記憶&Joyfulな女医の卵の思い出
昨日は東京もひどい雨で、折角の誕生日も家に居っぱなし、そして夕方から仕事。
それでも仲間やMick師から、また姉兄からも祝意のメッセージをいただき&もらい、
うれしいことでした。
次兄がふざけて「博ちゃん」と呼びかけてきて、姉が大笑い。
昨日の私の3歳時写真なら確かに「博ちゃん」と呼びかけるところだけれど、
60年以上経った「前期高齢者」に向かってそれはないだろう。ハハハ。
次兄は小学生同士だった頃は「ひろぼ」と私を呼んでいました。
互いにteenagerになってからは「ひろ」だった。
「博ちゃん」という呼び方については、昨年百歳で亡くなったKのお母堂が一昨年
そう私を呼んでくださり感激したことをここで記した(はず)。
他に私を「博ちゃん」と呼んでくださったのは、隣家上野菓子店のおばちゃんと
おばあちゃん、母の店で働いてくれていたTさん、父の弟のご内儀、
母の兄のご内儀、というところかな。
菓子屋のおばちゃんを除き、全員冥土に旅立たれています。
*
またMooさんの記事について。
「記憶」と題される記事ー
昨日掲げたものの次、つまり最新記事を拝読、おもしろかった。
https://blog.goo.ne.jp/azumino_moo
その列記された「記憶」はどれも興味深いのですけれど、
私には⑥の、絵が抜群に巧くしかも慶應医学部へ進学した才女のものが印象深い。
過去に私もその方に似た存在について書いたことあります。
NYさんという人で、中学入学時、out of the blueで私の田舎へやってきたのです。
なんとそれまではキプロス島ニコシアに住んでいた、と。
お父様が朝日新聞の記者だということで、
「一体どうしてそんな子女が會津の片田舎へ?」と思って当然の椿事でした。
今なら合点がいきます。
NYさんのお父上の家系は私の田舎の素封家で、彼女のお祖父様が町誌の主筆を担われ、
その圧倒的な筆力、取材力による記事は「こんな人がオラだぢの町にいるのだ」と
誰もが誇りに思うレベルでした。
お父様はきっと朝日新聞の東京本社とかへ転勤となり、
お連れ合いと娘(2人)を郷土に住まわしてみようという気になったのでしょう。
彼女の学力は圧倒的で、学年1位を中3の最後まで貫き通したのです。
英語はnative。
発音では誰にも負けないと自負していたBeatles少年だった私は、
中1でそのNYさんと同じクラスとなり、天狗になろうとしていた私の鼻は、
出端から挫かれてしまいました。
ある日下校が同じになって、私が「イクスキューズ・ミー」とふざけて話しかけると、
振り向いて一言、「変な発音!」。
そうです、「<エ>クスキューズ・ミー」なのです。
そんなNYさんは會津若松の名門県立女子高へ進学、福島県立医科大に入り、
その後大学に残って確か教授にまで上りつめたはず。
彼女は進歩的な人でもあって、弁論大会で保守的な中学の校風を堂々批判し、
「おいおい内申点大丈夫か」とこちらが冷や汗をかくほど。
そして私も彼女の進歩的片鱗を直接知る機会がありました。
お祖父様と私の父が町史編纂事業で知り合いだったということもあってか、
またN家の邸宅が私の母の実家(旅館だった)に近いこともあってか、
そんなに<縁遠い>存在ではないということで、
例えばBadfingerの「Baby Blue」という歌の歌詞を彼女に訳してもらったりしました。
また高校時代は、彼女の方から映画を一緒に観ようと誘ってくれて、
會津若松で当時の<問題作>を楽しんだりしました。
けれど、互いに大学生になってからの夏休みに会って以来、
もうずっと疎遠になってしまった。
Mooさんの慶應医学部へ進まれ家業の医院を継がれた同級生、
私の、医学を教える立場になった同級生ー
おもしろいです、もちろん個人的に。
*
さて、<絵の上手い女生徒>ということなら、私の姉もかつては。(笑)
いや、今も姉は花の絵師として現役です。
姉のサインまで入れるため、下手くそな撮り方になってしまっていますが、
まあ、お許しを。
桐の花。
會津の実家の裏庭に桐の木がありました。
初夏の開花期、独特の芳香を周辺に漂わし、花をボタボタと落とします。
その香りは幼い頃の初夏の記憶と一体です。
それでも仲間やMick師から、また姉兄からも祝意のメッセージをいただき&もらい、
うれしいことでした。
次兄がふざけて「博ちゃん」と呼びかけてきて、姉が大笑い。
昨日の私の3歳時写真なら確かに「博ちゃん」と呼びかけるところだけれど、
60年以上経った「前期高齢者」に向かってそれはないだろう。ハハハ。
次兄は小学生同士だった頃は「ひろぼ」と私を呼んでいました。
互いにteenagerになってからは「ひろ」だった。
「博ちゃん」という呼び方については、昨年百歳で亡くなったKのお母堂が一昨年
そう私を呼んでくださり感激したことをここで記した(はず)。
他に私を「博ちゃん」と呼んでくださったのは、隣家上野菓子店のおばちゃんと
おばあちゃん、母の店で働いてくれていたTさん、父の弟のご内儀、
母の兄のご内儀、というところかな。
菓子屋のおばちゃんを除き、全員冥土に旅立たれています。
*
またMooさんの記事について。
「記憶」と題される記事ー
昨日掲げたものの次、つまり最新記事を拝読、おもしろかった。
https://blog.goo.ne.jp/azumino_moo
その列記された「記憶」はどれも興味深いのですけれど、
私には⑥の、絵が抜群に巧くしかも慶應医学部へ進学した才女のものが印象深い。
過去に私もその方に似た存在について書いたことあります。
NYさんという人で、中学入学時、out of the blueで私の田舎へやってきたのです。
なんとそれまではキプロス島ニコシアに住んでいた、と。
お父様が朝日新聞の記者だということで、
「一体どうしてそんな子女が會津の片田舎へ?」と思って当然の椿事でした。
今なら合点がいきます。
NYさんのお父上の家系は私の田舎の素封家で、彼女のお祖父様が町誌の主筆を担われ、
その圧倒的な筆力、取材力による記事は「こんな人がオラだぢの町にいるのだ」と
誰もが誇りに思うレベルでした。
お父様はきっと朝日新聞の東京本社とかへ転勤となり、
お連れ合いと娘(2人)を郷土に住まわしてみようという気になったのでしょう。
彼女の学力は圧倒的で、学年1位を中3の最後まで貫き通したのです。
英語はnative。
発音では誰にも負けないと自負していたBeatles少年だった私は、
中1でそのNYさんと同じクラスとなり、天狗になろうとしていた私の鼻は、
出端から挫かれてしまいました。
ある日下校が同じになって、私が「イクスキューズ・ミー」とふざけて話しかけると、
振り向いて一言、「変な発音!」。
そうです、「<エ>クスキューズ・ミー」なのです。
そんなNYさんは會津若松の名門県立女子高へ進学、福島県立医科大に入り、
その後大学に残って確か教授にまで上りつめたはず。
彼女は進歩的な人でもあって、弁論大会で保守的な中学の校風を堂々批判し、
「おいおい内申点大丈夫か」とこちらが冷や汗をかくほど。
そして私も彼女の進歩的片鱗を直接知る機会がありました。
お祖父様と私の父が町史編纂事業で知り合いだったということもあってか、
またN家の邸宅が私の母の実家(旅館だった)に近いこともあってか、
そんなに<縁遠い>存在ではないということで、
例えばBadfingerの「Baby Blue」という歌の歌詞を彼女に訳してもらったりしました。
また高校時代は、彼女の方から映画を一緒に観ようと誘ってくれて、
會津若松で当時の<問題作>を楽しんだりしました。
けれど、互いに大学生になってからの夏休みに会って以来、
もうずっと疎遠になってしまった。
Mooさんの慶應医学部へ進まれ家業の医院を継がれた同級生、
私の、医学を教える立場になった同級生ー
おもしろいです、もちろん個人的に。
*
さて、<絵の上手い女生徒>ということなら、私の姉もかつては。(笑)
いや、今も姉は花の絵師として現役です。
姉のサインまで入れるため、下手くそな撮り方になってしまっていますが、
まあ、お許しを。
桐の花。
會津の実家の裏庭に桐の木がありました。
初夏の開花期、独特の芳香を周辺に漂わし、花をボタボタと落とします。
その香りは幼い頃の初夏の記憶と一体です。
Happy Birthday to Me
今朝は世田谷も大雨です。
迷走および徐行台風の被害が出ていますね。
お見舞い申し上げます。
私が朝のpotteringでほぼ毎日行く野川と仙川にも氾濫危険情報が出ています。
今朝はさすがに行けないなあ。
*
今日は我が誕生日です。
おととい世田谷区から高齢者のための冊子が送られてきたー
神代植物公園など都の施設が割引で入れる歳、ということでございます。フフ。
昨日功くんが自ら「フライング=jump the gun」だろうと推察しつつ、
1番乗りで祝意を伝えてくれました。
そして昨日、Mooさんはフライングを承知で御ブログに記事を書いてくださいました。
https://blog.goo.ne.jp/azumino_moo
「ほぼ毎日の朝のサイクリングで回った土地やお気に入りの地域の様子が克明に
記録されいます。普段は何気なく見過ごしている古い住宅のたたずまいやそこに
植えられている草花は、人々の生活のあり方をさりげなく伝え、
場合によってはその息づかいまでを教えるのですから、優れた感性の持ち主である
MNEMOさんには飽きない観察記録になっているのでしょうね。」
などと勿体ないことを書いていただきました。
そして辺見庸さんと高橋哲哉さんの対談を引きつつ、さすがの考察をされます。
<「自分たちの立っている場所の歴史性、それを作った出来事のリアリティー」に
こだわり続ける>
という高橋さんのことば。
対して、
<「経験主義には与したくないが、自分の記憶の中にリアルな出来事をちゃんと
着床させ深める」ことを重視する>
という辺見さんのことば。
こういう言葉を引きつつ、Mooさんは、
「歴史的な事象について考える際に、上記のような身体的な経験がいかに重要かを
思い知らされ」ると書かれています。
示唆多き記事を拝読しました。
ありがとうございます!
思うのは、Mooさんのお宅へK、功くん、幸夫ちゃんとお邪魔した9年前(!)、
私たちは行きしな大王ワサビ園で、おそらく縄文人の血を引くアボリジナルな「大王」
率いる安曇野先住民集団の苦難のことを知り、その後帰京途中で諏訪大社を参拝し、
弥生人の末裔と言っていいであろう出雲族のタケミナカタが
古墳時代人のタケミカヅチに追われて信濃へと逃れ、そこで「大王」一族と争いに
なったのではないかという<霊感>を得た「体験」でした。
(その当時の記事、懐かしく、再掲します。
https://mnemosyneoforion.blog.ss-blog.jp/2015-10-13)
そしてさらに帰京の行程で、南アルプス市に在る甲斐源氏「秋山」一族のお墓に参拝。
それは幸夫ちゃんのルーツがそこにあるのではないかという私の勝手な推察を
実際にそこへ行くことで<心的に>裏付けるためのことでした。
(そこで起こった不思議なことについては、上の再掲記事を読みください。)
そう、私の「体験」は実証的な裏付けをまるで持たないものであって、
その点ではMooさんにはただただ文学的であるはず、科学的実証主義とは真反対とも
言えるようなことです。
そしてもちろん、文学的であって私には何ら問題がない。(笑)
数学者であるMooさんの明晰さに憧れる私ですが、
翻って私のような正反対の感性依拠の生き方、世界の捉え方に、
Mooさんがおもしろさを感じてくださっていての氏の記事であると思っているのです。
さて、幸夫ちゃん、功くん、K、またお邪魔したいよなあ、安曇野!
*
冒頭の写真は私がちょうど3歳と11ヶ月のみぎりの・・・
なんで4歳の誕生日写真じゃないんだ、父ちゃん。
まだBeatlesの音楽に出会っていない頃の貴重な写真(!)。
記憶は全くない。
何を考えていたんだろうね。
今日はあいにく(?)仕事が重なる日で、birthday dinnerは午後10時過ぎになる。
なにしろしみじみしたい。
=追記=
9年前のこと、今回記事では錯誤しての記述がありますが、まあ、そのままにしておきます。
もちろん9年前のホカホカの記憶が正しいのです!
XX歳最後の東雲、西積乱雲、そして日の出
今朝のpottering、午前4時過ぎ雨雲の状況はと気象レーダーを見ると、
東京都はall clearだが、相模湾およびそれに面する大磯あたりに積乱雲があり、
北上するような動きだった。
しかし私が自転車散歩から帰ってくるまでにこちらまでその入道雲がやってくる
ことはまずないと踏んで、2日ぶりにまずまずの好天下ペダルを踏み出した。
今朝は瀬田方面へ。
瀬田とは世田谷区の玉川地域に属する住宅地で、国道246号(玉川通り&青山通り)と
環状8号線が交わるところだけれど、道路から奥へ入ればすこぶる閑静である。
隣り合う岡本1丁目には仲代達矢さんの無名塾と住居が在るし、
また三菱創業者岩崎弥太郎ゆかりの静嘉堂文庫もあったりで、
小規模な川ながら谷戸川と丸子川が流れ、その河岸段丘というべき地形に立つ街と
言っていいだろう。
東雲(しののめ)、私は玉川病院の敷地にいた。
東雲とはよく言ったもので、夜明け前文字通り東の空の雲が真っ先に見えだす。
茜色が主ながら妖しい彩りの雲が芒っと現れ、刻々とその色合いと形を変える。
反対側、つまり西の空はどうかと振り返ってみると、住宅と木立でよく見えない。
移動して西の空が見えるところまで行くと、遠くに大きく横に広がる積乱雲がー
私は完璧な展望を求めて、急いで岡本1丁目の坂を下り、2丁目の坂を上って、
某超有名女性シンガーYさんの家隣の3丁目の見晴らしが良い国分寺崖線際へと至り、
その入道雲と対面した。
いつ見ても入道雲はすてきであるが、今回は感激一入だった。
家を出る前に確認した神奈川県湘南地区の積乱雲こそ私が<今>目にしているもの
だったからだ。
南西の、間に町田や海老名、伊勢原などの諸都市が在り、
さらにいつも見える丹沢の山向こうの大磯や茅ヶ崎で発達しつつある雷雲が
60〜70キロメートルの遥か彼方ながらはっきり見える!
それがどうしただけれど、私には感動的だったのだよ。
そして砧公園の西を通ると、松林でヒグラシが鳴いていた。
先日の成城4丁目での鳴き声が聴き納めだったかと思っていたから、うれしかったなあ。
いよいよ明日また1つ歳を重ねるけれど、良いXX歳最後の夜明けであった。
東京都はall clearだが、相模湾およびそれに面する大磯あたりに積乱雲があり、
北上するような動きだった。
しかし私が自転車散歩から帰ってくるまでにこちらまでその入道雲がやってくる
ことはまずないと踏んで、2日ぶりにまずまずの好天下ペダルを踏み出した。
今朝は瀬田方面へ。
瀬田とは世田谷区の玉川地域に属する住宅地で、国道246号(玉川通り&青山通り)と
環状8号線が交わるところだけれど、道路から奥へ入ればすこぶる閑静である。
隣り合う岡本1丁目には仲代達矢さんの無名塾と住居が在るし、
また三菱創業者岩崎弥太郎ゆかりの静嘉堂文庫もあったりで、
小規模な川ながら谷戸川と丸子川が流れ、その河岸段丘というべき地形に立つ街と
言っていいだろう。
東雲(しののめ)、私は玉川病院の敷地にいた。
東雲とはよく言ったもので、夜明け前文字通り東の空の雲が真っ先に見えだす。
茜色が主ながら妖しい彩りの雲が芒っと現れ、刻々とその色合いと形を変える。
反対側、つまり西の空はどうかと振り返ってみると、住宅と木立でよく見えない。
移動して西の空が見えるところまで行くと、遠くに大きく横に広がる積乱雲がー
私は完璧な展望を求めて、急いで岡本1丁目の坂を下り、2丁目の坂を上って、
某超有名女性シンガーYさんの家隣の3丁目の見晴らしが良い国分寺崖線際へと至り、
その入道雲と対面した。
いつ見ても入道雲はすてきであるが、今回は感激一入だった。
家を出る前に確認した神奈川県湘南地区の積乱雲こそ私が<今>目にしているもの
だったからだ。
南西の、間に町田や海老名、伊勢原などの諸都市が在り、
さらにいつも見える丹沢の山向こうの大磯や茅ヶ崎で発達しつつある雷雲が
60〜70キロメートルの遥か彼方ながらはっきり見える!
