Moo teaches English, too
Mooさんが数学を教えておられる中学生に請われて英語も見ることになったと。
(中1のおさらいをしたというのだから現在中2ですかね。)
まず思ったのは、国立大卒者はalmighyだから、どんな教科もOKだろうと思われて
しまうんだなあ、ということ。
実際、Mooさんはどんな教科も教えられるんじゃないですか。
数学は東北大の理学部数学科仕込みでプロ中のプロ、
「ひろし」という名前ゆえ、博学でいらっしゃるから、文系科目だって中学内容なら
なんら問題ないでしょうね。字の上手さはそこらの国語教師も青くなるほど。
社会なら公民系ではこれまたプロ並みにお教えになることでしょう。
私が中学生1、2年生に英語を教える際何よりも大事と思っているのは、
生徒に「be動詞世界と一般動詞世界」が分別できるようにすることです。
小学校の国語で「主語は何だ、どんなだ、どうする」という主述の3パターンを
習うはずですが、世界の何千とある言語はすべてこの3パターンを記述論述するために
あると言ってもいいわけです。日本語も英語ももちろんその点で同じです。
「何だ、どんなだ」と「どうする」という非動作と動作についての述部で、
前2者ではbe動詞、後者では一般動詞を用いることをしっかり意識させます。
例えば、
( )you a newcomer?
では、英語ができない、嫌いな子は、be動詞を習っている時期なら「Are」を入れる
かもしれませんが、一般動詞を習っている時期だと「Do」を入れてしまうことが
往々にしてあるのです。根本的に分かっていない証拠です。
「主語は何だ、どんなだ、どうする」を日本語文でパターン分けするのはほぼ
どんな生徒もできます。それをbe動詞と一般動詞の違いの理解につなげます。
これが分かると、現在進行形も容易に理解できます。
be動詞は「=」の働きをする「だ、です」と「いる、ある」という存在を述べる意味も
あります。「I'm in Nagano now.」などの文は中学生でも
簡単に「今私は長野にいます」と訳すことができます。
現在進行形は「〜している」です。
am/are/is + ~ingですね。
「ing」が「して」に当たり(原形は「する」に当たります)、be動詞が「いる」に
相当するわけです。
私が中2の子を初めて担当するとき、まず彼ら彼女らに現在進行形について質問します。
「私は泳いでいます」を何と言いますか、などと訊きます。
中には「I swimming」などと答える子が必ずいます。
「進行形はing」とだけ印象的に覚えているのです。
私はその時、「それじゃあ、『私は泳いで』で終わってるよ」と指摘します。
「『います』がないんだよ」と。
そこから上で述べたbe動詞と一般動詞について復習をさせるのです。
まあ、これは初歩英語教授の一例にすぎませんが。
つづりについては、ヒント(つづりの法則性)を与えられるところは与えますが、
なにしろ生徒の地道な努力こそ、です。
おっしゃる通り、私たちの頃の英語教科書とは様変わり甚だしい現在です。
会話が中心であって、説明文すらある登場人物の口語での発表という形になります。
また、旅行などで想定しうる実際の英会話場面もユニット末に独立してページが
割かれています。「使える英語」を意識した編集ですね。
生徒が英語をいつかは実際に使う機会があるかもしれない、
あればいいな、と思わせるように導きたいものです。
昨日記した、jazz dance教室にも通う私が1年の最初から英語を教えている中3女子は、
自分がステージ上のこういう衣装のダンサーだと私に教えつつ、
「それとー」と書いて、「better」の発音の仕方を教えてほしいと続けました。
「イギリス発音の方がきっと日本人には模倣しやすい」と私は言いましたが、
hiphopが好きな彼女は「アメリカ式がいいのです」と譲らない。
この子は英語5をずっととり続けている優秀な生徒でもあります。
きっとアメリカに行って踊ってみたいのではないでしょうか。
そういうmotivationを自ずから持てる生徒は教えるのも楽です。
とまれ、何かまた英語教授上の問題がありましたら、遠慮なくご質問ください。
(中1のおさらいをしたというのだから現在中2ですかね。)
まず思ったのは、国立大卒者はalmighyだから、どんな教科もOKだろうと思われて
しまうんだなあ、ということ。
実際、Mooさんはどんな教科も教えられるんじゃないですか。
数学は東北大の理学部数学科仕込みでプロ中のプロ、
「ひろし」という名前ゆえ、博学でいらっしゃるから、文系科目だって中学内容なら
なんら問題ないでしょうね。字の上手さはそこらの国語教師も青くなるほど。
社会なら公民系ではこれまたプロ並みにお教えになることでしょう。
私が中学生1、2年生に英語を教える際何よりも大事と思っているのは、
生徒に「be動詞世界と一般動詞世界」が分別できるようにすることです。
小学校の国語で「主語は何だ、どんなだ、どうする」という主述の3パターンを
習うはずですが、世界の何千とある言語はすべてこの3パターンを記述論述するために
あると言ってもいいわけです。日本語も英語ももちろんその点で同じです。
「何だ、どんなだ」と「どうする」という非動作と動作についての述部で、
前2者ではbe動詞、後者では一般動詞を用いることをしっかり意識させます。
例えば、
( )you a newcomer?
