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Even so, I say "NO WAR!"





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The more you want Ukraine...

プーチンにはプーチンの言い分がある、という。
当たり前だ。
それなしにこんな暴挙をしでかすはずはない。

キエフ(・ルーシ)公国以来東スラブ人という民族<意識>が生まれ、
ロシア人、ウクライナ人、ベラルーシ人とやがて3分化したけれど、
元はひとつだと言うのだろう(発言はそんな感じだった)。
そしてウクライナはレーニンがつくった国だと言うのだ。
つまりはキエフ公国や後のモスクワ大公国、モスクワ帝国での東スラブ人の一体性を
レーニンが20世紀になって恣意的に変更してしまった、と言うのだろう。

その説に従えばウクライナ東部でのロシアとウクライナの争いには根拠がなく、
無駄な争いをやめて歴史的な経緯を踏まえ東スラブ人国家の統一に向かうべき、となる。
ロシア主導の東スラブ人の版図が回復すれば民族にとってめでたいことであるし、
しかも西欧=NATOの東進は阻める、と。

ゼレンスキーなどの親欧米派ウクライナ人はロシア人との親近性はもちろん認めつつ、
ウクライナの民族、領土的独立性を主張し、EUとNATOへの加盟を目指す。
これはむしろ当たり前で、政権に異を唱える人々を逮捕し、監禁し、行動制限し、
大物になりうる政敵は闇に葬るような国と連帯したいと思う方がおかしい。

自分らがいかに強権的で、魅力ない国にしてしまっている現実を見ぬまま、
バルト三国につづき直接にロシア国境線をNATOと対峙する前線にしてしまうことが
なんとしても許し難いプーチン・ロシアは、今回とうとう事実上のウクライナ併合を
目指して侵略を開始した。

プーチンは、なぜEUやNATOに東欧諸国が加入したがるのかの理由をおそらく知りつつ、
歪な大国意識とその大国の指導者であることの自己陶酔から
核兵器使用をも辞さぬようなことを言い募っての敵愾心を丸出しにする。

どう考えても、人類が到達した今のところ最良の政治システムと言える
議会制民主主義の下、基本的人権を尊重し、放埓に陥らぬ程度に諸自由を保証する
ことに躊躇するないしは反対する国々にロシアと中国という2大国があるという歴史的
不幸はきっとずっと民主主義国陣営を悩ますだろうし、もしかすると、
最悪のシナリオに突き進むかもしれない。

*

こんなことを書いていたら、NYのやすさんからメールが。
彼女の知り合いにウクライナ人がいて、ロシア語も話せ、ロシア人に兄弟姉妹愛を
感じている人だというようなことだった。ゆえにその女性が今どのような気持ちで
いるものかと心配しているのだった。

やすさんはOver and Overのことにもちゃんと触れてくれた。
彼女が高3のとき、この歌は出来立てホヤホヤだった。
塾で英語をお教えした私は、興味を持ってくれた生徒さんたちにELIXIRのデモを
上げたのだけれど、やすさんはOver and Overが一番のお気に入りだったと言う。

私は思う、こんな歌を自由に作って自由に歌い、自由に聴いてもらえる、
そんな社会こそ人類社会の「理想」の到達点のひとつだと。

敵地に派遣された兵士が、故郷(くに)に置いてきた恋人ないし妻がどうしているか
心配でならず、そして恋しくてならずにいるのに、いよいよ前線へという折、
最後の電話になるかもしれないのに彼女が出ない・・・

兵士になる男には最低最悪の状況だ。
私の1988年当時の反戦歌は、そういう内容だった。

*

プーチンさん、

ウクライナが欲しければ欲しくなるほど、ウクライナことが分からなくなり、
ウクライナのことが分からなければ分からぬほど、ウクライナが欲しくなり、
ウクライナのことが分かれば分かるほど、ウクライナが欲しくなくなり、
ウクライナが欲しくなくなればなくなるほど、ウクライナことが分かるのです

Reptiles ーKing Reguyth & MNEMO
(Composed in 1989 / Re-recorded in 2021)
掲載終了


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Feeling Sorry for Russian Soldiers

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Over and Over ーKing Reguyth & MNEMO (Arrangement by ELIXIR)
All instruments played by MNEMO
Sung by MNEMO (2021)

掲載終了

Rock me in the cradle, Love
Rock me when I'm back
Touch me softly with a smile
Just remember all the knacks

I'm so worried
'Coz you're not there
I'm shedding tears
I'm gonna have to call you up
Over and over

(Lyrics of the omitted verses)
[Watch me doing the things you love
Watch me like my mom
Let me forget everything I've seen
And tell me the only one

I'm so worried
'Coz you're not there
I'm shedding tears
I'm gonna have to call you up
Over and over again]

No matter what you're doing now with someone else
I think that I can understand what it means to me

So please don't keep me calling you
I'm fed up with phoning you
How dare you try to make me blue?
Are you with somebody new?

Please don't keep me crying
Baby, I'll be flying
To the living hell
Next time you hear the bell

Rock me in the cradle, Love
Rock me when I'm back
Touch me softly with a smile
Just remember all the knacks

I'm so worried
'Coz you're not there
I'm shedding tears
I'm gonna have to call you up
Over and over again


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2.26事件の日にWar Is Over!