それがどうしただけれど、私には感動的だったのだよ。
そして砧公園の西を通ると、松林でヒグラシが鳴いていた。
先日の成城4丁目での鳴き声が聴き納めだったかと思っていたから、うれしかったなあ。
いよいよ明日また1つ歳を重ねるけれど、良いXX歳最後の夜明けであった。
未明の地震
今朝未明、自転車で家を出ると昨日と全く同じパターンになった。
しかも雨の勢いは遥かに強く、10メートルも行かずにUターン。
太陽が本格的に気温を上げてしまう前に自転車乗りも散歩もしたいのだ。
だから未明や早朝に家を出る。
しかし2日連続で雨に阻まれてしまった。
そして今回は前段の話があった。
午前2時過ぎの地震、震源は神奈川東部だったそう。
世田谷だとほとんど直下地震だった。
この頃の起床時間より1時間早く、すっかり目が覚めてしまった。
まあ、関東での地震劇場の主役はフィリピン海プレートだろう。
それにぶつかる北米プレート&太平洋プレート、さらにユーラシアプレートとの軋りだ。
300万年前、関東平野の西の壁とも言える丹沢山地の元になった島々は
フィリピン海プレートに乗って、まだ海がちだったフォッサマグナへとやってきたのだ。
さらに伊豆半島の元となる火山島も続いてやってきた。
もちろん他の3プレートも<生きている>から、いつでも主役交代するだろう。
けれども<今>主役はフィリピン海プレート、準主役は太平洋プレートか。
しかしまあ、4つの巨大プレートがぶつかり合う日本列島ってすごいとしか
言いようがない。
その4つが接触し合うところは地下最深部ではどうか知らないが、さすがにない。
十字ないしはX字の境界線はない、ということだ。
しかし3叉(Y字境界)は2つ在って、その1つの接点は房総半島沖の日本海溝、
もう1つは長野県諏訪付近だ。
前者は、東に太平洋プレート、北に北米プレート、南にフィリピン海プレートの接点。
後者は、南にフィリピン海プレート、北に北米プレート、西にユーラシアプレートのだ。
関東の地震は、3.11のような太平洋プレートと北米プレートの軋みによるものと、
関東平野地下の北部まで延びようとしているフィリピン海プレートが北米プレートと
軋みを起こしてのもの、そして3プレートの交点での軋みによるものと言ってよい
だろうと思う(素人のくせに!)。
今回の地震は神奈川東部が震源、繰り返すが、
これは主にフィリピン海プレートの仕業だろう。
もちろんもっと規模の小さい、断層レベルの地震かも知れないが、
その断層だって結局のところプレートテクトニクス的な現象だ。
日本に住む以上、地震被害は必然。
こんなユニークな地学的、地震学的、気象学的島国に住んでいることを感謝して、
その「コスト」を払うときは払うしかない。
できるだけその「額」を小さくして。
しかも雨の勢いは遥かに強く、10メートルも行かずにUターン。
太陽が本格的に気温を上げてしまう前に自転車乗りも散歩もしたいのだ。
だから未明や早朝に家を出る。
しかし2日連続で雨に阻まれてしまった。
そして今回は前段の話があった。
午前2時過ぎの地震、震源は神奈川東部だったそう。
世田谷だとほとんど直下地震だった。
この頃の起床時間より1時間早く、すっかり目が覚めてしまった。
まあ、関東での地震劇場の主役はフィリピン海プレートだろう。
それにぶつかる北米プレート&太平洋プレート、さらにユーラシアプレートとの軋りだ。
300万年前、関東平野の西の壁とも言える丹沢山地の元になった島々は
フィリピン海プレートに乗って、まだ海がちだったフォッサマグナへとやってきたのだ。
さらに伊豆半島の元となる火山島も続いてやってきた。
もちろん他の3プレートも<生きている>から、いつでも主役交代するだろう。
けれども<今>主役はフィリピン海プレート、準主役は太平洋プレートか。
しかしまあ、4つの巨大プレートがぶつかり合う日本列島ってすごいとしか
言いようがない。
その4つが接触し合うところは地下最深部ではどうか知らないが、さすがにない。
十字ないしはX字の境界線はない、ということだ。
しかし3叉(Y字境界)は2つ在って、その1つの接点は房総半島沖の日本海溝、
もう1つは長野県諏訪付近だ。
前者は、東に太平洋プレート、北に北米プレート、南にフィリピン海プレートの接点。
後者は、南にフィリピン海プレート、北に北米プレート、西にユーラシアプレートのだ。
関東の地震は、3.11のような太平洋プレートと北米プレートの軋みによるものと、
関東平野地下の北部まで延びようとしているフィリピン海プレートが北米プレートと
軋みを起こしてのもの、そして3プレートの交点での軋みによるものと言ってよい
だろうと思う(素人のくせに!)。
今回の地震は神奈川東部が震源、繰り返すが、
これは主にフィリピン海プレートの仕業だろう。
もちろんもっと規模の小さい、断層レベルの地震かも知れないが、
その断層だって結局のところプレートテクトニクス的な現象だ。
日本に住む以上、地震被害は必然。
こんなユニークな地学的、地震学的、気象学的島国に住んでいることを感謝して、
その「コスト」を払うときは払うしかない。
できるだけその「額」を小さくして。
もう春の話
ポツポツくらいだった雨の中4時過ぎに自転車で家を出たら、
雨滴の密度が高くなってしまい、2キロくらい走って以降は断念、無念。
台風が九州から列島縦断のようなコースをとると予想されている。
どうなることやら。
みなさま、お気をつけて。
初秋の雨の景だって立派なものなのだけれど、写真や動画を撮るのはやはり
水に弱い機器を使うからどうしても気が重くなってしまう。
また当然暗いトーンの絵になってしまうからなあ。
それでもそういう<気分>の歌も私にはあるから、いつかしっかり撮ろう。
Spotifyで期間は知らないが最も再生回数が多かったビートルズの曲が
Here Comes the Sunだったという記事をチラッっと見出しだけ読んだ。
今の若者からの支持も絶大であろうことはYouTubeでのカバー状況でも分かる。
Long, cold, lonely winterがようやく終わり、春の到来の瞬間、その日を、
これほど見事に活写した歌、曲を私も知らない。
George HarrisonによるAbbey Roadでの楽曲がこれを含め、Somethingと2曲
(Ringoとの楽しい合作もあるが)、いずれも彼の最高傑作であり、
またビートルズというバンドの作品としても屈指の名曲だ。
そしてSpotifyでの再生回数だけで云えば、Hey Jude、Let It Be、Yesterday
などPaulによる<お定まり>の名曲を凌いだということになる。
Lennon-McCartneyという史上最高のポップ音楽創造duoの陰に隠れていたGeorgeー
バンド最後のアルバムで追いつき、追い越したという図式だ。
もう楽しみだー
鬼が笑わなければー
春の到来の日、私の感覚でその「瞬間」と思えるその時寸前に、
Vivaldiの「冬」を聴き終わり、直後ピタリとHere Comes the Sunの
あのacoustic guitarのイントロが流れるのだ!
とは云え、東京の冬と春の交代期は曖昧だ。
會津の田舎では何度もあった<あの日、あの瞬間>。
そう、Georgeの歌詞で言う「ice is slowly melting」と私が感じる瞬間だ。
そのとき、Georgeのこの歌が共にあった。
鬼よ、笑うな。
追記
私は冬も大好きですからね、念のため。
雨滴の密度が高くなってしまい、2キロくらい走って以降は断念、無念。
台風が九州から列島縦断のようなコースをとると予想されている。
どうなることやら。
みなさま、お気をつけて。
初秋の雨の景だって立派なものなのだけれど、写真や動画を撮るのはやはり
水に弱い機器を使うからどうしても気が重くなってしまう。
また当然暗いトーンの絵になってしまうからなあ。
それでもそういう<気分>の歌も私にはあるから、いつかしっかり撮ろう。
Spotifyで期間は知らないが最も再生回数が多かったビートルズの曲が
Here Comes the Sunだったという記事をチラッっと見出しだけ読んだ。
今の若者からの支持も絶大であろうことはYouTubeでのカバー状況でも分かる。
Long, cold, lonely winterがようやく終わり、春の到来の瞬間、その日を、
これほど見事に活写した歌、曲を私も知らない。
George HarrisonによるAbbey Roadでの楽曲がこれを含め、Somethingと2曲
(Ringoとの楽しい合作もあるが)、いずれも彼の最高傑作であり、
またビートルズというバンドの作品としても屈指の名曲だ。
そしてSpotifyでの再生回数だけで云えば、Hey Jude、Let It Be、Yesterday
などPaulによる<お定まり>の名曲を凌いだということになる。
Lennon-McCartneyという史上最高のポップ音楽創造duoの陰に隠れていたGeorgeー
バンド最後のアルバムで追いつき、追い越したという図式だ。
もう楽しみだー
鬼が笑わなければー
春の到来の日、私の感覚でその「瞬間」と思えるその時寸前に、
Vivaldiの「冬」を聴き終わり、直後ピタリとHere Comes the Sunの
あのacoustic guitarのイントロが流れるのだ!
とは云え、東京の冬と春の交代期は曖昧だ。
會津の田舎では何度もあった<あの日、あの瞬間>。
そう、Georgeの歌詞で言う「ice is slowly melting」と私が感じる瞬間だ。
そのとき、Georgeのこの歌が共にあった。
鬼よ、笑うな。
追記
私は冬も大好きですからね、念のため。
小さい秋も中くらいになりつつ
昨夜は義父主催の我が誕生日祝賀会(!)が某料理店であった。
もちろん(?)誕生日は30日なので前倒しであった。
松茸の土瓶蒸し、そして焼き松茸・・・
国産ではないだろうけれど、堪能した。
くだらない感慨のようだが、この茸をこういう料理でいただけることで、
そして燗酒を合わせていただくことで、日本に生まれて良かったと心から思うのだ。
松茸の堪能ー
このところ何年も我が誕生日会の恒例になっている。
これからもずっとずっと続けばいいなあ。
*
秋の鳴く虫でツヅレサセコオロギが主流になると秋も深まったことになる。
それが長く多摩川周辺に住んできた私の経験上の観察結果。
まあ、日本中どこでもそうかも知れないが。
今朝は一時的であろうけれど、ツヅレサセ君が目立ったなあ。
彼らが鳴くと寂寥感が募る。
でも大好きだ。
名の由来は、「綴れ刺せ」と針仕事して冬の着物の準備を促すコオロギ、
ということなのだ。
命名者は天才だ。
もちろん(?)誕生日は30日なので前倒しであった。
松茸の土瓶蒸し、そして焼き松茸・・・
国産ではないだろうけれど、堪能した。
くだらない感慨のようだが、この茸をこういう料理でいただけることで、
そして燗酒を合わせていただくことで、日本に生まれて良かったと心から思うのだ。
松茸の堪能ー
このところ何年も我が誕生日会の恒例になっている。
これからもずっとずっと続けばいいなあ。
*
秋の鳴く虫でツヅレサセコオロギが主流になると秋も深まったことになる。
それが長く多摩川周辺に住んできた私の経験上の観察結果。
まあ、日本中どこでもそうかも知れないが。
今朝は一時的であろうけれど、ツヅレサセ君が目立ったなあ。
彼らが鳴くと寂寥感が募る。
でも大好きだ。
名の由来は、「綴れ刺せ」と針仕事して冬の着物の準備を促すコオロギ、
ということなのだ。
命名者は天才だ。
2024 葉月雑記 6
目が覚めると、今シーズン最も涼しい朝だった。
やれうれしや。
さっきまでいた二子玉川の多摩川河川敷。
秋の鳴く虫たち、赤とんぼ、さまざまな鳥たちー
雨上がりの爽やかな朝を楽しんでいた(間違いない)。
いよいよ、少なくとも夜と朝は秋だ。
まもなく金木犀が香り出す。
するとまもなく紅葉が本格的になって、初冬、師走・・・
大好きな季節が来るけれど、また1年が終わってしまう。
*
兄のJohnと同様暗殺されたRobert Kennedyの息子がTrump支持へ。
彼の姉妹たちは「父」の政治姿勢、政治信念ににもとることと非難する声明出した。
そのJuniorの支持率5パーセントほどがそのままTrumpに行くのかといえば、
そうは問屋が卸さない。
Elon Muskだのこの人だの、一体どういう了見で最悪レベルのナルシシストに
「serve」するなんて言えるのかさっぱりわからない。
Trumpの妻、彼が今でも勝手にFirst Ladyと呼ぶMelaniaが全く公の場に出ない。
選挙中の夫を妻自身が応援していない形だ。
彼が「娘じゃなかったらデートしている」と宣ったIvankaも。
呆れ返ってしまってるんじゃないの。
いやはや、この人が元大統領で、現共和党の大統領候補とは。
初代共和党出身大統領のLincolnも真っ青だ。
*
伊藤匠叡王の就位式の様子をYouTubeで見た。
難攻不落を極めた史上最高の将棋の天才から一冠を奪った自信が明らかに彼に
落ち着きと余裕を与えた。
愛知県瀬戸市の方々が藤井七冠を熱烈応援するように、
世田谷の伊藤叡王を私は応援する。
叡王、お住まいは世田谷のどこなんですか?
*
差別の話が世界中に溢れかえっている。
差別する人間は、差別されてみるといいといつも思う。
まあ、と言うか、されたらどうだろうと思ってほしい。
そんな想像力がないからの差別なんだけれどね。
やれうれしや。
さっきまでいた二子玉川の多摩川河川敷。
秋の鳴く虫たち、赤とんぼ、さまざまな鳥たちー
雨上がりの爽やかな朝を楽しんでいた(間違いない)。
いよいよ、少なくとも夜と朝は秋だ。
まもなく金木犀が香り出す。
するとまもなく紅葉が本格的になって、初冬、師走・・・
大好きな季節が来るけれど、また1年が終わってしまう。
*
兄のJohnと同様暗殺されたRobert Kennedyの息子がTrump支持へ。
彼の姉妹たちは「父」の政治姿勢、政治信念ににもとることと非難する声明出した。
そのJuniorの支持率5パーセントほどがそのままTrumpに行くのかといえば、
そうは問屋が卸さない。
Elon Muskだのこの人だの、一体どういう了見で最悪レベルのナルシシストに
「serve」するなんて言えるのかさっぱりわからない。
Trumpの妻、彼が今でも勝手にFirst Ladyと呼ぶMelaniaが全く公の場に出ない。
選挙中の夫を妻自身が応援していない形だ。
彼が「娘じゃなかったらデートしている」と宣ったIvankaも。
呆れ返ってしまってるんじゃないの。
いやはや、この人が元大統領で、現共和党の大統領候補とは。
初代共和党出身大統領のLincolnも真っ青だ。
*
伊藤匠叡王の就位式の様子をYouTubeで見た。
難攻不落を極めた史上最高の将棋の天才から一冠を奪った自信が明らかに彼に
落ち着きと余裕を与えた。
愛知県瀬戸市の方々が藤井七冠を熱烈応援するように、
世田谷の伊藤叡王を私は応援する。
叡王、お住まいは世田谷のどこなんですか?
