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前記事への追記

今日の記事で、

「善い戦争」という言葉を使った。

悪辣非道なナチスとの戦いは「善い戦争」ではなかったのか。
例えば自国が攻撃を受けているわけではないのに、フランス・ノルマンディーに上陸し、
機銃掃射を浴び、四肢や頭部を吹き飛ばされて、
ファシズムと戦い命を散らした米兵たちの御霊にそれでも
「善い戦争」などないのだと言えるか。

言えそうもない。

よくぞヒトラーの邪悪な野望を打ち砕いてくださった、と言うしかない。

しかしだ、それゆえドイツ兵を殺してくださってありがとうとは言えない。
なぜならその「ドイツ兵」はそうである以前に一人の人間で、父母があり、
もしかすると妻や婚約者、子どもすらいたかもしれないからだ。
しかも、ヒトラーの狂信者ではなく、無理やり徴兵されたのなら、
なおさらドイツ兵を殺してくださってありがとうとは言えない。

究極的には、人を殺してくれてありがとうと言ってはならない、と思うのだ。

たとえそうしなかったならドイツ第三帝国が世界を席捲し、
邪悪なアーリア民族第一主義が他の民族を苦しめることになっていたかもしれなくても、
もっともっと小さな、狭いレベルでの、殺し殺される場面で、
その当事者一人ひとりが「War is over (If you want it)」と思えれば、と願う。
泣きたいほど願う。

そう思わぬ邪悪な者が勝ってしまうではないか。

これ以降の私の思いはあるが、きっと理解されはしない。
でも、簡単に言えば、殺されて終わりではない、殺して終わりではないのだ、
ということだ。
殺した者は、相応の手ひどい報いを受けることになる、ということだ。

MNEMOさん、ヤベぇ!


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國破山河在 城春草木深

連日のパリ五輪過熱報道、とは云え私はほぼ見ていない。
興味がない。
いや、熱狂している人がいらっしゃっても批判などする気は毛頭ない。
私だって過去には熱狂したもの。

*

長崎原爆忌に長崎市がイスラエルを招待しなかったことで、アメリカ、イギリスなどの
いわゆる西側の大国(NATOの主要加盟国)が欠席とか。
これらの国の人たちは、<善い戦争はある>と思っているんだろう。

長崎の戦没者全員の御霊がきっと、来てもらわなくてよかばい、とあの世で言って
おられるに違いない。

*

芥川也寸志さんの「Tryptique」のことを再三書いてきたが、
とうとうYouTubeで芥川さんご自身が指揮棒を振られているビデオを発見。

https://www.youtube.com/watch?v=kSPtIZ6Tmlk&list=LL&index=31

38'21"から始まる。
「Allegro」の、芥川さんの思ったテンポがとうとう分かった。
さまざまな楽団がさまざまな「allegro」解釈をしていたのでね。

この頃はIII章の50'03"から始まる緩徐パートが好きで、切なくて、たまらない。

この演奏は讀賣交響楽団による。
しかし私の思うナンバー1バージョンは、ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団の
ものである。

https://www.youtube.com/watch?v=Yg7p-W2-v30

このポーランド人演奏家たちの<歌心>は何だろう。
日本人作曲家の音世界を東欧人演奏家が一番リリカルに再生する。
音楽に国境はないのは分かっている。
また、いくら芥川さんが日本人でもヨーロッパ音楽の形式に則っているのも。
だからポーランド人が日本人作曲の弦楽協奏曲を最もすばらしく演奏しても
不思議はないだろう。

それでも、私は芥川さんが暮らした調布市入間町や隣の成城4丁目を徘徊し、
ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団のこの演奏を聴いていると、
野川と入間町・成城の木立のたたずまいが、そこを吹く風が、光彩が、陰翳が、湿度が、
<完全に>表現されている、と思える。

東京とワルシャワには共通点がある。
戦争で街が灰燼に帰し、瓦礫の山となったことだ。

国破れて山河あり

芥川さんも、楽団のコンサートマスターも、同じ想いを分かち合ったはずだ。


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