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私が故郷の雪原(と言っても多くは雪に覆われた田圃だが)を音楽を聴き、
共に歌いながら歩いた1970年代ー

NHKBS4Kでは『新日本紀行』という当時の番組のフィルムを4Kデジタル処理し
放送していて、その多くが70年代の映像で、そこで目にする大人たち、子どもたちが
ちょっと前までの中国大陸の人々のような垢抜けなさを全身から発していて、
「ああ、こんな<貧しい>時代に俺は青春時代を迎えていたんだ!」と吃驚する。
だからGet Back Rooftop ConcertのBeatlesを見てしまうと、
なんと彼らは全く古臭くないことかー
それどころか「今撮った」と言われても全然疑わないほど彼らの<ありよう>は
時代を超えてしまっていると言うしかないのだ。

・・Georgeの誕生日にウクライナは独裁者プーチンの軍に蹂躙されていた。
Georgeは生きていれば疑いなく反戦平和のメッセージを出していたろう。
JohnももちろんYokoと一緒に。

War Is Over If You Want Itに関する我が記事がまたも多くの方に読まれている。

https://mnemosyneoforion.blog.ss-blog.jp/2010-11-25-1

これは私のこれまでの記事でおそらく1、2位を争う閲覧数になっている。
なぜWar Will Be Over If You Want Itではないのか。

JohnやGeorgeが心痛めたベトナム戦争は遠い昔に終結したが、
この21世紀によもやヨーロッパで侵略戦争が起こるとはふたりもきっと思って
いなかったのではないだろうか。
Paulが作り、共に奏でたHey, Judeが冷戦終結に大きな貢献をしたという
事実を少なくともJohnは目にすることなく亡くなってしまったが、
Hey, Judeばかりか自身のHappy Xmas (War Is Over If You Want It)
Give Peace a Chanceも、そしてもちろんIMAGINEも、
世界の平和を希求する人々のanthemsになっていった。

しかし少なくともプーチン・ロシアには無力だった。
彼は、彼のとりまきは、そして彼の支持者たちは、古色蒼然たる、ゴルバチョフよりも
古い旧ソ連指導者のメンタリティを持ったままだった。


それでも、あきらめてはならない。
NO WARと叫び続け、WAR IS OVERと望み続けなければ!

LOVE IS ALL YOU NEED!

Real Love ーThe Beatles (Cover by MNEMO)
掲載終了

The EndーThe Beatles (Cover by MNEMO)
掲載終了


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I'm with Zelenskyy




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George to Turn 79

George Harrisonの誕生日です。
またなんかカバーするか。

George, I miss you so much!
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くまったプーさん

昔フランク・ザッパがビートルズのように戦争反対の歌を唄わないのかと問われ、
俺はデンタルフロスの歌を唄ったが、それでみなの歯が健康になったかというような
返答をしたと言う。

論理の飛躍が酷すぎて論評にも値しないー
まあきっと酔っ払って気の利いたジョークを言ったつもりだったのだと思う。

プーチンという人間は勇ましいようだけれど、老荘的に言えば、だから臆病者なのだ。
自分でウクライナ人とロシア人は同じ民族だと言いながら、その同胞を恐れるー
恐れるから暴力でロシア人にとっての兄弟姉妹のウクライナ人を押さえつけようとする。

彼は自由が怖いのだ。
だから多くのジャーナリストの暗殺があの国で起こってきた。
国民がwell-informedになってしまえば、愚民化すると思っているけれど、
実はいろんなことを知られてしまうと、自分こそが<遅れている>と露見するのが
怖くてしかたがないのだ。

俺は過去に言ってきた。
ロック音楽がない国はロクでもない国だと。
Rockにもロクでもない曲がいっぱいあるけれど、それも含めてただリスナーに淘汰
されればいいだけの話だ。
清志郎さんのようなrockerがもし旧ソ連や今のロシアにいたら、殺されていた。
政治的な歌詞の曲でなくても、やかましく、しかも軟弱でロクでもないとされ、
きっと例えば今の中国でなら、望ましい文化ではない、欧米的だなどと言われ、
発表の場を奪われていくことだろう(もうそうなっているか)。


俺は多感な年頃にBeatlesの反戦歌(RevolutionやAll You Need Is Loveなど)や、
反ニクソン・反共和党を公然と掲げたChicagoの曲などが聴けて本当によかった。
そして軟弱な「ソフトロック」のBreadを聴けたことも。

BreadのBaby, I'm-a Want Youを故郷の雪原で<テレコを持って!>
独り聴きかつ歌いながら歩いた15歳くらいのある1日を鮮明に憶えているし、懐かしく、
そしてしみじみそんな日が過ごせたことにありがたさを感じる。
(そのときChicagoのFlight 602も何度も聴きかつ歌った。)

Baby, I'm-a Want You
https://www.youtube.com/watch?v=vcVypKu5trI&list=PLkfNiDMvOlmRFMGbi5IWjr4GC2gj9DxNl&index=4

Flight 602
https://www.youtube.com/watch?v=fIi3K5Xnmvs&list=PLkfNiDMvOlmRFMGbi5IWjr4GC2gj9DxNl&index=20


プーチンさんはこんな自由で軟弱な少年をきっとひどく嫌ったろう。
しかも戦争なんて絶対に二度と引き起こしてはならないと固く信じている少年だ。

じゃあ、プーちゃん、訊くけれど、
あんたは愛してやまないロシアの、冬、雪原の中、歩いたことぐらいはあるだろうー
そのとき自分はいつか隣国(たとえあんたがロシアの一部と思っていようが)に
戦争を仕掛け、軍事施設に限定したなどと言いつつ、無辜の民を、あんたの言う同胞を
殺戮する未来を志しながら歩いたか?

