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2020 九月尽 どーでもいい日記

昨日の、藤村多加夫さんの俳句のことだけれど、

生死<復た>
あきつの紅を
撒くごとし

と取ったらどうなのだろうと考えた。
上五で切れる、と。
赤とんぼがまた再び秋の野に現れたように、生死も復た鮮やかに繰り返すのだと。

違うだろうな・・・。

*

東京は爽やかな秋晴れとなっている。
仕事前に彼岸花咲く多摩川に出てみようか・・・。
しかし眠い。
昨日は珍しく頭痛がして、あまり眠れなかった。

復習テストは2本もう作った。
授業までやはり少し残る頭痛を治すためにも昼寝でもするか。

「鬼貫ロス」は今『ヴェラ〜信念の女警部』で少し癒されている。
しかしまあ、ひどいタイトルだ。
オリジナルは単に『Vera』である。
イングランド北東の最果てNorthumberlandが舞台だ。
ここまで来るとすぐ北のスコットランドと同じような訛りに聞こえる。

イギリスの刑事物(ミステリー物)は概ねいい。
好きだ。



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中秋の名月近し




この写真を撮る前、砧公園というよりは隣接する世田谷区立大蔵運動公園近くで
久しぶりに大地康雄さんのウォーキング姿を拝見した。
大地さんは国分寺崖線の傾斜(林である)を下って仙川方向に行かれた。
よほど「鬼貫(おにつら)さん!」と声掛けしようかと思ったが、控えた。

*

Tweetにある藤村氏作の俳句のことはここで一度取り上げたことがある。
それから数年経ったが、いまだに「また」がどうして要るのか分からないままだ。
父の俳句上の師である伊藤蛙浪子先生絶賛の句だから、
息子の私はぜひこの句を味わい尽くしたいのだが。

「あきつ(=トンボ)の紅」とは血潮の比喩だろう。
鮮やかな赤は生命力そのものである。
赤とんぼが「撒」かれるように無数に飛び交う中、
血潮、あるいはもしかすると血飛沫(しぶき)のイメージが湧き、
そこに生ばかりか死もまた意識されるー
まもなく冬が来るという季節でもある。

「また」という以上、「生死」の比喩は他にもあるが、ということなのか。
あるだろうけれど、そのことを言う俳諧的理由がわからないのだ。


藤村多加夫さんは福島市の人で、2011年1月13日に他界されている。
父は同じ年の11月26日だった。
藤村さんはあの忌まわしい原発事故で故郷が穢されてしまう前に亡くなられた。
父は原発からは比較的遠い新潟との県境の故郷で、ふるさとの県の最悪の
事態を体験することになった。

藤村さんは日銀の行員で、金子兜太さんと親交厚かったらしい。

藤村さん、親交あった父の俳句の師伊藤さん、そしてもちろん父と、
この「生死またあきつの紅を撒くごとし」を論じたかった。
私は完膚なきまで叩かれただろうー
「また」の必要がわからぬのかと。

それでいいのだ。






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爽やかさももう懐かしく

DSC01512.JPG


昨日、夕食前によりお腹を空かそうと自転車に乗って世田谷区内を巡った。
以前も書いたことがあるが、俳句では快い空気に包まれる世界を形容するのに、
初夏では「清々しい」、秋では「爽やか(だ)」を使い分ける。

大昔に住んだ八幡山に近い船橋辺りを走っていたら、
急に「爽やか」さを脳の深いところで実感し、すなわち深い記憶と結びついて、
自分は秋の晴天をいかに慕わしく思う者なのかと驚くほどだった。

なぜなら、會津人の私も、そして多くの雪国の人々も、抱く秋の感傷はそうでない
人たちに較べればきっと数倍は強いはずで、東京に住んでいてもその感傷=愁いはそう
易々と弱くなることはないとずっとずっと思ってきたのだった。

もちろん秋のすべてがだから忌まわしいということでは決してないけれど、
その美しさや爽やかさは冬の過酷がまもなく到来することを告げるものであって、
<純粋に>愛でることができないところがあったのだ。

しかし東京に暮らすようになり、それからある時点で、
東京の秋の爽やかさを慕わしいと思える瞬間を迎えたのだ。
その体験が思い出となって脳の深部で沈殿し、その澱がなんらかの拍子に攪拌されると、
なんとも言えぬ、ショックとも言えるようなかたちで私の心を揺さぶった。

やわらかくなった陽光に溢れる爽やかな秋ー

慕わしく、そして<懐かしく>しみじみ想う歳になった。


*

その空気感に近い響きを持つ歌を再掲する。

David Gates Never Let Her Go
(Covered by MNEMO)



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élan vital

Comfortably Numb、少し手を加えて昨日の記事に貼り直しました。

「足音、ドアの開閉、好っきやな」と関西弁でツッコまれそうですが、
好きと言うよりも、ドアちゅうもんは実際、おもしろいもんでっせ、と言いたいねん。
それ一枚隔てて、人間はどんなこともできてしまうやないですか。
絶対に他者には見せないことをですがな。
でもそれを開けていい人間がいると、その人間には他者には見せなかったものを一部は
見せてやるちゅうことを意味し、その人間はそれで快感を、特権意識を得ますのや。

それでも、絶対に見せない<自分>はいつまでも残る。

東京は今日、雨こそ降ってはいませんが、陰鬱な空です。

陰鬱な空が一挙に晴れる、そんな瞬間をみなさんも目撃したことがありますでしょう?
それがComfortably Numbの音の肝ですな。
私はこの陰から陽への一気の転換(跳躍)が大好きでした。
これこそが自分の音楽が目指すもののひとつだと確信したものです。

その跳躍はベルクソンの"élan vital"「生命の飛躍」とはぜんぜん違うけれど、
そう言いたい<音>だ。

短調から長調へ、アクセントを伴っての移動は私にとっての"élan vital"だ。
大好きだ。




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Fleeting Glimpse

東京はそぼ降る雨、少し陰鬱な土曜日です。

信長は「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」という『敦盛』の
一節を好んだというし、荘子の「胡蝶の夢」や「一炊の夢」という故事、
またアメリカのnursery rhyme、Row, Row, Row Your Boatでも
Life is but a dreamと歌われる。

人生は夢のよう、あるいは夢そのものー

私は前回人生を「fleeting glimpseの塊」としたけれど、
fleeting glimpseという句はPink FloydのComfortably Numbの歌詞にある。

「fleet」はゲルマン語出自のことばで、英語の「やまとことば」に当たる。
「flow」や「float」、「fly」などにも通じる「流れる、浮き漂う、飛ぶ」グループの
語であって、Webの語源辞典では、

Meaning "to glide away like a stream, vanish imperceptibly" is from c. 1200;
hence "to fade, to vanish" (1570s).