*
差別の話が世界中に溢れかえっている。
差別する人間は、差別されてみるといいといつも思う。
まあ、と言うか、されたらどうだろうと思ってほしい。
そんな想像力がないからの差別なんだけれどね。
The US Rice Appreciated
Mooさんのブログ最新記事を読んでいてー
あの日向灘地震と神奈川での立て続けの地震以来我が自宅周辺のスーパーでも米を
買えなくなっている。
この状態が続けば、我が家もあと10日ほどで米が尽きる。
新米が出始めるから、徐々にこの米不足は解消とかと聞くが、本当か。
Mooさんの言われるように収穫目前の稲が台風でやられたりしたら?
主食の流通すらを管理できない政府って、一体何をやっているんでしょうね。
米。
アメリカのことも指すなんて、外国人もびっくり。
「べいこく」って「米穀」でもあるし。
亜米利加という当て字で、「亜国」というのもナニだから2文字目を使ったのだ。
国産米が切れて、カリフォルニア米が売られているスーパーも。
米国産の米穀だ。
食糧の安全保障ももっと米国頼りになるのかなあ。
依存率88パーセント(八十八)とか。
コメった時の米国頼り。
核の傘にも入れてもらいつつ、食糧も大幅依存で、もう事実上51州目状態。
その米国から帰国したやすさん。
相変わらずのパワフルな、行動力が日本人離れしている(?)彼女のpositivityを
お裾分けしてもらいました。
日本は所詮アメリカの一部になんかなれない。
違いすぎる。
変にアメリカを持ち上げているのではない。
<国柄>が違いすぎるのだよ。
良い意味でself-assertive(自己主張的)でなければやっていけない米国。
そのことをやすさんの「what she has done so far in the US」で痛感する。
日本はやはり農耕社会的、内輪的、出しゃばらない主義の国。
農耕社会、村社会なのに、米穀を欠いてしまい、米国の米に頼る国。
皮肉なんてもんじゃない。
あの日向灘地震と神奈川での立て続けの地震以来我が自宅周辺のスーパーでも米を
買えなくなっている。
この状態が続けば、我が家もあと10日ほどで米が尽きる。
新米が出始めるから、徐々にこの米不足は解消とかと聞くが、本当か。
Mooさんの言われるように収穫目前の稲が台風でやられたりしたら?
主食の流通すらを管理できない政府って、一体何をやっているんでしょうね。
米。
アメリカのことも指すなんて、外国人もびっくり。
「べいこく」って「米穀」でもあるし。
亜米利加という当て字で、「亜国」というのもナニだから2文字目を使ったのだ。
国産米が切れて、カリフォルニア米が売られているスーパーも。
米国産の米穀だ。
食糧の安全保障ももっと米国頼りになるのかなあ。
依存率88パーセント(八十八)とか。
コメった時の米国頼り。
核の傘にも入れてもらいつつ、食糧も大幅依存で、もう事実上51州目状態。
その米国から帰国したやすさん。
相変わらずのパワフルな、行動力が日本人離れしている(?)彼女のpositivityを
お裾分けしてもらいました。
日本は所詮アメリカの一部になんかなれない。
違いすぎる。
変にアメリカを持ち上げているのではない。
<国柄>が違いすぎるのだよ。
良い意味でself-assertive(自己主張的)でなければやっていけない米国。
そのことをやすさんの「what she has done so far in the US」で痛感する。
日本はやはり農耕社会的、内輪的、出しゃばらない主義の国。
農耕社会、村社会なのに、米穀を欠いてしまい、米国の米に頼る国。
皮肉なんてもんじゃない。
Don't despair
G7に大きな関心はないけれど、しかし、民主主義国で経済力がトップクラスに
ある国々が毎年会合を持ち、世界の諸課題を話すのは意義があるに決まっている。
そのそれぞれのadvanced countriesのトップは、言うまでもなく、
さまざまな意味で優秀であるに<決まっている>。
何について語らせても、根拠を持った定見を鋭く語りうる人々だ。
その定見で各国首脳と語り合い、時に激しく論争する。
https://www.youtube.com/watch?v=BXZB5Tn_tgQ
上の人がそのG7会合に出るなんて、本当に信じられない。
この人がコロンビア大学の大学院を出た?
どうやって?
なぜ日本の政治家は、分不相応なのを省みずに重責を担おうなどとするのか。
陸奥宗光や吉田茂のような胆力と交渉力を持っているとでも言うのか?
「どうやって減らすのか」という問いに一言「減らすんです」と答え、
「さらにどうやって」と問われ、「環境省のみならず政府全体として減らす」と
素っ頓狂な答えをし、記者たちを呆れさせている(おそらく)中、
脱炭素のやり方は「sexy」にと彼が言ったとき、
彼の馬鹿笑いと隣の女性の愛想笑いだけが響く場面を見ていて本当に血の気が引いた。
この人が自民党の総裁候補ナンバー1?!
本当にもういい加減にしてほしい。
ロック音楽のギタリスト界隈に喩えれば、ミストーン出しまくりで、
指も固くてリズムも悪い、まともにソロを弾ける曲などひとつもないのに、
Jimmy PageやEric Clapton、Andy Summers、Brian May、Jeff Beckや
Eddie Van Halenらのソロ合戦に出てくるようなことだ。
恥ずかしい。
とことん恥ずかしい。
*
今朝のpotteringの距離は12〜13kmくらいだったか。
成城4丁目から狛江、五本松で多摩川に出て東進、宇奈根から鎌田、岡本、大蔵・・・
ペダル軽し
秋暁の
土手の道
ある国々が毎年会合を持ち、世界の諸課題を話すのは意義があるに決まっている。
そのそれぞれのadvanced countriesのトップは、言うまでもなく、
さまざまな意味で優秀であるに<決まっている>。
何について語らせても、根拠を持った定見を鋭く語りうる人々だ。
その定見で各国首脳と語り合い、時に激しく論争する。
https://www.youtube.com/watch?v=BXZB5Tn_tgQ
上の人がそのG7会合に出るなんて、本当に信じられない。
この人がコロンビア大学の大学院を出た?
どうやって?
なぜ日本の政治家は、分不相応なのを省みずに重責を担おうなどとするのか。
陸奥宗光や吉田茂のような胆力と交渉力を持っているとでも言うのか?
「どうやって減らすのか」という問いに一言「減らすんです」と答え、
「さらにどうやって」と問われ、「環境省のみならず政府全体として減らす」と
素っ頓狂な答えをし、記者たちを呆れさせている(おそらく)中、
脱炭素のやり方は「sexy」にと彼が言ったとき、
彼の馬鹿笑いと隣の女性の愛想笑いだけが響く場面を見ていて本当に血の気が引いた。
この人が自民党の総裁候補ナンバー1?!
本当にもういい加減にしてほしい。
ロック音楽のギタリスト界隈に喩えれば、ミストーン出しまくりで、
指も固くてリズムも悪い、まともにソロを弾ける曲などひとつもないのに、
Jimmy PageやEric Clapton、Andy Summers、Brian May、Jeff Beckや
Eddie Van Halenらのソロ合戦に出てくるようなことだ。
恥ずかしい。
とことん恥ずかしい。
*
今朝のpotteringの距離は12〜13kmくらいだったか。
成城4丁目から狛江、五本松で多摩川に出て東進、宇奈根から鎌田、岡本、大蔵・・・
ペダル軽し
秋暁の
土手の道
What Can I Give Back to Her(=America)
夏にさよならの雨、大雨ってありますよね。
長い人生で何回か経験してきました。
湿気は当然残るものの、気温は以降はっきり降下する。
今朝は昨朝にまして涼しいのです。
*
昨夜は仕事開始寸前までCNNのアメリカ民主党全国大会でのミシェル・オバマ
元大統領夫人とバラク・オバマ元大統領の演説を聴いていて、
あまりの二人のeloquenceに心何回も打たれて、その興奮がしずまらぬまま
Skype授業を始めたのでした。
生徒らにその感動を告げ、きっと録画を見るようにと訴えました。
歴史的な演説だったのは疑いようがない。
なんという夫婦でしょう。
この奇跡のようなカップルの二人の娘さんはどれほど優秀で、
compassionとempathyに溢れていることかと思わざるを得ません。
しかし二人も、カマラさんもティムさんも、もちろん強く意識しています。
知性、理性、人格のまともさ、人柄のあたたかさ、ユーモア、肯定的な人生への態度
などなど、全てで大差、いや比べることすら不可能なほどの違いがあるにも拘らず、
共和党の相手候補をそれでも支持する無茶苦茶な層が侮れぬ数でいることを。
日本の政治状況がただただ悲しい。
国民が希望を持てるプランを圧倒的な言語能力で力強く示せる政治家が一体
どこにいますか?
推薦人数トップらしいお坊ちゃん(とは言えもう40代か)がどうやって
このアメリカのHarris=Walz政権に渡り合っていけるというのでしょうか。
すさまじいほどの知性と経験がある大統領と副大統領は、
もしあのお坊ちゃんが首相にでもなったら、組み易いを超えてあまりの手応えのなさに
不安すら抱いてしまうのではないか。
Obamaさんが原爆投下の謝罪はせずとも広島に来て犠牲者へ哀悼の言葉を捧げたように、
Harrisさんなら辺野古のことでも、沖縄の長きにわたるあまりの負担偏重を鑑み、
なにかしらの打開策を共に探れるかもしれないチャンスなのに。
*
話は戻ってMr. & Mrs. Obamaの演説を聴いていて、
そして感動して涙し、また歓呼する大聴衆を見ていて、
我が歌「IS THIS AMERICA」をYouTubeに上げて、応援したいと心から思いました。
New Yorkのやすさんと望外に会えるようになったのは、そのことを話すためかとも。
きっとそうだ。
長い人生で何回か経験してきました。
湿気は当然残るものの、気温は以降はっきり降下する。
今朝は昨朝にまして涼しいのです。
*
昨夜は仕事開始寸前までCNNのアメリカ民主党全国大会でのミシェル・オバマ
元大統領夫人とバラク・オバマ元大統領の演説を聴いていて、
あまりの二人のeloquenceに心何回も打たれて、その興奮がしずまらぬまま
Skype授業を始めたのでした。
生徒らにその感動を告げ、きっと録画を見るようにと訴えました。
歴史的な演説だったのは疑いようがない。
なんという夫婦でしょう。
この奇跡のようなカップルの二人の娘さんはどれほど優秀で、
compassionとempathyに溢れていることかと思わざるを得ません。
しかし二人も、カマラさんもティムさんも、もちろん強く意識しています。
知性、理性、人格のまともさ、人柄のあたたかさ、ユーモア、肯定的な人生への態度
などなど、全てで大差、いや比べることすら不可能なほどの違いがあるにも拘らず、
共和党の相手候補をそれでも支持する無茶苦茶な層が侮れぬ数でいることを。
日本の政治状況がただただ悲しい。
国民が希望を持てるプランを圧倒的な言語能力で力強く示せる政治家が一体
どこにいますか?
推薦人数トップらしいお坊ちゃん(とは言えもう40代か)がどうやって
このアメリカのHarris=Walz政権に渡り合っていけるというのでしょうか。
すさまじいほどの知性と経験がある大統領と副大統領は、
もしあのお坊ちゃんが首相にでもなったら、組み易いを超えてあまりの手応えのなさに
不安すら抱いてしまうのではないか。
Obamaさんが原爆投下の謝罪はせずとも広島に来て犠牲者へ哀悼の言葉を捧げたように、
Harrisさんなら辺野古のことでも、沖縄の長きにわたるあまりの負担偏重を鑑み、
なにかしらの打開策を共に探れるかもしれないチャンスなのに。
*
話は戻ってMr. & Mrs. Obamaの演説を聴いていて、
そして感動して涙し、また歓呼する大聴衆を見ていて、
我が歌「IS THIS AMERICA」をYouTubeに上げて、応援したいと心から思いました。
New Yorkのやすさんと望外に会えるようになったのは、そのことを話すためかとも。
きっとそうだ。
今シーズン初オリオン
今朝も3時過ぎに目が覚めて、窓を開けると昨日書いた通りのことをしたら、
かなりはっきり室温と外気温の差を感じた。
初秋らしい外気温になっていたのだ。
そして月(満月?右下が少し欠けているような気もした)が煌々と輝いており、
これは今シーズン初のOrionが見られると勇んで外出ー
はい、東の空に右肩を下にしてあの冬空の勇者が寝そべって見えました!
この頃聞かなかったヒグラシが<古畑任三郎>邸直近の緑地で鳴いていて、
「ああ、まださようならじゃなかったんだ」とうれしかったけれども、
今度こそ聴き納めかもしれないと思い直してみると、彼らの歌が悲しく響いた。
そんなこんなの中、New York在住のやすさんからメールが来て、
突如帰国(というか来日というか)するので食事でも、と。
彼女は私がまさか国分寺崖線辺りにいて、月とオリオン、ヒグラシと秋の虫の音を
聴きながら返信しているとは思っていないだろうなと。
See you thenと書いて私は静かに笑ったさ。
涼しいと思っていたけれど、やはり大汗をかいた。
湿気は昨日ほどではなかったけれど、蒸し暑かった。
ニュースでは北海道の北部がかなり冷えたらしい。
東京もさすがに猛暑日はもう来ないとか。
よかったなあと思っていると9月で、そしてそこからあれよあれよと1年の4分の3が
終わっているんだ。
ぎゃ~。
かなりはっきり室温と外気温の差を感じた。
初秋らしい外気温になっていたのだ。
そして月(満月?右下が少し欠けているような気もした)が煌々と輝いており、
これは今シーズン初のOrionが見られると勇んで外出ー
はい、東の空に右肩を下にしてあの冬空の勇者が寝そべって見えました!