では、英語ができない、嫌いな子は、be動詞を習っている時期なら「Are」を入れる
かもしれませんが、一般動詞を習っている時期だと「Do」を入れてしまうことが
往々にしてあるのです。根本的に分かっていない証拠です。
「主語は何だ、どんなだ、どうする」を日本語文でパターン分けするのはほぼ
どんな生徒もできます。それをbe動詞と一般動詞の違いの理解につなげます。
これが分かると、現在進行形も容易に理解できます。
be動詞は「=」の働きをする「だ、です」と「いる、ある」という存在を述べる意味も
あります。「I'm in Nagano now.」などの文は中学生でも
簡単に「今私は長野にいます」と訳すことができます。
現在進行形は「〜している」です。
am/are/is + ~ingですね。
「ing」が「して」に当たり(原形は「する」に当たります)、be動詞が「いる」に
相当するわけです。
私が中2の子を初めて担当するとき、まず彼ら彼女らに現在進行形について質問します。
「私は泳いでいます」を何と言いますか、などと訊きます。
中には「I swimming」などと答える子が必ずいます。
「進行形はing」とだけ印象的に覚えているのです。
私はその時、「それじゃあ、『私は泳いで』で終わってるよ」と指摘します。
「『います』がないんだよ」と。
そこから上で述べたbe動詞と一般動詞について復習をさせるのです。
まあ、これは初歩英語教授の一例にすぎませんが。
つづりについては、ヒント(つづりの法則性)を与えられるところは与えますが、
なにしろ生徒の地道な努力こそ、です。
おっしゃる通り、私たちの頃の英語教科書とは様変わり甚だしい現在です。
会話が中心であって、説明文すらある登場人物の口語での発表という形になります。
また、旅行などで想定しうる実際の英会話場面もユニット末に独立してページが
割かれています。「使える英語」を意識した編集ですね。
生徒が英語をいつかは実際に使う機会があるかもしれない、
あればいいな、と思わせるように導きたいものです。
昨日記した、jazz dance教室にも通う私が1年の最初から英語を教えている中3女子は、
自分がステージ上のこういう衣装のダンサーだと私に教えつつ、
「それとー」と書いて、「better」の発音の仕方を教えてほしいと続けました。
「イギリス発音の方がきっと日本人には模倣しやすい」と私は言いましたが、
hiphopが好きな彼女は「アメリカ式がいいのです」と譲らない。
この子は英語5をずっととり続けている優秀な生徒でもあります。
きっとアメリカに行って踊ってみたいのではないでしょうか。
そういうmotivationを自ずから持てる生徒は教えるのも楽です。
とまれ、何かまた英語教授上の問題がありましたら、遠慮なくご質問ください。
盆の入り
早く秋風が吹いてほしいなあ。
と言いつつ、秋が来て、また<あの>年末が来る。
私は12月がことのほか好きだ。
大好きな冬至が来るし、クリスマス、そして年の瀬の賑わいがあるー
東京では晩い秋が師走にあって、樹木の葉が最後の輝きを見せてくれるし。
しかしそれを楽しんでいると、年が改まる。
また齢を重ねるのだ。
私はできるだけ今生を楽しみたい。
あの世に行ってもおそらく今生とは違ったかたちでこの世の美しさを楽しめると
信じたいし信じているけれど、まだ肉体を持ってこの世の四季の移り変わりを愛でたい。
さて、先祖の霊が帰ってくる。
お盆だ。
もういない人たちが、いるー
そう感じる数日間。
いや、別にお盆の時期ばかりにそう感じるのではない。
想起するたび、もういない人たちがいるのだ。
しかしこう娑婆が暑くては、ご先祖様も帰りにくかろうなあ。
と言いつつ、秋が来て、また<あの>年末が来る。
私は12月がことのほか好きだ。
大好きな冬至が来るし、クリスマス、そして年の瀬の賑わいがあるー
東京では晩い秋が師走にあって、樹木の葉が最後の輝きを見せてくれるし。
しかしそれを楽しんでいると、年が改まる。
また齢を重ねるのだ。
私はできるだけ今生を楽しみたい。
あの世に行ってもおそらく今生とは違ったかたちでこの世の美しさを楽しめると
信じたいし信じているけれど、まだ肉体を持ってこの世の四季の移り変わりを愛でたい。
さて、先祖の霊が帰ってくる。
お盆だ。
もういない人たちが、いるー
そう感じる数日間。
いや、別にお盆の時期ばかりにそう感じるのではない。
想起するたび、もういない人たちがいるのだ。
しかしこう娑婆が暑くては、ご先祖様も帰りにくかろうなあ。