俺はロックにうつつ抜かして、恋して、汚いニクソンを呪い、ベトナム戦争に反対して
いたあの故郷の冬の少年時代を過ごせたことがとてもとてもうれしくてね、
いろいろ問題はあるけれど、日本に生まれてよかったと思っているよ。

When There's No-One Left to Hear (Short Version)
ーKing Reguyth & MNEMO
掲載終了


All You Need Is Love (Partial Cover)ーThe Beatles
Cover by MNEMO
掲載終了



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陛下もお嘆きであらう

ワクチンの3回目接種は間に合わない、
もう罹るだけだけ罹ってもらって、「自宅療養」してもらって、
ダメだった人はお気の毒、未来ある若い人は大方重症化しないし、
まあこんな感じでピークアウトっつーことで。
え?下げ止まらず第7波?
それまではなんとかブースター接種間に合わせますから!

*

物価はどんどん上がって、ウクライナ情勢が悪化し、ますます物資不足や不景気が
見込まれるというのに、多くの困窮する国民を助ける予算を組まぬまま、
れいわ新選組の衆議院議員3人がそれに憤って声をあげれば懲罰って何?



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It's about time

Mooさんは「終活」の一環でいわゆる「断捨離」中だそう。
同じ記事で「さよならだけが人生だ」についての再考をされています。

私はと言えば、再びアクセス状況を見だして、昨日は、どんな自分の曲をも抑えて、
そして多くのBeatlesカバー曲をも抑えて、
またもや(!)EaglesのPretty Maids All in a Rowのカバーを
8人さまご所望という事実に隔靴掻痒感を抱くのでした。

まあ、ノーベル文学賞のBob Dylanも讃える名曲中の名曲ですしね、
それをそれなり上手くカバーできているとするなら、リクエスト多数という事実を
喜ばねばならない。

Mooさん、一時期「日記」をやめようかと書かれたことがあり、
私は反対し、私の意向を汲んでくださったということでもないでしょうが、
氏のホームページでの「日記」は閉鎖したものの、gooブログで発信を続けてくださって
今に至っています。

私はこのブログを2006年10月から始め、もう16年目、記事は5091にも及び、
書くことも重複することばかりになり、では自宅録音したものをアップしてより
「音楽ブログ」らしくとがんばってきましたけれど、ここで、このかたちでそういう
営みをしていてもなんだか隔靴掻痒、切歯扼腕的な想いをすることの方が多いような
気がしています。

いつかは(いつだ)YouTubeチャンネルを創って、そこで映像をつけて私の花鳥風月
歌世界を(もちろん今は停滞していますが治雄ちゃんとスティックにも手伝って
いただいて、そのトリオとしての作品も上げて)表現したいものだ、と思い、
そのことももう既にここで表明していますが、なにしろいよいよこのブログも限界に
来たということかなあと感じているところです。

そんな気分の中、「終活」っぽく自分のhistoryを楽曲に絡めて書いて、
このブログの終章としようかと思い始めていたところでした。

まあ、だからどうした、なんです。
勝手に始めて、勝手に終わる、それだけのこと。

自分の歌や、BeatlesやEaglesなどなどの大好きな曲に絡めての思い出や想いを
書き綴ることになんの意味があるのかと自問して、ニヒリスティックに「何もない」と
答えるのは気障かもしれないけれど、いや、どんな人のどんな偉業だって、
究極には無意味なのだと喝破していれば気障でもなんでもない。

ただね、29歳のとき、子猫チロの死で考えに考えるphaseに入って、
対消滅を乗り越えてできた宇宙の原理は「なる」ということだと確信した自分こそ
ニヒリズムに抗ってきたのであって、そういうことからすれば、
自分が愛する世界を歌い続けることがなにがしかの「なる」に繋がるのだという
思いもニヒルな思いと全く等しく併存しているのですよ。

その2つの思いの間で行ったり来たりする自分なのです。

歌い続けて、その歌をどなたかに聴いていただく場として、
ここがふさわしいとは思えなくなってきたことだけは、しかし、確かです。
これはブログですものね。


Pretty Maids All in a Row ーThe Eagles (Walsh/Vitale)
Cover by MNEMO
掲載終了



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滑り込まなくて結構

多くの方が昨日訪れてくださったようです。
下の曲へのリクエストが数人さまよりありました。
私の曲の中、アップテンポのものが所望されたのは、
『君たどり着いた』が刺激となったゆえでしょうか。