この頃聞かなかったヒグラシが<古畑任三郎>邸直近の緑地で鳴いていて、
「ああ、まださようならじゃなかったんだ」とうれしかったけれども、
今度こそ聴き納めかもしれないと思い直してみると、彼らの歌が悲しく響いた。
そんなこんなの中、New York在住のやすさんからメールが来て、
突如帰国(というか来日というか)するので食事でも、と。
彼女は私がまさか国分寺崖線辺りにいて、月とオリオン、ヒグラシと秋の虫の音を
聴きながら返信しているとは思っていないだろうなと。
See you thenと書いて私は静かに笑ったさ。
涼しいと思っていたけれど、やはり大汗をかいた。
湿気は昨日ほどではなかったけれど、蒸し暑かった。
ニュースでは北海道の北部がかなり冷えたらしい。
東京もさすがに猛暑日はもう来ないとか。
よかったなあと思っていると9月で、そしてそこからあれよあれよと1年の4分の3が
終わっているんだ。
ぎゃ~。
2024 葉月雑記 5
東京は昨夜来の雨で、今朝はそれなり涼しかった。
これは自転車でなくて、散歩で良いかもと家を出たが、
案の定猛烈な湿気で不快指数マックスとなって、後悔するハメに。
それでも朝限定ながら初秋の<雰囲気>は感じられるようになってきた。
この頃の朝のルーティンは、窓を開けて室内気温との差を手や顔で感じること。
外の方が低い朝が来れば、いよいよ秋だと実感するのだ。
残念ながらはっきり外が涼しいと感じる日は未だ来ていない。
砧公園の「サイクリングコース」は事実上ジョギングコースになっているのだが、
今朝も早よから多くの人が走っていた。
年齢層が高く、「ようやりまんなあ」と感心しきり。
みなさんスリムでらして、運動の成果ですけど、今度は逆に朝からそないに
体酷使して大丈夫でっかと心配になってもうた。
ヒトっちゅうのは、毎朝そないに走るようにはでけてないのんとちゃいまっか。
*
立憲民主党のある超高学歴を誇る議員が、「差別のない(=ゼロ)社会を目指す」と
いう党是を「ゼロを目指す振り」をする「様式美」と宣い、顰蹙を買っている。
現実に差別などゼロになるはずがないのだから、欺瞞を止め、達成可能な目標を
設定するのが良いと言うのだけれど、現実はその通りだと私も思うけれど、
差別根絶を目指すことを「様式美」と言い、さらに「旧日本軍の精神主義と似通」う
などと言うに至ってはついていけない。
「差別ゼロ社会は理想であり、それを追い求めることは大事なことですけれど、
現実を見ながら実現に向け対処可能なところから始めていくということで、
みなさん一緒に努力しましょう」などと書けばいいものをと思うのだが、
どうだろうか。その表現のしかたで何か彼の主張と乖離があるのだろうか。
冷笑的な物言いをして政治が進むと思っているなら、政治家ではなく、
評論家でもやっていればいいものを。
しかもこの衆議院議員は、お連れ合い共々自分らが差別主義者(racist)ではないと
いう主張の中、「私には在日朝鮮人の友人がいる」という禁じ手の論法を使ったのだ。
「I'm not racist; I have black friends」はWikiにも載っている、
己が差別主義者ではないとする欺瞞的な理屈として有名だ。
*
しかしまあ、不正を党ぐるみと言っていいレベルでやっておきながら、
きちんと後始末もせず、「新しい自民党をつくる」なんて言って総裁選が始まる。
これほどケジメがない状況を政府を担う人間たちが生み出しておいて、
厚顔無恥にも勝手に再スタートと宣っている。
野党第一党がそして政権交代を期待させる動きを見せない。
その中で、この覇気のない冷笑的な政治家がますます党のイメージを損なっている。
あ〜あ、だ。
これは自転車でなくて、散歩で良いかもと家を出たが、
案の定猛烈な湿気で不快指数マックスとなって、後悔するハメに。
それでも朝限定ながら初秋の<雰囲気>は感じられるようになってきた。
この頃の朝のルーティンは、窓を開けて室内気温との差を手や顔で感じること。
外の方が低い朝が来れば、いよいよ秋だと実感するのだ。
残念ながらはっきり外が涼しいと感じる日は未だ来ていない。
砧公園の「サイクリングコース」は事実上ジョギングコースになっているのだが、
今朝も早よから多くの人が走っていた。
年齢層が高く、「ようやりまんなあ」と感心しきり。
みなさんスリムでらして、運動の成果ですけど、今度は逆に朝からそないに
体酷使して大丈夫でっかと心配になってもうた。
ヒトっちゅうのは、毎朝そないに走るようにはでけてないのんとちゃいまっか。
*
立憲民主党のある超高学歴を誇る議員が、「差別のない(=ゼロ)社会を目指す」と
いう党是を「ゼロを目指す振り」をする「様式美」と宣い、顰蹙を買っている。
現実に差別などゼロになるはずがないのだから、欺瞞を止め、達成可能な目標を
設定するのが良いと言うのだけれど、現実はその通りだと私も思うけれど、
差別根絶を目指すことを「様式美」と言い、さらに「旧日本軍の精神主義と似通」う
などと言うに至ってはついていけない。
「差別ゼロ社会は理想であり、それを追い求めることは大事なことですけれど、
現実を見ながら実現に向け対処可能なところから始めていくということで、
みなさん一緒に努力しましょう」などと書けばいいものをと思うのだが、
どうだろうか。その表現のしかたで何か彼の主張と乖離があるのだろうか。
冷笑的な物言いをして政治が進むと思っているなら、政治家ではなく、
評論家でもやっていればいいものを。
しかもこの衆議院議員は、お連れ合い共々自分らが差別主義者(racist)ではないと
いう主張の中、「私には在日朝鮮人の友人がいる」という禁じ手の論法を使ったのだ。
「I'm not racist; I have black friends」はWikiにも載っている、
己が差別主義者ではないとする欺瞞的な理屈として有名だ。
*
しかしまあ、不正を党ぐるみと言っていいレベルでやっておきながら、
きちんと後始末もせず、「新しい自民党をつくる」なんて言って総裁選が始まる。
これほどケジメがない状況を政府を担う人間たちが生み出しておいて、
厚顔無恥にも勝手に再スタートと宣っている。
野党第一党がそして政権交代を期待させる動きを見せない。
その中で、この覇気のない冷笑的な政治家がますます党のイメージを損なっている。
あ〜あ、だ。
Black Sentiment Matters
クラシック音楽をこよなく愛するとは到底言い難いし、
通なことを言えるほどの知識や経験はほとんどない。
けれど父が、平凡社のだったか、毎月送ってくる豪華解説アルバム付きの
クラシック音楽の精華集とも言うべきレコードを聴くというなかなか優雅な年月が
あって、私もご相伴に与った。
父はそのレコード集を聴くため、弟(私の叔父)が継いだ電器屋から東芝Bostonという
当時最新鋭のステレオも買って、息子・娘を喜ばせた。
音楽の授業でとにかく感動した『くるみ割り人形』がチャイコフスキー編のレコードに
あると父から聞いて、とうとうそれが届いたときはBeatlesの新曲に勝るとも劣らぬ
うれしさで針を落とした。
『くるみ割り人形』に魅せられたのは、やはり第一に組曲だったからだと思う。
Beatlesのアルバムはまさに組曲だったから、比較的短いとりどりの曲が連続して聴けて
最後には「なるほどこの曲こそ」という絢爛なpieceで大団円を迎えるー
長い楽章をずっと聴いているのはまだまだ無理な小学生であった。
むろん(?)ベートーヴェンも好きだった。
何より『田園』が好きで、それは會津の五月の風情に合っていたからだ。
他にケテルビーの『ペルシアの市場にて』、グリーグの『ペールギュント』1、2楽章、
プロコフィエフの『ピーターと狼』などが大好きだった。
みな音楽の授業で聴いて感動したものだ。
しかし私はクラシックの大ファンにはならなかった。
子どもとして深入りはできなかったし、思春期に入ってますますrockやpopsに
ハマっていったからだ。
YouTubeのおすすめで西本智美さん指揮によるドボルザークの交響曲第9番を聴いた。
あの有名すぎる第2楽章Largoと第4楽章Allegro con fuocoがある『新世界』だ。
Largoを聴いていて、小学校校庭の夕暮れを思い出さない人がどれほどいるだろう。
もちろん日本独特のことかもしれないが。
私の母校は統合されてしまい、明治5年学制開始以来の歴史を閉じてしまっている。
西条八十作詞のすばらしい校歌ももう歌われなくなって久しい。
私の家族全員の母校でもあった。
小学校と、同じ町内の先輩後輩との遊び仲間サークルが「全世界」だった頃。
午後5時だったか、「家路(=Largo)」が校庭に流れた。
下校して再び学校の校庭へ行き主に球技をして遊んだ日々。
小学生であっても募る憂愁の日があった。
ドボルザークはチェコの人、あのメロディーはチェコ人の歌心と信じていたが、
Wikiなどを読むと、黒人霊歌などの影響があると言うのだ。
彼はアメリカで「国民楽派」の技量発揮を期待されたのだった。
だから「新世界」か、と納得。
スラブ人であるチェコの作曲家とアメリカに奴隷として連れられてきたアフリカ人の
詩情が融合したということか。
プレスリーの音楽だってBeatlesのだってStonesのだって、黒人音楽なくてはなかった。
黒人音楽は全人類の郷愁を誘うー
センティメントやポエジーの故郷か。
だってホモ・サピエンスの故郷だものな、アフリカは。
通なことを言えるほどの知識や経験はほとんどない。
けれど父が、平凡社のだったか、毎月送ってくる豪華解説アルバム付きの
クラシック音楽の精華集とも言うべきレコードを聴くというなかなか優雅な年月が
あって、私もご相伴に与った。
父はそのレコード集を聴くため、弟(私の叔父)が継いだ電器屋から東芝Bostonという
当時最新鋭のステレオも買って、息子・娘を喜ばせた。
音楽の授業でとにかく感動した『くるみ割り人形』がチャイコフスキー編のレコードに
あると父から聞いて、とうとうそれが届いたときはBeatlesの新曲に勝るとも劣らぬ
うれしさで針を落とした。
『くるみ割り人形』に魅せられたのは、やはり第一に組曲だったからだと思う。
Beatlesのアルバムはまさに組曲だったから、比較的短いとりどりの曲が連続して聴けて
最後には「なるほどこの曲こそ」という絢爛なpieceで大団円を迎えるー
長い楽章をずっと聴いているのはまだまだ無理な小学生であった。
むろん(?)ベートーヴェンも好きだった。
何より『田園』が好きで、それは會津の五月の風情に合っていたからだ。
他にケテルビーの『ペルシアの市場にて』、グリーグの『ペールギュント』1、2楽章、
プロコフィエフの『ピーターと狼』などが大好きだった。
みな音楽の授業で聴いて感動したものだ。
しかし私はクラシックの大ファンにはならなかった。
子どもとして深入りはできなかったし、思春期に入ってますますrockやpopsに
ハマっていったからだ。
YouTubeのおすすめで西本智美さん指揮によるドボルザークの交響曲第9番を聴いた。
あの有名すぎる第2楽章Largoと第4楽章Allegro con fuocoがある『新世界』だ。
Largoを聴いていて、小学校校庭の夕暮れを思い出さない人がどれほどいるだろう。
もちろん日本独特のことかもしれないが。
私の母校は統合されてしまい、明治5年学制開始以来の歴史を閉じてしまっている。
西条八十作詞のすばらしい校歌ももう歌われなくなって久しい。
私の家族全員の母校でもあった。
小学校と、同じ町内の先輩後輩との遊び仲間サークルが「全世界」だった頃。
午後5時だったか、「家路(=Largo)」が校庭に流れた。
下校して再び学校の校庭へ行き主に球技をして遊んだ日々。
小学生であっても募る憂愁の日があった。
ドボルザークはチェコの人、あのメロディーはチェコ人の歌心と信じていたが、
Wikiなどを読むと、黒人霊歌などの影響があると言うのだ。
彼はアメリカで「国民楽派」の技量発揮を期待されたのだった。
だから「新世界」か、と納得。
スラブ人であるチェコの作曲家とアメリカに奴隷として連れられてきたアフリカ人の
詩情が融合したということか。
プレスリーの音楽だってBeatlesのだってStonesのだって、黒人音楽なくてはなかった。
黒人音楽は全人類の郷愁を誘うー
センティメントやポエジーの故郷か。
だってホモ・サピエンスの故郷だものな、アフリカは。
九月からまた頑張ります
今朝は4時過ぎに自転車乗りに出た。
夏至からもう2ヶ月近く経ったのだ、当然日の出に程遠い。
しかしそれがいいのだ。
秋の虫たちの声を聞くなら、暗い方が好都合だ。
砧公園もいいのだが、二子玉川の多摩川河川敷へと向かった。
途中の小さな公園の木々ではアオマツムシが鳴いている。
何度も言うが、この最近の外来種の鳴き声は好きなれない。
東京でスズムシはまず出会えないので、今最も聴きたいのはエンマコオロギによる
涼しげな木管楽器のごとき音の連符。
たくさん聞けた。
台風が去って以来、やはり空気が入れ替わったので少し涼しい。
涼しいけれど、湿度が高くてやはり本格的初秋とは言いがたい。
狛江を経て成城4丁目の野川へ。
夜は明けたけれど、どんよりした空。
丘からの眺めでも、視界は多摩丘陵止まり。
*
音楽活動が停滞している。
私の責任だ。
お願いしている楽友たちがきっと頑張ってくれているところで、
私が次の展望を拓けないでいる。
楽友たちが仕事の合間を縫って協力してくれている中、
私は私の作業をしなければいけないのに、過日の音楽会以来、何もしていない。
夏期講習ということもあるのだけれど。
誕生日が過ぎて9月に入り、夏休みをいただいてから、9月第2週より
また作業を進めていく。
そう誓う。
夏至からもう2ヶ月近く経ったのだ、当然日の出に程遠い。
しかしそれがいいのだ。
秋の虫たちの声を聞くなら、暗い方が好都合だ。
砧公園もいいのだが、二子玉川の多摩川河川敷へと向かった。
途中の小さな公園の木々ではアオマツムシが鳴いている。
何度も言うが、この最近の外来種の鳴き声は好きなれない。
東京でスズムシはまず出会えないので、今最も聴きたいのはエンマコオロギによる
涼しげな木管楽器のごとき音の連符。
たくさん聞けた。
台風が去って以来、やはり空気が入れ替わったので少し涼しい。
涼しいけれど、湿度が高くてやはり本格的初秋とは言いがたい。
狛江を経て成城4丁目の野川へ。
夜は明けたけれど、どんよりした空。
丘からの眺めでも、視界は多摩丘陵止まり。
*
音楽活動が停滞している。
私の責任だ。
お願いしている楽友たちがきっと頑張ってくれているところで、
私が次の展望を拓けないでいる。
楽友たちが仕事の合間を縫って協力してくれている中、
私は私の作業をしなければいけないのに、過日の音楽会以来、何もしていない。
夏期講習ということもあるのだけれど。
誕生日が過ぎて9月に入り、夏休みをいただいてから、9月第2週より
また作業を進めていく。
そう誓う。
成城3、4丁目讃歌
台風一過で空は澄み渡っている。
しかし暑い。
成城方面へpotteringに出て、仙川沿いなどで多くの高齢者とすれ違った。
「あ、俺もそうか」と気づく。
しかし多くが私より先輩だと・・・信じたい。
成城7丁目の仙川沿いの街並みは、成城の核心2、3、4、5、6丁目に比べれば
「成城協定」もないところだから余裕ある敷地を持つ家は少なく、
密集度が高いのだが、居住者の品の良さを感じる佇まいがある。
歩道の木々は多種ではあるが、今は百日紅が十数メートルおきにあって、
色とりどりの花をつけ、青い空との対照美しく、心和ませてくれる。
そこから9丁目を経て、4丁目、3丁目と自転車散歩は続く。
私の成城讃歌は縁がない人間の羨望の発露でしかないと思われるかもしれない。
まあ、羨望がないはずもないので、それは認めてもちっとも構わないけれど、
そんなことより、国分寺崖線の環境を極力守りつつの居住者らの生活ぶりが好ましく、
この点こそが私の成城讃歌の肝心なところなのだ。
豪邸だらけの3丁目に信号のある交差点があって、
その交差するいずれの道路も交通量は昼でも少ない。
早朝ともなればほとんどないと言っても過言ではないところだ。
そこへ私が差しかかる数十メートル前、ジョギングする40代と思しき男性が、
赤信号を守って、スポーツ・ウォッチを見たり、
いじったりしつつ横断歩道の端にいるのだ。
信号が青になって、彼は走り出した。
交通法規遵守、当たり前のことだけれど、私は感心した。
そのまま進んで、やはり3丁目、左に曲がってまっすぐ数百メートル行けば
成城学園前駅の南口に通じる交差点で、
今度は女子高校生が同じように信号をしっかり遵守するー
先のjoggerの時と同様、一台のクルマも通らないという状況でだ。
感心は感動に変わった。
「民度」という言葉を使うのはよほど慎重でなければならないと常々思っているが、
そしてむろんあの辺りの住人でも例外はいるに違いないのだろうけれど、
成城の特に国分寺崖線付近の3丁目、4丁目の民度は高い、と感じる。
今朝のことばかりではない。
狛江市東野川に住んでいたもう30年以上前からずっと成城のこの地区にも頻繁に
足を運んできての感想だ。
なるほど都内屈指の<高級>住宅地であるはずだ。
その3丁目や4丁目の国分寺崖線際から見えた富士はすばらしかった。
はっきりくっきり。
住民たちはこの気高い眺めを求め、崖線の木立がもたらす静謐、
崖線下の水(野川)の潤いを求めたがゆえにここに居を構えたのだ。
もう一回。
なるほど都内屈指の<高級>住宅地であるはずだ。
しかし暑い。
成城方面へpotteringに出て、仙川沿いなどで多くの高齢者とすれ違った。
「あ、俺もそうか」と気づく。
しかし多くが私より先輩だと・・・信じたい。
成城7丁目の仙川沿いの街並みは、成城の核心2、3、4、5、6丁目に比べれば
「成城協定」もないところだから余裕ある敷地を持つ家は少なく、
密集度が高いのだが、居住者の品の良さを感じる佇まいがある。
歩道の木々は多種ではあるが、今は百日紅が十数メートルおきにあって、
色とりどりの花をつけ、青い空との対照美しく、心和ませてくれる。
そこから9丁目を経て、4丁目、3丁目と自転車散歩は続く。
私の成城讃歌は縁がない人間の羨望の発露でしかないと思われるかもしれない。
まあ、羨望がないはずもないので、それは認めてもちっとも構わないけれど、
そんなことより、国分寺崖線の環境を極力守りつつの居住者らの生活ぶりが好ましく、
この点こそが私の成城讃歌の肝心なところなのだ。
豪邸だらけの3丁目に信号のある交差点があって、
その交差するいずれの道路も交通量は昼でも少ない。
早朝ともなればほとんどないと言っても過言ではないところだ。
そこへ私が差しかかる数十メートル前、ジョギングする40代と思しき男性が、
赤信号を守って、スポーツ・ウォッチを見たり、
いじったりしつつ横断歩道の端にいるのだ。
信号が青になって、彼は走り出した。
交通法規遵守、当たり前のことだけれど、私は感心した。
そのまま進んで、やはり3丁目、左に曲がってまっすぐ数百メートル行けば
成城学園前駅の南口に通じる交差点で、
今度は女子高校生が同じように信号をしっかり遵守するー
先のjoggerの時と同様、一台のクルマも通らないという状況でだ。
感心は感動に変わった。
「民度」という言葉を使うのはよほど慎重でなければならないと常々思っているが、
そしてむろんあの辺りの住人でも例外はいるに違いないのだろうけれど、
成城の特に国分寺崖線付近の3丁目、4丁目の民度は高い、と感じる。
今朝のことばかりではない。
狛江市東野川に住んでいたもう30年以上前からずっと成城のこの地区にも頻繁に
足を運んできての感想だ。
なるほど都内屈指の<高級>住宅地であるはずだ。
その3丁目や4丁目の国分寺崖線際から見えた富士はすばらしかった。
はっきりくっきり。
住民たちはこの気高い眺めを求め、崖線の木立がもたらす静謐、
崖線下の水(野川)の潤いを求めたがゆえにここに居を構えたのだ。
もう一回。
なるほど都内屈指の<高級>住宅地であるはずだ。
When I Get Home
台風接近中、940ヘクトパスカル辺りでの関東沖襲来だそう。
これほどの低い気圧で関東へ来るのは例がないとある気象予報士が言っていた。
怖いのは暴風だ。
どうなることか。
*
誕生日が近くなってきて、あらためて爺さんになったなあと実感するのは、
Beatlesを聴くとあまりの感動で嗚咽してしまうときだ。
Nowhere Manなどは、もう、どうにもならない。
この曲を兄弟で聴いていた1966年、当時のプレイヤーがあった2階の部屋の様子が
脳裏に浮かんでくる。家はその後建て直しをしたから、跡形もない。
そのレコードを買ってきた本人の長兄が、この歌を何度も聴き、
歌詞カードを見ながら歌ったとき、どんな想いだったのだろうか。
もうその兄はいない。
そしてもちろんこの歌を作り歌ったJohn Lennonだ。
空前のスターダムに伸し上がりながら、「どこにもいない男」である「彼」と言いつつ、
自分のことを歌ったのだ。
PaulもGeorgeもRingoも最高のパフォーマンスを聴かせてくれる。
これしかないというベース・プレイ、ギター・プレイ、ドラムス・プレイで
Johnの歌世界に貢献するのだ。
当時私は小3か小4、いくら5、6歳でBeatlesの洗礼を受けていたとは云え、
あまりの曲の凄さに圧倒されたことをありあり思い出す。
いきなりの圧倒的なアカペラ3部合唱、Fender StratocasterをGeorgeとJohnが
ユニゾンで弾いたソロは圧巻で、ギラギラキラキラなtreble音が骨の髄まで響き、
振動し、「こんな音、聞いたことがない!」と何度も何度もプレイバックしてほとんど
中毒になった。そしてどれほどエレキギターが欲しくなったことか!
