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All My Lovingは決定的だった

Paul McCartneyとRingo Starrが存命であることの、
なんというか、有り難さというのは他に比類がない。
1960年代の私の主にチビだったdecadeの思い出が終わらないのだ。
変な表現か。
その思い出が<現役>なのだ。
もっと変か。
彼方に行っていないのだ。

ところが、私はPaulやRingoのBeatles以降の活動にはあまり興味が湧かないできた。
いくつかの彼らのソロ(PaulはバンドWingsを組んだが)で大好きな曲が
あるにはあるが、80年代に入ると彼らの新譜にほとんど全く興味を覚えなくなった。

BeatlesメンバーはBeatlesメンバーのままでいてほしい、と言うか。
そして特にPaulの声帯の衰えが顕著になってからは、彼がコンサートで生で歌う
Beatlesナンバーすらも聴きたいとは思わなくなってしまった。

もちろん終生ポップ音楽の王者として彼らが活動してくれることに励まされない
はずはないのだ。
私の60年代の思い出がまだ彼方へ行ってしまわないことに猛烈に感謝する。

そして彼らが<ただ>元気でいてくれればそれでいいという気持ちも強い。
奇跡としか言いようがない彼らの歌唱、演奏のピークは疑いなく60年代にあった。
それだけで本当に、私には、いいのだ。
私こそ生涯Beatlesの歌に、決して飽きることなく、ハマっていたいのだ。

PaulのAll My Lovingを聴いた小2か小3の頃、
それまでのPlease Please MeやLove Me Do、She Loves You、
I Want to Hold Your Handにチビながら完全に魅了されていたけれど、
[るんるん]Close your eyes」の出だしに吹っ飛ばされたあの日を忘れようもない。

歌はすばらしい、これほどにもカッコいいー
私は本当に虜になった。

その虜にした人が、まだ健在なのだ。
それだけで、うれしくて仕方がない。


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2024 長月雑記6

昨日は姉の花の絵を鑑賞に都内某所へ。

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これ以外にいくつも姉の絵はあったけれど、まあ、一枚だけ。
花好きの姉、それは母からの影響だと言う。
あまりに花が好きすぎて、<ライバル>の蝶々が大の苦手。

次兄夫婦も来て、姉弟会は盛り上がりました。

*

昨夜11時頃に帰宅して、窓を開けたら庭から「チッチッチッ」という声。
秋の虫カネタタキでした。

昨日の未明、自転車散歩したら、市街地で鳴いているのはツヅレサセ。
(アオマツムシも鳴いていただろうが、無視。)
多摩川へ出るとエンマコオロギも鳴いていて、安心。
「安心」っていうのは、まだ秋の虫たちはガンバっちょるという意味で。
エンマは早めに脱落する虫であることを知っているからです。
一番早く脱落するのはキリギリス。

スズムシなんかも鳴いてくれれば最高だけれど、東京23区にはいないでしょうね。

*

再び姉の話。
姉が絵が上手であることは、3人の子育てを終えて彼女が花の絵を描き出すまで
私はついぞ知らなかったのです。
姉の絵心またその技術の才能は母方の伯父に近しいと私は思っています。
伯父は絵(版画含む)も字もプロ並みに巧かった。

母は達筆で、伯父に劣らずー
その<血>を私が受け継いでいるとは言われるのですが、
いやいや、自己流もいいところでね、私の場合。

私の詩心は、俳人であった父から受け継いだかもしれませんが、
俳句に関して言えば、父はちゃんと句会に入っていて、師匠格の先輩がいました。
私などは全くこれまた自己流で、まあ、ロクでもない。

風を入れ
行の間に
鉦叩(カネタタキ)

本を読んでいて、ある事柄に引っ掛かっているー
秋風を書斎に入れて、また考え始めると、カネタタキが「チッチッ」と鳴いている。

Letting the wind inー
Resuming to read between the lines,
I hear the sound of a kanetataki cricket

カネタタキは木の幹などで鳴くようです。
木が好きなコオロギの仲間は「Nemobius」というらしく、私と同類のようです。

*

今日は私も鳴きましょう。



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大好きなところで

今年七月、登山家で山岳カメラマンの平出和也さんと中島健郎さんが
パキスタン・カラコルム山脈のK2(標高8611メートル)で滑落し、遭難ー
そして救助活動は困難であり、お二人が長時間全く動かないことから
打ち切られたというニュースは、もう旧聞となりつつある。

今日はあの御嶽山噴火から10年だそうで、山で命を落とす痛ましい事故について
考えてしまうのだ。

以前にも書いたが、その10年前、田中陽希さんの「グレート・トラバース」が
かなりの人気を得ており、世は登山ブーム、そんな中私は長野県松本市にいて、
噴火の11:52頃は、松本駅であずさを待っていたと思う。
松本から御嶽山は離れてはいるが、あずさが停車する南方向の隣駅塩尻からだと
そう離れているとも言えない距離にあった。

田中さんは御嶽山も噴火前に登頂しており、北アルプスの百名山の挑戦も終えて
東北の山々へ向かっている頃だったか、どうだったか。
私はMooさんのご紹介で松本や安曇野、大町の生徒さんらをお教えするようになっており、
北アルプスも毎週生で見るというようなことだったから、
俄然田中陽希ファンになり、また登山に興味を抱いていた。

御嶽山噴火のニュースはあずさの中で知ったはずだー
塩尻駅で、中央西線の線路を見つつ、「この奥だよな、御嶽山」と心の中で
つぶやいた記憶がある。

山のすばらしさは分かっているつもりだ。
百名山中、磐梯山しか登ったことのない私が言うのも烏滸がましいが。
さらに、山の怖さも分かっているつもりだ。
体験したというより、壮大な地形がただ美をのみ見せてくれる存在であるはずがないと
知っているからだ。

平出さんは「グレート・トラバース3」とかで陽希さんに帯同、映像を撮った。
ピオレドール賞3回受賞の平出さんにとって、三百名山制覇はさほどのことでも
なかったろうし、登山資金獲得のためのアルバイト感覚で随行したのだと思う。

YouTubeには平出さんと中島さん関連のビデオがいくつもある。
常人にはとてもやり遂げようのない登山の記録に胸打たれるが、
にこやかな表情で支援者やファンと交流する彼らを見ていて思うのは、
「彼らは好きな登山で死んでも本望なんだろうな」ということ。

ヒマラヤはもちろん、日本の三千や二千メートル級の山であっても絶対に安全に
登れるなどということはあり得ないのは彼らも重々分かっていたはずだ。
滑落、そして死という事態はいつでもありうることとして彼らは登っていたはずだ。

御嶽山で犠牲になられた方々は、まさかそんな噴火に巻き込まれるなど露にも
思っておられなかったろう。
秋の好天、アクセスもいい三千メートル峰への登山というよりピクニックという
気分もあったのではないか。

平出さんらは、しかし、いつも覚悟していたはずだ。
病院のベッドで息を引き取るよりは、大好きな山で事切れることをむしろ望んだ
かもしれないとすら私は勝手に想像する。

それほどに山を愛したのだ。
そうでなければ、高度8千メートルの垂直の氷の壁と言っていいようなところを
どうして登ろうと思うだろう。
そしてそれほどに愛しているのだから、そこで命を終えてもいいと密かに思う
ところがあったに違いないと思うのだ。

それは、桜を愛してやまなかった西行が桜咲く如月の望月の頃に死にたいと願い、
その通りになったことを思い出させる。

かく言う私も、野川で桜咲く頃、あるいは成城の崖下のはけで育った蛍が、
気まぐれに野川にまで足(?)を延ばす頃に、のたれ死んでもいいと思った昔を
今思い出している。


最後に、御嶽山噴火で犠牲になられた方々の、
そして平出さん、中島さんのご冥福をお祈りします。



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The Most Resilient Candidate Won

石破さんが自民党新総裁、すなわち次期総理大臣ということになった。
この人は自民党の森首相以来<初めて>知性派と言える政治家だ。
私にとっては賛同できない主張もあるが、所信は理路整然としており、
隙がほとんどない。

森、小渕、小泉Sr.、安倍、麻生、安倍、菅、岸田と、少なくとも大学まで何を学んで
きたのだろうというような基礎学力不足を感じさせる首相ばかりだった。
途中麻生さんの後に民主党の鳩山、菅(直人)、野田の3人が加わるが、
この人たちについては、前記自民党首相らよりマシだった言っておこう。

野田立憲民主党は苦労するぞ。
主義主張は石破さんとそう変わらないし、石破さんはスキャンダル・フリーな人だから
攻撃できる要素は乏しく、弁は野田さんより立つでしょう。
保守合同でも起こるんじゃないか。

選挙の顔としての石破さんに不安を感じる自民党議員は多かろう。
見栄えのする人では全くない。
しかし、これほど政治家としての安定感のある人もそうおらず、
それこそ本当の保守主義者なら本格派の登場ということでまとまる可能性はある。

対抗馬が負けて本当に安堵している。
米国議会にありもしない「官職」に就いていたと嘯き、TVに出るようになり、
成り上がった極右候補。
先祖3代21光(七光かける3)のボンボン候補。
パワハラ体質で他者の言うことに全く耳を傾けない独善極まる14光候補。
菅と麻生がキングメイカーになれず残念でした。

自民党は下野が当たり前だけれど、なんと最もresilientな人を総裁にした。
手強いねぇ。

野田立憲よりマシじゃないかとすら思っている。

それでもね、本当に政治家らしい政治家、国民を本当に心から気遣う政治家は、
命を賭けて行動している山本太郎だよ。
疑いない。


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If my family were wealthy, I could do better (<家庭>の話)

