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Penny Lane (partial cover by MNEMO)

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NHKBSの紀行番組で、2012年放送の野村佑香さんによるブリテン島港巡りの再放送
後編を仕事が終わってから録画で見た。

すばらしい番組だった。
ウイスキーの聖地と言っていいスコットランドのアイラ島から始まり、
ウェールズの首都ブリストルで終わる。
途中北アイルランドとリバプールも巡り、ここはイングランド人の土地ではあるけれども、
北アイルランドはもちろん、リバプールもアイリッシュが多いところとして描かれる。

アイラ島のBowmoreの職人は、whiskeyはゲール語の「uisge beatha=命の水」
から由来し、アイルランドからその製法が伝わったと言った。
ゲール語とはケルト語の一派であり、本来はアイルランド語のことだったが、
スコットランド語やマン島語、また後述のウェールズ語なども包括する。

岡野治雄くん(治雄ちゃん)はこのアイラ島に行ったことがある。
Bowmoreのdistilleryに行ったんだっけかな?

野村さんはArdbegの蒸留所にも行き、そこで風味の違いを理解する。
なにしろ「潮の香り」がすると興奮して話していた。
Ardbegの職人は、Bowmoreなんかよりはるかにこっちの方が美味いと自慢する。
おもしろいもんだ。
治雄ちゃん、いつか違いを知る飲み会をやってください。

「ケルト」がこのブリテン島港巡り後半のキーワードだった。
なぜならスコットランド、北アイルランドの後リバプールに来てもBeatlesの話に
当然なって、ギター1本波止場でBeatlesナンバーを歌う初老の男性がまず登場し、
自分はアイルランド移民の子孫で、Beatlesの少なくとも3人、John, Paul,
そしてGeorgeもそうであり、その彼らが世界に音楽の素晴らしさを伝えたことに
誇りを感じている、と言うのだから。

笑えたのは、波止場で歌っている曲は『ジョンとヨーコのバラード』だったこと。
日本の旅番組ということで、Yokoさんが出てくる歌にしたのだろう。
この人の家族がやはりみな音楽好きで、長男と長女だったかのギターをバックにした
家でのミニ・コンサートは、オリジナル曲で、歌詞もすばらしく、
長女の歌もプロ並みで驚いていると、野村さんは感動して泣いているのだった。

ケルト人の、ハープを使っての叙情歌は昔からの伝統で、
それがウェールズ(やはりケルト系民族の国)にも脈々と生きており、
その日あったこと、感じたことをハープをバックに即興で歌うのだそうで、
実際6、7歳の女の子が歌ったのだけれど、感動的なほどすばらしかった。

その女の子の母親は民族の母語ウェールズ語(ゲール語の一派)を大切にし
(国自体も英語と並び公用語にしている)、娘たちとウェールズ語で会話するのだ。

ウェールズと言えば、BadfingerのPete Hamがそこの出身だと書いたばかりだ。
また、ウェールズという国についても大昔ここで書いた。

https://mnemosyneoforion.blog.ss-blog.jp/2010-06-20

私はLiverpoolにもScotlandのEdinburgh、アイリッシュ海に臨むAyrまでにも
行ったことがある。Liverpoolからウェールズはすぐだったのに、
行くことはなかったのが惜しまれる。


ケルト人は歌好き、ということで間違いがない。
そのケルト人の国アイルランド移民の子、Paul McCartneyによるリバプールの
一角の歌をカバーした。
この通りにはもちろん行った。
そこでPenny Laneをウォークマンで聴いた!

ピッコロトランペットのソロはとてもではないが弾けない。
ゆえにちょっとコーラスに工夫をした。

なお、基本はギター1本で歌ったトラックに音を重ねていったので、
例のごとく、ドラムスはquantizeをかけられなかった。
まあ、人間らしい「揺れ」をも楽しんでいただければ幸い。
相当に頑張った後の「揺れ」なので、楽しめなくても許してほしい。

また、Johnの80歳誕生日を記念してのすばらしい番組がBBCで放送された。
John & Yokoの息子Sean Ono Lennonが、PaulとElton John、そして異母兄の
Julian Lennonとの対話をしたのだ。

泣けた。

https://www.youtube.com/watch?v=iCe8fdBeTCs

https://www.youtube.com/watch?v=XDcVMamYM6g


*

追記

BBCラジオでのSeanによるトーク番組だけれど、
SeanはElton Johnとの対話で「あなたのコンサートがなかったら私は存在して
いなかった」と言うところがある。

実はEltonはSeanの名付け親(Godfather)で、Seanはゲール語でイングリッシュの
Johnに当たる。ではどうして彼がSeanの名付け親になったかと云えば、
1974年にNew YorkのMadison Square GardenでのEltonのコンサートに
Johnがゲスト出演し、ここでJohnは長く(3、4年?)別居していたYokoさんと
期せずして会うことになったのだ。

YokoさんはJohnとの関係や、彼女こそBeatles解散の原因だとする世間の非難偏見に
疲れ果てていて、互いに「rest」が必要だとしてJohnをNYから事実上放逐していた。
JohnはLos Angelesで中国人May Pangと同棲しつつ、荒れた年月を過ごす。
(Mayとの同棲はYokoさんの了解があったそうだ。)

そんな二人が本当に思いがけずEltonのコンサートで再会したのだ。
そして別居が間もなく解けて、YokoさんはSeanを身籠ることになる。

ちなみにEltonは今Sir Elton Hercules Johnという名前になっている。
ミドルネームが「ヘラクレス」とは畏れ入る。
元々の名はReginald Kenneth Dwightで、イングランド人だ。


SeanのPaulとの対話はなにしろ最高のコンテンツで、私は聴いていて何度も泣いた。
異母兄のJulianとの対話も本物の兄弟愛が育っていて、すばらしい。


*

Penny Laneだけれども、私はこの歌を聴くたびに故郷の「藤峠」を思い出す。
中2の頃、幼馴染の文男くんと自転車で喜多方や會津若松などが在る會津盆地まで
遠出をした(盆地の西端會津坂下町まで12kmほど、そこから喜多方までは8km、
會津若松中心地までは9kmほど)ことがあって、そのときはBeatlesのアルバム
Magical Mystery Tourを頻繁に聴いていたからだ。

「藤峠」は河沼郡柳津町と私の故郷野沢の中間にある峠で、名の通り野生の藤が咲く。
柳津と會津坂下の中間には「七折峠」という最も険しい峠があって、そこを越えて
只見川を鉄橋で渡ってからさらに山間に入り、藤峠となる。
ここを越えれば私の町の東端に達するのだ。

藤の花のすがすがしい香りがする藤峠で、Penny Laneの音が、響きがよく合った。
ウォークマンはまだない時代、テレコを持って行きたかったがそれは危険すぎた。
頭の中で何度もPenny LaneThe Fool on the Hillを<流した>。
Paulの歌は、故郷の山間で聴くには最適だったのだ。



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