とある。
よって、「一瞬の映像」あるいは「一瞬の幻視的残像」とでも訳そうか。

人生が儚い「一瞬の映像」の塊なら、総体としても儚いのだ。


Pink Floyd Comfortably Numb (Partial Cover V.3 by MNEMO)


その「fleeting glimpse」ということばの入った歌、version 2として上げてみる。
よろしかったらお聴きを。
私としては珍しく長い(16 bars!)ギター・ソロが入っている。




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2020 長月徒然日記

東京は気温的にもうすっかり秋、中秋そのものだ。
うんざりする暑さがちょっと前まで続いていたのに、突如という感じもする。
秋の到来はそういうことが多い気がする。
漸進的ではないように思われるのだ。

地球温暖化が叫ばれて久しいけれど、この秋到来のパターンはそう変わっていないように
思えるのだが、間違っているのだろうか。

私は冬至を起点に1年を考えている。
冬至こそが大晦日で、翌日が新年だ。
秋分を過ぎ、地球の太陽をめぐる1年の旅は終わりまでもう4分の1を切っている。
そして旅が終わると即座にまた新たな1年の旅が始まる。
これはもう永遠のようだけれど、そうではない。
いつかは地球もこの太陽を巡る旅を終えなければならない。

人間も地球に乗って暮らしているのだから、地球と同じ旅をしているわけだ。
そしてその地球号の<乗客>は数十年、長くてせいぜい百二十年足らずの乗船をする。
そのfleeting glimpseの塊のような決して長くはない年月を終盤に振り返るときが
必ず訪れて、人さまざまな感懐を抱き、命を終える。

振り返るも何も、生きていくことで精一杯という状態のままに最期を迎えることあろう。
生きるために生きる、I'm living to liveというありさまだ。
それが悪いことかどうかは(多分決して)わからないが。

でも「こんなことをしている、していなければならない、という中で終焉を迎えて
しまうのか」と苦しみ悩んでいる人は少なくないのではないか。
人生なんてそんなものだと割り切ってしまえる人はどれほどいるか。

「充実しまくりの人生を送ってま〜す」というような輩をTVなどで見ることがあるが、
ウソ臭すぎて、あるいは頭悪さそうすぎて笑ってしまう。
そういうのはたいてい金満家なのだけれども、まあ、金がうなるほど有ることが
人生の充実とイコールならば、それはそれ、おめでたいことで、とやかく言うのは
ヤッカミだと言われてしまうだけ。

成城の6丁目を先日散歩したが、嘆息を吐くよりない豪邸豪邸・波羅・豪邸が並ぶ。
小沢征爾さんのお家もその中の一つで、いったい何人ご家族がいらっしゃるのか
分からないけれども、部屋が余りまくっているに違いないと思うのだが。
と言いつつ、こんな大豪邸に一度でも住めたらきっと幸せだろうとは思うのだ。
人間は物欲の生き物だ。

それでも全くそんな僥倖には縁がないと諦観を持てば、
ささやかな幸せをこそ唯一の幸せと思い込むように自分を仕向けていくよりない。
人里離れたところに庵を結び、晴耕雨読、四季の移り変わりを愛で、
俳句や和歌、書、絵描き、挿花などができれば上々だけれども、
さてそれは始めるまでにいったいいくらかかるか。
医療などはあきらめ、孤独死は覚悟できるとしてもだ。

そんなことはまったくできそうにない。

だから現状、都会の中に生き、生活の糧を人の群れの中で労働することで得て、
しかしできるだけ世捨て人のような様相をその生活に帯びさせるしかない。

だから、都会であっても山川草木にできるだけ触れられる土地に住み、
歌うたいの世捨て人性をできるだけ担保するのだ。

さあ、また歌おうではないか。




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新生B-String初の音(まだまだだけど)

https://www.youtube.com/watch?v=EdH_dRX9roo&feature=youtu.be

パンちゃんが先日私が歌とdrums、rhythm guitarsを入れただけの
And You Bird Can Singにbassとlead guitarsをoverdubしてくれました。

私の<一次音源>を使っていないので、音には難があり、
これからは解決法を探って(なにせ私はIT音痴なので)彼に一次音源に近い
クオリティーのものを送れるように、追い追い、態勢を整えたいと思っています。

彼のB-String構想、膨らむといいですね。
私もできる範囲で貢献したいと思っています。
ポレポレ(スワヒリ語で「ぼちぼち」みたいな意味のはず)で。


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2020年 秋分の日一言

今日は秋分、1年の4分の3が過ぎた。

ずっと録音をやっていたけれど、今日は乗らない。

行楽地が混雑していると聞くけれど、感染はしない、
大丈夫だと思える人たちが羨ましいのか、彼ら彼女らに眉を顰めたくなるのか、
よく分からない気分だ。

東京はかなりの曇天で、いつ雨が降ってもおかしくはない。
少し涼しくなったから、今日も外に出たいけれど、雨に降られるんじゃあな。

結局疲れているんだと思う。


冬至までのあと4分の1年、どれほどに生き甲斐を感じられるだろう。
なにしろ自分のやるべきことを誠実にやる。
仕事、音楽だ。
世間様の注目など集めなくたって、自分のこころに忠実に創作活動をし、
そして労働倫理をしっかりと貫いていけば良い生活だ。

アンド、疲れたらしっかり休むー

これ以上のいい生活なんてあるだろうか。




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2020 長月雑記 6

昨日は何があったのか知らないけれど、アクセス数がここ数年では最大となり、
訪問者も250人くらいだった(このブログでは相当な快挙だ)。
Glass Onionのカバーが一部で話題を呼んでいる?
それはないと思うがなあ。

