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日本列島人DNA3重構造説に思う

NHKBSで最新の日本(列島)人のゲノム解析の結果を知った。
縄文人は、6〜7万年前にアフリカを出たホモ・サピエンスのうち、
4〜5万年前東南アジアに到達した最初のグループの者たち=ホアビ二アンの流れであり、
そのDNAは今でも東京の住民の1割、沖縄の人々の3割、
アイヌの人々の7割に残っていると言う。

タイの熱帯雨林に住むホアビ二アンの直接子孫であるマニ族は、
狩猟採集民で、タイの他民族とは全く接触を持たず(「オラン・アスリ」=元々の人)と
呼称され、数千年同じ暮らしをしていると言う。
その肌は「チョコレート色」で、容貌はアフリカから出た頃の特徴を残す。
眼窩は横長で四角く、よく知られる縄文人の特徴と同じなのだ。
そのホアビ二アンの一部がマレー半島などを北上し、そのまた一部は大陸とほぼ陸続き
だった対馬海峡を、そしてまた一部は同じように大陸と陸続きだった津軽海峡を渡り、
2方向から日本列島に到達したと言う。
つまり、縄文人はアフリカから出た人類で東アジアに到達した最初の人々なのだ。

1万8千年前頃氷期が終わり、列島は大陸からはっきり孤立していく。
それにより、ホアビ二アンという古いホモ・サピエンスの形質が保存された。
大陸の影響がほとんどない状況で、1万年以上の間「独自のDNAと文化を育んだ」。

そして続く弥生時代(3世紀半ばまで)。
この弥生人は縄文DNA6割、渡来人のそれ4割だった。
その渡来人は、中国大陸北部からの人々だったという。

ところがずっと時を進めて現代日本列島人のDNAは、縄文がおよそ1割、
弥生時代の渡来人のがおよそ2割だと言うのだ。
残りの7割はー

「古墳時代人」のものだった。

ここでDNA「3重構造モデル」が提唱されるのだ。
縄文人、弥生人、そして古墳人のDNAだ。

古墳人は、主に中国中部や南部からの渡来人の大量移入によって生まれた。
中国が戦乱に明け暮れた頃である。


*

日本人は中韓の人間とは違うと一部の「愛国者」は言い募り、
その大きな違いは縄文人の血が入っているからだ、と言う。
それは結構だけれど、その貴い血を最も受け継ぐアイヌや沖縄の人々を「コスプレ」
おばさんだの「土人」などと心無いことばを浴びせることの愚かしさにいつに
なったら気づくのだろう。


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