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小三治師逝く

柳家小三治師が心不全で亡くなったそうだ。
81歳だった。

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遺影は数々あれど、上の頃の年齢だった師匠が語った『中村仲蔵』を思い出すー

名題下(いい役には就けない役者の階級)の役者仲蔵は、
もらった仮名手本忠臣蔵五段目(最も注目されない段)の端役ないし脇役斧定九郎の
役作りに苦労しており、妙見様のご加護を祈る毎日だったのだが、
ある日夕立に降られ入った蕎麦屋で出会った浪人のいでたちに「これぞ!」となって
それを参考にし演じたところ大評判となって出世する噺だ。

この<夕立の蕎麦屋>での若き小三治師の描写がすばらしく、
私はいくつだったのか、とにかくまだ十代であったのだけれど、心底感動したのだ。

以来、ずっとファンだった。

昭和から平成の噺家の中、古今亭志ん朝師は措いても、小三治師以外の噺家なんか
聴けないとすら思った。

「生小三治」は義父の娘の手回しで2回見ることができた。
あまりYouTubeなどでいろいろ聴きすぎてしまい、「生」のときの片方の演目が
思い出せない。ひとつは埼玉県草加市のホールで聴いた『蒟蒻問答』だった。


大好きでした。
尊敬していました。

合掌



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コメント 2

ハマコウ

初めて知りました。
先週、「どこからお話ししましょうか 柳家小三治自伝」を呼んでいたので、より驚きました。
「その人になりきって噺をする」生の噺を聞くことができなかったのが残念です。
by ハマコウ (2021-10-10 15:50) 

mnemo

ハマコウさん、コメントありがとうございます。

リュウマチを始め、長患いの人でしたからそう長命ではないかもとは思っておりましたが、まめに医者にかかる人でもあったし、まだまだではと楽観するところもありました。

どなたかが言っておられましたー
噺家には枯れて(歳をとって)からよくなる、その<枯れ>を味にして一流になる者がいる一方、枯れるのを拒みながら名人となった三遊亭圓生師がいる、と。炯眼です。

小三治師は中年期が一番良かったと私なんかは思います。YouTubeでも聴ける『湯屋番』などは絶品で、滑舌良く、間も良く、おかしみも横溢していて、藝のピークにいたことは疑いないと思います。そういう意味で言えば、小三治師は枯れてしまってはいけない噺家でした。このピークをいかに保存できるかというのが命題の噺家だったと。

なぜなら師は滑稽噺がお得意だったからです。枯れて味が出るのは人情噺でしょう。<枯れたとぼけ>ももちろんあっていいけれど、小三治師が特にお得意だった「若旦那」や「与太郎(松公)」にはどうしても若さがなければいけなかったからです。

ご一緒に、師のことを偲びましょうね。


by mnemo (2021-10-10 18:50) 

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