ここに来て下さる方々の中でBeatlesファンがどれほどいらっしゃるものか分からないが、
そんなに多いとは思わない。なぜだろうか。


まあ、なにしろ1日に250人が訪れ、アクセス数が600を超えたくらいで「快挙」では
本当にささやかすぎるブログの営みではある。

しかたがないよね、大盛況になることを特に望んじゃいないんだから、当人が。

*

そう云えば、Edison LighthouseのWhat's Happeningと、
Carol KingのSweet Seasonsへのアクセスが当社比で多かった。
もう音源は撤去しているのに、である。
サービスで後に再アップしますかね。


あ、んで、EfilnikufesinさんからDon't Cryを聴きそびれたとのコメントが
入っておりました!
今更気づいてすみません!!
なにしろコメントなんてほとんどゼロのブログなんで見ていないんです。[もうやだ~(悲しい顔)]

それも上げておきますね。
(もう再掲のときに聴かれたかもしれませんが。)


Edison Lighthouse What's Happening


Carol King Sweet Seasons


Asia Don't Cry


All songs covered by MNEMO


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Glass Onion 追記

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onionがunionと同語源だという記事を大昔読んだことがある。
つまりは「one, unity」を意味するということだ。
確かにタマネギの構造を見ればそういうことだ。

ゆえに「Glass Onion」は「Glass Union」に通じ、「ガラスの結束」となる。
むろん考えすぎだと自覚しているけれど、JohnとPaulの特に67年のSgt. Pepper以降
partnershipの変化は急速で、しかも70年には完全に破綻するのだ。

「Lennon-McCartney」というcredit名で、たとえどちらかが専一で作った曲でも
共作としてきた二人だったのだけれども、Glass Onionが発表された68年ではもう
二人はほとんど自分の歌世界だけを追求しており、共作関係は崩れている。

自意識の強さではJohnはほとんど病的だったのではないか。
自分が呼びかけてつくったバンドであり、後で入ってきたRingoを除けば、
自分が最年長で、さまざまな自負があった。

同じイングランド北西の港町リバプールに生まれた2つ下のPaulは弟みたいなもの、
そして母親を若くして失っている共通点もあった。
しかしこの互いにシンパシーを感じられる弟は自分を凌駕する才能を一部持っている。
器楽演奏の能力はバンド随一だし、左利きで、見栄えも良い。
高い声が出て、作る曲にもセンスがある。

有名になってからも、バンドのインタビューではそつのない受け答えを誰よりも
上手にこなし、頭の回転も自分とは違ったところで非常に速かった。

Sgt. Pepper'sはPaulのアイディアで、リーダーシップを公然と取り始めた。
同時期にStrawberry Fields ForeverPenny Laneという「故郷リバプールもの」で
いずれも最高傑作と言われる数曲の中に入る2曲がそれぞれJohnとPaul単独で
作られた。

Glass Onionでは、「Strawberry Fields」が冒頭に歌われる。
Johnの家の近くに在った孤児院のことだ。
Johnは幼い頃に両親に捨てられた状態で、伯母に育てられていた。
遊びに外へ出ていて、この「いちご畑」に近づき、中の子どもを見て
「俺だって<ほぼ>孤児だ」と自覚したことが何度もあったろう。

さらにGlass Onionでは、Penny LaneというPaulの曲の名は出てこないが、
Lady MadonnaThe Fool on the HillFixing a Holeという
Paulの歌の名が出てくる。
自分の曲の名よりも多いのだ。
そして昨日記したように、The walrus was Paulと言ってもいる。

Paulにことごとく自分にはできないことをやられてしまうという焦りが、
嫉妬心が、Johnにはあったに違いないのだけれど、
このGlass Onionでは、その相棒への敬意と恐怖、嫉妬心、羨望、憧憬、敵意ー
すべてが表現されていると私には思えてならないのだ。




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Glass Onion (Covered by MNEMO)



Glass_Onion_sheet_music_cover.jpg


或る批評家はこの曲についてこう言う。

The import supposedly delivered in this song is pointless.
Why does John Lennon feel he needs to confide (non) secrets about
Beatles songs — and sing as if it all means something, which it doesn’t?
This was two minutes and 12 seconds of their lives listeners in the ’60s
would never get back.
There are an awful lot of bad songs on the two-record, 28-song collection
that came to be called “The White Album.” (It has an all-white cover.
Its official name is merely The Beatles.) “Glass Onion,” coming after the terrific
first two songs, is a clear sign things are about to fall apart —
and there were more than two dozen tracks to go.
Here’s a more appropriate song list for a single LP, which isn’t perfect but
adheres to the International Beatle Protocols in force at the time
(i.e., a Ringo song, one solid dollop of McCartney whimsy,
a sop to Harrison, one Lennon misfire, etc., etc.):

Side one:

“Back in the USSR”
“Dear Prudence”
“Martha My Dear”
“Don’t Pass Me By”
“Cry Baby Cry”
“Revolution 1”

Side two:

“Helter Skelter”
“I’m So Tired”
“I Will”
“Sexy Sadie”
“Julia”
“While My Guitar Gently Weeps”
“Blackbird”


*

イメージだけで詩を、曲を書くことのpointless性に手厳しい。
でも、どうだろうか。

深い意味を持つ詩はすばらしい。
それは当たり前だ。
しかし意味を持てばそれで詩が良いわけがない。

いわゆるThe White Album制作の頃のBeatlesは不朽の名作Sgt. Pepper's後、
Ringoを除けばspiritualなことに傾倒していく。
特にJohnとGeorgeはこころの安寧を求めた。
しかし猜疑心強いJohnはインドの導師に一時憧れ、
そしてまもなくその人を俗物と罵った。

導師が語ることは相対主義の極みにとれて、きっと混乱し、
例えば、

Your inside is out, when your outside is in

などというだからどうしたというようなことを歌い、結局は嗤ったのだった。
意味の崩壊、ということか。
だから、イメージをこそ追求し、意味は自分も聴き手も求めるなという姿勢に
なったのだと思う。