Slip Into My History ーKing Reguyth & MNEMO
Sung and performed by MNEMO (2020)
掲載終了

この曲はまさに、昨日書いた1995年という私のミュージシャンとして最も恵まれた
年に降りてきたもので、最初のデモはG Stringによって新宿区の小滝橋近くの
スタジオで録音されました。

これは私によるsilly love songsのうちのひとつであって、
それ以上でも以下でもない楽曲です。

この曲を聴いていると、やはりその小滝橋のスタジオでの1日を思い出します。
1回限りの利用でしたし、以降の縁もありませんでした。

小滝橋は大久保通りに在り、私は当時大久保通りをかなり頻繁に使っていました。
千代田区富士見に行く用がしばしばあったためでして、そこから狛江に帰る場合、
国道246号(青山通り)を使うのが最短距離になるのですが、
混むのがとにかく嫌で、飯田橋の交差点で環状2号(外堀通り)を横切って大久保通りに
入り、環3(外苑東通り)、環4はなく、環5(明治通り)、環6(山手通り)、
そして環7を横切って高円寺で駅前通りへと左折して入り、
青梅街道を横切って五日市街道に入り、高井戸辺りで環8に入り、
八幡山(正確には世田谷区粕谷)のガスタンクを右に見て右折し、
道が狭すぎることで悪名高い都道補助第54号線に入り神明社のところで左折、
そこからちょこちょこと行けば狛江市の都道武蔵野狛江線へ通じるのです。

だからど〜した!!

八幡山と高円寺は私がそれぞれ数年暮らしたところで土地勘がありましたし、
上には書かなかった途中の中野坂上や中野のこともよく知っていました。

そのルート上の土地土地を「よく知っていた」年月は長く、
その間に起こったことは私の人生におけるeventsの多くを占めるものです。

Slip into my historyなんて言いつつ、
滑り込まないでもいい、そんな価値なき我が人生史です!


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桜色の春愁

懐古モードが過ぎるほど頻繁になると死期が近いのかもしれないと感じないわけには
いかないのだけれども、まあ、それはそれ。

1995年は私の人生においてはー
阪神淡路大震災があり、オウムによる地下鉄サリン事件があった年だけれどもー
本当に恵まれた年だった。

以前(去年5月5日)にも書いたけれど、2月3月と上用賀のスタジオでずっと
OMNICHRONISMの録音に勤しみ、終わってすぐに渡英、ミックスとマスタリングを
ロンドンで行ったのだ。
ミックスは「第5のBeatle」George Martinが設立に携わったAir Studiosで
行われ、ミュージシャンとして至福の時間を過ごした。

アルバム・ジャケットのための写真撮影で信州(どこだったか失念)へ行き、
完成すると仙台、福島、札幌、浜松・名古屋、大阪、広島、山口、金沢、
そして富山へとプロモーションの旅をした。

デビューシングルはRosemaryとなったのだが、『君にたどり着いた』が第2弾か
というところでSMEなどの機構大改革があってレコード会社は2年もたなかったと
いう厳しい現実が1年半後にあったけれど、それまでは本当にミュージシャンとして
幸せの一言であった。

事務所とレコード会社にあらためて心から感謝するものです。


今上用賀の近くに暮らして、27年前にレコーディングをしていた2月、3月という
浅い春の日々を今過ごしながら、懐旧の情のメーターは振り切れそうになるのだが、
そのmaximumな状態には、誰に理解されなくても一向に構わないが、下の、
去年独り再レコーディングした『君にたどり着いた』の英語バージョンの大サビ部分を
聴いていると陥るのだ(その状態に「陥る」というより「へと昇る」か)。

レコーディングの終了はちょうど桜開花の頃だった。
また、元々この歌が降りてきた1985年、季節は春だった。

恋の喜びは、桜色の春愁だった。

『君にたどり着いた』英語バージョン
掲載終了



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独りで反戦

冬季五輪については、女子フィギュアの例のdoping問題が象徴する
勝利至上主義に辟易してしまって、どこの国がどうのこうのというノリにはとっくに
ついていけなくなってもおり、競技全体について関心が湧かず、まったく見ていない。

そんなことより、ロシアのウクライナ侵攻は確実だというバイデンさんの言葉に
もっと世界は注目しなければいけないじゃないかと憤りすら覚える。
(勝手に憤ってろ!)

両国の戦争で失われる命は養老先生の謂う「三人称の死」ばかりであって、
直接に悲嘆に暮れる対象となる死はまったく私にはないけれど、
「知ったこっちゃない」と至って平静でいられるほどの冷血漢でもない。

エスカレーションが起こらないとは言えず、ロシア・ベラルーシなどの集団安全保障条約
機構(CSTO)対西欧諸国などの北大西洋条約機構(NATO)が正面衝突する可能性が
ゼロとはまったく言えない。

18日はYOKO ONOのお誕生日だそうで、IMAGINEが五輪の開会式でまたもや流れた
そうだけれども、「世界の中央に咲く華の国」の、香港や台湾、
チベットやウイグル人を苦しめ、南シナ海などでも覇権主義を貫く態度にずっと
触れてきて、なんの悪趣味なジョークなのかと思ってしまう。

