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Das Manの群れからズレまくってきた男

NHK・ETVの『100分de名著』は今Heideggerの『存在と時間』を扱っている。

人は不可避的に、あるいは本質的に、不安(死という未来に対する)と一体なのだ。
2001年辺りだったと思うけれど、彼の言説を読んでいて首肯していると、
数年後に曹洞宗僧侶の南直哉老師がHeideggerと<同じようなこと>を言っている
著作(数冊読んだ)に出会ったのだ。

その老師(と言っても私と歳はほとんど変わらない)が随筆の最後をこう書いて
締めている。

*引用はじめ*

昔中国で、高い木の枝の上で坐禅を続ける老師がいた。
通りかかった人が見上げて、「ずいぶん危ないところで坐禅してますなあ」と言うと、
老師曰く、「そうかな。自分には歩いているアンタのほうが、ずっと危なく見えるがね」

この老師は、木の上が平気になったから、下を歩いている人間の足取りの危うさが
見えるのではないだろう。
そうではなくて、木の上の危うさがつくづく身に染みているから、下を歩く人間の平気さ
加減が恐ろしいのだ。

木の上に登る必要は毛頭ないが、道を歩くばかりか、板に付き過ぎて坐りこむのも、
実は危ないのではないか。
この先の我が身と人々の行く末を思うと、私は解消しない自分の「ズレ」を
少々いとおしく思う今日この頃である。

*引用おわり*


「頽落」した「das Man」の幸福の危うさ。
「不安」を見つめまくって、救済よりも不安と渾然一体になることを目指した
(おそらく)「Dasein」の老師。

*

な〜んの関係もないけど、中学時代大好きだったBadfingerの、
その中でも一番好きなBaby Blueのカバー、聴きたくなったんで掲載します。

掲載終了

西日射す自分の部屋で夏、発汗発汗の中、百万遍この歌を歌いましたっけなあ。
成仏しそうになりましたっけ。

今日の東京、暑い。



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