さ〜て、もう何十日連続でブログ更新していることだろうか。
最長不倒ではないだろうが、それに近かろう。

書くことが今日はとりたててない。
世界は、国内は、深刻な問題だらけだけれど、
私には論評する知識・能力がないものが多い。

Mooさんのお孫さんも通っていらっしゃる東大の学費値上げだけれど、
1年につき10万円余りの負担が増えるという。
東大へ入る学生は総体として裕福な家庭出身者が多いだろうから、
諸物価高騰の折、納得して、痛みも感じず了承する親御さんは多かろう。

もう数ヶ月も前のことだけれど、中学の英語が難化してしまって、
塾や家庭教師の指導がなければ多くの生徒が付いていけないとする
識者の声をどこかで聞いた。
その通りだ。
もちろん旧課程だと簡単だったわけでもないけれど、
特に中3のカリキュラムは窮屈もいいところで、現在完了進行形や仮定法過去も
高校内容からの前倒しとなって、英語が不得意、嫌いという生徒にはさらに
無慈悲な状況となっている。

親の教育投資の額がすなわち子の教育水準と正比例してしまっていいのか。
KOIZUMI Jr. は大学が全てではないなどとやはり的外れなことを言ったらしい。
教育格差があってもそれは仕方がなく、大学に行かなくとも稼げる職に就けばいいと
いうような趣旨の発言をしたと。

さすがはコロンビア大学の院を出られた政治家4代目である。

大学で学びたいという国民がその希望を叶えられるように極力支援するのが政治だ。
あ〜たのおとっつぁんも長岡藩の「米百俵」の話にいたく感激して、
教育投資の重要性を説いたのではなかったか。

私は東大へ進学することになる生徒さんを塾で何人かお教えしてきたが、
みな経済的に余裕ある家庭のご子息であった。

金持ちの子は金持ちで、頭脳も優秀、教育投資もバッチリで、
またエリートが再生産されていくー
他の者はそのコースにまず<参入>しようがないー

そんなことでいいはずはない。


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生まれ、生き、死ぬ意味

おもしろいよな。
スマナサーラ師は「宗教家」ではないと自らおっしゃる。
ブッダは生き方を教えているのであって、それは宗教ではないのだと。
つまりはこう生きれば人生の苦から解放される術を教えているのであって、
超越的な存在(=神)を前提にした「宗教」ではないのだと。

「死後の世界」については、ブッダは99.9パーセント触れていないそうだ。
師ご自身も死後のことは不可知であるというお立場だ。
しかし一方、それをとんでもない、来世、地獄極楽についてブッダは頻繁に
言っているとその仏典の名を上げ、根拠を示す仏教学者がいるのだ。

師は、「生まれること、生きること、死ぬことに何の意味もない」と言い切る。
ただ善く生きること、それだけだ、ということらしい。
この世で善く生き、もし来世があればその功徳でまた善く生きられるから
2つの勝利を得られる、と。

私は全く何宗にも何教にも属していない。
スマナサーラ師のおっしゃることに反対も賛成もない。

ただ、善く生きていると、歌が生まれる、藝術が生まれると私は確信する。
清々しい生き方に詩情は必然的についてくると思っている。
詩歌や藝術こそ実は生きていることの意味だとすら信じている。

いや、なにも清々しい生き方ばかりにそれらが付いてくるわけではない。
苦しみの中でも詩情は見出され、その苦しみをたとえ少しでも癒す。

ブッダの言葉に触発されて、何かしら自分で潤色することはつまり詩作なのだ。
「詩ならいいよ」とは、たとえば古臭い言い回しや非文法的表現を使っても詩ならば
許されるということで、私も何回かそういうことが言われる場面に出くわしてきた。

仏教でも同じようなことが言えるのではないか。
善く生きるための智慧を歌にしても許されるのではないか。
歌になってブッダの言わんとするところから離れてしまうこともあろう。
しかし、<正しく>理解した歌人が、詩情を付加しても許されるだろう。

「生まれること、生きること、死ぬことに何の意味もない」ー

そんな正に無味乾燥こそ生死ならば、私はやはり居ても立っても居られない。

We are part of everything

という確信を歌にしていくことこそに意味を見つけている。

I'm a son of the sun

だと思っている。

I'm a son of the moon

でもいい。
だって、月だって恒星が撒き散らした物質でできているのだから。

I'm a friend of the bird whose song I'm listening to

だ。

I'm a relative of the flower whose scent I'm smelling

だ。

そう歌っていく。



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未明散歩に出たら、オリオンが挨拶してくれた

11年も前、テーラワーダ(スリランカの上座部仏教)のスマナサーラ師のことに
ついて書いた。

https://mnemosyneoforion.blog.ss-blog.jp/2013-05-27

師はご健在で、YouTubeのチャンネルもあって、偶々昨夜見た。
白隠禅師の「衆生はみな仏である」ということばに反応されて、
それは汎神論であり、仏教ではない、ブッダはそんなことを一つも言っていない、と。

パーリ語やサンスクリット語を日本人よりはよく理解するスリランカ人僧が、
ブッダ本人のことばを記したと言われるものだけを学ばれたのだろうし、
そうおっしゃるならそうなのだろう。

師はことば遊びをしてほしくないのだ。
ブッダはそんなことを言っていない、脚色・潤色するな、
仏教は実践だ、文学や形而上学ではないというお立場のようなのだ。

仏性とは何かを凡夫の極みのような私も考えたことがある。
子猫チロの死があって、「彼女」を埋葬した多摩川の草地で「彼女」に背中を
触れられ見上げた空にオリオンを見て、私は突如というような有様で宇宙への興味を
猛烈に抱き、天文学はもちろん宇宙論や量子論、相対論にも純粋文系のくせに
のめり込んでいった。ちょうどTVではカール・セイガン氏の「コスモス」が放送され、
またミヒャエル・エンデのブームがあり、さらにシャーリー・マクレインが
「Out on a Limb」を出し、大変な話題になっていた。

同時に私は仏教にも俄然興味を抱き、手に取った本は紀野一義先生によるものだった。
先生のご著書を以降数冊読むことになるのだが、先生が狛江の、しかも多摩川のそばに
住まわれているのを知り、後には、とうとう先生ご本人と多摩川の土手道でお会いし、
そのお宅がチロを葬った場所のすぐそばだったことに私は愕然とするのだった。

詳しく書いているととんでもない分量になるから端折るー

私はマクレインが「Out on a Limb」や「Dancing in the Light」で書いた、
彼女が出会った「宇宙人」からのことばー
2冊とも倉庫にしまっており、引用できず、正確ではないかもしれないがー

「核力(強い相互作用、グルーオン)こそGod Forceなのだ」

に電撃的なショックを受けたのだった。

この「God Force」が我々の肉体を作る物質をあらしめている以上、
そしてそれが「神の力」ではなく「仏の力」と言葉を入れ替えたなら、
仏(性)は誰にも、人ばかりか、あらゆるものに宿っていると言っていいことになる。

(なお、我が「ハイドレインジャ」<その26>でマクレインのことを書いているが、
これが「shirley maclaine god force」で検索すると、彼女のインタビュー記事の
次に並べられる!ゲロゲロ。)

山川草木国土悉皆成仏という天台本覚論もそういう趣旨であろう。

スマナサーラ師は、大乗仏教は大日如来を分身させて、
いろいろな仏にして宗派を作っているというようなこともおっしゃっている。
しかしそれも、「大日如来=太陽神はつまり恒星であって、
恒星こそがその凄まじい核融合作用で単純な構造の水素を重い物質に変えていくー
あらゆる物は恒星=太陽の化身だ」と言うのは文学あるいはレトリックだとの
批判だとしたら、私は首を傾げざるを得ない。

もちろん、私はテーラワーダの教えもこれからまた勉強してみる!



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2024 長月雑記 5

いやあ、今までの半袖短パンでは寒い。
急激な気温低下は昨日から。もちろん歓迎である。大をつけたい。
これでexerciseとしての散歩やpotteringが未明や早朝でなくてもよくなった。

*

Kの現状(病状?)報告ということで彼自身から勧められたYouTubeチャンネルー
先ほどまた見たけれども、無理をしているなあ、と感じる。
常人としてもなかなかの距離、前期高齢者としては相当の距離を歩いている。
彼は病み上がりというかリハビリ中(自称)というか、そんな今なのだ。

彼は散歩好きだと自ら言っていて、それは私もそうだし、文句は言いようもない。
昨日も書いたけれど、高校時代、彼とテレコを持ってBeatlesを聴きながら
今は国道49号線バイパスや磐越道のルートになってしまい、
往時をほとんど偲べなくなった町の南山麓の野原を歩いたこともあった。

また、彼の家が在った地区は逆方向で、北の山々を拝するところなのだけれど、
その奥の奥が飯豊連峰であって、その秀麗さは南の山々など問題にならない。

その、大きく言えば飯豊の麓を、冬独り歩いた中3だったかの日を忘れられない。
そのとき繰り返し聴いていたのがChicagoの「Flight 602」だった
(このことも過去に書いた。
https://mnemosyneoforion.blog.ss-blog.jp/2012-01-04)。

Kが今歩くところは居住する中野区上高田周辺で、今回(9月15日編)は中井方面、
こちらは中野区と新宿区の区境辺りということになる。
私はここらは不案内で、そこの一番の幹線新目白通りは飯田橋(実際は千代田区
富士見2丁目、我が娘の実家が在った<笑>)からの帰りによく使ったのだけれど、
通過するだけのところであった。

