2024 敗戦記念日前に
互いのブログ記事が往復書簡のようになっても、ではありますが、
Mooさんの最新記事の最後のパラグラフー
<この年になってもまだ中学生相手に何かを教える、
一緒に学ぶという時間を持てていることは自分でも本当に不思議。
正直に書けば、内心では(精神的には)、かつて富山や東京で生徒たちの前に立って
いた頃と少しも変わっていないのです。しかし、相手にしてみれば「くしゃくしゃな
顔をした爺さま」が目の前にいるわけですから、こちらが思っているようには
受け止めてはくれないでしょう。ただ、その精神的な「若さ」は、それなりに表にも
現れて双方の距離をある程度は縮めてくれるでしょうし、お互いに学ぼうとする
気持ちは、相手にも伝わるはずですよね。そのことを信じて、あと少し、頼って来て
くれる子のために、全力投球したいなと思っているこの頃です。>
には激しく同感と言わせていただきたい。
私はしかしSkypeでの授業であって、「3D」では生徒さんらと接していません。
だからどうしても私の熱意が体全体から発しているのを感じさせられないのが
もどかしく、その点Mooさんがうらやましいのです。
どんなに皺くちゃな顔をした老教師であっても、学問への誠実さ、
それゆえの熱意は、どんな世代の生徒にであっても通じるものですよね。
教師の熱意の息吹はやはり生徒らが教室で感じてこそだろうと思うのです。
遠隔授業の場合はそれが半減くらいになってしまう。
「spire」という語根は息をする音からできたとされており、
そこに「中へ」を表す「in」という接頭辞がついて、inspire、すなわち「吹き込む」、
インスピレーションを与える、ということになります。
「なるほど言語というのはおもしろいな」と生徒さんらがinspireされる瞬間が
一回でもあればいいなといつも思って授業をしています。
*
TrumpがMuskと会談した。
その中、こんな会話があって、Xにclipされた。
Musk: "Hiroshima and Nagasaki were bombed but now they're full cities again."
Trump: "That's great. That's great."
Musk: "Yeah so it's not as scary as people think."
Musk: it's not even dangerous in Fukushima. I actually flew there and ate locally
grown vegetables on TV to prove it.
私は2年ぶりくらいにrepostした。
I'm at a loss for words... I'm writing this on X(what a lame name) owned by
the very person that virtually said nuclear war is not so scary.
William Horanという人が、Muskに対しこう書いていて、私は共感した。
I'm not saying he's wrong that Fukushima is safe,
but there's a big difference between going once and living there.
You can visit the Chernobyl plant once with minimal protection and most
likely have no negative effect, but you cannot live nearby and be safe.
Muskは富岡町や大熊町にXやTeslaの本社と大邸宅でも建ててそこに住めばいい。
日本政府は大歓迎して、優遇措置をとってくれるだろうよ。
彼は広島と長崎には行ったのだろうか。
資料館を見て、それでも「人が思うほど怖くはない」と思ったのだろうか。
人でなし。
*
昔書いたことがあるが、私が中学3年の時、1日だけ「You先生」が代講で来られた。
彼は暗い感じの中年男性で、神経質な感じが横溢していた。口付近に傷があった。
彼は女子2人のちょっとしたおしゃべりを見咎めて、キレた。
凄まじい言葉で罵った後、
「俺はな、戦争でな、数秒前まで言葉を交わしていた友だちの兵士がな、
頭部全体が吹っ飛ばされるのを見たんだぞ!