もちろん私を泣かせるのはNowhere Manだけではない。
Beatlesのそれぞれの曲に結びつく<あの風景、あの寒暖、湿度、あの思い>がある。
例えばPenny Laneは、中2の時、初めて自転車で會津盆地へと遠征した
帰りの、藤峠辺りでヒーヒー言いながらも、いよいよ我が町まで下りばかりになるぞ
という歓喜と結びついている。
その23年後、Liverpoolを訪れてPenny Laneを実際に歩き、
ウォークマンでそのPaulの傑作を聴きながらも、故郷の藤峠を思い出していた。
帰省は九月になるが、Beatlesを思い出の場所で思い切り聴こう。
これほどの低い気圧で関東へ来るのは例がないとある気象予報士が言っていた。
怖いのは暴風だ。
どうなることか。
*
誕生日が近くなってきて、あらためて爺さんになったなあと実感するのは、
Beatlesを聴くとあまりの感動で嗚咽してしまうときだ。
Nowhere Manなどは、もう、どうにもならない。
この曲を兄弟で聴いていた1966年、当時のプレイヤーがあった2階の部屋の様子が
脳裏に浮かんでくる。家はその後建て直しをしたから、跡形もない。
そのレコードを買ってきた本人の長兄が、この歌を何度も聴き、
歌詞カードを見ながら歌ったとき、どんな想いだったのだろうか。
もうその兄はいない。
そしてもちろんこの歌を作り歌ったJohn Lennonだ。
空前のスターダムに伸し上がりながら、「どこにもいない男」である「彼」と言いつつ、
自分のことを歌ったのだ。
PaulもGeorgeもRingoも最高のパフォーマンスを聴かせてくれる。
これしかないというベース・プレイ、ギター・プレイ、ドラムス・プレイで
Johnの歌世界に貢献するのだ。
当時私は小3か小4、いくら5、6歳でBeatlesの洗礼を受けていたとは云え、
あまりの曲の凄さに圧倒されたことをありあり思い出す。
いきなりの圧倒的なアカペラ3部合唱、Fender StratocasterをGeorgeとJohnが
ユニゾンで弾いたソロは圧巻で、ギラギラキラキラなtreble音が骨の髄まで響き、
振動し、「こんな音、聞いたことがない!」と何度も何度もプレイバックしてほとんど
中毒になった。そしてどれほどエレキギターが欲しくなったことか!
もちろん私を泣かせるのはNowhere Manだけではない。
Beatlesのそれぞれの曲に結びつく<あの風景、あの寒暖、湿度、あの思い>がある。
例えばPenny Laneは、中2の時、初めて自転車で會津盆地へと遠征した
帰りの、藤峠辺りでヒーヒー言いながらも、いよいよ我が町まで下りばかりになるぞ
という歓喜と結びついている。
その23年後、Liverpoolを訪れてPenny Laneを実際に歩き、
ウォークマンでそのPaulの傑作を聴きながらも、故郷の藤峠を思い出していた。
帰省は九月になるが、Beatlesを思い出の場所で思い切り聴こう。
2024年8月15日に思う
およそ310万の命が奪われた15年にわたる先の戦争に日本が敗れて79年。
つまり79年間は一応平和なままだった、ということにもなる。
私は徴兵されることもなく生きて来られた。
ありがたい、幸福な世代に生まれたと言っていい。
だからこそ、この平和をつないでいかなければならないと思ってきた。
そのために何ができたかと問われれば恥入るところもある。
それでも、無力感を抱えつつも、Peace & Loveを歌っていくしかない。
黙祷。
*
台風が明日関東を襲うという。
地震が伴うことはないのだろうか。
何があってもおかしくはない。
There is no telling what will happen.
昨日高2の諸君に「動名詞」のことをお話ししながら引いた例文だ。
戦争は天災と違って避けうる・・・
そう思いつつ、戦争をしてしまう人間の性がnaturalなことだったら、とふと思った。
*
「a convicted felon」ー既決重犯罪者。
GOP(Grand Old Party=Republican Party)という歴史あるアメリカの政党が、
convicted felonを党首、大統領候補に戴いて選挙戦に入っていることの異常。
「Republicans for Harris」という良心のある共和党員が糾合しているようだが、
信じがたい人物が一度は大統領になったのだからアメリカは病んでいるとしか
言いようがなかったし、再選を今も目指しているのだから、ほとんど狂気だ。
翻って日本はどうだ。
首相候補が世襲議員だらけで唖然とする。
世襲でもまだ能力があり、国民へのcompassionがあればと思うが、
候補の顔ぶれを見ていてうんざりする。
なんでこれだけの不祥事をしでかしてきた政党がのうのうと次期内閣のことを云々
できるのか。
少なくとも2つの「先進国」のこれが実態だ。
Kamalaが言う「We're not going back!」の決意、思いが、
アメリカを覆い、日本にも伝播したらいいなと願う。
*
YouTubeを見ていると、もちろん私の嗜好に合わせての「おすすめ」なのだが、
アメリカで「七人の侍」の4K版が劇場で見られるというtrailerを目にした。
世界中に「史上最高の映画」と絶賛する人がいるのだ。
コメントを読んでいると涙が出る。
志村喬さん演じる勘兵衛が、縁もゆかりもない農民の子を救うため、
侍の象徴たる髷を落とし、剃髪し、僧侶になりすますシーンは
世田谷区大蔵に在った東宝のオープンセットで撮影された。
剃髪のための湿りには、そこを流れる仙川の水が使われた。
子を人質にした悪党は、水戸黄門役で有名な東野英治郎さんが演じた。
オープンセットのすぐ近くには「はけ(国分寺崖線下の湧水)」があり、
今は親水公園のようになり、私の安らぎの場のひとつだ。
菊千代(=三船敏郎さん)が、戦火の中、泣き叫ぶ小さな子を抱いて、
「この子は俺だ、俺もこの通りだったんだ!」と言って号泣するシーンがある。
彼は侍ではなく、百姓の倅であったのだ。
そしてやはり戦国の混乱の中、武器を持つ輩に村を、親を蹂躙された過去があったのだ。
ガザで生まれたばかりの双子を失った父親の痛ましい慟哭の様子がXで流れた。
重なった。
愚かな人類め!
つまり79年間は一応平和なままだった、ということにもなる。
私は徴兵されることもなく生きて来られた。
ありがたい、幸福な世代に生まれたと言っていい。
だからこそ、この平和をつないでいかなければならないと思ってきた。
そのために何ができたかと問われれば恥入るところもある。
それでも、無力感を抱えつつも、Peace & Loveを歌っていくしかない。
黙祷。
*
台風が明日関東を襲うという。
地震が伴うことはないのだろうか。
何があってもおかしくはない。
There is no telling what will happen.
昨日高2の諸君に「動名詞」のことをお話ししながら引いた例文だ。
戦争は天災と違って避けうる・・・
そう思いつつ、戦争をしてしまう人間の性がnaturalなことだったら、とふと思った。
*
「a convicted felon」ー既決重犯罪者。
GOP(Grand Old Party=Republican Party)という歴史あるアメリカの政党が、
convicted felonを党首、大統領候補に戴いて選挙戦に入っていることの異常。
「Republicans for Harris」という良心のある共和党員が糾合しているようだが、
信じがたい人物が一度は大統領になったのだからアメリカは病んでいるとしか
言いようがなかったし、再選を今も目指しているのだから、ほとんど狂気だ。
翻って日本はどうだ。
首相候補が世襲議員だらけで唖然とする。
世襲でもまだ能力があり、国民へのcompassionがあればと思うが、
候補の顔ぶれを見ていてうんざりする。
なんでこれだけの不祥事をしでかしてきた政党がのうのうと次期内閣のことを云々
できるのか。
少なくとも2つの「先進国」のこれが実態だ。
Kamalaが言う「We're not going back!」の決意、思いが、
アメリカを覆い、日本にも伝播したらいいなと願う。
*
YouTubeを見ていると、もちろん私の嗜好に合わせての「おすすめ」なのだが、
アメリカで「七人の侍」の4K版が劇場で見られるというtrailerを目にした。
世界中に「史上最高の映画」と絶賛する人がいるのだ。
コメントを読んでいると涙が出る。
志村喬さん演じる勘兵衛が、縁もゆかりもない農民の子を救うため、
侍の象徴たる髷を落とし、剃髪し、僧侶になりすますシーンは
世田谷区大蔵に在った東宝のオープンセットで撮影された。
剃髪のための湿りには、そこを流れる仙川の水が使われた。
子を人質にした悪党は、水戸黄門役で有名な東野英治郎さんが演じた。
オープンセットのすぐ近くには「はけ(国分寺崖線下の湧水)」があり、
今は親水公園のようになり、私の安らぎの場のひとつだ。
菊千代(=三船敏郎さん)が、戦火の中、泣き叫ぶ小さな子を抱いて、
「この子は俺だ、俺もこの通りだったんだ!」と言って号泣するシーンがある。
彼は侍ではなく、百姓の倅であったのだ。
そしてやはり戦国の混乱の中、武器を持つ輩に村を、親を蹂躙された過去があったのだ。
ガザで生まれたばかりの双子を失った父親の痛ましい慟哭の様子がXで流れた。
重なった。
愚かな人類め!
2024 敗戦記念日前に
互いのブログ記事が往復書簡のようになっても、ではありますが、
Mooさんの最新記事の最後のパラグラフー
<この年になってもまだ中学生相手に何かを教える、
一緒に学ぶという時間を持てていることは自分でも本当に不思議。
正直に書けば、内心では(精神的には)、かつて富山や東京で生徒たちの前に立って
いた頃と少しも変わっていないのです。しかし、相手にしてみれば「くしゃくしゃな
顔をした爺さま」が目の前にいるわけですから、こちらが思っているようには
受け止めてはくれないでしょう。ただ、その精神的な「若さ」は、それなりに表にも
現れて双方の距離をある程度は縮めてくれるでしょうし、お互いに学ぼうとする
気持ちは、相手にも伝わるはずですよね。そのことを信じて、あと少し、頼って来て
くれる子のために、全力投球したいなと思っているこの頃です。>
には激しく同感と言わせていただきたい。
私はしかしSkypeでの授業であって、「3D」では生徒さんらと接していません。
だからどうしても私の熱意が体全体から発しているのを感じさせられないのが
もどかしく、その点Mooさんがうらやましいのです。
どんなに皺くちゃな顔をした老教師であっても、学問への誠実さ、
それゆえの熱意は、どんな世代の生徒にであっても通じるものですよね。
教師の熱意の息吹はやはり生徒らが教室で感じてこそだろうと思うのです。
遠隔授業の場合はそれが半減くらいになってしまう。
「spire」という語根は息をする音からできたとされており、
そこに「中へ」を表す「in」という接頭辞がついて、inspire、すなわち「吹き込む」、
インスピレーションを与える、ということになります。
「なるほど言語というのはおもしろいな」と生徒さんらがinspireされる瞬間が
一回でもあればいいなといつも思って授業をしています。
*
TrumpがMuskと会談した。
その中、こんな会話があって、Xにclipされた。
Musk: "Hiroshima and Nagasaki were bombed but now they're full cities again."
Trump: "That's great. That's great."
Musk: "Yeah so it's not as scary as people think."
Musk: it's not even dangerous in Fukushima. I actually flew there and ate locally
grown vegetables on TV to prove it.
私は2年ぶりくらいにrepostした。
I'm at a loss for words... I'm writing this on X(what a lame name) owned by
the very person that virtually said nuclear war is not so scary.
William Horanという人が、Muskに対しこう書いていて、私は共感した。
I'm not saying he's wrong that Fukushima is safe,
but there's a big difference between going once and living there.