しかしまもなくYokoさんと本格的に恋愛し、Yokoさんの東洋哲学や宗教の理解から
ヒントを得て相対主義を克服していったのだろうと思う。
そしてよりrealなYokoさんとの生活のこと、その二人の愛を攻撃したり揶揄したり
する人々、社会の偏見などに抗う道へと入っていったのだと私は理解している。


この歌は、Paulとの関係がイメージ化の基になっていると思われる。
Liverpoolの少年期の回想から、Beatlesを共に作り上げた友人でライバルのPaulの
ことが頭に渦巻いている。

I told you about the walrus and me, man
You know that we're as close as can be, man
Well, here's another clue for you all
The walrus was Paul

とは、この歌詞の中で一番に意味を持っているものだ。
ではwarlusとは何の象徴なのか。

聴きながら、ただそのイメージをイメージするしかない。



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2020 長月雑記 5

昨日の記事で「旧・国際放映」と書いたけれど、
そこが発展的にTokyo Media Cityになって組織解消になったものと思っていたが、
先ほどのそのTMC前を通ったら、ちゃんと国際放映もそのビルの中に在った。
お詫びして訂正します。

*

パンちゃんのB-String構想について過日記したけれど、
パンちゃんがその記事を読み、また彼の音楽上の相棒である新潟のahben氏も
読んでくださって、その構想を前に進めるため、私の関与を求めてくれた。

お二人とも私の消極的にならざるを得ない事情はよくよく分かってくださってのことで、
なんだか無下には断れない気がし、自分のペースで、とお答えした。

その過日の記事でも書いたけれど、Beatlesオタク的アプローチをするのはだいぶ前から
興味がなかった。そういうアプローチをする方々は少なくないし、
その努力を貶すとかの想いはない。

けれど、彼らの音楽に迫れば迫るほど、矛盾ではあるが、
それに遠くなっていくという気がしてならないのだ。
だって、近づけば近づくほど、だったらBeatlesオリジナルの方がいいとなるに
違いないではないか。

だから、この種の行為では、カバーこそが道であり、換骨奪胎がすべてだと思う。

そしてそうであっても、その歌の命には迫る、ということだろう。


私は器楽演奏については本当にトーシローで、拙いだけだ。
けれども、拙かろうがオケづくりはおもしろく、やり甲斐を感じている。
それでも、天才4人の演奏を、どうにも再現どころか少し真似をすることすら
まったくできないものももちろんあって、そんなところでパンちゃんらの
協力があったらおもしろいだろうとは思っている。



例えば、今まで上のAnd Your Bird Can Singの、
私にはカバーできない部分満載のラフ・スケッチをやってみた。
これにguitars、bassが入ればそれなりのカバーになるだろう。


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鬼貫シリーズ再放送終わる

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大地康雄さん主演の『鬼貫八郎』シリーズ完結編をたった今見終わった。
中田喜子さんがシリーズ最後の殺人犯となった。
さすがの演技で、唸った。

1993年から2005年まで全18話、『火曜サスペンス劇場』で年一回ないしは年二回
放送されたのものだったらしい(私はついぞリアルタイムでは1度も見なかった)。

第15話だけが、いくらなんでもというような展開だったけれども、
その他はみな秀作で、とてもとても楽しめた。
(ただ第1話だけ見逃した!)

世田谷区砧に在った旧・国際放映が制作であるがゆえなのだろう、
狛江や調布、二子玉川の多摩川河川敷周辺がロケで頻繁に使われた。

鬼貫さんが勤務する警察署は警視庁東中野署(むろん架空)であるから、
写真のように同区・上高田などもロケ地になったけれども、
杉並区高円寺に近い中野3丁目なども出てきて、みな私には馴染みのところだった。
なぜか小田急線沿線の場所、例えば代々木八幡や下北沢、経堂なども出てくるし、
鬼貫さんの戸建て住宅は、どう考えても狛江市に在るとしか思えないのだったが、
そのことには全く触れられない。

ある回では、東中野署の課長から呼び出しで調布市染地の多摩川土手の
サイクリングロードを鬼貫さんは自転車で駅へと急行するのだけれど、
なんと京王線京王多摩方向へ。3km以上あるから遠回りもいいところ。
普通はせいぜい1kmちょっとの小田急線の和泉多摩川駅か、
それよりもう少し遠いけれども狛江駅へ行くものだ。

なにを劇演出上の都合のことを論っているのか! ^^;)

地方のロケも、浜松だったり、松本だったり、飯田線関連で下諏訪・岡谷だったりと、
本当に私がよく知っている場所でだった。

第2話から第18話まではみな録画した。
1993年から2005年までの13年間分だ。
1993年はまだ携帯電話も全く普及しておらずポケベルだった。
2005年であっても、スマートフォンは影も形もない。


大地康雄さんにとってライフワークに近い作品だったことは疑いない。
個性派俳優として主演を任され、みごとに人気シリーズとなって、
『火曜サスペンス劇場』の終焉に合わせてシリーズが完結したのだ。

大地さんは、砧公園に近い(あるいは国際放映に近い)ご自宅で
今どのような感慨をもってこのAXNミステリーでの全編再放送を見られたろうか。
もちろんVTRはみなお持ちだろうけれど、もし見ておられたなら、
1993年から2005年までの日々、年月を、しみじみ振り返っておられよう。
そしてその2005年からももう15年も経った。

糖尿病を患い、愛妻から低カロリーの食事のみ与えられ、
相棒の若い刑事は目の届かぬところでの監視を頼まれた。
それでも単独行動のときはコーヒーが出るとちゃっかり砂糖を5杯入れた。

家で謎解きをしていて隘路にはまると愛妻が「一杯だけよ」とウイスキーの水割りを
くれるー そして彼女や娘の他愛ない会話を耳にしている裡にそれが大ヒントと
なって謎が解けるー
これは13年間のほぼ一貫したルーティーンだった。

クラシック音楽の大ファンというふれこみだったが、回を重ねる裡に、
クラシック音楽を聴くシーンはなくなっていった(笑)。

すべての殺人事件が凶悪ではなく、愛憎の果てのものだった。
その愛の部分に鬼貫さんは心を寄せて、犯人の絶望的な破滅を防ぐかのようだった。

ドラマは事件解決後必ず家庭での愛妻と娘とのコミカルなやりとりで終わる。
救いの時間は、だから、ドラマの終わりに2重に訪れるのだ。


ああ、しばらくは<鬼貫ロス>でボオっとしてしまいそうだ。
できれば鬼貫さんにリアルで砧公園周辺でまたお会いしたいものだ。



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野川、多摩川と私〜 相思相愛



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我が歌、I Love You Too、再掲します。
前回のものに手を(音を)加えました。


