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女流Y棋士の絶望

昨日からかなりの時間考えていたのは、女流棋士Yさんの突然の連盟退会についてだった。
この人は女流棋士歴6年、女流一級で、通算勝率は最下位というようなことだった。
新しい道を見つけたとし、引退でなく退会(もうプロ将棋界とは関わらないということ)
するとTwitterで短く挨拶し、すぐにそのアカウントも消した。

彼女は「京大卒」という肩書きがいつも付いてくる女流棋士で、
それゆえ知性派という立ち位置を自然に(?)約束され、また確かに女流棋士としては
並外れた文才があったゆえ、観戦記者としても活躍し、また桃山学院大学で囲碁将棋の
講義を受け持つ非常勤講師でもあった。

ところが「本業」たる女流棋士としての成績は上記のとおり振るわず、
またここ数年はエントリー制の女流棋戦に参加しなかったりし、
「棋士」としての意欲を疑われるような事態にもなっていたらしい。

『赤旗』日曜版で彼女は「私はずっと怒っていた」というコラム記事を、
最近なのだろうか、日付は分からないのだが書いていたのだった。

「『好き』を仕事にする。なんとすばらしいことでしょう」と書きつつ、
「でも、どんなに好きでも仕事には苦しみがつきものです」とする。
「自由を求めて集中の海に潜ろうとしても、否応なしに私の『属性』が手を伸ばして
きます。ジェンダーギャップ指数120位の日本で『若い』『女性』として働く息苦しさ。
どけてもらえない足。『ひとりの人間』として見てもらう難しさを痛感」したと。


「女流棋士」とは、最近書いたばかりだけれども、頭脳ゲームの将棋においては
余計な制度上の存在だと言っていいと私は思っている。
確かに今は将棋における平等を達成するまでの過渡期ではあろうけれど、
だからと言って女流棋士という、本当の棋士制度では実力不足な者を、
プロとして認めていいのだろうか。
彼女らより強い圧倒的多数の奨励会会員が年齢制限や実力不足で退会せざるを得ず、
長年の努力を一旦は無にしなければならない過酷な現実がある中、
弱い者がプロとして脚光を浴びたり、高額賞金を得たりすることが当たり前で
あるはずはない。

そういう「逆差別」を当然として生きている女流棋士が多数派なら、お寒い限りだ。
だからいつまで経っても将棋番組の「聞き手」役で採用されるのが女流タイトルを
得るのと同等とも言えるほどの<女流棋士としての成功>であり、
どんなに年下であろうが男性棋士を「先生」と呼び、唯々諾々その「先生」のご高説を
伺っているのだ。

「聞き手」としてのソツのなさも大きいけれど、なにしろ男性ファンが圧倒的多数の
将棋界だから、女性としての魅力についても<公然と>云々されてしまい、
それが「聞き手」としての評価、延いては女流棋士としての評価にまで及ぶのだ。


辛口で知られる菅井八段が昔「女流棋士に負けるはずがない」と、ふざけんなよとも
言わんがばかりに公言していたことがあって、そりゃあ万が一にも負けないだろうなと
私は思ったものだ。彼はジェンダーギャップで言っていたのではない。
勉強量が違い過ぎるのだから、ということを言いたかったのだ。
ストイックなことにかけては菅井さんと永瀬王座は双璧かもしれない。

女流棋士を辞めたYさんは、逆差別などしてくれなくてもよい、
自分は集中し、その後の自由を感じるのが好きなだけ、そのために、棋士として
いられるために、菅井さんや永瀬さんのように研鑽さえしていればいい環境が
欲しかったのに違いないのだ。

しかし、女流一級程度の棋力でそんなことを主張しても笑われるだけー
研鑽を保障する資金は、「女流棋士」としてのイヴェントなどで着物を身にまとい、
中高年の男性ファンたちに<媚びる>ことで得るしかないのよ、
対局料だけでやっていけない、まして賞金など一切縁のない大多数の女流はね、
と言われるだけの話。

そして最終的には、逆差別があったからこそ「女流」という限定語が冠されても棋士で
いられる自分に結局絶望するしかなかったのだと思うー
自分の<若い・女性>という「属性」を偏重されることに嫌気を感じつつ、
しかし少なくとも女性だからこそプロになれているという事実への絶望だ。


囲碁では将棋ほど酷くはない。
女流棋戦はあるにはあるが、段位は絶対で、男性女性に関係がない。
確か女性囲碁棋士の今のところの最高段位は八段であるはず。
13歳で女流棋聖戦に挑戦することになった仲邑菫さんは現在二段。
二段は二段であって、プロ棋士としての最低段位初段から一段階上がったのだ。

女流将棋の2トップ、まずは里見さんも西山さんも三段でいいではないか。
昇段を目指したいなら、ある一定の基準を満たした後、四段試験を受ければ良い。
そうやって奨励会三段で終わった3人がこれまで編入試験に合格している。

「女流」などという冠をつける、つけられることを屈辱に思わない女流棋士ばかりが
多数派のままなら、きっと女流棋士制度はいよいよそれが抱える多くの矛盾を処理し
きれなくって早晩瓦解するのではと恐れる。



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