You can visit the Chernobyl plant once with minimal protection and most
likely have no negative effect, but you cannot live nearby and be safe.
Muskは富岡町や大熊町にXやTeslaの本社と大邸宅でも建ててそこに住めばいい。
日本政府は大歓迎して、優遇措置をとってくれるだろうよ。
彼は広島と長崎には行ったのだろうか。
資料館を見て、それでも「人が思うほど怖くはない」と思ったのだろうか。
人でなし。
*
昔書いたことがあるが、私が中学3年の時、1日だけ「You先生」が代講で来られた。
彼は暗い感じの中年男性で、神経質な感じが横溢していた。口付近に傷があった。
彼は女子2人のちょっとしたおしゃべりを見咎めて、キレた。
凄まじい言葉で罵った後、
「俺はな、戦争でな、数秒前まで言葉を交わしていた友だちの兵士がな、
頭部全体が吹っ飛ばされるのを見たんだぞ!
きさまらのようなチャラチャラした小娘に舐められてたまるか!」
女子二人を叱りつけるにしても唐突な話だった。
けれども、「You先生」にはその痛ましい体験が以来全く頭から離れないことなのだと
私は痛感した。口の傷も、きっと戦傷だったのだろう。
今思い出してみると、顔には火傷の痕があったようにも思える。
私は現下の「夏期講習」で、長い授業時間の間にこの「You先生」の話を
2つのクラスでした。
戦争をする国になったら、若者が先生と同じ体験をするかもしれない。
現にウクライナ兵やロシア兵が同じような目に遭っているのだ、と。
私には上司の校長や教頭や学年主任はいないから、こんな話を躊躇なく授業に挟む。
殺す勿れ、殺される勿れ、と、
Mooさんの最新記事の最後のパラグラフー
<この年になってもまだ中学生相手に何かを教える、
一緒に学ぶという時間を持てていることは自分でも本当に不思議。
正直に書けば、内心では(精神的には)、かつて富山や東京で生徒たちの前に立って
いた頃と少しも変わっていないのです。しかし、相手にしてみれば「くしゃくしゃな
顔をした爺さま」が目の前にいるわけですから、こちらが思っているようには
受け止めてはくれないでしょう。ただ、その精神的な「若さ」は、それなりに表にも
現れて双方の距離をある程度は縮めてくれるでしょうし、お互いに学ぼうとする
気持ちは、相手にも伝わるはずですよね。そのことを信じて、あと少し、頼って来て
くれる子のために、全力投球したいなと思っているこの頃です。>
には激しく同感と言わせていただきたい。
私はしかしSkypeでの授業であって、「3D」では生徒さんらと接していません。
だからどうしても私の熱意が体全体から発しているのを感じさせられないのが
もどかしく、その点Mooさんがうらやましいのです。
どんなに皺くちゃな顔をした老教師であっても、学問への誠実さ、
それゆえの熱意は、どんな世代の生徒にであっても通じるものですよね。
教師の熱意の息吹はやはり生徒らが教室で感じてこそだろうと思うのです。
遠隔授業の場合はそれが半減くらいになってしまう。
「spire」という語根は息をする音からできたとされており、
そこに「中へ」を表す「in」という接頭辞がついて、inspire、すなわち「吹き込む」、
インスピレーションを与える、ということになります。
「なるほど言語というのはおもしろいな」と生徒さんらがinspireされる瞬間が
一回でもあればいいなといつも思って授業をしています。
*
TrumpがMuskと会談した。
その中、こんな会話があって、Xにclipされた。
Musk: "Hiroshima and Nagasaki were bombed but now they're full cities again."
Trump: "That's great. That's great."
Musk: "Yeah so it's not as scary as people think."
Musk: it's not even dangerous in Fukushima. I actually flew there and ate locally
grown vegetables on TV to prove it.
私は2年ぶりくらいにrepostした。
I'm at a loss for words... I'm writing this on X(what a lame name) owned by
the very person that virtually said nuclear war is not so scary.
William Horanという人が、Muskに対しこう書いていて、私は共感した。
I'm not saying he's wrong that Fukushima is safe,
but there's a big difference between going once and living there.
You can visit the Chernobyl plant once with minimal protection and most
likely have no negative effect, but you cannot live nearby and be safe.
Muskは富岡町や大熊町にXやTeslaの本社と大邸宅でも建ててそこに住めばいい。
日本政府は大歓迎して、優遇措置をとってくれるだろうよ。
彼は広島と長崎には行ったのだろうか。
資料館を見て、それでも「人が思うほど怖くはない」と思ったのだろうか。
人でなし。
*
昔書いたことがあるが、私が中学3年の時、1日だけ「You先生」が代講で来られた。
彼は暗い感じの中年男性で、神経質な感じが横溢していた。口付近に傷があった。
彼は女子2人のちょっとしたおしゃべりを見咎めて、キレた。
凄まじい言葉で罵った後、
「俺はな、戦争でな、数秒前まで言葉を交わしていた友だちの兵士がな、
頭部全体が吹っ飛ばされるのを見たんだぞ!
きさまらのようなチャラチャラした小娘に舐められてたまるか!」
女子二人を叱りつけるにしても唐突な話だった。
けれども、「You先生」にはその痛ましい体験が以来全く頭から離れないことなのだと
私は痛感した。口の傷も、きっと戦傷だったのだろう。
今思い出してみると、顔には火傷の痕があったようにも思える。
私は現下の「夏期講習」で、長い授業時間の間にこの「You先生」の話を
2つのクラスでした。
戦争をする国になったら、若者が先生と同じ体験をするかもしれない。
現にウクライナ兵やロシア兵が同じような目に遭っているのだ、と。
私には上司の校長や教頭や学年主任はいないから、こんな話を躊躇なく授業に挟む。
殺す勿れ、殺される勿れ、と、
Moo teaches English, too
Mooさんが数学を教えておられる中学生に請われて英語も見ることになったと。
(中1のおさらいをしたというのだから現在中2ですかね。)
まず思ったのは、国立大卒者はalmighyだから、どんな教科もOKだろうと思われて
しまうんだなあ、ということ。
実際、Mooさんはどんな教科も教えられるんじゃないですか。
数学は東北大の理学部数学科仕込みでプロ中のプロ、
「ひろし」という名前ゆえ、博学でいらっしゃるから、文系科目だって中学内容なら
なんら問題ないでしょうね。字の上手さはそこらの国語教師も青くなるほど。
社会なら公民系ではこれまたプロ並みにお教えになることでしょう。
私が中学生1、2年生に英語を教える際何よりも大事と思っているのは、
生徒に「be動詞世界と一般動詞世界」が分別できるようにすることです。
小学校の国語で「主語は何だ、どんなだ、どうする」という主述の3パターンを
習うはずですが、世界の何千とある言語はすべてこの3パターンを記述論述するために
あると言ってもいいわけです。日本語も英語ももちろんその点で同じです。
「何だ、どんなだ」と「どうする」という非動作と動作についての述部で、
前2者ではbe動詞、後者では一般動詞を用いることをしっかり意識させます。
例えば、
( )you a newcomer?
では、英語ができない、嫌いな子は、be動詞を習っている時期なら「Are」を入れる
かもしれませんが、一般動詞を習っている時期だと「Do」を入れてしまうことが
往々にしてあるのです。根本的に分かっていない証拠です。
「主語は何だ、どんなだ、どうする」を日本語文でパターン分けするのはほぼ
どんな生徒もできます。それをbe動詞と一般動詞の違いの理解につなげます。
これが分かると、現在進行形も容易に理解できます。
be動詞は「=」の働きをする「だ、です」と「いる、ある」という存在を述べる意味も
あります。「I'm in Nagano now.」などの文は中学生でも
簡単に「今私は長野にいます」と訳すことができます。
現在進行形は「〜している」です。
am/are/is + ~ingですね。
「ing」が「して」に当たり(原形は「する」に当たります)、be動詞が「いる」に
相当するわけです。
私が中2の子を初めて担当するとき、まず彼ら彼女らに現在進行形について質問します。
「私は泳いでいます」を何と言いますか、などと訊きます。
中には「I swimming」などと答える子が必ずいます。
「進行形はing」とだけ印象的に覚えているのです。
私はその時、「それじゃあ、『私は泳いで』で終わってるよ」と指摘します。
「『います』がないんだよ」と。
そこから上で述べたbe動詞と一般動詞について復習をさせるのです。
まあ、これは初歩英語教授の一例にすぎませんが。
つづりについては、ヒント(つづりの法則性)を与えられるところは与えますが、
なにしろ生徒の地道な努力こそ、です。
おっしゃる通り、私たちの頃の英語教科書とは様変わり甚だしい現在です。
会話が中心であって、説明文すらある登場人物の口語での発表という形になります。
また、旅行などで想定しうる実際の英会話場面もユニット末に独立してページが
割かれています。「使える英語」を意識した編集ですね。
生徒が英語をいつかは実際に使う機会があるかもしれない、
あればいいな、と思わせるように導きたいものです。
昨日記した、jazz dance教室にも通う私が1年の最初から英語を教えている中3女子は、
自分がステージ上のこういう衣装のダンサーだと私に教えつつ、
「それとー」と書いて、「better」の発音の仕方を教えてほしいと続けました。
「イギリス発音の方がきっと日本人には模倣しやすい」と私は言いましたが、
hiphopが好きな彼女は「アメリカ式がいいのです」と譲らない。
この子は英語5をずっととり続けている優秀な生徒でもあります。
きっとアメリカに行って踊ってみたいのではないでしょうか。
そういうmotivationを自ずから持てる生徒は教えるのも楽です。
とまれ、何かまた英語教授上の問題がありましたら、遠慮なくご質問ください。
(中1のおさらいをしたというのだから現在中2ですかね。)
まず思ったのは、国立大卒者はalmighyだから、どんな教科もOKだろうと思われて
しまうんだなあ、ということ。
実際、Mooさんはどんな教科も教えられるんじゃないですか。
数学は東北大の理学部数学科仕込みでプロ中のプロ、
「ひろし」という名前ゆえ、博学でいらっしゃるから、文系科目だって中学内容なら
なんら問題ないでしょうね。字の上手さはそこらの国語教師も青くなるほど。
社会なら公民系ではこれまたプロ並みにお教えになることでしょう。
私が中学生1、2年生に英語を教える際何よりも大事と思っているのは、
生徒に「be動詞世界と一般動詞世界」が分別できるようにすることです。
小学校の国語で「主語は何だ、どんなだ、どうする」という主述の3パターンを
習うはずですが、世界の何千とある言語はすべてこの3パターンを記述論述するために
あると言ってもいいわけです。日本語も英語ももちろんその点で同じです。
「何だ、どんなだ」と「どうする」という非動作と動作についての述部で、
前2者ではbe動詞、後者では一般動詞を用いることをしっかり意識させます。
例えば、
( )you a newcomer?
では、英語ができない、嫌いな子は、be動詞を習っている時期なら「Are」を入れる
かもしれませんが、一般動詞を習っている時期だと「Do」を入れてしまうことが
往々にしてあるのです。根本的に分かっていない証拠です。
「主語は何だ、どんなだ、どうする」を日本語文でパターン分けするのはほぼ
どんな生徒もできます。それをbe動詞と一般動詞の違いの理解につなげます。
これが分かると、現在進行形も容易に理解できます。
be動詞は「=」の働きをする「だ、です」と「いる、ある」という存在を述べる意味も
あります。「I'm in Nagano now.」などの文は中学生でも
簡単に「今私は長野にいます」と訳すことができます。
現在進行形は「〜している」です。
am/are/is + ~ingですね。
「ing」が「して」に当たり(原形は「する」に当たります)、be動詞が「いる」に
相当するわけです。
私が中2の子を初めて担当するとき、まず彼ら彼女らに現在進行形について質問します。
「私は泳いでいます」を何と言いますか、などと訊きます。
中には「I swimming」などと答える子が必ずいます。
「進行形はing」とだけ印象的に覚えているのです。
私はその時、「それじゃあ、『私は泳いで』で終わってるよ」と指摘します。
「『います』がないんだよ」と。
そこから上で述べたbe動詞と一般動詞について復習をさせるのです。
まあ、これは初歩英語教授の一例にすぎませんが。
つづりについては、ヒント(つづりの法則性)を与えられるところは与えますが、
なにしろ生徒の地道な努力こそ、です。
おっしゃる通り、私たちの頃の英語教科書とは様変わり甚だしい現在です。
会話が中心であって、説明文すらある登場人物の口語での発表という形になります。
また、旅行などで想定しうる実際の英会話場面もユニット末に独立してページが
割かれています。「使える英語」を意識した編集ですね。
生徒が英語をいつかは実際に使う機会があるかもしれない、
あればいいな、と思わせるように導きたいものです。
昨日記した、jazz dance教室にも通う私が1年の最初から英語を教えている中3女子は、
自分がステージ上のこういう衣装のダンサーだと私に教えつつ、
「それとー」と書いて、「better」の発音の仕方を教えてほしいと続けました。
「イギリス発音の方がきっと日本人には模倣しやすい」と私は言いましたが、
hiphopが好きな彼女は「アメリカ式がいいのです」と譲らない。
この子は英語5をずっととり続けている優秀な生徒でもあります。
きっとアメリカに行って踊ってみたいのではないでしょうか。
そういうmotivationを自ずから持てる生徒は教えるのも楽です。
とまれ、何かまた英語教授上の問題がありましたら、遠慮なくご質問ください。
盆の入り
早く秋風が吹いてほしいなあ。
と言いつつ、秋が来て、また<あの>年末が来る。
私は12月がことのほか好きだ。
大好きな冬至が来るし、クリスマス、そして年の瀬の賑わいがあるー
東京では晩い秋が師走にあって、樹木の葉が最後の輝きを見せてくれるし。
しかしそれを楽しんでいると、年が改まる。
また齢を重ねるのだ。
私はできるだけ今生を楽しみたい。
あの世に行ってもおそらく今生とは違ったかたちでこの世の美しさを楽しめると
信じたいし信じているけれど、まだ肉体を持ってこの世の四季の移り変わりを愛でたい。
さて、先祖の霊が帰ってくる。
お盆だ。
もういない人たちが、いるー
そう感じる数日間。
いや、別にお盆の時期ばかりにそう感じるのではない。
想起するたび、もういない人たちがいるのだ。
しかしこう娑婆が暑くては、ご先祖様も帰りにくかろうなあ。
と言いつつ、秋が来て、また<あの>年末が来る。
私は12月がことのほか好きだ。
大好きな冬至が来るし、クリスマス、そして年の瀬の賑わいがあるー
東京では晩い秋が師走にあって、樹木の葉が最後の輝きを見せてくれるし。
しかしそれを楽しんでいると、年が改まる。
また齢を重ねるのだ。
私はできるだけ今生を楽しみたい。
あの世に行ってもおそらく今生とは違ったかたちでこの世の美しさを楽しめると
信じたいし信じているけれど、まだ肉体を持ってこの世の四季の移り変わりを愛でたい。
さて、先祖の霊が帰ってくる。
お盆だ。
もういない人たちが、いるー
そう感じる数日間。
いや、別にお盆の時期ばかりにそう感じるのではない。
想起するたび、もういない人たちがいるのだ。
しかしこう娑婆が暑くては、ご先祖様も帰りにくかろうなあ。
May the girls be able to keep dancing
今日はこれから比較的長時間の仕事があるので、気が重い。
とにかく暑くて、冷房の効いた部屋にいるしかないのだ。
自堕落である。
部屋で運動とかもする気になれず。
そして部屋でやることと云えば、YouTube視聴である。
今日は地震学系のあるYouTuberのを主に見ている。
この人は、4日前の日向灘地震発生を言い当てていた。
むろん占いとかではない、データに基づいた予測だった。
そしてこの人は、かなり確定的な直近にとは言っていないが、
関東とその周辺の大地震、富士山噴火、そして糸魚川=静岡構造線上の特に青木湖
(大町市北部)より南での大地震もいつ起こってもおかしくはないと言っている。
いや、そりゃそうなんですよ。
いつ起こってもおかしくない地震ばかりなんです、日本では。
それでも特に、ということなんですね。
昨日私が英語を教えている中3の女子がメールをくれて、
過日行われた大町市の「やまびこ祭り」で彼女がダンスを披露したと言うので、
YouTubeでそのシーンを見て絶句したのだった。
私がSkype上で認知している彼女とは全く異なる容姿で、
ほとんどセミ・プロのようにヒップホップの音楽に合わせ踊っているのだ。
画質が良くないから、今でも彼女だとははっきり認識できていないが、
服装などの情報でその子でしかありえないのだ。
彼女は地元のjazz danceスクールに通っている少女の一人で、
「祭り」では年少から彼女の属す「中2以上」の数グループが交互に踊っていた。
総勢60名くらいか。
大町市は人口2万4,5千人規模の街だ。
それでもこんなにダンスを愛好する少女たち(ほとんど女の子だけ)がいるのかと
感心しつつも、地震のことが気になった。
東京だっていつひどい震災に襲われるか分かったものではないが、
YouTuber氏が間近と言う構造線上の神城断層(小谷村の南、白馬村や大町市北部を
走る)が刻々とズレを起こす時が近づいている。
どうか彼女らが楽しくダンスをする大町市でずっとあり続けますようにー
たとえ震災に襲われても。
とにかく暑くて、冷房の効いた部屋にいるしかないのだ。
自堕落である。
部屋で運動とかもする気になれず。
そして部屋でやることと云えば、YouTube視聴である。
今日は地震学系のあるYouTuberのを主に見ている。
この人は、4日前の日向灘地震発生を言い当てていた。
むろん占いとかではない、データに基づいた予測だった。
そしてこの人は、かなり確定的な直近にとは言っていないが、
関東とその周辺の大地震、富士山噴火、そして糸魚川=静岡構造線上の特に青木湖
(大町市北部)より南での大地震もいつ起こってもおかしくはないと言っている。
いや、そりゃそうなんですよ。
いつ起こってもおかしくない地震ばかりなんです、日本では。
それでも特に、ということなんですね。
昨日私が英語を教えている中3の女子がメールをくれて、
過日行われた大町市の「やまびこ祭り」で彼女がダンスを披露したと言うので、
YouTubeでそのシーンを見て絶句したのだった。
私がSkype上で認知している彼女とは全く異なる容姿で、
ほとんどセミ・プロのようにヒップホップの音楽に合わせ踊っているのだ。
画質が良くないから、今でも彼女だとははっきり認識できていないが、
服装などの情報でその子でしかありえないのだ。
彼女は地元のjazz danceスクールに通っている少女の一人で、
「祭り」では年少から彼女の属す「中2以上」の数グループが交互に踊っていた。
総勢60名くらいか。
大町市は人口2万4,5千人規模の街だ。
それでもこんなにダンスを愛好する少女たち(ほとんど女の子だけ)がいるのかと
感心しつつも、地震のことが気になった。
東京だっていつひどい震災に襲われるか分かったものではないが、
YouTuber氏が間近と言う構造線上の神城断層(小谷村の南、白馬村や大町市北部を
走る)が刻々とズレを起こす時が近づいている。
どうか彼女らが楽しくダンスをする大町市でずっとあり続けますようにー
たとえ震災に襲われても。
2024 葉月雑記 4 〜Grass Roots
昨日の朝向かいのNさんから、彼が育てた摘んだばかりのオクラを5本くらい
手渡しされたのだが、それを今朝刻んで納豆に混ぜていただいて、
午前7時前というちょっと遅すぎる朝potteringに出た。
Mooさんの住まわれる安曇野・池田町は、私の昨日の記事通りもう朝夕は涼しいそうで、
羨ましいなと思いつつ、それでも東京もこころなしか朝は一時期よりも涼しい感じが
しないでもないここ2日くらい。
国立生育医療研究センターの東端の銀杏並木では、クマゼミが鳴いている。
いつものボヤきながら、本当にalienな響きだ。
早々に通過する。
*
6時台にNHKBSで植物に関する「Wild Life」っぽい番組をたまたま見て、
木を切ることを躊躇しない<ヤツら>にあらためて憤慨していたから、
世田谷区のそれなり緑多いことに誇らしさを感じた。
Xでは世田谷区の保坂区長が千代田区の木々伐採に続き、
大阪の市内樹木伐採を批判するpostを上げていて、賛同の「いいね」をした。
何が保守だ。
保守の人は、樹木を大切するだろうが!
