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Berceuse

この頃、と言ってもつい最近の3日ほどだけれど、
自分の音楽活動はまったく扨置いて、芥川也寸志さんの音楽と、
それを演奏するさまざまな楽団のさまざまなアプローチにまたハマっている。

今回もまたTriptyque for String Orchestra
第一楽章(Allegro)については過日書いた。

https://www.youtube.com/watch?v=OGZOEmDN5wk

上は2017年東京オペラシティーでの上海交響楽団(指揮・張亮)によるもの。
3楽章ともみな良いけれど、特に第2楽章(BerceuseーAndante)は秀逸と思う。

「berceuse」はフランス語で「子守歌」に相当する。
Online Etymologyに拠れば、

ーfrom bercer "to rock" (Old French bercier "to rock" a child in a cradle, 12c.)
+ fem. agent suffix -euse.

とある。
「揺らすもの」ということだ。
英語化すると「rocker」となるが、別の意味が今は優勢で、笑える。

芥川さんは大体「ベアスーズ」と聞こえるこのフランス語を題名にしている。
英語の「ララバイ」やドイツ語の「ヴィーガンリート」、
イタリア語(これがAndanteと相俟って一番の選択肢だろう)「ニンナ・ナンナ」に
しなかったのは分かるようで分からない・・・そうでもないか。
そもそも、日本人作曲家が「子守歌」としなかったのはどうしてだ。
(英語で歌作っているヤツが言うな!)

上海交響楽団はこの第2楽章を「催眠曲(スイミエン・チー)」と呼んだのだろうか。
ちなみに韓国語だと「チャジャン・ガア」で、赤ん坊が起きてしまいそうだ。

ー閑話休題

この「Berceuse」の調べ、リズム、とても日本的に感じるのだがどうだろう。
そんなことは明白だ、芥川さんはそういう作曲家だと叱られてしまうだろうな。
そうだろうけれど、<とても>と言っているのだ。
「極めて」でもいいのだけれど。

1953年作曲とのこと、芥川さん28歳ということになるが、凄い。
もう脂が乗っている。
16歳で音楽を志し、ピアノを始めて、ギリギリで東京音楽学校に受かり、
たった12年でここまでの完成度へと到達しているのだ。

昭和で言えば28年、私が生まれた30年代はすぐだ。
私が物心つき、己を取りまくもの=環境にそれなりの意識を向けるようになった頃に
40年代に入っていくのだけれど、当時の會津の田舎の、
或る気だるい春の1日の景を、音に、リズムにせよと言われたら
こうなるのではないかー
そんなふうに思えた。

そのnostalgiaはゆっくりと心に湧き上がってきて、嗚咽と共に鼻に抜けていく。

芥川さんはちょうど我が父母と同世代だ。
だから、と言うべきか、まさに私には「子守歌」に聞こえる。
芥川さんご自身にとっては、最初の妻紗織さんとの間の娘・麻実子さん
(1948年生まれ)のためのものだった。なんと羨ましい。

ところが人生というものは流転するのが常で、1957年、芥川さんは離婚する。

ああ、このBerceuseの流れと同じではないか。
全体は穏やかなテンポで進むのだけれども、安息と、その陰にいつも在る寂寥だが、
それがなんと陰であることを放棄し、表に出てくる。
寂寥が主となった時の流れの中、伏流する安息や長閑さがいつでもまた浮上を待つ。
そしてvice versaー

その安息と寂寥の「表面交代」のとき、ふたつが絡み、さらには渾然となる瞬間に
何か人生の実相の音を感じるのは私だけだろうか。


もうひとつ、私の涙腺を大いに刺激する事実がある。

上海の音楽人たちが、昭和20年代から30年代の「日本の音」を奏でるー
それも見事に!
音楽に中国人も日本人もないのだ。
何人などというのは、普遍を捉まえたすばらしい音楽の中、溶けてしまう。


実は、やはりワルシャワPCOの芥川解釈が一番好きだし、演奏も最高と思っている。
第2楽章もそうなのだが、なんと聴衆の咳払いや雑音が多すぎて幻滅甚だしいのだ。
まったくショーもない話でこの回終わり。

あ、第三楽章〜Prestoについてもいつか書くだろう。
(よかったら、そのときはまた読んでね。)



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