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<点睛>を欠き、<人後>に落ちる

昨日の天声人語で、「完」という漢字の成り立ちについて白川静説を紹介していて、
今のこのコラム執筆者は、過日中村メイコによる『上を向いて歩こう』の歌詞についての
裏付けない説を取り上げたこともあり、相当不勉強だと言わざるを得ない。

「完」には、白川に拠ると、「凱旋」の意味がある、というのだ。
体がまったき状態で家に戻ってくることを「象形」していると。
しかし、そんな説を論う学者は彼をおいて他にはいまい。

藤堂博士らは、「元」が象形で<丸いあたま>を意味する(元も丸も「がん」)し、
円の、「全体に行き渡って欠けたところ(欠け目)がない」イメージから、
「完」の字もperfectの意味を持つようになったとするのだ。
<うかんむり(=家屋のイメージ)>は「元」という字の意味することに具体性を
持たせるために付け足したもので、それにより「家の周囲を取り巻いて垣をめぐらす情景、
あるいは、家の上に屋根をめぐらす情景」が浮かぶようになった、と。

白川は「元」を頭ではなく、首だとも主張しており、端から間違っている。
首が丸いというイメージは出ようがない。
そして<うかんむり>と<首>とで<兵士が家へ無事に凱旋する>姿を勝手に
イメージしたらしい。

白川漢字学がすべて誤謬などとはだれも言っていないし、
私のような門外漢がいろいろ言ってもそれは他の学者からの受け売りだけれど、
それでも、あまりに白川さんの学説には勝手な思い込み、瑕疵が多いのは明らかだ。

天声人語子はもっと裏取りをしなさい!



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