人類の宝とも言える名曲が五輪で流れようが、戦争は、紛争は果てしなく続く。
おいらの反戦歌なんてただの自慰行為以外の何物でもない。

しかし、こんな世の中に俺は決して同調しないぜ、独りで歌っているだけだぜ、
と宣言するしかない。


I Can Never Breathe My Last (Unless You Say Good-bye)
ーKing Reguyth & MNEMO
掲載終了


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Time, don't fly too fast

一瞬でしかなかったのかもしれないが、東京に春風が吹いた。
春一番ではない。
まさに春風だ。

今は太陽が雲に隠れ、もちろん西へ大きく傾いているから、風が吹けば寒い。

春が待ち遠しいー
ということにふつうなるし、確かにその気持ちはあるけれど、
季節の移り変わりの早さには<警戒感>すら覚える年回りになっている。
たとえ普通の巡り方だということであってもだ。
「うかうかするな!」という気持ちなのだ。

Twitterで季節を先取りした写真などが載せられていると嫌悪感すら抱く。

まだ冬の歌が聴きたい。



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No More Living Hell

この頃はほとんどアクセス状況等を見ておらず、
今までの音楽アウトプットのうちどれが再掲載を望まれているのかを確かめていない
のだけれども、昨日チラッと閲覧状況を見たら、
私が今「ヘヴィーローテーション」で聴いているOver And Overがどなた様から
リクエスト(その曲の過去における掲載ページ閲覧)されており意を強くした。
たったお一人なのだけれどもね。

EUROXを抜けて次の年くらいにできた曲で、反戦歌だ。

同じ東スラブ人とされるロシア人とウクライナ人の戦闘が迫っているという。
旧ソビエト時代などで優勢だったロシア人の言語を訛って話す(=ウクライナ語)
田舎者として扱われたというウクライナ人たちはずっとロシアに対し疎外感を、
あるいは敵愾心を覚えさせられてきたらしい。

そういった確執ばかりが原因ではない(もちろんウクライナが親・西欧、
親NATOであることが一番大きいのだ)けれど、大規模に殺し合いをするとなるなら
愚かとしか言いようがない。

「ウラジミール」とファーストネームで呼べる関係にある安倍元総理、
どうか友人に非戦を説いてはくださらないか。
期待して□□□□。

Over And Over ーKing Reguyth & MNEMO
Arrangement by ELIXIR
Re-recorded in 2021
All instruments played by MNEMO

掲載終了



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2022 如月雑記

数ヶ月前に塀と門のリフォームをし、今は浴室を改築中だ。
義父の全面バックアップがあってのこと、なんという勿体ないことか。
トイレのリフォームも注文済みなのだが、これは例の東南アジア(特にベトナム)工場
でのコロナ・ウイルス蔓延によりずっと製品が入ってこない事態があって
持ち越しになってしまっている。

なにしろ職人さんらとのやりとりもあり、また騒音も出るから、なかなか気が休まらない。
風呂場の破壊にはそれなりの粉塵が出て、さらに機材のある外のトラックと浴室の
行き来を頻繁にするから、たとえビニールシートの敷物をしても一階は汚れてしまい
昨日は掃除が大変だった。
今日はバスタブ等の設置で昨日ほどの騒音や粉塵上がりはない。
早く済んでほしいが、窓枠の採寸ミスがあったとのことで長引くらしく、
昨日はそのことで担当者(某K電器)に少し文句を言った。
初歩的ミス過ぎる。

毎月曜にあった高3の授業も1月で終わっているので、時間がさらにできたから
創作の時間に充てたいのだけれども、今週は厳しいか。


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藤井最年少五冠王誕生

藤井聡太氏の五冠達成につき、書かないままにするのは私としておかしいのでー

4局通して、特に第1局と3局などでは、どれほど難解だったのか知る由もないけれど、
竜王には余裕が感じられた。
渡辺王将は実力の差を率直に認めるコメントを出しているけれど、
全くそういうことであって、相手の実力云々より、王将の提出してきた研究=問題場面に
どう応じるかを長い時間を使って考える藤井竜王は、
難問を解くのを喜ぶ数学者のようだった。

「森林限界」という新・王将のことばが人口に膾炙している。
山好きの人ならだれでも知っていることばだが、
ツイッターなどでは「知らなかった」というコメント多数で、
いよいよ語彙力も豊富な19歳の将棋prodigyへの称賛の声は高まる一方だ。

もちろんその語句を自分の将棋道における位置を言う際の比喩として用いたことが
多くの人を痺れさせるのだ。

まるで詩人ではないか、と。

将棋の稀代の、あるいは空前の大天才であり、明晰な言語能力を持ち、
かつ詩を理解する人が現れたのなら、私にとってこんなに幸せなことはない。

次はB級1組最終戦。
手ぐすねを引いて待っている佐々木勇気七段を粉砕するのは疑いない。
デビュー以来30連勝を阻んだ佐々木七段だけれど、もはやそのときの藤井くんではない。

