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「情状性の喪失」って記事、311大地震直前に書いたなあ

Mooさんの最近のブログ記事から途中引用ー

<音楽を聴いても、心に染みるということが無くなり、
絵をみても芝居をみても心を動かされることが無くなるとなれば、
これはもう精神の摩滅、衰退、劣化の明らかな兆候・・・
というよりその渦中にあるということでしょうか。

私の青春時代を思い返してみると、あれこれ思い悩み、試行錯誤を重ね、
自分でも「疾風怒濤の時代」と表していたほどの時期がありました。
悩みは悩み抜くことでしか解決しないと自分で言い聞かせ、だからこそ、
その中で聴いた音楽や絵画、書などの芸術は響くものがあったのです。>


私はまだそういう「精神の摩滅、衰退、劣化」を切実に感じるところまでは至って
いませんが、そういうこともいつかそう遠くない時期に起こるだろうとは思える。

私はむろん音楽人間であり、音楽を鑑賞する、自ら創る、自ら演奏するという3つの内
特に「創る」行為がめっきり減ってしまいました。
若い頃(二回目のデビューをし、挫折する40歳くらいまでとする)は「創る」は、
そのクオリティを問わないとして量的には絶好調で、有体に言ってしまえば
<男としての旬>の時期と重なっています。

先日亡くなった三遊亭圓丈さんは『なんばん』の枕で、若い頃はペンを持つと
「自動書記」の如く新作落語ができていった、と。
そして衰えはもちろんあったが、50歳代までは「なんとかなった」と。
しかし60を過ぎると「めっきり」ダメになったと嘆いておられました。

また有体に言いましょう。

男は、女性はいざ知らず、自分の男としての色気が盛んなときに己のパフォーマンスの
量的ピークを迎えるのです。質的なピークも重なること頻々でしょうか。
そして自分の色気が褪せていくのと比例し、創作意欲が衰えていく。
質的には高いものが安定的に産み出せるものの、なにしろ寡作になってしまう。

そんなことは多くの人が語ってきたことでしょう。
なんらの新発見でもない。


私が世田谷へ狛江から移ってきて(数キロの移動にすぎませんが)、
その狛江での最後の7年(東和泉4丁目居住時代)でできた曲などほぼ皆無だった
悲しさがあって、世田谷では意欲的にならねばと4,5曲作ることができていますが、
これは環境の変化、制作環境の改善あってのことであり、色気の復活では断じてない。

降りてきた歌は必然的とでも言わざるを得ないのか、懐古趣味なものとなっている。

色気の復活を熱望するー
などと書いてしまったら、あ~た、自然に無駄に逆らおうとするアホなエロ・クソ爺に
なります宣言ですがな。

空しすぎる。

そんなことは望まない。
懐古趣味なものしか作れなくなったら、それはそれ、いいじゃないか。
これまで積み重ねてきた知識と経験、教養をなんとか生かして、
寡作ながら質高しを目指していくのが本寸法てぇことでございましょうな。

こんなの、ね。
質高いかどうかはちょっと措きつつー

Come On ーKing Reguyth & MNEMO (2021)
掲載終了

(すぐ掲載終了させます。自分が聴きたいだけなので。笑)




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