上高田もそうだけれど、Kが言うほど緑は多くないなと思う。
やはり世田谷や狛江に比べてしまうと、それなり都心に近い中野区のさらに新宿区
寄りはゴチャゴチャとしている印象が否めない。
当たり前だけれど、大昔に暮らした中野区の西隣となる杉並区高円寺南などの
住宅地に趣きが似ていて、広い広い空がないところー
残念ながら今の私では暮らせないなと思う。

Kには、ちょっと前のこと、彼が埼玉県某所から引っ越すと言うタイミングで
多摩川や野川などの近くに暮らしたらどうだと薦めたことがあった。
私の住むところに近ければ彼と会いやすくなるというのもあったが、
それよりはるかにずっと、彼には大きな空が望めるところにいてほしかったからだ。
埼玉の彼の家は利根川沿いで、都会を流れる多摩川沿いよりも空は広かった。
しかし通勤時間が片道2時間を超えていたから、彼が地元のその広い空を堪能する
時間はなかなか持てなかったはずなのだ。

彼が高校卒業まで暮らした會津の家の周辺は、
広々とした、散歩には好適などという言葉では足らぬほどの地区であった。
どうせ東京に暮らすなら、ほんの少しでも<あの>故郷の広い空を想起させる
ところに住めばいいのにと、老婆心、いや老爺心で勧奨したのだった。

余計なお世話だ。

*

立憲民主党の新党首に野田さんが就任することになった。
はっきり言うけれど、私は支持しない。
理由は簡単、彼は立憲民主党結党の時に馳せ参じていなかったからだ。
旧民主党の幹部だった面々の中で確か最も遅く立憲民主に合流した。
後に結成された国民民主党へ行けば彼の政治姿勢に適うのにと思っていた。

まあ、その立憲民主党の生みの親の枝野さんが今回かなり<変節>されたので、
あの党も元来そういうものだったのかと思わなくもない。

私の1票などはその意味のものでしかないけれど、
立憲民主に入れることは金輪際なくなった。

アメリカ的保守2大政党制ということなのだろうけれど、
私はイギリス的であって欲しかった。
イギリス労働党が今年政権を奪い返したが、労働党的政党が日本に欲しかった。
いや、今も欲しい。


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I rely only on The Ultimate Truth

今日秋分、お彼岸である。

「娑婆」とはサンスクリット語で「sahāの音写。忍土・堪忍土などと訳す」とある。
思い通りにはならぬこの世、耐え忍んで生きていく時空間なのだね。
浄土真宗の講師さんがYouTubeで分かりやすく話されていた。

「人生は苦である」=苦諦の教えは、梅原猛さんの講演の録音で30歳くらいの頃に
初めて知ったのだった。「そんなネガティヴにとらえてしまっていいのかな」と
知恵の足りない若造は疑問に思った。

なにしろ人生は思う通りになど決して歩めない。
一時期の成功はあるには違いなけれど、そんな栄光(?)も無常である。
仏教をニヒリスティックな思想だと一部「西洋人」たちは思ったそうだが、
それは致し方ないだろう。

しかし真理だ。
四苦八苦は避けようがない。
諸行無常という理も、George Harrisonが「All Things Must Pass」という
名曲にしておそらく欧米人に鈴木大拙より広く紹介してくれた。

今、私は三十代の無知な若造から30年以上の月日を経て、
それら真理を<わきまえつつ>生きているつもりだ。
厭世に陥るよりない娑婆の事実を乗り超える智慧の境地を<時に垣間見る>。

悟ってなどいない、いるはずもない。
ただの「凡夫」のままだ。
それでも時に垣間見るのだ、夕陽を観ていたり、花を観ていたり、
鳥や虫の声を聴いていたり、月を眺めていたりするとー
「I'm part of everything」という真理を。

John Lennonが「Dear Prudence」で、

The birds will sing that you are part of everything

という歌詞を思いついたのも、Georgeの影響で行ったインドでのことだった。

私がこの曲を聴いたのは、1968年のリリース時ではなかった。
同級生の赤城くんから<あの2枚組>を借りた1971年のことだった。
この2枚組アルバムは小中学生には高過ぎたからだ。
この歌のすばらしさはあっという間に心に沁みて、カセットに録音して、
その2、3年後にはKと一緒に散歩をしながら、それこそ「The wind is low」という
春や秋の日に「テレコ」で流して故郷の野道を歩いた。

The birds will sing that you are part of everything

鳥や虫が「君はこの世の全てのものと一体なのだよと歌うのさ」という歌詞は、
中2の私でも意味としては分かっていた。
けれども、もちろんその深い意味にまでは到達できようがなかった。

「そんなものかな。なんか分かるような、分からないような」

という具合だった。


そして今はどうかー

昨日、お彼岸の供花を買いに家を出たときのことだ。
玄関の門を開けると、ザサッという羽ばたきの音が聞こえた。
見ると、おそらくチョウゲンボウのメスが2メートルほど向こうにいる。
度肝を抜かれた。

チョウゲンボウは私を意識しながらも、私がこれ以上近づいては来ないと思ったのか、
また、いつでも飛び去れるという余裕もあってか、何かを啄みだした。
おそらくムクドリー
すでにかなり無惨な姿になっていて、はっきりは特定できなかった。

こんなに至近距離で猛禽が食物連鎖で劣位の鳥を捕食するのを見たことは
會津の田舎でもなかったことだ。
しかも世田谷区の住宅地のど真ん中でである。

私はこのチョウゲンボウのメスが、

You are part of everything

と<言っている>ように思えた。

お彼岸の供花を買いに出た途端のこの出来事ー


私はその珍事直前まで世の中は思い通りにならないという真理を再び噛みしめていた。
そして花を買ってきて、供えて、YouTubeを開けてみると、
上で述べた浄土真宗の講師が冒頭で「娑婆」の意味を解説する動画に出会ったのだ。

そして今私はそれなり泰然としている。
昔ならきっとかなり心乱れていたはずだ。

恃みにするのは、この世の、あの世の、根本真理だけだ。





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やっと秋到来か

能登の皆さま、度重なる災厄に見舞われ、言葉もありません。
ご無事を心からお祈りいたします。

*

今朝東京は雨で(今は止んでいる)、気温がグッと下がった。
これまでの「涼しい朝」とははっきり違う。
とうとう太平洋高気圧もシュンとしてくれたか。
そして空気の入れ替えもなければこのそれなり突然の冷涼さはありえない。
風向を見てみたら、やはり北風だった(全然強くないが)。
それでも当たり前だが、湿度が高く、これが一番堪える。
爽やかな秋晴れの日、来んかい!!

*

昨夕野川沿いを自転車で義父の娘と走っていたら、調布の花火大会の日であることに
気づき、花火がめっぽう好きな彼女は「忘れてた!」と叫びつつ興奮。
小雨がちではあったが、無事盛大に行われてよかったね。
何度も自転車を止めて見たことでした。

中秋の花火大会だと、作句するのがむずかしい。
俳人泣かせの日取りである。
「秋の花火」とすればいいか。

爆裂音がして、減衰すると虫の音がまた聞こえ出す。
野川の橋また橋で見物する人たちの群れ、しかし、団扇を持つ人がいない。
こういうことを俳句にしたいが、季重なりや季語矛盾の問題が解決できない。

むずかし過ぎだって!

憂愁は 少しく軽し 秋花火

駄句しか作らぬ「竜胆子(我が俳号)」は、これくらいだ。
夏の花火の方が、より憂愁が募るというのが私の想いだ。
秋になってしまっての花火は、もう「愁(「うれい」だし「あきごころ」)」が
<できてしまっている>!


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東北の野球少年

なんだかとっても分かるんだ、大谷くんっていう人。
岩手に数度行ったことがあるっていうのもあるけど、同じ東北人としてね、
彼はきっとこんな風に野球少年をやってきて、そして空前の記録を打ち立てたんだって。
もちろん技術面とかをあれこれ私が言えるはずはない。
一番分かる気がするのは、あれほど<素直に>大好きなことをやり遂げることー
しかも明朗さ、純朴さ、そして謙虚さを保ちつつー
それは岩手という土地、そこに住む人々の織りなすコミュニティーが
自然に教えたことなのではないか、ということだ。

ハンサムだけれど、彼は頬もぷっくりした(今も片鱗あり)典型的東北の田舎少年だった。
坊主頭で、そのcountry boyさは際立っていた。
私の田舎の田圃道で出くわすランニング中の野球少年と見た目はなんら変わらないと
言ってもいいほどだ。

私の弟や甥っ子らも野球少年で、練習や大会へ行く日の朝、母や義姉が4時起きで
朝餉の支度をしている中、寝ぼけ顔で起きてきて、黙々と牛乳とジュースを飲み、
ハムエッグ、ウィンナ、納豆、海苔、サラダなどでご飯を何杯もパクパク食べ、
「帰りはどのくらいになるの」などと訊かれ、ボソッと答える。
時には「今度期末試験だべ、ちゃんと勉強もしてんの?」などとも言われ、
ちょっとムスッとして、「やってるぅ」などと返事する。

もちろん大谷くんはスケールの違いすぎる野球少年だから、
私の弟や甥っ子らと比べるのも烏滸がましいのだけれど、
しかし、朝餉風景はきっとそんなことだったに違いないと思う。

そして田園風景の中、学校や少年野球団のグラウンド、あるいはもっと離れた
広域大会の会場へと、徒歩や自転車や、あるいはバスで移動する。
コーチ(監督)は厳しい人だけれど、ほんわかした訛りある土地の言葉で
少年たちに礼節を教え、努力の大切さを教える。

