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次回見るべきか否か

NHKの大河ドラマを『八重の桜』以来久々に第一話から見た。

三谷流の演出(潤色)には、彼と同世代ながらついていけないところがある。
現代口語で話す平安末期の武士など、まったく想像もつかなかった。
劇なのだからそれでいいのだと言われてしまったら、
私なんかは、じゃあ、現代劇にしたらいい、当時の装束になんかしなくてー
などと言いたくなってしまう。

同じく彼が手掛けた『新選組!』はほとんど見なかったのだが、
若い役者たちが現代口語を話すことにさほどの違和感を抱かなかったのは、
なにしろ近藤、土方が武蔵国多摩の農家出身で、おそらく現代口語にかなり近い
武蔵弁(江戸弁に近かろう)を話していたわけだろうからだ。

「エンタメ、エンタメなんだよ、楽しきゃいいだろ!」
と言われてしまうんだろうな。
「楽し」かない人はじゃあ、置き去りかい。
「見なきゃいい」でおしまいかい。
(受信料、払ってるぞ!)

むろん平安末期の日本語がどうだったか、推定はできそうだけれども、
誰一人聴いたことはないわけだから「忠実にやれ」などと言ったところで詮無い。
それでも、現代口語はないだろう!

大体、源頼朝をあれほどにコミカルに描いてしまう三谷さんの性根が分からん。
女好きは結構だけれど、第一話での描かれぶりの彼が、どうしてこれから敵はもちろん
多くの味方だった者や同胞(はらから)を根絶やしにしていく人物へとなって
いくのだろうか。

演じた大泉洋氏本人がこう言っているのだー

「頼朝と政子っていう歴史上のこの2人の出会いのシーンを
『面白くする必要があるんでしょうか?』って、あらためて三谷さんに問いたい
ですけどね。今日の最後のシーンを撮っている間に、小栗君がやってきて
『何やってるんですか?』って怒ってましたからね。
『いや、これはあの…』みたいな。
なんで我々が主演に怒られないといけないんだっていう。
私たちは台本の通り、やっているわけだから。
本当にね、三谷さんにはこれ以上、頼朝を面白くするのはやめてほしいと思いますね。
すみませんね、ちょっと愚痴が多くなってますけど。
三谷さんに送ってほしいな、このコメントを。」

もちろん笑いながら言っているんだろうけれど、かなりの部分本心だと思う。


私は日本史として平安末期から鎌倉初期がかなり好きで、
清和源氏と桓武平氏が都からどんどんと地方で<増殖>していき、
血筋が良くさらに武に秀でる者としてその土地土地で民に崇められ、
壊れかけていた荘園制にとどめを刺していくー
武力を持つ者が結局は真の支配層になっていくヒト科動物の必然的過程が、
日本ではどのようであったか、そのディテールがすこぶるおもしろいと思っているのだ。

平治の乱で勝者平清盛は養母池禅尼の願いを聞き入れ、
源義朝の嫡男頼朝を生かしてしまう。
その頼朝が、命を救ってくれた平家を滅ぼすのだから、凄まじい話だ。

たとえ平家が驕り高ぶって専横を極めていたとしても、
命を奪わなかった清盛の一族を根絶やしにする頼朝は鬼だ。
もちろん今の倫理観で当時のことを語るのことには無理があるが、
それでも、命の恩人一族を殲滅し、兄弟を殺し、従弟を殺し、
難癖をつけて奥州藤原氏を絶やした・・・

私が『トーホグマン』で書いた甲斐源氏の、武田家と並ぶ有力一族加賀美遠光の嫡男
秋山光朝も頼朝に殺されてしまう<親戚>だ。
光朝は清盛の嫡男重義の娘を娶り、そのこともあって謀反の疑いで殺されたのだ。

私は頼朝を、他にどんな歴史的な評価があろうが、鬼だと思っている。
言い過ぎだとしたら、日本の歴史上まれに見る冷血漢だと。

ユーモラスに描くなんて、たとえそんな一面があったとしても、
ありえない。



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