わしを頼って済生学舎に来た長岡藩士長谷川慎之助の息子ではないか。」

「え!やはり。母の曽祖父は医師だったと聞いたことがあります。」

「慎之助はわしの従弟だった。明治の世となって、康四郎はまだ10代だった。生き残った長岡藩士は、まあ、これは他の藩の侍もそうであったが、明治になって禄を失い、仕事をせねばならなくなった。

今日本放送協会の歴史物の番組に出ておる磯田という学者がおろう。磯田の家は岡山藩の支藩鴨方藩重臣家の子孫で、その岡山藩は慶応4年神戸事件を起こす。詳述はせぬが、この事件で岡山藩は欧米と日本の差を痛感し、藩士高山紀齋を渡米留学させることになる。その高山紀齋が磯田家幕末当時の当主の甥っ子だった。この高山、なんとアメリカで甘いものを食べ過ぎ、虫歯になってしまう。そしてアメリカの歯科技術に賛嘆し、己の道は歯科医学の日本での流布だと知るのだ。

その高山は失禄した同僚藩士に歯科医師になるよう奨め、旧岡山藩士には歯医者が多く出たのだな。これと同じで、わしが済生学舎を開いてわしを頼る旧長岡藩士がいたのだよ。

まあ、岡山藩は元々信長の家来だった池田輝政の子孫が治めた。池田は蒲生と似ておる。信長・秀吉についていて、家康から姫をもらってー これは蒲生では二代目の秀行だがー そして関ヶ原では東軍についた。

池田家は蒲生と違い幕末まで続いた徳川恩顧の大大名であったのに、早々倒幕派となり薩長新政府軍に靡いた。

ま、わしには苦々しい藩のありさまだが、我が国近代において、わしは医学、高山は歯科医学の嚆矢となった。そこはまあ、高山を評価せざるを得ない。

それでもだ、長岡藩士の多くが戊辰で斃れた。同じ徳川恩顧の岡山藩はうまくやりやがった。わしの藩は敗者だらけ、岡山藩は歯医者だらけになった。Scheiße! (ドイツ語=Shit!)」

さすがは「ドクトル・ベランメェ」と綽名されただけの人だ、長谷川泰先生は。

「つまり私の先祖は、會津の、このユウの故郷でもあるN町の松尾に暮らしたことがある、ということなのですね。南北朝期京都から来た宇多河の子孫として。そして私はその先祖の地で、畑を耕そうとしているのよ、ユウ!」

凛が興奮して俺に向かって言った。

「ああ。そういうことになるね。しかしまあ、俺たちのご先祖さまたちは皆何かに抗って生きてきた人ばかり。体制派の上位にいて、安穏として暮らしたなんてぇ人はいないね。」


俺たちは長谷川先生にお礼を言い、成城への帰途につく。

団子坂を下っていると、凛が唐突に言ったー

「ユウはどうして『漱石病』に罹ったの?」


(つづく)




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