「今日は、いいガ、xx中の足での揺さぶりに注意すんだぞ。」
「はい、到着(とうちゃぐ)。xx中のxxx先生に元気よグ挨拶すんだぞ。」
「今日の試合は、みんなよグやった。明日練習は休み、英気(えいギ)を養え。
定期試験控えでんだろ。勉強ちゃんとやれよ。成績(せいせギ)悪(わり)いヤヅは
レギュラーになれねど思えよ。翔平、英語の点数、もっと上げろよ!
お前はいづガ<マイナー・リーグ>でプレイすっゴどもあっから、英語しゃべれねど
うざねはグ(苦労する)ぞ。」

バスの中、哄笑が起こる。

試合に負けたら負けたで、悔しがる少年たち。

「いいガ、今日はお前らの弱点がモロに出だ。それは何だ、翔平。あ?走力?
んだ。お前らは打つゴどばっかりに気をとらっち、出塁した後(あど)のゴどが
おろそガになってたんだ。翔平、あの3回裏、3盗でぎだじぇ。あ?
そうなってだら、大輔の深いセカンドゴロで1点だったじゃ。」

翔平は涙を目に滲ませる。

「長距離バッターなのはいいが、走力もあって、盗塁王にもなれるほどになれ!
40-40狙ってみんだ。な。メジャーで40-40だったら偉業だぞ。
ま、50-50なんて夢のまた夢だゲどな。ハハ。」

翔平くんは家に帰り、休憩もそこそこ、黙々と素振りをし、シャドーピッチングをし、
ダッシュをし、部屋に戻って反省点を野球日誌に書き込む・・・


もちろんこれが東北・岩手でのみ見られる野球少年ぶりでないのは分かっている。
多くが日本全国の熱心な野球少年共通のことだろう。

でも、大谷さんに今もしっかり残る謙虚さ、ひたむきさ、純朴さ、照れのある
明朗さというのは、やはり、東北独特という気がしてならない。


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どうかしてる、Ohtani-san

51-51達成
今日6打数6安打、3ホームラン。

Insane!

日本の誇りだ、なんて clicheは言わない。
東北人の誇りだ!(てへぺろ)


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俺はもう引越しはしないだろうな

KのYouTubeチャンネルをこの頃毎日見ている。
「F+f」のことを過日書いたけれど、職場としての上高田には彼のそれなりの
<人生史>があるとは思うものの、住民としての歴史は浅過ぎて、
私が求めたことは過分であった。

中野については実は私の方がその「F+f」の拠り所が多い。
私は大昔高円寺南に暮らしていた。
その高円寺南5丁目の住まい(ワンルーム)は、中野駅からも高円寺駅からもほぼ
等距離に在り、私はもっぱら中野駅の方で乗降していたのだ。

上高田は、中野ブロードウェイ(中野5丁目)の北端からすぐと言っていい
(その真北は新井だが、東へ少し行くと上高田に接する)。
中野5丁目と上高田が挟む都道は早稲田通りで、
私が狛江在住時に都心(飯田橋)へ行く際は、高円寺在住時代の道路知識もあって、
しばしば、環8、甲州街道、鎌倉道(杉並の)、五日市街道、高円寺(環7)を経て
この早稲田通りを使ったものだった。まず渋滞がないからだ。

早稲田通りの起点は、靖国神社第一鳥居がある九段下(千代田区九段北)であり、
ここは私が都心在住時に何度も通ったところ、主に北の丸公園への散歩の際だった。

また、早稲田通りはもちろん新宿区早稲田を通る。
言わずと知れた(!)「漱石テリトリー」の核心の地である。
南で並行する大久保通りも併せて、どれほどこの辺りを歩いたことか。

自分史としてここに記録しておこうか。

私の東京での最初の住まいは、練馬区桜台6丁目、次は同区羽沢2丁目、
それから世田谷区八幡山3丁目、杉並区高円寺南5丁目、狛江市猪方2丁目、
同市中和泉3丁目、同市東野川2丁目、新宿区箪笥町、千代田区富士見2丁目、
新宿区砂土原町、狛江市東和泉1丁目、同市東和泉4丁目ー
そして今に至る。

何と住まいは13箇所、引越しは12回!

グエ〜〜〜、俺は引越し魔か!

さて戻ってKのこと。
彼も近々また引っ越すことになりそうだ。
ただし中野からは離れないとのこと。

現下の病気を克服して、新たなlife stageに立ち、
老境ではあるが、だからこそと言うべきか、彼の才能をいよいよ発揮してほしい。

彼は老書道家のような風貌になっているが、実は本当に彼は達筆だ。
レタリングもプロである。

Never say "Too late."



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私は詩人退歩にならぬよう日々精進

Trump says rising sea levels are “a good thing” because he thinks he would “have more seafront property”: “Isn't that a good thing?”

そうだね、さすがアメリカ合衆国元大統領だ。
人間万事塞翁が馬。
海水面が上がれば、低地は浜になる。みんなが好きな海が近くなる!
何々、国土の低い他国にとっては死活問題?
アメリカの知ったことじゃない、America firstだ。
おっと、住めなくなってアメリカに移住なんて考えるなよ。

Make America Great Again!
Make sea levels rise more!

*

「裏金」づくりは結局ネコババで脱税、そんなことをした議員が総裁選のある候補の
支持者になるなんていうことが罷り通る今の日本。
そしてその候補が有力だというのだから呆れ果てる。

Make Japan Even Weaker!
Make Japan's Moral Hazard Even More Serious!

*

いっときYouTubeを賑わせた「私人逮捕」系のチャンネルだけれど、
多くは廃れたようだが、あるチャンネルだけ(だと思う)が今でも隆盛を誇っている。
無茶な実力行使はせず、証拠を持ちつつ理路整然と被疑者を追い詰めていく。
もちろん物理的抵抗をされても跳ね返す体力があり、対処の術を知っている。
警察、そして世間も、ちょっと非の打ちどころない身柄確保プロセスなのだ。
結果として、確実に盗撮犯の数は減っている。
これを社会貢献と言わずして何と言うのか。

はっきり言ってこのチャンネルのstaffersは<やんちゃ>上がりの青年たちだと思う。
時々<はしなくも>出てしまう彼らの本性を表す言葉遣いの荒さには面食らう。
リーダーはこの活動中にも他の件で問題を起こしていて、今年詐欺罪で逮捕されていて
とても真正面から正義を語れるような人物ではない。

それでもサブ・リーダー格の男性が精力的に駅など繁華なところを巡回、
盗撮犯を見つけては警察に引き渡している。

盗撮犯の中にはあっさり犯行を認める者もいるし、
実際はそういうパターンが多いのではないかと思うのだ。
しかしYouTubeのコンテンツとしてはそれではおもしろくない。
とぼける、悪態をつく、抵抗する、逃亡する、語るに落ちる言い訳をするー
そういう犯人の回でこそPV数が断然稼げる。

もちろん私もそういうパターンの回で<飯うま>になる。
勧善懲悪的カタルシスで悦に入る。
そして盗撮などに血道を上げている男たちをただただ憐れむ。
「情けない!」と何度私も独り言ちてきたことか。

いや、これまた(この頃多いので)いい子ちゃんぶる気はないし、
盗撮犯の歪んだ欲望をこれっぽっちも理解できないとも言わない。
しかし、「そこまでやるかあ、なっさけない!」と断然思う。
実際妻子がいる男性が挙げられたりしており、その後は家庭崩壊だろう。
破廉恥罪ほど本当に<恥>かしい刑法犯罪はないのではないか。

ある被疑者が、警察も来て、罪を認めないまま非協力的態度に終始し、
しかしこのYouTuberの証拠映像で十分検挙できると警察が判断し、
結局ワッパをかけられ駅の構内などから警察署に連行されるシーンなどは
まさに現代の「市中引き回し」の刑にすでに処せられていることを示し、
私などは、こんな目に遭ったら生きていけない、とすら思う。

ある回などでは、そういう目に遭った男性が、すれ違う女子高校生のグループの
一人に「あの人、痴漢かなんかで捕まったんだよね」などと大きな声で言われてしまう。

そのYouTuberたちが巡回する駅や繁華街では、本当に確実に盗撮犯が減っているはずだ。
その事実だけはどんなに考えても良いことだ。

彼らがPV数稼ぎだけでなく、本当に義憤に駆られてのこととして、
つまり利益のみならず社会正義のためにもという動機をさらに強くし、
今の洗練されたスタイルを貫いていってくれれば、結構なことではないかー
私人逮捕ということも認められているのだしー

と私は今思っているのだが。


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He should have read Lévi-Strauss again

日本人の多数者が自民党をそれでも選び続けるのは「劣等民族」だからってー
本気で青木さん、言ったんですか?
「列島民族」じゃなくて?

それを言ってはおしまいでしょう、リベラル派ジャーナリストとしては・・・
いや誰が言ったってちょっと<おしまい>レベルの知性のなさだなあ。
Lévi-Strauss(レヴィ・ストロース)を読んでいないことはないだろうに。
ホモ・サピエンスの集団間で優劣があるなどと思っているのだろうか。
あるとして、一体何についての優劣なのか?