この歌は、不遜ながら、西行に影響されたと言ってもいいかもしれない。
如月の望月の頃に死なんと歌った西行のこころ、にです。
私も写真の野川で野垂れ死にしたらこれ幸いと思ったことがありました。
いや、今でもそれは悪くはないと思います。

先ごろ亡くなられた大林宣彦さんはこの写真の右隅の方に住んでおられました。
ご自宅で息を引き取られたのかどうか存じ上げませんが、
そうだとしたら、きっと安らかなるお気持ちであったでしょう。

鳥の声や雷鳴のSEを入れるのはご法度という気持ちがなくはありませんが、
でもこの野川べりはそういうところですからねぇ。
自分が気持ち良く聴ければそれでいいのです(ごめん)。


私が都心に5年ほど暮らすことになって、野川や多摩川に戻ってくるたびに、
私が「大好きだよ」と言う前に野川や多摩川は「大好きだよ」と言ってくれる、
そんな感覚を歌にした、というわけです。

野川、多摩川と私ー
相思相愛。


*



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涼風真世さ〜ん!

今日は休みなのだけれど、何もする気が起きず、
それでも「これは」とvideoをつけて見たのは、この頃2度ほど書いた大地康雄さん
主演の『鬼貫八郎』シリーズだ。

この名刑事が、皆が第一容疑者と思う人物ではないホシを数々挙げてきたにも関わらず、
それでもまだ信用されていない図式には少々辟易するし、
いくら昇任試験を受け渋っているとは云え、50歳になる(第12作では)というのに
階級は巡査部長のままというのも歯痒くて困る(本人は管理職などは嫌だ、とのこと)。
巡査、巡査長(正式な階級ではないそう)、巡査部長、警部補、警部、警視、
警視正、警視長、警視監、警視総監という階級があるわけだけれど、
すさまじく優秀な刑事の鬼貫さんが正式には下から2番目の階級のままで
50歳を迎えるというのは本当に悔しくなる。(笑)

しかし、大地さんの演技力は本当に絶賛に値する。
7割がたは超マジメ、いかつい表情でいるのだけれど、左時枝さんとの掛け合いでは
実にユーモラスであり、また折々アクセントとして思わず噴き出すような
コミカルな演技が挿入されるのだけれど、本当に絶品だ。

今度また砧公園周辺で大地さんとすれ違うときがあれば、私はきっと敬礼したくなる。


2001年放送だったという第12話では、涼風真世さんが出演されおり、
あらためていい女だなあと唸ってしまった。
大ファンだったとかそういうことでは一切ないのだけれど、
演技の確かさ、美しさは、どんな人も評価せざるを得ないだろう。

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2001年かあ。
私には凄まじい1年だったなあ。
プライベートでも最悪最低の年だったのだが、
9.11が起こって、絶望感が頂点に達したのを思い出す。

それから19年も経ったのだ。

おいおい。



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MNEMO COVERS

Annie's Songはおかげさまで非常に多くの方に聴いていただいております。
ありがとうございます。

では最近のcover作品をいくつか再掲します。
よろしかったらー

Billy Joel HONESTY


Joe Walsh TOMORROW



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Annie's Song (John Denver)

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Partial Cover by MNEMO



*

John Denverの本名がHenry John Deutschendorf Jr.というのは
Wikipediaを見て初めて知りました。
いかにもゲルマン人(特に北欧の)の顔だと思ってはいましたが、
Deutschen-がファミリーネームに入っているというのは筋金入りです。

このAnnie's Songは彼の<最初の>妻、Annie Martellへ捧げられたものです。
Wikiにはー

She was the subject of his hit "Annie's Song", which he composed
in only ten minutes as he sat on a Colorado ski lift
after the couple had had an argument.

とあります。JohnがAnnieと口論になって、10分ほどで、独りコロラドのスキー場の
リフトに乗りながらできたのだそうです。

Like a storm in the desert

という歌詞がありますが、なんだか笑えますし、そんなAnnieも「fill up my senses」
なのですから、すばらしい夫婦だったと思います。

けれども結局結婚生活は15年で幕を下ろしたようで、

Denver said that career demands drove them apart;
Annie said that they were too young and immature to deal with
John's sudden success.
Following the property settlement, Denver nearly choked Martell.
He used a chainsaw to cut their marital bed in half.

という記事には旋律ならぬ戦慄を覚えてしまいます。
その「choked」の際、Johnはこの歌の旋律を思い出さなかったのでしょうか。
「錯覚だった、俺は愚かだった!」と言ったのかどうか。

同じsingerとして、そして至らぬ人間、男性としても、
Johnの<そのときの真実>は、しかしながら、
いつまで経っても真実なのだと言いたいと思います。


Johnは1997年の10月12日に飛行機事故で他界します。
Wikiには、Johnがルータン ロング・イージー(Rutan Long-EZ)という組み立て式
飛行機に乗り、この機の操縦経験が浅い中、燃料計と燃料タンク切り替え装置が
操縦席の背後にあったため、燃料切れに気づかず、いよいよ気づいたとき
90度体を回転させるのに舵を切るステップを踏んでしまい、
バランスを失って墜落したというようなことが書かれています。

悲惨なのは、歯型でも人物特定ができず、結局指紋でなされたというようなほどに
遺体が粉砕されてしまっていたということです。
Johnは飲んだくれで、飛行機操縦のライセンスは持っていたけれども、
度重なる飲酒運転などがあってそのライセンスは停止状態だったというようなことも
書かれており、熱心な環境保護主義者でactivistだった彼なのに、これまたどうしてと
いうようなエピソードを読み、複雑な気持ちです。

そしてほぼ繰り返しですが、

同じsingerとして、そして至らぬ人間としても、
Johnの<歌うたいとしての誠実>は、しかしながら、
いつまで経っても疑いの余地はないのだと言いたいと思います。

