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2020 神無月随想

Stemming the tide 2020: The reality of the Fukushima radioactive water crisis released on Friday, Greenpeace claimed the contaminated water contained "dangerous levels of carbon-14", a radioactive substance that it says has the "potential to damage human DNA". (BBC Newsより)

https://www.bbc.com/news/world-asia-54658379

放出される汚染水はトリチウムだけのような印象を日本政府は与えていると
Green Peaceは主張しており、同じく海へ流される放射性物質の炭素14
(半減期5730年)がDNAを壊す危険性を訴えている。

*

落語に『寝床』という演目がある。

義太夫を趣味とする裕福な商家の旦那がまたその稽古の成果を発表するという。
巧ければなんら問題がないどころか、酒やご馳走がふるまわれるし、
最高のイベントとなるところだが、あまりの下手さ加減、悪声なので、
招待客になるはずの旦那が持つ長屋の住人たちは懲り懲りしており、
誘いを体よく断る。

その断りの返事を伝える使者となった旦那の店の者は、
最初から「誰も来ません」と言えばいいところで、言いよどみ、
結局一人ひとりの言い訳を旦那に話してしまい、旦那は最後にはカンカンに怒ってしまい、
全員の「店立て(長屋から追い出すこと)」を申しつけ、
さらにやはり旦那の語る義太夫を忌避する店の者たち全員にも「暇を出す」と言う。

さすがにこれはまずいということで、長屋の連中が「なんとか来れるようになった」、
「旦那の義太夫がどこまで進んだか、気になって仕方がなく、仕事が手につかない」
などと調子のいいことを言って上演を請う。

最初は「馬鹿にされたようじゃないか」と拒否していた旦那だが、
「芸の出し惜しみ」などと言われたくはないなどと言い、機嫌を直してしまう。
そして語ると言った演目の数は十いくつにも上り、一同はうんざりする。

義太夫がいよいよ始まって、酒や菓子や料理をいただきながら内々で文句を言いつつ
聞いていたが、しばらく経つとみんな寝込んでしまう。
「静かに聴いてくれている」と感激する御簾の向こうの旦那。
「ご挨拶を」とその御簾を上げてみると、
「河岸の鮪のよう(金馬の工夫したセリフ)」に横たわる店子たちに憤激する。

旦那が怒っても、小さな声で芸の下手さ加減をからかう声が処々聞こえる。
ところが一人だけ泣いている者がいる。
丁稚の貞吉だ。
「この子だけは芸がわかり、涙を流してくれている」と旦那は喜び、
どの場面でその涙は誘われたかいろいろと訊くのだが、貞吉は御簾の向こうの場所を
指さすのだった。

「あそこは私の寝床でございます。」

~終わり


いろいろな咄家がこれをやるし、前半を略す(出演時間の関係だろう)ことも多い
ようでなんとも言えないところがあるが、三代目三遊亭金馬の藝が私には一番だ。


さてー

私は素人ではないけれど、私の音楽活動もこの旦那と同じようなところがあろうと、
この頃この噺を聴くとしみじみ思うのだ。
だから、さあ聴いてくれ、反応を待っているよ、などという態度はとらないように
しなければとますます思うのだ。
そういう態度こそ<意識しすぎ>とされてしまうことかもしれないが、
それでも他者に左右されたくない、される必要はない、
ただ自分が好きでやっていることだし、楽しんでいただける方がいらしたら僥倖、
勿怪の幸いと思うくらいでいいのだ、
それも何も反応を直接していただかなくてもいいのだ、と。

「聴いてください」活動の一環だったTwitterもほぼやめてしまった。

自分のブログでの「聴いてください、読んでください」活動も本当はいかがなものかと
思うところがあるけれど、しかし、14年もやってきたのだしなあ、と。
大したことではないが、累積で200万アクセスも近づいてきているのですよ。
そんなことはどうでもいいのですけれどもね、執着(しゅうじゃく)ですからね。


*


私が最期を迎えるとき、いろいろな音楽を聴いている中であってほしいとは願っていて、
その「いろいろな音楽」の中に、Elton JohnのGoodbye Yellow Brick Roadがあります。

この曲のメロディー、コード進行、アレンジメント、パフォーマンス、
すべてすばらしいし、詩もまた最高レベルだと思っているのです。

一言で云えば、都会暮らしをやめ、田舎へ帰る決意をしたsingerの歌なのです。

I'm not a present for your friends to open

という一行があります。

「ぼくはきみのともだちが開けるプレゼントじゃない。」

さらに、

Maybe you'll get a replacement
There's plenty like me to be found

「代わりは見つかるよ、多分
ぼくみたいなのはいっぱい見つかるさ。」


この歌を盛んに自分の部屋で唄っていた高2の頃、
歌詞の意味はほとんど理解していませんでした。

Eltonは代わりなど見つからぬ偉大なsingerです。
(作詞はBernie Taupinです。)

そして私も、少なくとも唯一の存在としての自分(みんなそうですけれど)という
意味で、代わりなど見つからぬ歌うたいであることだけは確かだとー



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