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桜~人それぞれ、悲喜交々に<咲くだろう>

櫻 ー萩原朔太郎

櫻のしたに人あまたつどひ居ぬ
なにをして遊ぶならむ。
われも櫻の木の下に立ちてみたれども
わがこころはつめたくして
花びらの散りておつるにも涙こぼるるのみ。
いとほしや
いま春の日のまひるどき
あながちに悲しきものをみつめたる我にしもあらぬを。



世田谷の砧や大蔵地区は今朝桜がだいたいのところ五分咲き、
仙川沿い、東宝の撮影所近くの桜は、枝が歩道にまで垂れているものがあり、
空ではなく、己の幹や建物が背景となるがゆえ、その花の白さが際立つ。
息を吞むほどだ。

今日は花散らしの風が吹いているが、どうなるか。

私はある頃から桜より梅が好きになっている。
「しづこころな」き桜花の下には人が集中して、私こそしづこころを失ってしまう。


朔太郎氏の詩ではなにしろ、
「あながちに悲しきものをみつめたる我にしもあらぬを。」
が効いている。

そうなのだ。
桜の花を悲しきものと見てしまうのはただ自分のせいなのだ。
桜花自体に悲しいも何もない。
さらに言ってしまえば、美しいも何もない。
すべては己がどう見るか、なのだ。

現に桜花の下、楽しそうにしている人は多いー
いや、しみじみと花を見ている人間よりもはるかに多かろう。

仙川沿いの歩道で朝6時半過ぎすれ違った人は老齢の人が多かった。
ほとんどが独りで歩いている人だった。
しかし中にはカメラを持ち、妻(だろう)と笑顔で歩く老齢男性がいた。
彼にはきっと、朔太郎の詩は<今は>響くまい。


朔太郎さんは故郷群馬県前橋を隅々までと思えるほど詩にしているのだなあ。
終焉の地は世田谷区代田ながら、望郷の念強き人であったようだ。
(なお、その地は、私が都心方面から狛江に帰ってくるときに使った、
甲州街道から環七、そして小田急新代田駅辺りから分岐する道に入り、
梅が丘方向へと続く道=都道補助52号線始点にほど近い。)

JohnもPaulも故郷Liverpoolを歌った。

私も歌いたいものだ。
私が故郷で桜と云えばすぐに思い出す、旧野沢小学校校庭の桜を。
「悲しきもの」としてではなく。



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