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喜多方ラーメンのこと

日本3大ラーメンとしての一角を成すという「喜多方ラーメン」として全国的に
認知された形式のラーメンは、なにも喜多方ばかりではなく、
周辺の町村でも有名になる前に食されており、我が町でも人口に比べれば多いと言える
軒数のラーメン屋(食堂)があった。

私がチビの頃は、母が化粧品店を営んでいたので夕飯が店屋物になることが多く、
母は商売上(その食堂の方もウチの顧客だから)できるだけ店の選択を分散するかたちで
注文したがったけれども、私は断然「春よし」のファンだった。
この店は、もちろん代替わりして今も営業中のようだけれども、
食べログとかの写真を見ると、どうも中華食堂という趣はなくなっている。

ここの「中華そば」は見た目も品が良く、なにしろ旨かった。
透き通る醤油ベースのスープで、塩けは薄めで豊かな旨味、麺は太めの縮れだった。
もちろん系統は「喜多方ラーメン」であるけれど、当時そんな言い方はなかった。
會津西部はもうみんな同じ形式だったのだと思う。

「喜多方ラーメン」の元祖は昭和2年創業の喜多方市に在る源来軒と言われており、
発明者は中国浙江省出身の藩欽星さんだとのことで、私もその伝説の人の店に高校時代
一回だけ入って、ご尊顔も拝した。
昭和2年、藩さんは屋台を引いて始めたというが、その後の「喜多方ラーメン」が
周辺に広がっていったのは、非常に急速なことだった。

私の父母は主に「支那そば」と言っており、時に「中華そば」とも言った。
もちろん私もそう呼称していたけれど、ラーメンという言い方もしたと思う。


今日私は千歳烏山に在る「(喜多方ラーメン)坂内」へ自転車で行った。
狛江在住時、「坂内」へは調布店に行くことが圧倒的に多かったけれど、
自転車で行くとしても相当な距離になり、クルマ利用だと駐車場代がかかった。
世田谷に住むようになって初めて区内の千歳烏山店へ行ってみたのだ。
直線で3kmほどの距離、自転車で気軽に行ける。

「坂内」の喜多方市本店には、高校時代に一度だけ入った。
このときすらまだ喜多方ラーメン・ブームは起きていなかった。
坂内のチャーシュー麺は焼豚が表面を埋め尽くし、麺が見えないので有名だった。
味は「春よし」のに比べさらに薄口だった。
高校生の頃はその卓越をはっきりとは認識できなかった。

私は高校時代、なにしろ喜多方では「まるわ食堂」の味噌ラーメン一辺倒だった。
地元の同級生から勧められて食して以来、本当に虜になった。
校則違反だったけれど、高3のときなど昼飯時に学校を抜け出して食べに行き、
さらに放課後にも行くことが数度あったほどだ。

以来今に至るまで「まるわの味噌ラーメン」以上の味噌ラーメンには出会っていない。

しかし、この「まるわ」は数年後忽然と姿を消してしまった。
なんという損失だろう!
「醤油の坂内」、「味噌のまるわ」できっと全国に広がったとしてもおかしくない
ほどにすばらしい味を生み出した店だったのに!



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