冗談めかしで言っているし、対談のお相手の津田さんも大笑いしている。
しかし私は全く笑えないし、そして大抵の人も、笑えないだろう。

次の選挙でも自民党が勝つとすれば、それは今日本人の多数者が守旧的だから、
としか言いようがなくて、他の形容詞を私は思いつかない。
いい子ちゃんぶっているのではない。
「劣等(だ)」、「バカ(だ)」などの形容動詞を使いたくなる気持ちは分かるが、
それは居酒屋談義でとどめるべきで、いや、そうであっても隣席の人から
喧嘩をふっかけられてもしかたがないレベルの暴言だ。

私は自民党をそれでも支持する人々は「七人の侍」の村人たちのようだと思う。
詳しくは書かない。

守旧的な人というのは、とにかくそれまでの体制で満足ないし概ね満足だったから
そうなのだ。それ以上でも以下でもないのではないか。
その体制を崩す、抜本的に改革するという勢力には与したくないのだ。
「こんなに不正だらけなのですよ、あなたの支持政党は」と指摘したところで、
「その不正も次の刷新された執行部が斬新的に正していってくれる」と思うのだろう。

もちろん推測でしか書いていないけれど、そうだとして、そういう政治的態度を
「劣等」とは私は言えない。
「我慢強すぎる」とか、「守旧的であるのも甚だしい」とか、「ほとんど信仰だ」
あたりかな。

なにしろ「劣等だ」と言われた人々にとっては屈辱以外を感じようがない。
さらに溝を深めて何になるのだろう。



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初video shooting

午後3時頃、shootingに出かけました。
ただiPhoneで4K撮影しただけ。
被写体はもう何度も書いてきたように、私の棲息地の緑と水、光。

まず朝にも書いた大蔵の<はけ>へ。
3日前に負けず劣らずの美しいたたずまいを見せてくれました。
そこから成城3、4丁目へ。
そして野川へ段丘を下ってレンズを向けると、ヒャッホ、翡翠(カワセミ)が
目の前に現れてくれました。
他に誰もいないのですから、本当にひとり占め。
でもまあ、iPhoneですから、zoomもショボい。

さらに、なんと蝶もぶつかってきた?
ぶつかってきたのか、「Hello, there!」と挨拶してくれたのか。

普段の散歩やpotteringではまずないことが立て続けに起こって、
「いや〜、愛されてるなあ」と勝手に実感。

なにしろ最初のshooting、私としては大成功でした。

*

追記

先ほど中秋の名月を砧公園の木立を透かして撮ろうと外出しましたが、
東から南にかけての空だけが雲に覆われ、一向に月が覗きそうになく断念、
今帰りました。

いやいや湿気の多い、しかも気温も下がっておらず不快そのもの。
しかもアオマツムシが両サイド全ての街路樹などにいて、
自転車を走らせているとまったく途切れることなくやかましい、
風情のない鳴き声を私にず〜〜〜っと浴びせかける。
この外来種の鳴き声だけは私にはただただ雑音でしかない。
コオロギたちも自分らの歌が聞かせられず<泣いている>のではないか。
本当に許しがたい。

いやあ、骨折り損のくたびれもうけ、そして不快な暑さ、湿気、鳴き声で
昼間のluckは吹っ飛びました。


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<はけ>に励まされて

いやあ、今朝はエアコンをつけていない中、寝汗もかかず目が覚めました。
こんなの何ヶ月ぶりでしょう。
ようやく秋が訪れてくれたかな。
<ご滞在>が続きますように。

*

NHK朝ドラは、「あぐり」以来全く見ないできましたが、
「虎に翼」は今更ながら土曜のその週5回分連続放送をここ二週にわたって観ました。
帝国憲法が廃されて、日本国憲法の精神を行き渡らせる緒についた法律家たちの
奮闘ぶりがとても好ましい。俳優たちも魅力的ですし、演技力も確かです。

真田広之さんとその演じたドラマがエミー賞複数受賞というニュースにも接し、
今のところどういうドラマであるのかよく分かっていませんが、
快挙としか言いようがなく、立派だなあと思うだけ。

上述の演劇人たちの活躍は自己研鑽と仲間たちとの刺激し合い、
いいものを作るという強い意志の賜物です。

*

何度も書いて恐縮ですが、私の大好きな「はけ」が世田谷区大蔵の仙川脇にあります。
すぐ近くには、「七人の侍」の勘兵衛剃髪のシーンなどが撮られた
東宝のオープンセット跡(今は草茫々の空き地)があります。

3日前だったか、西日が当たって、その<はけ>を囲む木々や草が暖色を帯びた陽光に
躍動するように見えたのですが、それはなによりまずなかなか強い南風のせいでした。
しかしそれは<はけ>全体の活気付きにしか見えず、
私はそして「これはまさに私を鼓舞しているということだ」と首を垂れたのです。


日本演劇の歴史は、能・狂言の始まりまで遡るなら、とても長い。
歌舞伎も東映時代劇もすばらしいけれど、黒澤明監督は、
「海苔巻きが頭に載っている」ような武士の髷と月代を嫌い、
よりリアルなカツラを役者たちに被せ、あるいは地毛で丁髷を結わせたのです。
そして彼の映画で日本の時代劇は世界へと雄飛していった。

真田さん、そして共演者とスタッフは、その伝統と歴史の中に位置付けられる快挙を
成し遂げられたということでしょう。


私は演劇とは縁がありません。
しかし、東宝砧撮影所の近く(狛江だってそうです)に住んでもう50年ほど、
黒澤さん、三船さん、志村喬さんをはじめ、多くの映画人が住んだ成城にも長く、
足繁く通ってきた私は、彼らのspiritを感じてきましたし、
彼らの活躍や苦悩をも見つめてきた砧、成城、狛江、多摩川、野川、仙川を同じく
「ホーム」として、最晩年(?)で己の音楽を追求することができる幸せをー
「七人の侍」が撮られた仙川脇の<はけ>でー
しみじみ感じました。


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Artists Will Never Be Silenced

政治的立場というのは、何党に与するというのもあろうけれど、
そういうのではなく、ただ自分の倫理観・道徳観、哲学、美学に基づいての生き方
そのものがすなわちpoliticalでもある、ということだろう。

「In the land that's known as freedom(Graham Nash)」つまりアメリカでも、
Taylor SwiftのHarris=Walz支持表明で、「歌だけ歌ってろ」というアホな批判が起こり、
Trumpは「I hate Taylor Swift」と公然と発信し、彼の狂信的支持者を唆す、
あるいは使嗾するのだ。

彼女がコンサートをしようとすれば、厳戒態勢を取るよりなく、
取ってもヒヤヒヤピリピリする雰囲気となって、音楽は死ぬ。

芸能人は黙ってろ、政治的発言はするなー
これは世界のどこででも起こる非難だろう。
人気商売なのに、自らその人気のいくらかの部分を拒絶するのは愚かだ、と。

しかし何度でも言おうー

「自分の倫理観・道徳観、哲学、美学に基づいての生き方」をするアーティストの
思いこそが作品になるのだ。
「万人受けをする作品で大金持ちになる」という思いのみのアーティストなどいない。
いたとしても、それはアーティストではない。

花鳥風月さえ歌っていれば、色恋をさえ歌っていればいい?
花鳥風月を歌う人は、環境の悪化に敏感で、environmentalist的だぞ。
あるいは季節の変化に敏感で、
気候変動をなんとか阻止したいGreta Thunbergistだぞ。
色恋を歌う人は、愛する人間が理不尽に、この世の不正に、苦しんだり
斃れることなど願うはずもなく、
その人とただひたすら平和に共に暮らしたいpacifistだぞ。


あと数日で本格的秋の到来という予報が出ている。
もう少しの我慢だ。

私はenvironmentalist的で、Greta Thunbergist的、そしてpacifistとして、
表現活動を死ぬまで貫くぞ。



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Sting, sing that song for them again

書かずにはいられないー

ロシア国民の3割超が核兵器使用を容認、と。
戦術核<程度>の使用なら、NATOは反撃しないだろうと高を括っているのだろう。
すさまじい数のウクライナ人が塗炭の苦しみを味わおうが、どうでもいいのだ。
そして自分らは安泰と思っているのだ。

Yahooコメントを読むと、それなり詳しい人々が「なるほど」と思うことを書いている。
しかし、この「なるほど」は、Putinが正常な、あるいは理性的な思考をするという
前提があってのことなのだ。

そんな保証がいったいどこにある?

この記事を読んだら、どれほどに広島や長崎で悲惨な死を遂げた御霊が憤られるか。

呪われろ、その3割超のロシア人。


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2024 長月雑記 4

IMG_0941.jpeg


午前5時半頃に自転車散歩開始。
南風ながら少し強くて涼しさをもたらしてくれる。
これはもう秋風と言っていいのかと思いながら軽快に走る。
いや、南風なのに秋風っていうのはどうなんだ、とすぐに自問。

大蔵運動公園で虹を発見(冒頭の写真)。
これは早起きは三文の徳だと小躍りした。
公園には早朝テニス、早朝ゴルフ練習、犬の散歩でかなり多くの人がいたが、
誰一人空を見ていない。

二子玉川の河川敷へ来たが、昨日書いた赤蜻蛉はほとんど飛んでいなかった。
まだ十分体が温まっていない、ということなのかと推測した。
あるいは飛んでも<朝食>の虫がまだいないのだから無駄ということか、とも。

太陽の角度が段々鈍くなってくるにつれ、気温がグングン上がるのを体感する。
自転車で風を切っていても、じっとり汗ばんでくる。
「お天道さまよ、もうそのintesity、いくらなんでも下げましょうよ」と呟いた。

*

もちろん自分は完璧な言語を操る者とは言わないし、言えるはずもない。
また、私の言語センスが正統的であるとか、優れているとかとも言えない。
けれども、私にとって変な言葉はどうしても<鼻につく>し、
ましてやどんなに流行っていようが、一般言語化しようが、使うことは絶対ない。

例えば以前にも書いたと思うが、「スマホ」という言い方はしない。
単純に響きが嫌いだからだ。
次に今巷間言われる「小泉構文」やら「石丸構文」という「構文」という
ことばの誤用も許せない。ピンと来ないと言われようが、「論法」が正しい。

日本特有の登山用語に「がれ場」や「ざれ場」という感覚的な造語があって、
これはすぐれた命名であると思う。
けれど「キレット」はいただけない。
これはV字型稜線のことを言うのだが、漢字で「切戸」だそうだ。
切れ込んでいるのは分かるが、なぜ「戸」なのか。
じゃあ、他の言い方を考えてみろと言われても困るが。

何を日曜の朝、御託を並べて論じているのか。

*

もう外は真夏のよう。
うんざりだ。

今日は敬老の日でしょ(明日は振替休日だよね。本来9.15だ)。?
私もその敬いの対象じゃないですか!