そして名人への道へー
それがやはり「森林限界の前」辺りのままであっても。




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I'm Missing You, Girls

「Beatles、ビートルズ」とほとんど頭の中を支配されている中、
ウブだった頃のことを思い出してなんだか切なくなっている。

Beatlesの、Sgt. Pepper's発表前、つまりRubber Soulまでのsilly love songsを、
自分のことに投影させながら毎日聴いてかつ一緒に唄っていた高2くらいまでのことだ。

ああ、みなさん、お元気ですか。


Every Little Thing (Lennon-McCartney / Partial Cover by MNEMO)
掲載終了

If I Needed Someone (Harrison / Partial Cover by MNEMO)
掲載終了



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I Can Work It Out



Beatlesファンであることをもう60年に近いほどの長きにわたり続けてきて、
そのファン歴もそう遠くなく終わるだろうという今、
1970年、小学生の終わり頃に毎日聴いたアルバムLet It Beのその音たちが、
こうして生まれてきたのだ、こう演奏されていたのだと知る。

彼ら4人はまるで52年の時の隔てをまったく感じさせないcoolさを今見せつける。
むろん存命しているPaulもRingoもすっかりお爺ちゃんにはなったものの、
それはただただまだ2人の20世紀を画したミュージシャンが一緒に生きていて
くれているというありがたさ、かじけなさにつながるだけで、私は落涙する。

本当にBeatlesは私とずっと一緒にいてくれたんだ。
「彼らなしに今はない」と言える人は多かろうが、私もそうで、しかも深刻なくらい
真面目にそう言える。
だからどうした、だけれども、「俺の人生はそういうことだったんだ」と言うしかない。

1964年に長兄が修学旅行で日本橋三越デパートのレコード売り場から
Please Please Meを買ってきて得意げに妹や弟たちに聴かせた時、
私の人生は相当部分決まってしまったんだよ。

上のtrailerを見ていて、最後、The Long and Winding Roadが流れてくるところで
感情が一気に噴き出した。
ただただ泣けた。


Beatlesの曲をカバーしていて空しくなることがあるのは、
彼らに迫ることがたとえできても、その途端に彼らは遠退いてしまうからだ。
楽しみでやっているのだからいいじゃないかと自分に言うのだけれど、
それでも、ひとりのミュージシャンとしてやはり<遊び以上のもの>を求めてしまい、
それが結局は叶わないから、勝手に苦しくなってしまうのだ。

叶うはず、ないじゃないか。
敵うはず、ないじゃないか。


だから自分の歌をつくり、歌おう、ということになる。
それでもその叙情と叙景のしかたはやはり彼らから受け継いだのだとしみじみ思う。

たとえばー

會津の田舎の、大久保街道の東西に野原があったのだけれど、
そこをある気持ちの良い春の日、Dear Prudenceを「テレコ」で流しながら
歩いたときの清々しさがずばり音になっている事実に心から打たれ、
その衝撃が私の心の襞をつくりだすのだった。

We Can Work It Outでは、窓が西向きの暗い長兄の部屋で晩夏の日
それを聴きながら、外で吹く<小さい秋>の風がJohnの弾くハーモニウムの音で
表現されていることに気づき、その感動は果てしなく、今でもこの曲を聴くと
暖かさと涼しさが混在する風を感じ、室内で聴いていたなら、その風を求めて外へ
行きたくなる。

こんな例は枚挙に暇がない。


さあ、死ぬまで彼らの薫陶に感謝して、歌を歌っていこう!




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此世界を奥の奥で統べていること(もの)

先日Mooさんがブログで、

「私などは、いつもダラダラと、『小難しく』やたら長く書いてしまうために顰蹙を
買うことが多い。」

と書かれていた。
氏は長年にわたり、特に町政に関わる問題提起や解決の道筋などの文書を作成してきて
おり、一般の町民からそうした苦言を呈されてしまうことがあるのだろう。
また、氏は高校の教師でもあったし、私と出会った塾でも大いに活躍されたので
文書作成については実に超ベテランの領域に達しておられる。
それでも、氏は言うー

「端的に話したり書けたりしたら、どんなにいいだろう。
本質をズバリと指摘できたらどんなにカッコいいだろう。
これこそ、私が幼い頃からずっと憧れ続けてきたことだった。」

と。

そして、「ついに実現しなかったことだ。とはいえ、まだ憧れ続けている。」

とも。


養老先生の『ヒトの壁』に、「学者は一言で世界を表す」という一文がある。
そこでゲーテの『ファウスト』森林太郎(=鴎外)訳の次の一節が引かれる。

<一体此世界を奥の奥で統べているのは何か。
それが知りたい。そこで働いている一切の力、一切の種子しゅしは何か。
それが見たい。それを知って、それを見たら、
無用の舌を弄せないでも済もうと思ったのだ。>

「無用の舌を弄」さぬ例として、養老氏の友人の数学者津田一郎(漱石がつけそうな
名前である!)は、

「心はすべて数学である」

という表題の本を出したという(文藝春秋)。


私はMooさんの記事、そして養老先生の記事を読みながら横道に逸れたことを考えた。

Mooさんは東北大理学部出の数学教師、お孫さんはおととし東大に入学された。
養老先生のお父上は旧制一高出身(きっと東大へ進まれたと思うがそこまでは
書かれていない)の三菱商事の社員だったという。

