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ふさぎ込みつつ求めた笑い

https://mnemosyneoforion.blog.ss-blog.jp/2015-10-17-2

昨日、音楽以外のページで突出して(8人に)読まれた『トーホグマン第224回』だ。
大河ドラマの関係で頼朝や梶原景時というキーワードで訪問されたものか。
7年ぶりに私も今読んで大笑いした。

このとき、私は白内障がどんどんと悪化しつつある中にいた。
父、義母、長兄、母、従妹と相次いで失って、心が弱りに弱ってもいた頃だ。
那須与一を西那須出身のU字工事の益子君のように描いているが、
気が塞ぐ中、笑いを忘れないでいられたのは彼らの漫才のおかげ、
そして柳家喬太郎さんの落語と大沢悠里さんのラジオ番組のおかげだった。

ある日突然見える世界が霞みまくっていることに気づいたのは2014年9月のことだった。
23日金曜、その日松本市で高3の生徒さんへの英語の授業があって、
まだ無人の教室に入って灯りをつけると、白い壁がぼやけて見え、
テキストの文字を見ると老眼鏡をかけても判読が難しくなっているのだった。
突然だった。

松本に泊まって翌24日、午前中に小学生と中学生をお教えしに再び教室に行ったが、
もちろん前日と同じ目の状態であり、ショックを抱えたまま東京に帰るあずさの車中で
御嶽山の噴火で多数の死者が出ているというニュースを聞き、再びショックを受けた。

塩尻から松本間のJR東日本の鉄道は篠ノ井線という。終点は長野市篠ノ井駅だ。
塩尻から東京までが中央東線ということになるのだ。
その塩尻からは中央西線も出ており、これはJR東海に属し、名古屋が終点だ。

その日の昼過ぎ、塩尻に停車するあずさに乗り、その塩尻からそう遠くない南西に
御嶽山は在って、私がよく見えない塩尻駅の窓外をぼんやり眺めながら
窓際の席に座っていた頃、多くの人が御嶽山山頂付近で噴石に直撃され、
地獄絵図の状態だったのだと後に知って、私の心の鬱屈はこれ以上ないと思える
ほどのものになってしまった。

その後目の不調ばかりか胸部や背部に痛みを感じ始め、
父母、義母、兄、従妹を追うことになるのかと恐怖に苛まれ、
そうだとすればその「過酷な運命」に向き合うことができず、医者に行くのが怖く、
上で書いたようにひとときの心の慰め=笑いを求めたのだった。

『トーホグマン第224回』、よくぞそんな折に書けたものだ。
我ながら感心してしまった。


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