昨夜のこと
昨夜は渋谷のLanternというBeatles Barで歌った。
半年以上ぶりのお客様の前での歌唱だったが、なにしろその半年前の生演奏が
十年とは言わないがそれに近いほどのブランクがあってのことだったー
だから、まあ、生でお客様を前にして複数曲歌うことの慣れを取り戻せないままだった。
まずギター演奏では、練習は重ねたもののミスを何度もした。
歌については、最終曲の最後のシャウトが出なくなってしまった。
後者は声のsaveのしかたを忘れてしまっていたのが大きい。
情けない。
でもまあ、心が寛いお客様たちはとても喜んでくださった。
ありがたかった。
*
私がもしまたお客様の前で歌わせていただける機会を持てるなら、
できればワンマン、最低でも対バン1組という条件でやれればなあ、と思う。
問題はコヤと集客力。
*
昨夜の白眉は、私のシンガーとしての処女航海を共にしたVIAのバンドメンバーが
全員揃ったことだった。
バンド結成の呼びかけをした金子氏、功君、ドラマーの松川君、そしてK。
結成は1979年だったと思う。
45年前か。
いやはや。
松川君のドラムス・プレイを聴けなかったのは残念だったが、
みな健在を喜び合った。
総じてありがたいことの多い夜だった。
主催の功君にあらためて感謝します。
*
Kamala Harrisを応援するため、私のIS THIS AMERICAのRajoyバージョンを
ちょっとした付け足しをして掲げたいと思っている。
過日亡くなったSさんが生で聴きたいと言ってくれた歌でもある。
Yes, it's the land of liberty and love!
最終歌詞だ。
*
渋谷への行き、クルマを使ったが、Lantern近くの駐車場に20分で着いた。
スイスイ行けば、世田谷から渋谷は本当に近い。
そしていつまで経っても田舎者の私には馴染めぬ土地だなあと思う。
功君の友人でTさんが今回も山梨から音楽会に駆けつけた。
「コンクリート・ジャングル」と彼は言った。
ずっと聞かないでいた言葉だった。
東京やその延長の街に暮らす人々としか話していないからなあ。
Tさんはもともと調布の人で、多摩川のそばで暮らしておられた。
東京人ではあるけれど、多摩地区にはやはりコンクリート・ジャングルはほぼないから、
山梨で暮らすようになってからはますます四方八方緑がないところにいると
落ち着かなくなるのは当然だ。
さらに東京から緑が失われる開発計画や、国立公園に大規模ホテルを建てるとかの
狂気の沙汰を考えているらしい都知事や首相には本当に腹が立つ。
帰りは義父の娘の運転で、国道246は使わずに淡島通りを使って、のんびり帰った。
淡島通りは私が昔から愛好する渋谷から世田谷や狛江方面へ行くのに便利で、
まず渋滞は起きない道路なのだ。
音楽会では、本編が終了したとき、土曜なのに朝から午後4時まで仕事していた
義父の娘が「頭痛がする」と言い、恒例ビートルズ・セッションを私はスキップした。
早く寝たい彼女に運転してもらってすまなかったけれど、
少しであれ、乾杯をしてしまった私が運転するわけにもいかなかった。
それでも、好きな道を通りながら、緑の比較的多い我が<本拠>世田谷へ向かう
クルマの中、私は「幸せな夜であったなあ」と助手席でしみじみしていた。
半年以上ぶりのお客様の前での歌唱だったが、なにしろその半年前の生演奏が
十年とは言わないがそれに近いほどのブランクがあってのことだったー
だから、まあ、生でお客様を前にして複数曲歌うことの慣れを取り戻せないままだった。
まずギター演奏では、練習は重ねたもののミスを何度もした。
歌については、最終曲の最後のシャウトが出なくなってしまった。
後者は声のsaveのしかたを忘れてしまっていたのが大きい。
情けない。
でもまあ、心が寛いお客様たちはとても喜んでくださった。
ありがたかった。
*
私がもしまたお客様の前で歌わせていただける機会を持てるなら、
できればワンマン、最低でも対バン1組という条件でやれればなあ、と思う。
問題はコヤと集客力。
*
昨夜の白眉は、私のシンガーとしての処女航海を共にしたVIAのバンドメンバーが
全員揃ったことだった。
バンド結成の呼びかけをした金子氏、功君、ドラマーの松川君、そしてK。
結成は1979年だったと思う。
45年前か。
いやはや。
松川君のドラムス・プレイを聴けなかったのは残念だったが、
みな健在を喜び合った。
総じてありがたいことの多い夜だった。
主催の功君にあらためて感謝します。
*
Kamala Harrisを応援するため、私のIS THIS AMERICAのRajoyバージョンを
ちょっとした付け足しをして掲げたいと思っている。
過日亡くなったSさんが生で聴きたいと言ってくれた歌でもある。
Yes, it's the land of liberty and love!
最終歌詞だ。
*
渋谷への行き、クルマを使ったが、Lantern近くの駐車場に20分で着いた。
スイスイ行けば、世田谷から渋谷は本当に近い。
そしていつまで経っても田舎者の私には馴染めぬ土地だなあと思う。
功君の友人でTさんが今回も山梨から音楽会に駆けつけた。
「コンクリート・ジャングル」と彼は言った。
ずっと聞かないでいた言葉だった。
東京やその延長の街に暮らす人々としか話していないからなあ。
Tさんはもともと調布の人で、多摩川のそばで暮らしておられた。
東京人ではあるけれど、多摩地区にはやはりコンクリート・ジャングルはほぼないから、
山梨で暮らすようになってからはますます四方八方緑がないところにいると
落ち着かなくなるのは当然だ。
さらに東京から緑が失われる開発計画や、国立公園に大規模ホテルを建てるとかの
狂気の沙汰を考えているらしい都知事や首相には本当に腹が立つ。
帰りは義父の娘の運転で、国道246は使わずに淡島通りを使って、のんびり帰った。
淡島通りは私が昔から愛好する渋谷から世田谷や狛江方面へ行くのに便利で、
まず渋滞は起きない道路なのだ。
音楽会では、本編が終了したとき、土曜なのに朝から午後4時まで仕事していた
義父の娘が「頭痛がする」と言い、恒例ビートルズ・セッションを私はスキップした。
早く寝たい彼女に運転してもらってすまなかったけれど、
少しであれ、乾杯をしてしまった私が運転するわけにもいかなかった。
それでも、好きな道を通りながら、緑の比較的多い我が<本拠>世田谷へ向かう
クルマの中、私は「幸せな夜であったなあ」と助手席でしみじみしていた。