頭のいい家系というのはもちろんあって、それは連綿かどうかは知らないが、
永く続いていくものなのだという実感がまずある。
そして世はそうではない家系の方が圧倒的に多く、それに属す人々にはおそらく
頭のいい人が書く(話す)ことの大半を理解できないのではないか、ということだ。
さらに、どんなに端的に、本質をズバリとついた明快明晰な文や話も、
完全理解することはむずかしかろうということも。

養老先生は昔、作家で僧侶の玄侑宗久さんとの対話で、
「縁なき衆生は度し難し」や「朽木彫るべからず」という句を挙げて、
理解させることの限界を語っておられた(『脳と魂』ー筑摩書房 pp54-55)。

むろんMooさんはそれと同じようなことを言いたくて件のブログ記事を書かれた
わけではない。すでに言ったが、私の横道に逸れた感想に過ぎない。

それでも、知的水準の高い人(問題意識の高い人、と言い換えてもいい)の物言いを
そうではない人が理解することには必ず限界があると私は思うと氏に告げたい。
そこに絶望してはならない(書き手話し手の理解しやすい表現努力ももちろん必要)とは
思うけれど、限界の存在は認めざるを得ないはずだ、と。

あったり前だね。(失笑)


*

おとといNHKBSですばらしい番組をたまたま見た。

「番組詳細」より

「360万年前ユーラシア大陸の北東端に巨大な隕石が衝突、その跡は湖に姿を変えた。
湖まで前人未踏のツンドラの荒野が広がるが、サバイバル登山家の服部文祥が魚や獣を
取りながら自給自足でめざす。厳しい寒さや雪など試練が立ちはだかるが、
服部は先住民の遊牧民に助けられ苦難を乗り切っていく。
たどり着いた 湖で、ここにしか生息しない幻のイワナを釣ろうと試みるが…。
荒れ狂う湖に服部は命がけでボートをこぎ出していく。」

「先住民の遊牧民」とあるが、ミーシャというロシア語話者のモンゴロイドだ。
ミーシャは遊牧もするが狩猟もする民の末裔で、極寒の地で生き抜く生活の知恵を
身につけている。服部氏が全幅の信頼を置く人物だ。
ミーシャはキャンプで就寝前は必ず読書をし、また音楽を聴く。
好きなミュージシャンはビートルズとローリングストーンズだと言った。

私はうれしくて目頭が熱くなった。



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And your bird CAN'T sing

ビートルズのある1曲をpartialカバーしており、ほぼ完成というところながら
「できたからどうした」感が襲ってきて、そのままにしている。

*

Paulの自伝(Autobiography)であるThe Lyricsを買いたいのだが、
検索したけれど品切れ状態らしい。

ひとつだけ、本の内容で漏れ伝わったことー
彼のJohnへの追悼歌Here Todayで歌われた「the night we cried」では、
アメリカで悪天候のためホテルだったかモーテルだったかに缶詰になった折、
互いに酒を飲んで酩酊の中いかに互いを愛しているかと言い合い、
泣いたということだった。

天才がもうひとりの天才を同じ市内に見つけ出すというserendipityは
どんなに強調してもしきれない人類史的出来事だった。

NHKBSでHey Judeが世界史を変えたという番組を再放送していたが、
Judeは本当はJulianのこと、Johnの長男だ。
JohnがYokoと結婚するという中、Julianの母Cynthiaは当然乱れてしまい、
父が大好きな母とはもう一緒にいてくれないという状況でJulianは傷心するのだが、
そのことにPaulも心痛め、励ます歌を作った。

PaulとJohnは互いがいなければ生まれようのない歌を何曲も何曲も抱えることになった
のだった。

A genius meets a prodigy in Liverpool.


・・・この頃本当によく、前にも増して頻繁に、Beatlesを聴いている。
幸せだ。


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具体的な自分の生き方

養老先生の『ヒトの壁』(新潮新書)はいよいよ養老先生の老境最後の思索を
新書なりに簡潔にまとめたものであり、私は今本当に一字一句を味読している。
大病をされ、愛猫を失い、80歳代半ばに至って、<日本で最高水準の脳>が今何を
考えているのかということに興味を持たないではいられないのだ。

その中、2020年、小中高生の自殺者数が1974年統計開始以来最多になったという
記述があり、それを受けて養老さんはこう書くー

「要するに価値観を情勢に応じて自分で変え、自分なりに持つしかない。
それを自立といい、成熟という。」

「生きるとはどういうことか、生きる価値はどこにあるか。
これは哲学でも思想でもない。まさに具体的な自分の生き方である。」

その「具体的な自分の生き方」を抽き出すのは、では一体なんなのだろう。
それは「具体的」には書かれていない。

養老先生なら、子どもの頃から好きでやってきた昆虫採集と観察、
虫の多様性に息を呑みながら、どうして世界はこうも豊かなのかと思い、
魅せられ、そしてその延長線上に解剖学での「構造と機能」を考えることがあったと
いうことなのだろう。それらが何より<楽しく興味深くて>、
もっともっとと生きてこられたに違いないと思う。