亡くなってまもなく23年ー

すばらしい歌をありがとう、John Denver。
そしてもちろんAnnieにも感謝の言葉を捧げます。


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我が自転車<散歩>コース

今朝、夜明け前に自転車で「散歩」に出た。
とても涼しくて、少なくとも朝に関しては、
「暑さ寒さも彼岸まで」と言うけれど、そしてまだそのお彼岸(秋分は22日)までは
9日あるわけだが、もうすっかり秋だなあと思えた。
東雲の空も高くて、実に爽やかな時間だった。

  • * 「散歩」コースはむろん四方八方あるわけだ。 真南だと世田谷区鎌田の多摩川に出るコース、 南東だと砧公園コースで、これらが最頻度の上位2つ。 ちなみに南南東となれば二子玉川となる。 真西だと成城四丁目や狛江市東野川、一級河川・野川コースで、第3位。 真東は小田急の千歳船橋方向となり、城山通りや世田谷通りに沿う。 真北は芦花公園方向だ。 さて、砧公園コースは本当によく利用するのだけれど、 そこから岡本3丁目や2丁目へ足を延ばすことも多く、そこは国分寺崖線のへりで、 大変な高級住宅地で、大邸宅が並ぶ。 有名なYさんの大邸宅ははっきり言って私にとっては悪趣味な佇まいだ。 余計なお世話だけれどね。 私が好きなお家は2丁目のIさん宅で、庭の木立がすばらしい! 岡本八幡、静嘉堂文庫(三菱財閥・岩崎弥之助創設)の近くで、 まるで別荘地のようなところなのだ。 この崖線下は世田谷区の岡本民家園で、娘が幼い頃、そこで飼育されている蛍を 見に彼女と数度行ったことがある思い出の場所だ。 砧公園コースで、もうひとつ足を延ばすところがあって、それは上用賀だ。 整然と区画整理された碁盤目状の住宅地で、見通しが非常によく、 クルマの行き来は多くなく、西端は砧公園、東端は馬事公苑になるがゆえに環境は抜群だ。 また、ここには私がG String時代にOMNICHRONISMの録音をしたスタジオが あったので、本当に懐かしい場でもあるのだ。 狛江は和泉多摩川時代の、<すぐ多摩川>散歩はもちろん最高だったけれど、 今のところも散歩には事欠かない。 ありがたいことだ。

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2020 長月雑記 4

TwitterにはTweetdeckという姉妹版みたいなサイトがあって、
Homeと他のフォローしている方々のツイートをそれぞれコラムにしてチェック
できるのだけれども、あまり多くのフォロワーがいるものだから、
誰かのを優先的にチェックするというようなことになってしまい、
それでは結局他の方のを疎かにしてしまうから、それが嫌で、最近やめてしまった。

Homeだけのだと、「いいね」を割合よくするフォロワーさんのが昔はちゃんと
流れてきたのに、この頃はそうならず、どんどんと多くの方々にご無沙汰している。
ある方がどんなツイートをされているのかを知るには、結局検索するよりなく、
それをやっていたら、Tweetdeckをその煩雑さ、手間がかかりすぎることで
やめたのに、本末転倒になってしまう。

Tweetdeckの存在を教えてくれたのはパンちゃんだったのだが、
そのパンちゃんともだいぶご無沙汰になってしまっていたけれど、
たまたま彼の最近のツイートを読めた。

パンちゃんはB-Stringというプロジェクトを再開するようなのだ。
BとはBeatlesのことであって、Beatlesのカバーをするユニットなのだ。
パンちゃんの演奏力を私のBeatles coveringに活かさせていただきたいのは
やまやまなのだけれど、カバーの作業は独りでやるのが完成度云々は度外視して
おもしろいと感じているので、残念ながらB-Stringプロジェクトには参加しない。

ネット上では多くのBeatlesカバーをする人々が作品を上げており、
中には「一緒にやりませんか」と声かけしたくなるほどに精緻なコピーをする
人もいるのだけれど、私はコピーとしていかにBeatlesに迫るかというような
ことをする気は全くないので、結局ずっと連帯をあきらめてきた。

私はとにかく歌唱としていかに特定の歌の核心に迫るかというのに興味があって
カバーをしているのだ。バックの演奏については下手くそであって構わない。
それでも下手くそなりにギターを弾いたり、キーボードを弾いたりするは楽しくて、
大いに<暇つぶし>になっているのだ。

なにしろ、パンちゃんのB-String企画、うまく行くといいね!

Getting Better (Beatles Cover by MNEMO)
Probably-Improved Version





*

昨日書いた、「火曜サスペンス劇場」で放映された大地さん主演『刑事・鬼貫八郎』の
話の続きなのだけれど、第6作は1996年オンエアだったという。
G Stringとして私が再デビューして1年目ということになる。
このときの「火曜サスペンス劇場」のエンディングは髙橋真梨子さんの『ごめんね』
だったのだ!

当時、髙橋真梨子さんあってのG-Stringであった。
髙橋さんメインの音楽事務所に私やG Stringは所属していたのだ。





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2014年の松本駅懐かし

砧公園へ行くと、よく俳優の大地康雄さんに出くわす。
個性派も個性派、同じタイプの役者さんは多分いないだろう。
彼は大昔に東京の森下で起きた通り魔殺人事件を基にしたドラマで犯人役を
演じたのだが、あまりの迫真の演技で強烈な印象を受けたものだった。

AXNミステリーでは今1993年から2005年まで「火曜サスペンス劇場」で放映された
大地さん主演の『刑事・鬼貫八郎』をやっており、ご近所さんの誼で第2作を
見てみたらハマった。

第6作(1996年制作)では、長野県の松本が1舞台となって、懐かしいかな、
松本駅の西の出口の様子が映った。また北アルプスも遠景としてチラリと映って、
なんだかジーンときたのだった。

私がせっせと週一回電車で松本に通ったのは2014年だった。
御嶽山の噴火があった年なので、よく憶えている。
もう6年も前になるのだなあ!
(冬期講習などではMooさんご夫妻にお世話になった。)

