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梅仙女はやはり死なず

昨日の記事を書いてから、ウォーキングに出る際にYouTubeの画面で
歩きながら聴くものを選ぼうとした。
いつもなら音楽なのだけれど、久しぶりに「朗読」で検索、
すると野村胡堂の『初夜を盗む』が「おすすめ」の筆頭に挙げられた。

びっくりした。

私がいくらこの頃世田谷の砧周辺のことを書いているとは云え、
そのことをGoogleがデータ収集していてこの胡堂の短編を奨めてきたはずはない。

野村胡堂は明治15年生まれの岩手出身の作家で、啄木や金田一京助とも知り合い
だったという。一般には『銭形平次』の著者として知られている。
さらには音楽評論家としても大変な力量だったらしく「あらえびす」が筆名だった。
「胡堂」の「胡」も「えびす」であるから、盛岡藩出の原敬の「一山」と同じで、
<まつろわぬ民>の国奥州の人間として誇りをもっての筆名だった。

この胡堂、砧8丁目に昭和7年から14年まで暮らしたのだ。

昭和15年23歳で早世した二女瓊子も小説家で、砧から見える富士を愛でたということが
旧居跡の立て札に書いてある。

『初夜を盗む』
https://www.aozora.gr.jp/cards/001670/files/56099_67730.html
は、不老不死の女・梅仙女に憑りつかれる旗本・江柄三十郎宗秋と、
その新妻・お夏の物語であり、舞台はなんと今は文京区の小日向なのだ!
これはきっと胡堂が一高時代、同郷の校長新渡戸稲造の小日向に在る邸宅へ行った
ことがあるからだろうと私は推察する。
胡堂は東大にも進んでいるし、文京区界隈にはもちろん詳しかったろう。
また、やはり同郷の友人石川啄木も上京してまず小日向の隣町である音羽に暮らした。
ますます土地勘があったに違いない。

物語に出てくる「切支丹屋敷」は茗荷谷ということになるが、所在は小日向だ。
きっと新渡戸や石川の家へ行った折、キリスト教禁制後に信者が幽閉されたこの
屋敷跡に出くわし、印象深く思っていたことだろう。
茗荷(ミョウガ)は暗いところに生える植物であり、「小<日向>」とは裏腹で、
茗荷谷はむろん谷合の窪地で確かに暗い雰囲気の土地である。
奇談にはうってつけの場所だ。


先に「なんと(~)小日向」と書いたが、そこは私が都心へ「逆都落ち」をしていた
1999年から2005年までの間、しばしば散歩に出かけたところだったからだ。


その『初夜を盗む』の朗読を聴きながら、当然私は砧8丁目、胡堂旧居跡へ向かった。

すべての話を聴き終わる頃、ちょうど家に戻ったー

しみじみ怖い話だと思いながら。




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