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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第3部その1

ハイドレインジャ
第3部その1

磐越道に乗ったはいいが、俺は凛が耕作地をN町に見つけるという目的をすっかり忘れていたことに気づいた。直近の會津坂下インターで高速を降り、野菜のことが気になっている中ではあったが、交通量の少ない国道49号線で再びN町へ戻った(って、『N町』なんて匿名的に書いている意味はないんだが)。

夕暮れが迫っていた。
俺は旧越後街道沿いの原町などではなく、そこから北の田園地帯へとクルマを走らせた。途中長岡藩士の霊を一緒に目撃した大堀、下の名前までつけて書けば、大堀光(おおほり・ひかる)の旧宅の前を通る。

「ここが大堀の家だったところさ。」

俺は凛に言った。

「大堀さんには最近紀壽(100歳)を迎えてから大往生なさったお母様がいらしたわよね。」

「そう。すごいよね。俺がそこまで生きられるとしたら、あと40年近く命があるってことだ。でも、まあ、それは望めないね。最高度の医療を受けられるだろう世界的な漫画家や、アニメの有名な声優が60歳代で惜しくも亡くなったりするし。」

「ずっと生きていてほしい。」

凛がしみじみとした口調で呟くように言った。

「いのちは長短じゃないって言う人がいるけれど、そして私は、この世で死者となっても高次の世界で魂は生き続けているのは知っているけれど、それでも、ね、愛する人にいつでも触れられるままであってほしいってー

亡き父は
あまねく在りて
山眠る

ユウが、お父様が霜月に亡くなったときの俳句、私本当に感動したのよ。」

「お手盛りだなあ。」

「この町の歴史を丹念に探ってこられて、俳人としても後輩有志を指導されて、お葬式、出棺の時、ものすごい数の方に葬送されたユウのお父様の魂は、そこかしこで感じられる、会える。」

「葬送、いや、そうそう。」

「混ぜっ返さないでよ。」

「ごめん。でもまあ、お手盛りだなあ。そんなにいい俳句じゃないよ、それ。」

「でも実感でしょ?死は肉体を持つ魂の限界を超えること。愛する人が亡くなって悲しいには違いないけれど、でも、たとえばもうその人は病院にいる人ではなくなる。クルマで数時間走らないと会えない人ではなくなる。その人のことを思えばいつでも一緒だって思える存在になる。」

「ああ、そういうことだね。大堀もお母堂のお葬式のとき、ちっとも悲しんでいなかったんだ。もちろん感激屋の彼のこと、長く愛した自分の母親が亡くなっているのを知った瞬間は号泣しただろうけれど、すぐに俺と同じ境地に立ったと思うよ。」

凛は赤く染まる飯豊連峰を見ながら一粒、涙を零した。

「すてきね。」

凛はかすれた声で言った。

「飯豊山でしょう?イザベラ・バードも絶賛した。」

「ああ。よく知ってるね。」

「ユウが書いていたじゃない。」

「あ、そっか。」

「ここの辺りに耕作地が欲しい!」

「どのくらいの面積?」

「いくらでも。この村買い占めても。」

「おいおい。耕作しきれないよ。」

「ほとんどをナショナルトラストみたいにするの。」

「ハハッ!この村は松尾って言うんだ。」

「え?ユウが、『山城国つまり京都府の葛城郡宇多野を根拠とする宇多河信濃守道忠が鎌倉幕府の御家人となった。この豪族は葛城郡に在る松尾神社を崇敬していたと。鎌倉では五山のひとつ寿福寺を建立、そしてどういうことか會津に来て地頭となり、ここの中平、今の松尾に、真福寺を開いたんですね。そのとき、住職さまのお寺、この如法寺も同時的に臨済宗の寺院となった』ってさっき説明してた?」

「恐るべき記憶力だな!一字一句違わない!
・・・創建はなんと天平年間。平安時代からはご本尊が阿弥陀如来という天台宗の寺だったが、宇多河が臨済宗の寺にしたのが1362年、南北朝時代だね。」

「ユウもすごい記憶力じゃない!
・・・真福寺は大変な繁栄で、鎌倉幕府・源家の庇護も得て、なんと尼将軍政子奉納の大般若経600巻を蔵し、御朱印三百貫、末山37寺を擁する大寺院となったんでしょう?」

「うう。その通り。」

「休耕地がいっぱいあるかしら。」

「どうだろうね。まあ、日本全国、農業従事者は激減しているしね。」

真福寺前に着いた。
寺の縁起などが書かれている看板を見ていると、一人の老女が近づいてきた。

「おめさんだぢは、東京の人だナイ?」

「はい。」

「クルマのナンバーに『世田谷』ってあっから。」

「ああ、そうですね。」

俺はできればこの会話を打ち切って帰路に戻りたかった。

「あだし(私)はこゴの村の最古老なんだシ。あだしの家、赤城家は、今はこゴで百姓してっけんども、元々は蘆名家に仕えだ名門士族だガらナシ。

山城=京都府ガら南北朝時代にこゴさ来た地頭の宇多河道忠は、それはまあ、禅仏教への信仰厚ぐってナイ。武家はまあ、臨済宗っつぅゴどだったのナイ、鎌倉時代だの南北朝時代は。」

「ああ、そうですね。いやあ、貴重なお話で、ありがとー」

「鎌倉御家人だった宇多河ももぢろん蘆名の家臣格でこゴの地頭となったわげだシ。その宇多河の子孫が長谷川を名乗るようになんのなシ。戦国時代末期伊達政宗に攻められで、真福寺も焼ガれ、長谷川一族は離散したんだげんじょも、江戸時代、この一族は優れだ人を出したんだわナイ。久七っつぅ人が郷頭としてこゴら、町場も含めで、會津藩に任せられ栄えんだガらなシ。」

「そうなんですね、いやあ、貴重なお話ー」

「長谷川、なんですか?」

凛が会話に入ってきた。

「ああ、このあだり、會津西部は、隣の新潟県阿賀町も含めて長谷川姓の家は多いナイ。宇多河の子孫だ。あるいは主人筋の長谷川の姓をもらった人だぢだわな。」

「私の母、旧姓は長谷川なんです!しかもルーツは新潟!」

「ああ、おめさんはチレイ(きれい)だガら、お母様、新潟美人だべ。お母様のご先祖は、蘆名滅亡のとギ、新潟方面に逃げで行ったんでねぇの?」

俺はまずいと思った。
凛は新潟に行きたいと言い出すのではないか。

村畠からもらった、彼が丹精込めて作った野菜が腐ってしまう。

「ユウ。」

凛が俺に呼びかけた。


(つづく)




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