大昔、祖母のために何かしてあげなきゃと、確か肩叩きをしてあげたことがあった。
「敬老の日」なんて、自分が老いてその日を迎えるなど想像すらできなかった。

いやあ、life is very shortですなあ。


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残暑続き過ぎの東京九月中旬に

昨日仕事前午後4時頃に二子玉川河川敷へ自転車散歩。
いくら猛暑が再び列島を襲っているとはいっても、
さすがにちょっと前までの茹だるような暑さではなかった。

この河川敷は運動公園ということになっている。
その南の端が多摩川と接していて、赤とんぼが多く飛ぶ。
去年の最盛期にはここは東京かと目を疑うほど多くのアキアカネが飛び交い、
衝撃を受けた。長く多摩川近隣に暮らしているが、見たこともない数であった。

アキアカネと書いたが、ナツアカネかも知れず、またタイリクアキアカネかも。
この3種は非常に近縁であり、飛んでいる姿では全く区別がつかない。

数は圧倒的に少ないけれど、シオカラトンボも飛んでいる。
「ワンド」と呼ばれる多摩川の淀みにトンボたちは産卵するのだろう。
天敵であろうツバメははっきり数を減らした。心配である。
暗くなるとコウモリが出てくるが、そうなるとトンボたちは飛ばなくなる。
安定した棲息地であり、トンボ天国と言っていい。

北の空を見ると、羽田へ着陸するジェット機が<列をなして>と言いたいほど
何機も何機も南西へと低空で飛行するのだ。
これは南風時の着陸航路で、練馬、中野、渋谷、目黒、品川と大都会の上空を飛ぶ。
そこの住民たちで恐怖を感じている人も少なくはなかろう。

その空の遥か彼方には立派な入道雲が屹立していた。
群馬か栃木の雲だろうと察しはついた。
気象レーダーで確認するとまさにそうであった。
昔狛江の多摩川から北関東の雷雲が見えることに感動したことがあった。
今は当たり前になったけれど、それでもやはり少し興奮する。

上野(こうずけ=群馬)・下野(しもつけ=栃木)は雲湧くところ、
東北道で何度もその空の下、すさまじい降雨を経験してきた。

*

Kが昨日私と会った日の記録をYouTubeに上げていて、
「ただの露悪趣味ではない」と私へ向けて抗弁していて、笑った。
闘病記、リハビリの日々の記録なのだから、尾籠な話はつきものだし、
そのこと自体を私が批判するはずはない。
ただ、そういうvideoを理論上全世界へ向けて発表することなど少なくとも
1990年代までは考えられないことだった。
それが不思議でもなんでもなくなっている今、現代に、あらためて驚く。

さらに言っておくと、Kに露悪趣味はある。
そのYouTube活動はさておいても、長い付き合いだ、その傾向は確かだ。(笑)

今朝のclipでは「調子が悪い」と再三言っていて、もう数日前撮影のものであるのだが、
現在進行形でこちらは心配している。

回復のため頑張りすぎて体調悪化したら元も子もない。

*

記録のため書いておく。
おとといの夕方、砧公園の西門近くの松林でヒグラシが鳴いていた。
おそらく本当に聴き納めだと思う。

また、世田谷区大蔵の「仙川段丘」下でヒガンバナが開花していた。


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2024 長月雑記 3

トランプやその支持者のようでなければ、
誰だって地球温暖化はすでに認めているし、いつまで経っても本格的な秋が到来しない
日本でもいよいよまずいと認識を深めている人は多かろう。

SDGsという「セクシーな」ライフスタイルも、
「プラスチックは石油からできている」という事実も、何代前だか忘れたが、
coolでsexyな環境大臣のおかげで推進され、
また国民に広く知らされたのだが(棒読み)、それでも道半ばもいいところ、
このままでは本当に気候変動は深刻になるばかりだ。

そう言いつつ、私はどれほどSDGs的な生活を送っているんだと問われると、
MAGA peopleや元sexy環境大臣とそう変わりはしない日々を送っているの
かもしれない。何より石油でできているプラスティックトレイや容器のものを安易に
買ってしまう自分が恥ずかしい。なんとかしよう。

*

Taylor SwiftがKamala Harris支持を表明した影響は、
悔しがって負け惜しみを言っているMAGA peopleの過小評価を遥かに遥かに
超えるものとなろう。

要はアメリカの若者たちのみへの影響ではない、ということだ。

人気商売のsingers、actorsであっても、自分の生き方、それを支える考え方
(それを政治的立場というならそれでいい)を表明して当然なのであり、
特に歌手は自分の思いを歌うのだから、常にそれをしていると言っていいくらいだ。
Taylor Swiftにとって、MAGA peopleに自分の音楽を買ってもらわなくても
一向に構わないし、<真っ当な>社会であっての音楽、藝術であるという信念を
貫く方がよほど<泡銭>より大切なのだ。

John Lennonがそういうsingerとしての態度の先鞭をつけたと言って間違いない。
だから彼は当時のNixon政権から目をつけられた。
ベトナム戦争がまだ続いていた時期、彼はpeace & loveをアメリカで訴えていた。

万人のアイドルPaul<すら>も、Great Britainは「アイルランドを返せ」と歌った。

こういう態度からも、私はBeatlesを一生愛していられるのだ。

*

夜明けが遅くなってしまい、多くの人が出勤、登校というようなタイミングに
日が出るようになり、のんびりした、さらにそれなり涼しいpotteringにならず、
困っている。

日の出日の入りの遅さ早さはもうはっきり秋なのに、この暑さ、悲しくなるほどだ。
今日ゴミ出し日、家の前の掃除などもして部屋に戻ると、汗が噴き出す。

異常だ。

また話が戻るけれど、
こういうのが続いていいはずはないでしょう、人為的な気候変動なのだから!

*

昨日は娘と孫に会いに都心へ。
2ヶ月に一遍のことだから、孫は私をすっかり忘れている。
しかも警戒心もそれなり育っているから、伏し目がちに凝視されてまう。
そして食事をしながら1時間ほど経つと、やっと違和感を払拭してくれるのだが、
そろそろお別れということになってしまった(店の駐車場が満杯で、高いparking
lotにとめることになったから、というのもあり)。

「じゃあね!」
そう孫に言って後退りすると、彼女が泣き出した。

「え?別れを惜しんでる?」

娘に訊くと、「そうだと思うよ。やっと慣れたのに、残念なんじゃない」と。

今度は私が泣きそうになった。

*

Kawaguchi Isaoくんが「陽炎」という自作曲を最近録音した。
Acoustic guitarを弾きながら、自ら歌ったのだ。
元々テナー系の声をしていたけれど、サビの高い・長い音符を歌い切っている。

数日前その彼が私に「英語詩をつけて、さらに歌ってほしい」と言ってきた。
私は彼が「十分歌い切れているから、それでいいではないか」と返事したが、
それでも熱望され、締切なしという条件ならと応諾した。

さてどうなるか。

*

自民党総裁選で、最有力候補と言われる政治家4代目が、
65歳などを高齢者と呼ぶのはおかしいと言ってくださった。
いやあ、「爺」と自称しなくて良いとお墨付きをいただいた。
でも年金は80歳からの支給でみたいなことも言っていて、「爺」でいいや、と。
男性の平均寿命81歳くらいだよ。
健康寿命は76とかだったか。

本当に、65歳から高齢者でいいから。


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Still, Donald to Win?!?

