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When I Get Home

台風接近中、940ヘクトパスカル辺りでの関東沖襲来だそう。
これほどの低い気圧で関東へ来るのは例がないとある気象予報士が言っていた。
怖いのは暴風だ。
どうなることか。

*

誕生日が近くなってきて、あらためて爺さんになったなあと実感するのは、
Beatlesを聴くとあまりの感動で嗚咽してしまうときだ。

Nowhere Manなどは、もう、どうにもならない。
この曲を兄弟で聴いていた1966年、当時のプレイヤーがあった2階の部屋の様子が
脳裏に浮かんでくる。家はその後建て直しをしたから、跡形もない。

そのレコードを買ってきた本人の長兄が、この歌を何度も聴き、
歌詞カードを見ながら歌ったとき、どんな想いだったのだろうか。

もうその兄はいない。

そしてもちろんこの歌を作り歌ったJohn Lennonだ。
空前のスターダムに伸し上がりながら、「どこにもいない男」である「彼」と言いつつ、
自分のことを歌ったのだ。

PaulもGeorgeもRingoも最高のパフォーマンスを聴かせてくれる。
これしかないというベース・プレイ、ギター・プレイ、ドラムス・プレイで
Johnの歌世界に貢献するのだ。

当時私は小3か小4、いくら5、6歳でBeatlesの洗礼を受けていたとは云え、
あまりの曲の凄さに圧倒されたことをありあり思い出す。
いきなりの圧倒的なアカペラ3部合唱、Fender StratocasterをGeorgeとJohnが
ユニゾンで弾いたソロは圧巻で、ギラギラキラキラなtreble音が骨の髄まで響き、
振動し、「こんな音、聞いたことがない!」と何度も何度もプレイバックしてほとんど
中毒になった。そしてどれほどエレキギターが欲しくなったことか!

もちろん私を泣かせるのはNowhere Manだけではない。
Beatlesのそれぞれの曲に結びつく<あの風景、あの寒暖、湿度、あの思い>がある。
例えばPenny Laneは、中2の時、初めて自転車で會津盆地へと遠征した
帰りの、藤峠辺りでヒーヒー言いながらも、いよいよ我が町まで下りばかりになるぞ
という歓喜と結びついている。

その23年後、Liverpoolを訪れてPenny Laneを実際に歩き、
ウォークマンでそのPaulの傑作を聴きながらも、故郷の藤峠を思い出していた。


帰省は九月になるが、Beatlesを思い出の場所で思い切り聴こう。


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