行雲流水 遠からぬその時
私の夏休みも終わって昨日から平常に戻りました。
世の中の事件事故、政治的対立、戦争、天災などなど、本当にうんざりします。
厭世気分が襲うことはどなたにもあることだと思いますが、
世がこれほど複雑化していない時代でも遁世した歌人などはいて、
人事に飽き、疎ましく思い、草庵を人里離れたところに結んで暮らすことに
私も大いに憧れます。
とは云え、そうもいかないよね。
*
数日前私が自転車散歩(pottering)に出ると、
とうとう私のような乗り方をする人に人生で初めて出会いました。
つまり、交差点でしっかり一時停止し、左右をよく見て直進なり右左折なりをするー
車両として左側通行を守って、道路事情を踏まえた速度で走る。
信号は厳守する。
いい子ちゃんぶっているんじゃないですよ。
そうしないと危険だからです。自分にとって、他所様にとって。
それに尽きる。
あまり感激したものだから、握手を求めようかと思ったほど。
*
昨日午後4時頃窓外を見ると美しく光る縁取りの夏の雲が見え、
「これは!」とたまらず広い空が見える成城3、4丁目へ。
さらには野川、そして喜多見ふれあい公園へ。
私がこうして青い空と雲を追いかけて写真を撮るという日常ー
Kが「リハビリ」で中野区内を歩き、季節の移ろいを感じながら倹しく暮らす今ー
その一刻一刻に世が喧しく言い立てる<人事>が入り込む余地(余時?)はない。
もちろん、だから世のことなど全て他人事、無関心でいいと言っているのではない。
そうではなく、いやそれどころか、私やKの他愛ないそうした日常を保障する世であって
ほしいと思うがゆえ、政治は自分事であり、関心はあるのだ。
だからそのためには最低限の政治参加、市民的義務は果たす。
それでも、日々世間のあまりの喧々諤々に嫌気が差す。
そう厭世的なことを言い募りながら、そんなに余生は残されていないことを自覚する。
世の中の事件事故、政治的対立、戦争、天災などなど、本当にうんざりします。
厭世気分が襲うことはどなたにもあることだと思いますが、
世がこれほど複雑化していない時代でも遁世した歌人などはいて、
人事に飽き、疎ましく思い、草庵を人里離れたところに結んで暮らすことに
私も大いに憧れます。
とは云え、そうもいかないよね。
*
数日前私が自転車散歩(pottering)に出ると、
とうとう私のような乗り方をする人に人生で初めて出会いました。
つまり、交差点でしっかり一時停止し、左右をよく見て直進なり右左折なりをするー
車両として左側通行を守って、道路事情を踏まえた速度で走る。
信号は厳守する。
いい子ちゃんぶっているんじゃないですよ。
そうしないと危険だからです。自分にとって、他所様にとって。
それに尽きる。
あまり感激したものだから、握手を求めようかと思ったほど。
*
昨日午後4時頃窓外を見ると美しく光る縁取りの夏の雲が見え、
「これは!」とたまらず広い空が見える成城3、4丁目へ。
さらには野川、そして喜多見ふれあい公園へ。
私がこうして青い空と雲を追いかけて写真を撮るという日常ー
Kが「リハビリ」で中野区内を歩き、季節の移ろいを感じながら倹しく暮らす今ー
その一刻一刻に世が喧しく言い立てる<人事>が入り込む余地(余時?)はない。
もちろん、だから世のことなど全て他人事、無関心でいいと言っているのではない。
そうではなく、いやそれどころか、私やKの他愛ないそうした日常を保障する世であって
ほしいと思うがゆえ、政治は自分事であり、関心はあるのだ。
だからそのためには最低限の政治参加、市民的義務は果たす。
それでも、日々世間のあまりの喧々諤々に嫌気が差す。
そう厭世的なことを言い募りながら、そんなに余生は残されていないことを自覚する。