アメリカ大統領候補者討論会を視聴していて、
あらためてなぜDonald Trumpのような徳も能力もない人物が一度は大統領になり、
また今でも決定的な劣勢にはなっていないのか不思議に思う。
アメリカの一部は、それも大きな一部(半分?)は病んでいるとしか思えない。

民主党エリート政治に嫌気がさしている白人低所得層が彼の大きな支持母体だと言う。
民主党は、黒人系の大統領は出すし、フェミニズムだし、LGBTQ+だし、
東部エスタブリッシュメント的(かつてYuppieとよく言われた都会派エリート)だし、
あるいはカリフォルニア的行き過ぎた自由主義者の巣窟に見えるのだろうし、
もちろんそれは的外れでない。

その<権化>的存在だったヒラリー・クリントンが、MAGA people(Make
America Great Again)に徹底的に嫌われ、MAGAでなくとも進歩的エリートを
好まぬ人々も同調したのが2016年の大統領選だったと言っていいのではないか。

あの頃からTrumpは「weird」だった。
言っていること、その英語に、ほとんど教養を感じることはなく、
罵倒する、難癖をつけることで多数の反エリート感情(その多数はエリートでは
当然なく、もちろん数もエリートより圧倒的に多い)を刺激し、
そしてカタルシスをもたらしたのだと思う。

こんな人物がアメリカの大統領になるはずはない、
きっとヒラリーが勝つと私は思っていたが、豈はからんや、であった。

そして思った通り政権は迷走、混乱した。
Trumpの部下たちは多くが任期途中で去って行った。
なんとTrump政権の副大統領だったMike Penceすらも今カマラを支持している!
どれほど人望がないんだ、というところ。
さもありなん、というところ。

2020年、彼はバイデンに僅差で負けた。
実績からして当然のことだったが、なんと彼は開票後支持者に国会襲撃を唆した。
負けを認めず、自分の意に沿わぬことは全てfakeでrigged(不正な仕掛けがされた)と
言って潔さのかけらもなかった。

今回の選挙戦でも、各地で彼はアホなことを言い、アホなことをしてきた。
それでも、私がここで2回ほど言及した「物書き氏」はTrumpが勝つのではないかと
まで言うのだ。MAGA peopleを侮ってはいけないと。
討論会での勝者はカマラ・ハリスだとCNNなどが報じると、
CNNの視聴者は民主党寄りだから、そんな判定は信じるに足らないと。
Trumpと同じことを言うのだ。

全く信じられない。

いったい何を信じていいのやら。
アメリカ人の総体は、そんなに愚かなのか?
大統領候補討論会で、「不法移民はSpringfieldで住民の犬や猫を食べている!」と
絶叫する男が、そして司会者ABCのDavid Muirに「そのようなことは確認されて
いない」と窘められた男が、再び超大国のリーダーになる?!
根拠として「TVで見たもん!」と反論する78歳が?

Trumpがまだ勝てそうだというなら、そして勝つなら、
本当に深刻な絶望感を持って世も末だと言うしかない。



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2024 長月雑記 2

とある政党、破落戸(ごろつき)の集団かと思うしかない。
もう本当にいい加減にしないと、関西圏ばかりか日本全体がその破落戸性に冒される。
もう一部冒されてしまっているけれど。
頼んまっせ、特に大阪の方々!

あ、政権与党のナントカ党も似たようなもんでした。それも全国規模で。
関西のことばかり言うてもうて、えらいスンマヘン。

*

いやあ、またまた言うけれど、実力だけがものを言う世界は清々しいね。
西山朋佳女流三冠が棋士編入試験5番勝負第1局で高橋四段に勝利。
史上初の女<性>棋士誕生まであと2勝となった。

この西山さんは、数年前奨励会三段リーグで14勝(4敗)上げたのに四段昇段
(四段になることがすなわちプロになるということ)の2人枠に入れず
(つまり3位になって)、涙を呑んだ。

11勝でも昇段できる時があるのに、
14勝で3位というあまりに過酷な運命に翻弄されたのだ。

他の女性三段に里見(福間)さん、そして今回リーグで年齢制限退会となった
中さんがいたが、里見さんは勝ち越し(18戦10勝以上)したことはなく、
中さんは一度だけ10勝を挙げたことがある。

女性で史上最強の棋士は西山さんで間違いがない。
棋士編入試験に漕ぎ着けるのでも、男性棋士たちを相手にする直近公式戦20局で
6割5分の勝率を上げての挑戦だったのだ。

西山さんを心の底から尊敬する。

中さんもどうか将棋をあきらめず、女流棋士となって西山さんの轍を追ってほしい。

*

昨夜は私が世田谷へ引っ越してきて以来録音してきたオリジナル曲、
そしてカバー曲をずっと聴いていた。

映像と絡めて、オリジナルな「musicturesque(music + picturesque)」世界を
お見せ&お聴かせしたい、とあらためて思いましたよ!


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行雲流水 遠からぬその時

私の夏休みも終わって昨日から平常に戻りました。

世の中の事件事故、政治的対立、戦争、天災などなど、本当にうんざりします。
厭世気分が襲うことはどなたにもあることだと思いますが、
世がこれほど複雑化していない時代でも遁世した歌人などはいて、
人事に飽き、疎ましく思い、草庵を人里離れたところに結んで暮らすことに
私も大いに憧れます。

とは云え、そうもいかないよね。

*

数日前私が自転車散歩(pottering)に出ると、
とうとう私のような乗り方をする人に人生で初めて出会いました。
つまり、交差点でしっかり一時停止し、左右をよく見て直進なり右左折なりをするー
車両として左側通行を守って、道路事情を踏まえた速度で走る。
信号は厳守する。

いい子ちゃんぶっているんじゃないですよ。
そうしないと危険だからです。自分にとって、他所様にとって。
それに尽きる。

あまり感激したものだから、握手を求めようかと思ったほど。

*

昨日午後4時頃窓外を見ると美しく光る縁取りの夏の雲が見え、
「これは!」とたまらず広い空が見える成城3、4丁目へ。
さらには野川、そして喜多見ふれあい公園へ。

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私がこうして青い空と雲を追いかけて写真を撮るという日常ー
Kが「リハビリ」で中野区内を歩き、季節の移ろいを感じながら倹しく暮らす今ー

その一刻一刻に世が喧しく言い立てる<人事>が入り込む余地(余時?)はない。
もちろん、だから世のことなど全て他人事、無関心でいいと言っているのではない。
そうではなく、いやそれどころか、私やKの他愛ないそうした日常を保障する世であって
ほしいと思うがゆえ、政治は自分事であり、関心はあるのだ。
だからそのためには最低限の政治参加、市民的義務は果たす。

それでも、日々世間のあまりの喧々諤々に嫌気が差す。

そう厭世的なことを言い募りながら、そんなに余生は残されていないことを自覚する。


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Lookismと実力だけの世界

某「物書き」さんのジャーナリスティックなYouTubeチャンネルは、
自民党総裁候補で、さらに最有力と言われている小泉進次郎さんのことを語った。
「ブサメン」を何度も自称する物書き氏は、「イケメン」にまずは太刀打ちできない
lookism的事実を認め、だから自分のような「気持ち悪い」顔をした者がそういう
容姿に恵まれた者とそれでも対抗するなら他のところを磨くしかない、と。
そんなことをライブで延々と何十分も話していて、さすがに食傷した。

まずねー

「イケメン」という「日本語」が私は嫌いだ。
この軽薄な言葉で美男子を形容すること自体が疎ましいし、
その言葉を使用する人本人とも関わりたくない(キッパリ)。
「いい男」、「美男子」で一体何が足らないのだ。

どんな言葉が流行ろうが、人口に膾炙しようが、私の日本語についての美意識に
適わぬ場合はそれを口にするのはおろか、耳にするのも忌避したい。

そしてー

容姿端麗に生まれ、またそれをずっと維持する努力をしている美男子、美人は、
確かにそのことで<初っ端から>好印象を与える特権的優位性を持つのは至極当然で、
そんなことを長々喋ったところでなんらの話題発展性もない。
オオムラサキと単色の蛾がある枝に並んでとまっているのを目にして、
「私は蛾の美しさの方に惹かれモス」などという御仁がいたら、変わり者でしかない。
そういう人がいてもなんら問題ないが、大方の同意・支持を得られるわけもない。

残酷な話だが、立憲民主党の新代表が「泥鰌(ドジョウ)」を自称する顔面広大な
老境に入ったあの方になったとして、一方小泉進次郎氏が自民党新総裁に選ばれ、
与党代表と野党第一党代表としてエール交換、2 shot写真におさまるとするー

単に容姿の美醜でどちらに軍配を上げますか、と訊くのは愚かだ。
第一印象で好ましいのはどちらですか、と。

もちろん、「物書き氏」はそんなことは百も承知二百も合点である。
ルッキズムに悩んできたであろう己の50年からの心情の吐露もそれはいい。
そしてまた、進次郎さんのお父様が首相の時に起こったおばさまたちの熱狂が、
息子にも、さらに輪をかけて起こるかもしれないことを侮ってはいけないと訴える
のも結構である。日本のみならず、どこの人間社会でもリーダーが美しければ
なお良しとするのは当たり前のことだ。

大谷翔平さんも、あの容姿だからアメリカ人野球ファンに受け入れられている面が
あるのは誰も否定できない。並のアメリカ人男性より背が高く、脚が長く、
鍛えられた肉体は引き締まっていて、東洋人男性の特徴と多くのアメリカ人や
欧州人などが思っている吊り目、一重瞼ではなく、幼さを残すcuteな顔つきー

彼がもしー
直接名を挙げるのは憚られるのでこう記そうー
アメリカ人が憎んでやまなかったA級戦犯筆頭のあの方のような容姿だったら、
と思うと私は頭を抱えてしまう。

ルッキズムは基本的に愚かなことだけれど、抜きがたい、humanなことだ。
容姿に恵まれた者は、短期的には、さまざまその他の欠点があれば(あるに違いないが)
隠すことができる。

そう言って後はゴチャゴチャ言わないでいいではないか。

*

昨夜のNHKスペシャルに痺れた。
AI時代の将棋における藤井聡太七冠と伊藤匠叡王の龍虎の戦いに焦点を当てたものだ。
「たっくん」は同い年の超天才を「教祖的な存在」だと言った。
その教祖とも比定される棋士からタイトルをひとつ奪った彼が、
藤井聡太教ないしは藤井聡太宗の信者のような者であると自ら認めたのだ。
すごい発言で、私は頭がクラクラしそうになった。

それだけの人なのだ、藤井聡太という人は。

実力だけがすべての世界に、あらためてまた強い憧憬を覚えた。

*

囲碁世界戦で一力遼さん(国内三冠)が優勝。
世界戦で日本の囲碁棋士が優勝するのは19年ぶり。
すばらしい!!
少しでも囲碁界不遇の時代を乗り越える一力、いや一里塚になりますように!