神道を何だと思ってるんだ、維新だの都民ファーストだのの政治屋。
笑わせるな、エセ保守の輩たち。
*
NHK技研の近くの公園には花滑莧(ハナスベリヒユ)が植えられていており、
今満開である。
この鉢植えを昔狛江市東野川に住んでいた頃を玄関前に置いていた。
娘が幼少だった頃の話で、私がG Stringで2度目のデビューをした頃のことだ。
色とりどりの花が咲き、本当に愛らしい。
このハナスベリヒユとマツバボタンは非常に近い<親戚>らしいが、
はっきり言って私には区別がつかない。
同類のスベリヒユは雑草扱いだけれど、滋養に富むすばらしい食材らしい。
これが庭の「雑草」として生えてくれればいいのに。
イネ科のメヒシバが蔓延るので本当に困っている。
この草の根は本当に抜きにくい!
*
TrumpはかなりVP Kamala Harrisの勢いに押され、ますます言動がweirdに、
いや、もうほとんどdeliriousになってきた。
Republicans for Harris(ハリス支持の共和党員)の数もどんどん増している。
アメリカ民主主義の<草の根>は健全であること、抜き難いことー
こちらは大歓迎する!
手渡しされたのだが、それを今朝刻んで納豆に混ぜていただいて、
午前7時前というちょっと遅すぎる朝potteringに出た。
Mooさんの住まわれる安曇野・池田町は、私の昨日の記事通りもう朝夕は涼しいそうで、
羨ましいなと思いつつ、それでも東京もこころなしか朝は一時期よりも涼しい感じが
しないでもないここ2日くらい。
国立生育医療研究センターの東端の銀杏並木では、クマゼミが鳴いている。
いつものボヤきながら、本当にalienな響きだ。
早々に通過する。
*
6時台にNHKBSで植物に関する「Wild Life」っぽい番組をたまたま見て、
木を切ることを躊躇しない<ヤツら>にあらためて憤慨していたから、
世田谷区のそれなり緑多いことに誇らしさを感じた。
Xでは世田谷区の保坂区長が千代田区の木々伐採に続き、
大阪の市内樹木伐採を批判するpostを上げていて、賛同の「いいね」をした。
何が保守だ。
保守の人は、樹木を大切するだろうが!
神道を何だと思ってるんだ、維新だの都民ファーストだのの政治屋。
笑わせるな、エセ保守の輩たち。
*
NHK技研の近くの公園には花滑莧(ハナスベリヒユ)が植えられていており、
今満開である。
この鉢植えを昔狛江市東野川に住んでいた頃を玄関前に置いていた。
娘が幼少だった頃の話で、私がG Stringで2度目のデビューをした頃のことだ。
色とりどりの花が咲き、本当に愛らしい。
このハナスベリヒユとマツバボタンは非常に近い<親戚>らしいが、
はっきり言って私には区別がつかない。
同類のスベリヒユは雑草扱いだけれど、滋養に富むすばらしい食材らしい。
これが庭の「雑草」として生えてくれればいいのに。
イネ科のメヒシバが蔓延るので本当に困っている。
この草の根は本当に抜きにくい!
*
TrumpはかなりVP Kamala Harrisの勢いに押され、ますます言動がweirdに、
いや、もうほとんどdeliriousになってきた。
Republicans for Harris(ハリス支持の共和党員)の数もどんどん増している。
アメリカ民主主義の<草の根>は健全であること、抜き難いことー
こちらは大歓迎する!
2024 葉月雑記 3
アメリカの大統領選関連の記事やSNS投稿、YouTube動画を相当読み、視聴している。
特にTrump陣営のネガティブ・キャンペーンはほとんど度が過ぎていて辟易する。
2016年のときもそうだったから驚くに値しないけれど、
しかし世界一の大国のリーダーとはこんなにもいろいろとあることないことを
論われて選ばれるのかと、やはり驚きをもって観察するよりない。
深刻なのは、Trumpの虚言癖はもう病的であるのに、それでもまだ共和党の候補として
選挙戦を進められている事実だ。しかも彼は刑事被告人だ。
本当にどうなっているんだ、アメリカ?
Joe Bidenにも失望した。
長崎原爆忌式典に長崎市長がイスラエルを招かなかったことで駐日米大使ー
原爆を落とした国の代表ー
がボイコットって。
「それでも出ろ」と指示できなかったJoeよ、その程度だったか。
アメリカの正義が地球人の正義だなんて思うなよ!
*
昨日仕事中に地震があった。世田谷区は震度3だった。
誰だってあのタイミングでけたたましい警報がスマートフォンから流れりゃ
肝を冷やすし、日向灘のことがあったから「すわ、連動か!」と一瞬思う。
地震の専門家は「離れ過ぎているから連動とは考えにくい」と言う。
そうだろうけれど、専門家でなくとも言えてしまう見解だ。
いや、<そうなんだからそうである>ことに専門家も素人もないのは分かっている。
しかし地震予知はできない現状、専門家たちはいつも事後見解しか出せず、
今回ももちろんそうであるから、なにしろ警戒を怠るなと当たり前のことしか
言い合うしかない。
「連動である可能性も否定できない」というのが実は正しいのかもしれない。
人智を超えているのだ。
専門家もお手上げなのだ。
*
世は大方夏休みに入ったらしい。
結構なことだ。
朝から酷暑で始業前に肌着を替えねばならなかった人も多かろう。
田舎に帰省した人なら、朝夕の涼しさを今ありがたく思っているかも。
緑多いところなら、熱帯夜には滅多にならないはず。
私の會津の田舎ももちろんそうだ。
以前にも書いたことがあるが、小4くらい頃だったか、
一級上の伸夫くんとオニヤンマの羽化したてのを捕まえる約束をして、
沢で待ち合わせた<あの早朝>を思い出す。
涼しかった。
さらに思い出すー
高校生の頃、珍しく熱帯夜になって、あまりの暑さに目が覚めて、
窓を開けると、満天の星だった。
父は扇風機をつけたまま眠るのを許さない人だった。
「死ぬぞ」などとすら言った。
子どもの頃から言われていたから、そうなのかと思うしかなかった。
後年、高円寺の狭いコーポ暮らしの頃、扇風機なしではとても眠れずずっと
かけたままにして、死ぬことはなかった。
「父ちゃん、嘘言ったな!電気代もったいなかっただけじゃなかったのか!」
そう思った1983年頃。
特にTrump陣営のネガティブ・キャンペーンはほとんど度が過ぎていて辟易する。
2016年のときもそうだったから驚くに値しないけれど、
しかし世界一の大国のリーダーとはこんなにもいろいろとあることないことを
論われて選ばれるのかと、やはり驚きをもって観察するよりない。
深刻なのは、Trumpの虚言癖はもう病的であるのに、それでもまだ共和党の候補として
選挙戦を進められている事実だ。しかも彼は刑事被告人だ。
本当にどうなっているんだ、アメリカ?
Joe Bidenにも失望した。
長崎原爆忌式典に長崎市長がイスラエルを招かなかったことで駐日米大使ー
原爆を落とした国の代表ー
がボイコットって。
「それでも出ろ」と指示できなかったJoeよ、その程度だったか。
アメリカの正義が地球人の正義だなんて思うなよ!
*
昨日仕事中に地震があった。世田谷区は震度3だった。
誰だってあのタイミングでけたたましい警報がスマートフォンから流れりゃ
肝を冷やすし、日向灘のことがあったから「すわ、連動か!」と一瞬思う。
地震の専門家は「離れ過ぎているから連動とは考えにくい」と言う。
そうだろうけれど、専門家でなくとも言えてしまう見解だ。
いや、<そうなんだからそうである>ことに専門家も素人もないのは分かっている。
しかし地震予知はできない現状、専門家たちはいつも事後見解しか出せず、
今回ももちろんそうであるから、なにしろ警戒を怠るなと当たり前のことしか
言い合うしかない。
「連動である可能性も否定できない」というのが実は正しいのかもしれない。
人智を超えているのだ。
専門家もお手上げなのだ。
*
世は大方夏休みに入ったらしい。
結構なことだ。
朝から酷暑で始業前に肌着を替えねばならなかった人も多かろう。
田舎に帰省した人なら、朝夕の涼しさを今ありがたく思っているかも。
緑多いところなら、熱帯夜には滅多にならないはず。
私の會津の田舎ももちろんそうだ。
以前にも書いたことがあるが、小4くらい頃だったか、
一級上の伸夫くんとオニヤンマの羽化したてのを捕まえる約束をして、
沢で待ち合わせた<あの早朝>を思い出す。
涼しかった。
さらに思い出すー
高校生の頃、珍しく熱帯夜になって、あまりの暑さに目が覚めて、
窓を開けると、満天の星だった。
父は扇風機をつけたまま眠るのを許さない人だった。
「死ぬぞ」などとすら言った。
子どもの頃から言われていたから、そうなのかと思うしかなかった。
後年、高円寺の狭いコーポ暮らしの頃、扇風機なしではとても眠れずずっと
かけたままにして、死ぬことはなかった。
「父ちゃん、嘘言ったな!電気代もったいなかっただけじゃなかったのか!」
そう思った1983年頃。
2024 葉月雑記 2
79回目の長崎原爆忌。
爆心地周辺の地獄絵図は、どんなに説明されても、想像を絶する。
長崎市や広島市に1945年に住んでいたというだけで、
十数万という大きな集団が瞬時に焼き殺される<運命>を誰がもたらした?
一義的にはHarry Trumanだが、もちろん彼だけではない。
戦争はしかたがない、お上には従うしかないとしたすべての人間だ。
その当時の<やむを得ない>事情、国際情勢があった?
だから世界で何千万が殺し殺されてもしかたがなかった?
とすれば、人間というのは互いを殺し合う本当に愚かな生き物なのだと自覚せよ。
その自覚から導かれるのは、不戦、非戦、アヒンサーしかないではないか。
黙祷。
*
昨日の砧公園、夕暮れ。
「夕焼け」は夏の季語、そして今はもう初秋。
晩夏や初秋によく見られる淡い色の夕焼けだった。
砧公園の木立でヒグラシの声を堪能した。
ヒグラシは針葉樹によくとまり、そこで鳴く。
ツクツクももう鳴き出している。
秋立ちて 深くなるなり 白昼夢
洗車をしていると、シオカラトンボがやって来た。
「おまえさんは、いったいどこからやってくるの?」
近くに池や淀みのある川などはない。
やはり砧公園からはるばる来たのか。
「ここまでのルートを親から教わったのかい。それはないか。
暑い中、ご苦労さん。庭の蚊とかいっぱい食べてっておくれよ。」
*
日向灘の大地震。
南海トラフのさらなる大規模地震に備えよ、と。
2011年の東日本に続き、次は南西日本ー
これはもういつかは来る、不可避だ。
関東にも連動で大地震が来るかもしれない。
Mooさんの自給自足が羨ましい。
前記事への追記
今日の記事で、
「善い戦争」という言葉を使った。
悪辣非道なナチスとの戦いは「善い戦争」ではなかったのか。
例えば自国が攻撃を受けているわけではないのに、フランス・ノルマンディーに上陸し、
機銃掃射を浴び、四肢や頭部を吹き飛ばされて、
ファシズムと戦い命を散らした米兵たちの御霊にそれでも
「善い戦争」などないのだと言えるか。
言えそうもない。
よくぞヒトラーの邪悪な野望を打ち砕いてくださった、と言うしかない。
しかしだ、それゆえドイツ兵を殺してくださってありがとうとは言えない。
なぜならその「ドイツ兵」はそうである以前に一人の人間で、父母があり、
もしかすると妻や婚約者、子どもすらいたかもしれないからだ。
しかも、ヒトラーの狂信者ではなく、無理やり徴兵されたのなら、
なおさらドイツ兵を殺してくださってありがとうとは言えない。
究極的には、人を殺してくれてありがとうと言ってはならない、と思うのだ。
たとえそうしなかったならドイツ第三帝国が世界を席捲し、
邪悪なアーリア民族第一主義が他の民族を苦しめることになっていたかもしれなくても、
もっともっと小さな、狭いレベルでの、殺し殺される場面で、
その当事者一人ひとりが「War is over (If you want it)」と思えれば、と願う。
泣きたいほど願う。
そう思わぬ邪悪な者が勝ってしまうではないか。
これ以降の私の思いはあるが、きっと理解されはしない。
でも、簡単に言えば、殺されて終わりではない、殺して終わりではないのだ、
ということだ。
殺した者は、相応の手ひどい報いを受けることになる、ということだ。
MNEMOさん、ヤベぇ!