では私なら、何だろう。
私は子どもの頃からBeatlesを聴くようになり、彼らの自由闊達な歌作り、
ハーモニーに魅せられ、同じようなことができたら楽しいだろうと憧れ、
知らぬ裡に声帯が鍛えられ、歌唱法を身につけていった。
18歳で初めて自分で歌を作り、いよいよ人前で発表したくなり、
曲の洗練を目指すようになり、Mick師と出会い、プロデビューした。

売れる売れないはずっと大きな問題、生活の懸かった問題であったけれど、
50歳辺りからは段々と<ただ歌える悦び>こそが重要、あるいはすべてなのだと
感じるようになって今に至っている。

また新しい歌が降りてきて、歌えるかもしれないという可能性を今もまだ有しているから、
死ぬわけにはいかないのだ。


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2022 如月述懐

第6波では目下過去最大の感染者数になっており、
主たるコロナウイルス・オミクロン株の感染力の強さが際立っています。
デルタ株は下火になっているとは云えまだ存在し、しかも変異中らしい。
このデルタ変異株が第7波の中心ウイルスになる可能性を東大の教授が指摘しています。

第6波が衰えていない今、もう第7波のことかよ、とゲンナリしてしまう。

こんなままの世界で、私や同世代、その上の世代の人たちは人生の終盤を過ごさねば
ならないということなのでしょうか。

気力が減退していくし、そうなるなと言われたとしても、実際展望が開けないんじゃ
どうにもならんでしょうと応えるしかないですね。

こころ同じならん人と会って、話し、共に歌い、奏で合うことー

そうできぬままになってしまうのでしょうか。



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テレ朝好調の主因「警察モノ」賛歌

藤井4冠、今日順位戦で阿久津八段と対戦。
これに勝ち、競争相手の稲葉八段が敗れればA級昇級が決まります。

*

今日節分、冬の終わりです。
明日はもちろん立春。

去っていく冬、なかなかお名残惜しい。
東京では寒いの、嫌いじゃないんですよね。
暑さの方がよほど我慢ならない。

*

テレ朝は「科捜研」や「相棒」、「捜査一課長」などなどの警察ドラマが好調で
視聴率1位なのだとどこかで読みました。
同工異曲にならざるをえない中、なんとかそれぞれの味を出していて飽きさせないで
いるのはなかなかの手腕だと感心します。

私は「相棒」はほとんど見ませんが、「捜査一課長」は大好き、
「科捜研」もかなり好き、そして「へんな刑事」もそれなりに好きです。
みんなテレ朝と東映のタッグだそうで、隆盛を極めているところ、という感じ。

「捜査一課長」はとにかくユーモアがすごい。
もし<純粋に>シリアスな刑事物だったら、全くそのシリアスさを台無しにするような
ダジャレによる固有名詞の連発はあり得ず、
また本田博太郎さんの役回りがシュールすぎると言わざるを得ませんが、
シリアスさとコミカルさのバランスが絶妙で、エンターテインメントとしては本当に
類稀なおもしろさを持っています。

警視庁捜査一課長で警視正・大岩純一役の内藤剛志さんも実にすてきですが、
警視で管理官の小山田大介役の金田明夫さんがなにしろいい。
「科捜研」では立場が逆で、金田さんが京都府警刑事部長で階級は警視、
内藤さんが警部補ということになります。

警察の階級は上から警視総監、警視監、警視長、警視正、警視、警部、警部補、巡査部長、
(巡査長)、巡査ということですが、「叩き上げ」で巡査から警視正にまで昇るという
ようなことはありうるのでしょうか。
あったらおもしろいだろうな、ということでエンタメなのですね。

本田さんも金田さんも昔は悪役が多かったし、存在感はありつつも大きな役はもらえない
俳優だったわけですが、大ブレイクですね。

岸田森さんや成田三樹夫さんなど、昔大好きだった「悪役」がいました。
本田さんや金田さんの個性も彼らにそうは負けないレベルだと思います。
こういう俳優さんは、ユーモラスな部分も必ずあって、そういう役の時、
魅力がいっそう際立つものですね。

内藤さんも「科捜研」の第一シリーズではおちゃらけた役回りでしたっけ。
土門になってからはシリアス一本となり、「捜査一課長」ではメンバーのおちゃらけを
余裕で吸収する広量で肝の据わった男を演じています。

このドラマ、ずっと続くといいなと願っています・




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リハビリ録音

リハビリ・レコーディングをしてみました。
ラフな感じですが、だからこそライブっぽいかな。

I've Got a Feeling ーThe Beatles
(Partial Cover by MNEMO)

掲載終了

今ビートルズ・ファンはGet Backザ・ルーフトップ・コンサートに夢中です。

Let It Beというアルバムが発売された1970年、
長兄が分厚い写真集付きのものを購入したときは本当に興奮しました。
とにかく4人がめちゃくちゃカッコイイ。
そして東芝電機はボストンという名のステレオセットを売り出し、
そのCMにLet It Beのサビと共に彼らの映像が流れ、
私や兄、姉は悶絶して喜んだのでした。
父もその「ボストン」を買ってくれ、すばらしい音でアルバムを楽しみましたっけ。

もう52年も前のことなのですねぇ。


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