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ネット社会の功罪、いろいろ言われるが

起きてからネットニュースで去年1月起きた狛江市強盗殺人事件に係る
最初の公判の内容を読んだ。

この事件の現場となった家は私が狛江の多摩川へ行く、
あるいはそこから帰るときに必ず通るところに在る。
事件から数日間と記憶するが、その家屋前の道は時限的ではあったろうが
現場検証で通行できなかった。

そこに住まわれていた90歳女性がバールでおよそ10回も殴打され、亡くなった。
実行犯は「闇バイト」応募者の4人、指示役は例のフィリピン在住日本人犯罪集団
「ルフィ」の「sugar」だの「Kim」だの3人ー
Textメッセージや電話で「ボコ」して金のありかを聞き出せ、と。

最初の公判に臨んだのは実行犯の1人、石川県出身の当時19歳大学生。
ゲームで知り合った男が諸費用折半で同居させろと上がり込んできて、
約束を反故にし全く支払いをせず、金に困ってその男と犯行に加わったという。

私はこの事件以降、そのお宅を通るたびに合掌(自転車のときは片手だが)している。
「なんでこんなことするの」と90歳女性はバールで叩かれながら叫んだという。
本当にそうだ。
なんでこんな目に遭わなければいけないのか。
悔しく、悲しく、そして壮絶な痛みの中、絶命の時を迎えてしまった。
あらためて合掌。

今21歳となっている石川出身の元大学生は、殺人そのものには手を染めていない。
しかし、強盗致死の共犯としては罪を逃れようもなく、懲役23年の刑を宣告された。
石川の親御さんは絶望の淵に立たされたであろうし、今どうされていることか。
息子を東京の大学にまで出して、そしてこの<仕打ち>だ。

ゲームを通じての知り合い、闇バイト・・・
インスタントな関係性(つながり)。

「今の若者は」などと十把一絡げに言う気はない。
しかし、若者の一部にこの「インスタントなつながり」を結局自ら求めてしまい、
泥沼にハマっていくパターンは過去よりもまちがいなく増えているはずだ。
それはやはり、ネット社会であるからこそだ。

しかしもちろん、そのインスタントな関係も、同じネットで急速に深められうる。

私が例えば大学生だった頃、もし今のネット社会であったなら、
全く違う人間関係が築かれ、進展し、まるで違う人生コースが開いていただろう。
これは本当に疑う余地がない。

私が70年代終わり頃大学の国際政治研究系同好会で知り合ったXさんは
某県トップの高校からアメリカの高校への留学経験がある才媛で、
東京の住まいは管理人がいる下宿。
電話一本かけるのも、その管理人さんの冷たい反応を覚悟してのことだった。
むろん通話時間は短く、管理人さんが<傍受>していることも考慮しての会話だった。

圧倒的に<自己表現>の時間が限られていた!

今ならどうだろう。

「俺、ブログやってんだよね。読んで。」
「俺、曲作ったんだ。LINEにその音楽ファイル送るね。」
「この記事、すごいよ。Trumpのgibberish読んでみて。」
「今多摩川にいてね、すばらしい夕焼けだ。見て!」

Xさんとそれゆえより仲良くなれたかどうかは分からないけれど、
自己表現はほぼ十全にできたことだろう。
拒否されぬ限り、アンドおもしろいと思ってもらえる限り。

さて、そのXさんとはどうなったか。
書くのはやめておこう。



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Cold Line c/w Out of Control to be Re-released Worldwide

Warner Music JapanがEUROX作品を世界配信することになりました。

まずは(?)デビュー作「Cold Line」とそのB面(懐かしい呼称)「Out of Control」。
前者は井上大輔さん作曲で詞は私、King Reguyth。
SuntoryカクテルのCMで使われた曲で、

https://www.youtube.com/watch?v=FKOhcPZ4pls

歌い出しの「What the heck can I do」の「What the」が全然聞こえませんが(笑)。
「Hot Line」をもじった題名です。
冷たくなった関係ー
男女の最後の電話での会話における男のセリフが歌詞になっています。

これをfull versionにして発売、なんらの宣伝活動なくイタリアで2万枚売れたという
伝説については過去に触れました。

https://mnemosyneoforion.blog.ss-blog.jp/2008-09-28

写真はギターの栗原くんが入手したイタリア発売のレコードで、
B面「Out of Control」なのですが、なんと「King Reguyth」作詞作曲のように
記載されているのです。
この曲は作曲は関根くんで、詞は私King Reguythです。
こっちはアメリカのWarnerが気に入って、発売の打診をしてきました。

私にとってはdebut作品で上記のような、日本人アーティストとしてあの頃考えられない、
前代未聞の国際的スタートダッシュを切れた、
夢のような日々(年月、ではない→すぐ辞めたから)でした。
(なお関根くん、治雄ちゃん、野澤くんという旧TAOメンバーとっては
2度めのデビューでした。)

詳しい情報が入ったらまたご紹介させてください。

*

TVP(ポーランド公共放送)を見ていたら、thermite bombなる非人道的という
のもそうだけれど、森を殺す兵器が使われているのを知って憤然となった。
これはアルミニウムと酸化した金属を混ぜることで猛烈な反応が起きる現象を利用した
兵器で、林や森に隠れるロシア兵を焼き殺すためのものー

それだけで殺意に満ち満ちたロクでもない兵器だけれどー
兵器なんてもので人道的なものなどありはしないけれどー

加えて森を殺す兵器であることに激しい怒りを感じるのだ。

ったく。

同じ民族と言っていいもの同士が、何をやっているんだ!
いや、別な民族であれ、人間同士、何をやっているんだ!
ゼレンスキー、プーチン、ネタニアフ、その他、人命より尊いものがあると
人々に無益で残酷な殺し合いをさせている者たちよ、恥を知れ。
志願している者もいる?
そうさせているんだろうが、自分らの政治交渉能力の低さゆえに。

ホモ・サピエンス=賢いヒト
笑える。
Homo Occidere Se (互いを殺し合うヒト)と改名だ。


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2024 長月雑記

日本の政治状況も実際末期的な感じがするけれど、アメリカもひどいものだ。
Trumpのchild careに関する質問への答え(?)がまったくのnonsenseで、
世界一の英語話者数を抱える国の、少なくとも前大統領だった人間が、
その英語による言語的破滅を満天下に晒している事実にあらためて唖然としている。
世界中の熱心な英語学習者も、そのgibberishに驚倒し、
アメリカの知的衰退(なんと彼自身がアメリカはfalling nationだと言っている)を
実感することだろう。

GWuv8RVXEAA_pvH.png

上はChabeli Carrazanaという方がtranscribeしてくれたものだ。

*

さてこっちの野党第一党立憲民主党もひどいね。
野田さん再登板なら、筋として、国民民主党あるいは維新から出るべき。
その一言。
党創設の立役者枝野さんも、共産党への恩義を忘れた言動で失望した。
最初から世話になっていないならなんぼでも反共を叫べばいいけど。
立憲の自民亜流化が進んでいくんだろうね。
まあ、アメリカの2大政党制に憧れた人たちだからね。
それでもアメリカ民主党はleftだ、communistだってMAGA(Make America
Great Again) peopleから散々言われているけれどね。

*

IMG_0906.jpeg


昨日夕方の野川。
同じアングルからの写真を今まで何十年と多数撮ってきた。

艶消しの飛行機雲。

嫌いだ。

*

王座戦第1局、藤井王座の完勝。
永瀬さんは先手番ながら、なんだか実力差を見せつけられてしまったよう。
永瀬さんは藤井さんとの練習将棋でこのところ五分五分の勝率になっていると
言っていたのだが、その確率の裏目の方に今回はたまたまなっただけか?
私は永瀬さんのことを以前よりずっと応援したくなっている。

一方我ら世田谷区民の(!)星伊藤匠叡王は、B2順位戦で黒星。
あ〜あ。
土曜のNHKスペシャルでfocusが当たるのに!
気張らんしょ!




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Kよ、rise above!

昨日は自転車を飛ばしてKの住まい近くへ。
二人で焼肉屋にて談笑。
(なお彼はちゃんと節制をしていました、為念。)

Kは中野区が好きだそうだ。
特に哲学堂公園はお気に入りだと言う。
街の佇まいも概ね好きだと。

中野、杉並、世田谷の3区は首長がみなリベラル派で、緑の保全、拡張に力を注ぐ。
都知事様とは大違いだ。

昨日の彼へのアドバイスは拳拳服膺されるらしいが、逆に「MNEMOも世田谷の
好きな風景を撮って、おめ(おまえさん)の土地への蘊蓄とか俳句や和歌を添えて
YouTubeに上げればいいベヤ。俺が編集してやっから」と言うので、
「だからそれを俺はやろうとProject Hydrangeaを立ち上げたんだろが」と言い、
「あ、そっか」と彼。

「プラス、俺の歌だ、BGMなのか、それが主なのかはさておき。」

なにしろ元気そうでよかった。

IMG_0904.jpeg

故郷の土産のひとつ、「起き上がり小法師」を彼に進呈。
写真はかたわれの赤、彼にはもう一方の青のをお母堂のご遺影脇に飾ってもらいました。
病に伏しても起き上がってほしい。
苦難があっても立ち上がって克服してほしい。

そう願っています。


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