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跳躍し、世界を鳥瞰する歌

小学生だった頃、Phil Spectorの「音の壁」で深いreverbとambienceの
奥行きに魅せられた。Beach Boysもその手法を採り入れたはずだ(詳しくない)。
Beatlesも中期においてはむろん影響されたに違いないが、Spectorっぽくはなかった。

決定的だったのはThe Walker BrothersのEverything Under the Sunで、
小4か小5の頃の夏だった。
例のごとく長兄がレコードを買ってきて、その奥行きある音世界に驚嘆した。
そしてその曲の中のホルンの音に遠い山の端に屹立する入道雲を感じ、
音楽というのは世界を音で表せる事実に心踊ったのだった。

後年私は「デッド」な音空間で歌うのが好きになれなかった。
「MNEMOさん、この曲はreverbなしでもいいんじゃないの」などと言われても、
確かにそうだと思いつつも、奥行きがないことイコール好みではないとしか
言いようがないのだった。

ティーンエイジャーも終わりの頃くらいになれば、自然、「プログレッシブ・ロック」が
好みになって、厚い音でしかも広がりと奥行きがあるアレンジメントこそ、と思った。
EUROXも各メンバーの最大公約数的な好みが「プログレ」だった。

特にスローテンポの暗めなverseの後にメイジャー・コードのchorusへと飛躍する
展開がめちゃめちゃ好きで、「これこそが人生だろ!」などと思っていた。
Beethovenの「苦悩から歓喜へ」であり、Bergsonの「エラン‐ビタール」だと。

もちろんその展開ばっかりやっていてもしようがないのだけれど。

20歳くらいの頃、KM君のアパートでComfortably Numbを初めて、
それも大音響で聴いたとき、心底まさに痺れた。
同工異曲だっていい、このパターンに倣いたいとすら思った。

そしてそれは決して真似ではないとも思った。
The clouds aboveがbreak upし(The Realm of Athena)、
陽光が差すその瞬間を音楽にしたら、
どんなミュージシャンでもマイナー調からメイジャーのコーラスへとの展開を自然にする。

その陽光の差し具合で、Beethoven第九の緩徐楽章(第3楽章)における転調の
ごとき展開もあるのだ。薄い雲が柔らかく、ゆっくりと裂けて日光が差すー

苦しみや悲しみから歓喜へ、希望へと跳躍するー
閉鎖していたこころを自ら開放された広々した、奥行きある世界へ飛翔させるー
そのことを繰り返すのが人生、人間だろう。

Comfortably Numb ーPink Floyd
Partial Cover by MNEMO (2020)

掲載終了


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