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蹉跌集め V-36 [小説]

36

「川窪先生の母照子さんは、ピルヒーさんを見るなり、

『あなたが<やなぎ>さん?』

と言ったそうだ。」

堀田が苦々しい表情で語る。


「『ユだよ、母さん。』

川窪先生はすぐに言い直させようとした。
するとお母様は、まるでそんなことには頓着せず、

『あなた、妊娠してるでしょ』

と言い放ったそうだ。」

楠子が顔を曇らせる。

「『私には分かるわ。まだ数週間だけれど、ねぇ、あなたも分かってるんでしょ。』

『だったら何なんだい。僕らはもう夫婦に等しい。
母さんや父さんの祝福とは言わないまでも承認を得るまではと入籍はしていない。
それでも僕らは事実上の夫婦なんだ!』

川窪先生は大きな声でそう言ったそうだ。
するとお父様もその声を聞いて居間から出てきたと。

『深志(ふかし・川窪の名前)、お前、何しに来た!』

と、こうだ。

そして、『お前は子どもができるようなことを今の段階でしたのか。
母さんと私が絶対反対と言っている中で欲に負けるようなヤツは話にならん。
帰れ!』」

「ひどい。」

楠子が囁くように言う。

「『父さん、もう子どもができたかどうかなんて分からないんだよ。
ピルヒーがそう感じていたら僕に一番に言っているはずだ。
ピルヒー、妊娠の兆候はあるのかい?』

川窪先生はピルヒーさんに訊かれたそうだ。

ピルヒーさんは余りのデリケートな話なので口ごもった。
すると、

『覚えがあるから言えないんだ!』

とお父さんが詰るように言う。

『生理が止まっているんでしょう?』

お母さんが核心に触れてきた。

『そうでなくても、危険日に・・・したんでしょ?』」

楠子が下を向いてしまう。
堀田も赤面している。

「こういうの言いたくなかったんだけど・・・ごめんな、大塚。」

「い、いいえ。こちらが望んでお聴きしているんですから。」

楠子が俯いたまま耳朶を赤くして言った。

「『母さん、いい加減にしろよ!』

川窪先生は大声を上げて抗議する。

『母親に向かってなんだその口の利き方は!』

お父様が胸ぐらを掴まんばかりに川窪先生に詰め寄って言った。

『帰れ!お前はもう息子でもなんでもない。
お前たちの結婚など、祝福はおろか承認もしない。
いや、それどころか勘当だ、廃嫡だ!』」

「そこまで言われたんですか。」

ケンスキーが呆然とした表情で言う。

「でもな、川窪先生は生弓生矢を後ろ手で掴んで、
『父さんも母さんも恥じ入りなさい!』と一喝したんだそうだ。

『あれほどリベラルな考えを持っていた父さん母さんが、
在日朝鮮人と僕が結婚するとなった途端にまるで不寛容で頑迷固陋なことを言い出す。
一体あなた方が言う日本人というホモ・サピエンスと朝鮮人というホモ・サピエンスと
どこが違っていると言うんですか?元教育者として、僕の父母として、
そして人間として、説明してください!』と。

『日本人には日本人の文化・慣習がある。』

お父さんはそう言ったそうだ。

『それはこの列島の風土が長い間をかけてもたらした。
その長い間に血脈を継いできた者たちだけの世界があって何が悪い。
人類が一様になっていくなどということは絵空事だ。
それぞれの民族の文化がすべて相対化され、均質化されていくことなどあり得ない。
仮にあっても、そんな画一化された人類社会で生きていて楽しいか。
それは豊かか』と。」

「均質化・画一化はされず、文化の様相が豊かなままで平和な世界を目指すのが
人類のあり方なのではないですか。」

楠子がたまらずにそこにはいない川窪の父に反論した。

「なぜ川窪先生とピルヒーさんが結婚することが日本文化の否定になるのか。
ピルヒーさんの柳の家にとっても、朝鮮文化が川窪先生と結婚することで否定されるのか。
そんなことは絶対にありません!
ある民族の文化や慣習はその根底に必ずどんな他の民族にも、
そこまで下りていけば理解可能なことがあるはずなのです!」

ケンスキーは楠子がそう言うのを見つめていて、たまらなく抱擁したくなっていた。


<つづく>






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