27年前の大地さんと、砧公園周辺でお見かけする大地さんはそう変わっていない。
大地さんは散歩というより、運動のために歩いていらっしゃるという風情で、
かなり険しい顔をしておられ、とても声がけなどできそうにない。
劇中、妻役の左時枝さんとのユーモラスな掛け合いを見ていると、
大地さんは実像としてきっとそういう方なのだろうと思うのだけれど。

大地さんのことと松本のことがごちゃまぜになっていて、
一体何を主題に書きたいのか、自分でも分からなくなってきた。

2014年から15年にかけて、毎週金曜に松本へ行き、高校生中心に英語などをお教えし、
そのまま駅近くの、主に東急INNに宿泊し、翌日も午前に授業があって、
それが終わって帰京したのだった。

金曜日、授業が終わって午後10時、遅い夕食を松本駅すぐ近くのラーメン屋さんで
とったのだけれども、そのときはずっとラジオを聴いていた。
NHKラジオで香山リカさんの番組(『ココロの美容液』)を聴いていたものだ。
彼女のモノローグが中心の番組で、静かな松本の夜にぴったり合う番組だった。

なんだかとても懐かしいのだが、6年前とはとても思えない。

ああ、歳を取るのは本当に、なんて早いんだ!!



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All I Want Is Someone to Believe

HONESTY
by Billy Joel
Partial Cover by MNEMO



DSC00672.jpg



*

Mooさんが氏のブログで私によるHonestyのカバーを褒めてくださっていて、
あらためて、特に日本で超ポピュラーな楽曲をカバーするもんだなと感じました。
ありがとうございます! (^^)

なぜ、日米の政治状況に疲れ果て、無感情的になりつつあるが、
辺野古の海を絶対に守ろうとする沖縄県のアクションに賛同するという記事の後に
私はHonestyのカバーをしたくなったのかー

正直や誠実がこれほどに疎かにされている時代を私はついぞ知らないのです。
正直や誠実という人間社会の箍(たが)が緩くなり過ぎ、あるいは外れてしまった。

むろん自分を完全にその例外とすることはできないけれど、
昔からいる、pretty faceでpretty liesを吐く者はまだいいとさえ思えるー

今はugly faceでugly liesを吐く者たちが為政者なのですから!
そしてそんな状況でも痛痒を感じないどころかその者たちを支持し続ける人々が
なんと多いことか!

政治は真っ正直ではやっていけないし、
市井の者たちだって多かれ少なかれ同様なのだと
正当化するー

でも、たとえそうでも、人間として最終的な矜持を示さないのか?
社会の、人間の一般的傾向とかの話ではなくて、
私、あなたの、矜持のことなのです。



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大浦湾を守りたい

仕事が終わって、疲れましたが、Mooさんのブログを拝見し、
これは今日中に広めなければと。

https://all-okinawa.jp/wp-content/uploads/2020/07/ikensyo_0727.pdf

私はあまりにも日本やアメリカの政治状況に疲れ果て、
この頃はもうapatheticになってしまっています。
Twitterでもうんざりするようなツイートが目に触れてしまい、
いよいよもう超然主義にどっぷりかというようなありさまです。

でも、沖縄大浦湾(=辺野古の海)を守りたいという気持ちは強い。

もしよろしかったら、ご協力ください。

中国が脅威だ?
ええ。
でもね、じゃあ戦争だっていうことにはならないでしょ。
なっちゃいけないんです。


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2020 長月蜻蛉日記

台風被災者のみなさまにお見舞い申し上げます。

東京は安定した晴天が戻ってきました。
暑い。

*

さっきからずっと二階の録音室で外を見ながら作業しておりました。
義父が育てた柚子の木の少し上をずっとアキアカネ系のトンボがホヴァリングして
いるのです。
トータルで1時間はそうしており、どういうことかと観察しながらキーボードを
弾いたりしておりました。

どうも目的は2つかな、と。
1つはやはり捕食のためでしょう。
どうも定点でいるところは、小さな飛翔する虫たちの通り道らしいのです。
通過するものを俊敏に捕捉するのです。
もう1つはメスの通過を待っているのかもしれない、というもの。
他の同種個体が1匹だけ通過しましたが、zipと動き、その個体へ寄り添い飛行ー
追い払ったのかそれとも追尾して交配をねだったのか、どちらかなのですが、
う〜ん、わからん。

今はもういなくなりました。


いやあ、まさに極楽とんぼな記事です。



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2020 長月雑記 3

九州全域と四国などが今台風の影響をもろに受けている最中、
どうぞ無事でやり過ごせますように!

*

今Mooさんご夫妻の野菜を鋭意調理し、いただいています。
育てた人が分かる野菜って、やっぱり格別な味がします。
本当にありがとうございます!

*

昨日も録音を主にして1日が終わりました。
完全に趣味の世界ですが、何もしないよりはマシでしょう。

*

燗酒を良友と酌み交わすということが私には少なくとも数ヶ月に一遍はしたいことで、
日本酒党は今幸夫ちゃんと我が娘だけであり、できれば誰よりも早く(笑)
一席設けたいと思うのです。

義父もその娘もまったくの下戸であり、月に一遍は行く寿司屋(回転)や、
互いの誕生日に行くしゃぶしゃぶ屋でも私だけが燗酒を飲むのですが、
おいしいには違いないけれど、少し寂しい。

娘は過日の私の誕生日に際し、お祝いの席をもうけてくれるとのことでしたが、
このご時世で私から丁重に断ったのでした。

義父はもう引退して四半世紀近くになり、出歩きも今はほとんどしていないので、
たとえ毎日は顔を合わせなくてもマスク着用やsocial distanceを徹底していれば
大丈夫だと思っていますが、さすがに我が娘は勤めているし、
こっちの感染だって心配だろうから、触らぬ神に、ということにしたわけです。
師走の彼女の誕生日に合同誕生会を開こうということにしました。

Mick師や治雄ちゃんは日本酒党ではなく(なんでも来いの人たち、
ただ、どちらかと言えば蒸留酒系の人たち)、スティックは超下戸、
また遠すぎる友ながら、Mooさんも下戸。

ああ、幸夫ちゃん、いつか近い裡につき合ってください。
アクリル板越しの酌み交わしになってもいいので(笑)。




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Real Love (Partial Cover)