きさまらのようなチャラチャラした小娘に舐められてたまるか!」
女子二人を叱りつけるにしても唐突な話だった。
けれども、「You先生」にはその痛ましい体験が以来全く頭から離れないことなのだと
私は痛感した。口の傷も、きっと戦傷だったのだろう。
今思い出してみると、顔には火傷の痕があったようにも思える。
私は現下の「夏期講習」で、長い授業時間の間にこの「You先生」の話を
2つのクラスでした。
戦争をする国になったら、若者が先生と同じ体験をするかもしれない。
現にウクライナ兵やロシア兵が同じような目に遭っているのだ、と。
私には上司の校長や教頭や学年主任はいないから、こんな話を躊躇なく授業に挟む。
殺す勿れ、殺される勿れ、と、
Mooさんの最新記事の最後のパラグラフー
<この年になってもまだ中学生相手に何かを教える、
一緒に学ぶという時間を持てていることは自分でも本当に不思議。
正直に書けば、内心では(精神的には)、かつて富山や東京で生徒たちの前に立って
いた頃と少しも変わっていないのです。しかし、相手にしてみれば「くしゃくしゃな
顔をした爺さま」が目の前にいるわけですから、こちらが思っているようには
受け止めてはくれないでしょう。ただ、その精神的な「若さ」は、それなりに表にも
現れて双方の距離をある程度は縮めてくれるでしょうし、お互いに学ぼうとする
気持ちは、相手にも伝わるはずですよね。そのことを信じて、あと少し、頼って来て
くれる子のために、全力投球したいなと思っているこの頃です。>
には激しく同感と言わせていただきたい。
私はしかしSkypeでの授業であって、「3D」では生徒さんらと接していません。
だからどうしても私の熱意が体全体から発しているのを感じさせられないのが
もどかしく、その点Mooさんがうらやましいのです。
どんなに皺くちゃな顔をした老教師であっても、学問への誠実さ、
それゆえの熱意は、どんな世代の生徒にであっても通じるものですよね。
教師の熱意の息吹はやはり生徒らが教室で感じてこそだろうと思うのです。
遠隔授業の場合はそれが半減くらいになってしまう。
「spire」という語根は息をする音からできたとされており、
そこに「中へ」を表す「in」という接頭辞がついて、inspire、すなわち「吹き込む」、
インスピレーションを与える、ということになります。
「なるほど言語というのはおもしろいな」と生徒さんらがinspireされる瞬間が
一回でもあればいいなといつも思って授業をしています。
*
TrumpがMuskと会談した。
その中、こんな会話があって、Xにclipされた。
Musk: "Hiroshima and Nagasaki were bombed but now they're full cities again."
Trump: "That's great. That's great."
Musk: "Yeah so it's not as scary as people think."
Musk: it's not even dangerous in Fukushima. I actually flew there and ate locally
grown vegetables on TV to prove it.
私は2年ぶりくらいにrepostした。
I'm at a loss for words... I'm writing this on X(what a lame name) owned by
the very person that virtually said nuclear war is not so scary.
William Horanという人が、Muskに対しこう書いていて、私は共感した。
I'm not saying he's wrong that Fukushima is safe,
but there's a big difference between going once and living there.
You can visit the Chernobyl plant once with minimal protection and most
likely have no negative effect, but you cannot live nearby and be safe.
Muskは富岡町や大熊町にXやTeslaの本社と大邸宅でも建ててそこに住めばいい。
日本政府は大歓迎して、優遇措置をとってくれるだろうよ。
彼は広島と長崎には行ったのだろうか。
資料館を見て、それでも「人が思うほど怖くはない」と思ったのだろうか。
人でなし。
*
昔書いたことがあるが、私が中学3年の時、1日だけ「You先生」が代講で来られた。
彼は暗い感じの中年男性で、神経質な感じが横溢していた。口付近に傷があった。
彼は女子2人のちょっとしたおしゃべりを見咎めて、キレた。
凄まじい言葉で罵った後、
「俺はな、戦争でな、数秒前まで言葉を交わしていた友だちの兵士がな、
頭部全体が吹っ飛ばされるのを見たんだぞ!
きさまらのようなチャラチャラした小娘に舐められてたまるか!」
女子二人を叱りつけるにしても唐突な話だった。
けれども、「You先生」にはその痛ましい体験が以来全く頭から離れないことなのだと
私は痛感した。口の傷も、きっと戦傷だったのだろう。
今思い出してみると、顔には火傷の痕があったようにも思える。
私は現下の「夏期講習」で、長い授業時間の間にこの「You先生」の話を
2つのクラスでした。
戦争をする国になったら、若者が先生と同じ体験をするかもしれない。
現にウクライナ兵やロシア兵が同じような目に遭っているのだ、と。
私には上司の校長や教頭や学年主任はいないから、こんな話を躊躇なく授業に挟む。
殺す勿れ、殺される勿れ、と、