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前回記事で、人が羨む恋人を手に入れることをちょっと一面的に捉えている
書き方をしてしまい、訂正したい。

高級車の見せびらかしとそう変わらないというのは言い過ぎだ。
もちろんそういう了見の男も(女も)いる。
ただ、「羨む」のはただその恋人のlooksだけではないわけで、
二人のあまりのperfect matchに羨んでしまうのもあるわけだ。
それはもう、本当に、凄すぎる。

Johnは最初の妻Cynthiaを袖にして、Yoko Onoの許へ走った。
周りでは本当に誰一人Yokoさんを伴侶にして羨ましいと思った者はいなかった。
それどころか、Johnの親戚は彼女をapparitionとまで言ったし、
Beatlesの他のメンバーも決してYokoさんに対し好意的ではなかった。

JohnがYokoさんに出会い、「恋に初めて落ち」て、
人生観を一変させられ、Yokoなしの人生など考えられなくなった。
・・・そしてその最愛のYokoさんの腕の中で絶命したのだ。

最愛の人に出会い、結婚し、子をもうけ、その人の腕の中で逝くー
そのこと自体、羨ましくないはずはあるまい。





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2020 長月雑記 2





昨日無事にMick師へMoo野菜をお届けしましたが、そのときの多摩川情景です。
(Mick師は多摩川端在住。)

Mick師「Mooさんだっけ、どうかよろしく伝えて」とのことでした。





そのMick師が大好きなStonesのKeith Richardsです。
NYで実際に遭ったことがあって、ツーショットはMick師の自慢です。

この不健康なrock'n-rollerは、健在、77歳です。
Paulと同い年ですが、Stonesは長生きさんが多いなあ。
John Lennonは生きていれば80歳、そのそれなりの長寿をRingoが実現。

Rock'n-rollerははっきり言って与太者です。
健康増進法的なrockerなんて本末転倒。
みんながそういう健康オリエンテッドな人ばかりになったら、
きっと藝術の多くとまでは言わないけれど、popular音楽、
特にロックはなくなるだろうと思いますよ。
自己正当化しているとかじゃなくてね。




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2020 長月雑記 1

安曇野のMooさんから野菜が大量に届きました。
お裾分けでなかなか手間がかかりますが、Mooさんご夫妻の丹精込められた野菜を
義父やMick師、隣のNさんなどにお配りできるのは喜びです。
私も早速茄子をいただきました。
新鮮でうまい!

Mooさんご夫妻にこころから感謝。

*

Mooさんは、これからは中間点の八ヶ岳辺りで合流し、もっと多くの野菜をクルマで
運ぶのを提案されました。そりゃすごいや。
でも、Mooさん、中央道は私、かなり懲りています。
そうです、2013年だったかの笹子トンネル天井板崩落事故の記憶です。
すんでのところで助かったとは言いませんが、そこを往復2回通って1週間経ったか
経たないかのうちに事故が起きたのです。
ゆえに以降Mooさん宅へお邪魔する際は関越・上信越道経由にしているくらいですから。

一番いいのは、収穫時にお宅へお邪魔して、お裾分けをいただくパターンですね。
できればそのとき、幸夫ちゃんも同行してくれればいいですよね。

*

さて昨日上げたEvery Little Thingについて。

ヴァース部分はJohnとPaulのユニゾン・ボーカルなのですが
(私のカバーでは勝手に3度上のハモを入れています)、
初めてこの歌を聴いて以来かなり経つまでJohnのダブルトラックだと思っていましたし、
Johnの声が目立つならぬ耳立つので、それまでの慣例からこの曲はJohn主導で
作られたとずっと信じていました。
ところがこれはPaulが主導したというのですね。

アルバムFor Saleでは最も好きな曲で、本当に少年ごころをくすぐる歌です。
「人は僕をラッキーと言う」ような恋人が持てた悦び、なんですね。
そしてそんな誇らしい彼女がするすべての小さなことも僕のためにしてくれて
いるんだと言って感動するー

なんとまあナイーヴな歌でしょう。
けれども、少年の頃というのは、そういう感激こそすべてみたいな時期なんですね。

Paulの歌ですから、「she」はきっとJane Asherのことでしょう。
Janeとの恋愛は、Paulに多くの歌をもたらしました。

みんなが羨むような恋人を<持つ>ことの悦びというのは、
考えてみるとかなりすさまじく「I, Me, Mine」なことですよね。
人に見せびらかせる高級車を持つようなこととそう変わったものじゃない。

「Real Love」というのは何かー
それをPaulも追求してきたでしょうが、まずJohnがその答えに到達する。
まさにそれをタイトルにした歌さえ作った。

No need to be alone
とか、
No need to be afraid
とか。

「君」といれば、ということ、ですね。




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Every Little Thing (Partial Cover)

BPM +7 Version



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昔ギター1本で、さらにドンカマ(メトロノーム)なしで録音し
ここに上げたものにドラムやティンパニなどを加えました。
いやあ、むずかしいです、そんなものにリズム楽器を後入れするのはね。
ゆえに、どうか聞き苦しいところはお許しください。

Beatlesには、聴けば活力が湧いてきたり、気分を高揚させてくれる曲がいくつも
ありますけれど、この曲もそのひとつ。

今日は亡き父の誕生日。
Every little thing he did
He did for me
とまでは言いませんが、良い父でした。

もう亡くなって9年近くになります。




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2020 長月朔日日記

東京は九月に入ったのと時を合わせるかのように涼しい朝です。
台風が沖縄など南西諸島で猛威を振るっているとのこと、お見舞い申し上げます。

先月30日に誕生日祝いの長いメッセージをくださったMooさんが、
またもや自ら育てた野菜を発送下さるとのことで恐縮しています。
ポリープ除去の一泊手術を終えたばかりというのに、本当にお手数なことです。
(Mick師匠、またお裾分け持参いたしますね!)

私のような者の誕生日を忘れずにいてくださる方々こそが真の友人とつくづく思います。

歳をとると、打算的な付き合いというのはどんどんと減っていくもので、
そう長くはない人生で、本当に得難い友とは誰なのかを知り、
まことの友情を保ちながら、励ましあっていきたいものです。


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