「善い戦争」という言葉を使った。
悪辣非道なナチスとの戦いは「善い戦争」ではなかったのか。
例えば自国が攻撃を受けているわけではないのに、フランス・ノルマンディーに上陸し、
機銃掃射を浴び、四肢や頭部を吹き飛ばされて、
ファシズムと戦い命を散らした米兵たちの御霊にそれでも
「善い戦争」などないのだと言えるか。
言えそうもない。
よくぞヒトラーの邪悪な野望を打ち砕いてくださった、と言うしかない。
しかしだ、それゆえドイツ兵を殺してくださってありがとうとは言えない。
なぜならその「ドイツ兵」はそうである以前に一人の人間で、父母があり、
もしかすると妻や婚約者、子どもすらいたかもしれないからだ。
しかも、ヒトラーの狂信者ではなく、無理やり徴兵されたのなら、
なおさらドイツ兵を殺してくださってありがとうとは言えない。
究極的には、人を殺してくれてありがとうと言ってはならない、と思うのだ。
たとえそうしなかったならドイツ第三帝国が世界を席捲し、
邪悪なアーリア民族第一主義が他の民族を苦しめることになっていたかもしれなくても、
もっともっと小さな、狭いレベルでの、殺し殺される場面で、
その当事者一人ひとりが「War is over (If you want it)」と思えれば、と願う。
泣きたいほど願う。
そう思わぬ邪悪な者が勝ってしまうではないか。
これ以降の私の思いはあるが、きっと理解されはしない。
でも、簡単に言えば、殺されて終わりではない、殺して終わりではないのだ、
ということだ。
殺した者は、相応の手ひどい報いを受けることになる、ということだ。
MNEMOさん、ヤベぇ!
國破山河在 城春草木深
連日のパリ五輪過熱報道、とは云え私はほぼ見ていない。
興味がない。
いや、熱狂している人がいらっしゃっても批判などする気は毛頭ない。
私だって過去には熱狂したもの。
*
長崎原爆忌に長崎市がイスラエルを招待しなかったことで、アメリカ、イギリスなどの
いわゆる西側の大国(NATOの主要加盟国)が欠席とか。
これらの国の人たちは、<善い戦争はある>と思っているんだろう。
長崎の戦没者全員の御霊がきっと、来てもらわなくてよかばい、とあの世で言って
おられるに違いない。
*
芥川也寸志さんの「Tryptique」のことを再三書いてきたが、
とうとうYouTubeで芥川さんご自身が指揮棒を振られているビデオを発見。
https://www.youtube.com/watch?v=kSPtIZ6Tmlk&list=LL&index=31
38'21"から始まる。
「Allegro」の、芥川さんの思ったテンポがとうとう分かった。
さまざまな楽団がさまざまな「allegro」解釈をしていたのでね。
この頃はIII章の50'03"から始まる緩徐パートが好きで、切なくて、たまらない。
この演奏は讀賣交響楽団による。
しかし私の思うナンバー1バージョンは、ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団の
ものである。
https://www.youtube.com/watch?v=Yg7p-W2-v30
このポーランド人演奏家たちの<歌心>は何だろう。
日本人作曲家の音世界を東欧人演奏家が一番リリカルに再生する。
音楽に国境はないのは分かっている。
また、いくら芥川さんが日本人でもヨーロッパ音楽の形式に則っているのも。
だからポーランド人が日本人作曲の弦楽協奏曲を最もすばらしく演奏しても
不思議はないだろう。
それでも、私は芥川さんが暮らした調布市入間町や隣の成城4丁目を徘徊し、
ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団のこの演奏を聴いていると、
野川と入間町・成城の木立のたたずまいが、そこを吹く風が、光彩が、陰翳が、湿度が、
<完全に>表現されている、と思える。
東京とワルシャワには共通点がある。
戦争で街が灰燼に帰し、瓦礫の山となったことだ。
国破れて山河あり
芥川さんも、楽団のコンサートマスターも、同じ想いを分かち合ったはずだ。
興味がない。
いや、熱狂している人がいらっしゃっても批判などする気は毛頭ない。
私だって過去には熱狂したもの。
*
長崎原爆忌に長崎市がイスラエルを招待しなかったことで、アメリカ、イギリスなどの
いわゆる西側の大国(NATOの主要加盟国)が欠席とか。
これらの国の人たちは、<善い戦争はある>と思っているんだろう。
長崎の戦没者全員の御霊がきっと、来てもらわなくてよかばい、とあの世で言って
おられるに違いない。
*
芥川也寸志さんの「Tryptique」のことを再三書いてきたが、
とうとうYouTubeで芥川さんご自身が指揮棒を振られているビデオを発見。
https://www.youtube.com/watch?v=kSPtIZ6Tmlk&list=LL&index=31
38'21"から始まる。
「Allegro」の、芥川さんの思ったテンポがとうとう分かった。
さまざまな楽団がさまざまな「allegro」解釈をしていたのでね。
この頃はIII章の50'03"から始まる緩徐パートが好きで、切なくて、たまらない。
この演奏は讀賣交響楽団による。
しかし私の思うナンバー1バージョンは、ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団の
ものである。
https://www.youtube.com/watch?v=Yg7p-W2-v30
このポーランド人演奏家たちの<歌心>は何だろう。
日本人作曲家の音世界を東欧人演奏家が一番リリカルに再生する。
音楽に国境はないのは分かっている。
また、いくら芥川さんが日本人でもヨーロッパ音楽の形式に則っているのも。
だからポーランド人が日本人作曲の弦楽協奏曲を最もすばらしく演奏しても
不思議はないだろう。
それでも、私は芥川さんが暮らした調布市入間町や隣の成城4丁目を徘徊し、
ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団のこの演奏を聴いていると、
野川と入間町・成城の木立のたたずまいが、そこを吹く風が、光彩が、陰翳が、湿度が、
<完全に>表現されている、と思える。
東京とワルシャワには共通点がある。
戦争で街が灰燼に帰し、瓦礫の山となったことだ。
国破れて山河あり
芥川さんも、楽団のコンサートマスターも、同じ想いを分かち合ったはずだ。
2024 葉月雑記
昨夜は雷鳴、稲妻、そして落雷もあり、世田谷には大雨警報が出て、
野川と仙川の洪水にも注意ということになったけれど、おそらく被害はなかった。
私は、こんなこと、夏にはあることじゃないかと高を括っていた。
むしろ「遅い夕立」が全くない方がおかしい。
それで気候変動がないとか飛躍したことを言うつもりはちっともないよ。
おもしろかったのは、世田谷や狛江、調布に一時的大雨をもたらした雷雲が、
気象レーダーによると、突如杉並区辺りで発生したことだ。
それが南下してきた。
奥多摩や秩父の山々から雷雲が発生するパターンは何度も目にしてきたけれど、
杉並区で雲が湧くっていうのは興味深い。
雨のおかげで、湿度はやたら高いけれど、朝の気温は最近では低い方だった。
私は少しだけ快適に道路に落ちた木槿の萎んだ花を掃除できた。
*
Kamala Harrisは、ミネソタ州知事のTim Walzを副大統領候補に指名した。
Walzは軍人上がり、教師上がりの政治家。
しかし右の者たちからはアメリカの政治家のうち考えうる最左翼と見做されているらしい。
だからどーした。
Xで彼が給食費無料の知事令にサインし、囲む小学生の女の子たちから抱擁される
動画を見たけれど、本当にすてきなお爺ちゃんにしか見えない。
KamalaもTimも1964年生まれ、私の弟と同い年。
Timは<ヴェテラン>のお爺ちゃんにしか見えず、驚いてしまう。
二人はTrump-Vanceとは全く違い、余計な悪口、分断を促す煽りを一切口にせず、
未来を語り、国民みなで希望を持てと言う。
民主党ゆえ<青>臭いかもしれないが、「weird」な共和党候補はそれなら暗黒だ。
11月の勝利を心から祈る。
*
ルッキズムはいけないとは思う。
しかし、人は見た目が大事だというのも100パーセント間違っているとは言えない。
某ジャーナリストYouTuberが今朝、「イスラエル批判をしてview数が明らかに落ちた」と
言った。おすすめから来る視聴者が落ちたからだそうで、しかしおすすめする側の
Google=YouTube側の政治的意図ではないとしつつ、おすすめの上位に自分の
チャンネル・コンテンツが来ないのは、「コント<リ>バーシャル」な内容、
確定した事実ではないことへの批判などにはGoogle=YouTubeが神経質で、
YouTube空間はできるだけ穏やかであってほしがっていることが遠因としてあると
いうようなことを語ってもいた。
「view数下落の原因のそれが95パーセントや。」
と言い、
「後の5パーセントは<おまえら>や!」
私は非常に不快になった。
「おまえらが『いいね』ボタンを押さんからや!」
この人は自分の容姿を盛んに卑下するし、態度が悪いのも自覚的なことだ。
それでも、そのミテクレに<ふさわしい>言葉遣いをしてしまっていいのか。
大変な勉強家なのに、視点も鋭いものがあるのに、また風流人でもあるのに、
惜しいだけだ。
野川と仙川の洪水にも注意ということになったけれど、おそらく被害はなかった。
私は、こんなこと、夏にはあることじゃないかと高を括っていた。
むしろ「遅い夕立」が全くない方がおかしい。
それで気候変動がないとか飛躍したことを言うつもりはちっともないよ。
おもしろかったのは、世田谷や狛江、調布に一時的大雨をもたらした雷雲が、
気象レーダーによると、突如杉並区辺りで発生したことだ。
それが南下してきた。
奥多摩や秩父の山々から雷雲が発生するパターンは何度も目にしてきたけれど、
杉並区で雲が湧くっていうのは興味深い。
雨のおかげで、湿度はやたら高いけれど、朝の気温は最近では低い方だった。
私は少しだけ快適に道路に落ちた木槿の萎んだ花を掃除できた。
*
Kamala Harrisは、ミネソタ州知事のTim Walzを副大統領候補に指名した。
Walzは軍人上がり、教師上がりの政治家。
しかし右の者たちからはアメリカの政治家のうち考えうる最左翼と見做されているらしい。
だからどーした。
Xで彼が給食費無料の知事令にサインし、囲む小学生の女の子たちから抱擁される
動画を見たけれど、本当にすてきなお爺ちゃんにしか見えない。
KamalaもTimも1964年生まれ、私の弟と同い年。
Timは<ヴェテラン>のお爺ちゃんにしか見えず、驚いてしまう。
二人はTrump-Vanceとは全く違い、余計な悪口、分断を促す煽りを一切口にせず、
未来を語り、国民みなで希望を持てと言う。
民主党ゆえ<青>臭いかもしれないが、「weird」な共和党候補はそれなら暗黒だ。
11月の勝利を心から祈る。
*
ルッキズムはいけないとは思う。
しかし、人は見た目が大事だというのも100パーセント間違っているとは言えない。
某ジャーナリストYouTuberが今朝、「イスラエル批判をしてview数が明らかに落ちた」と
言った。おすすめから来る視聴者が落ちたからだそうで、しかしおすすめする側の
Google=YouTube側の政治的意図ではないとしつつ、おすすめの上位に自分の
チャンネル・コンテンツが来ないのは、「コント<リ>バーシャル」な内容、
確定した事実ではないことへの批判などにはGoogle=YouTubeが神経質で、
YouTube空間はできるだけ穏やかであってほしがっていることが遠因としてあると
いうようなことを語ってもいた。
「view数下落の原因のそれが95パーセントや。」
と言い、
「後の5パーセントは<おまえら>や!」
私は非常に不快になった。
「おまえらが『いいね』ボタンを押さんからや!」
この人は自分の容姿を盛んに卑下するし、態度が悪いのも自覚的なことだ。
それでも、そのミテクレに<ふさわしい>言葉遣いをしてしまっていいのか。
大変な勉強家なのに、視点も鋭いものがあるのに、また風流人でもあるのに、
惜しいだけだ。
殺し合う万物の霊長よ
79回目の広島原爆忌。
私が小学校5、6年生のときの担任は山内林子先生、戦中派で、
戦争大反対の紛うことなき日教組組合員ー
6年生の夏休み前、七月のある日、道徳の授業だったのか、
先生は広島の悲惨な写真を私らに見せたのだった。
もちろん衝撃だった。
しかし、ゆえに先生はやりすぎだと私が思うことはなかった。
ところが刺激が強すぎた児童がいて、親へそのことを話し、先生は非難を受けた。
職員会議でも責められたのではないか。
私は、そのことだけがきっかけではないが、
絶対平和主義者とも言うべき人間になっていった。
いったい人がどうして他の者の命を奪えるのかー
そんな「権利」などどう考えてもありようがないと心から思ったのだ。
とは云え、高齢者になった今、その絶対平和主義はますます確固たるものになって
いるかと問われれば、正直な話、全然そんなことはない。
交通ルール、マナーを守らぬ者へは悪罵を投げつけたくなるし、
実際聞こえないように投げつけているし、無謀すぎる運転をする者、
ゴミを平気で路上などに捨てる者たちは「死んでしまえ!」とも思う。
こういう感情が、訳のわからん「東洋の猿たち」を根こそぎ懲らしめてやるという
1945年原爆投下時のアメリカ軍が抱いていた想いに通底するのは疑いない。
もちろん「通底」とは言っても、距離は相当に離れているけれど。
Xのあるポストで、イランがイスラエルへ相当規模の報復攻撃をするという
内容のものを目にして、暗澹とした気持ちになった。
そんなことになったら、あのネタニアフのことだ、核を使って反撃してもおかしくない。
ホモ・サピエンスなんて、こんなものなのだ。
何が万物の霊長だ。
*
Mooさんの学生たちによる左翼運動の記事を全部読ませていただいて思ったのは、
Mooさんは、そして東北大学の仲間たちは、つまりサルトルに与しなかったのだな、
ということであった。
社会主義国家指導者たちはもちろんのことだが、サルトルはフランスという西側
自由主義陣営の国で、植民地解放、社会主義・共産主義革命のためなら暴力行使も
許容されるという立場をとった(はずだ)。
この<偉大な>実存主義哲学者の応援は、どれほどソ連などの政治家たちを励ました
ことか。(その後ソ連のハンガリーなどへの軍事介入に反対したりはしたが。)
植民地解放運動が、闘争となって、収奪者たちを武力で追い出すことは正しいか。
双方の犠牲はしかたがないか。
一方が武装し、攻撃してくる以上、もう一方も武装し反撃するのは当然か。
一方の大義のため、敵を、無辜の民を含め、殲滅するのは許されるのか。
サルトルはGandhiの運動をどう捉えていたのだろう。
黙祷。
(松井市長のだらしない姿勢に抗議しつつ。)
私が小学校5、6年生のときの担任は山内林子先生、戦中派で、
戦争大反対の紛うことなき日教組組合員ー
6年生の夏休み前、七月のある日、道徳の授業だったのか、
先生は広島の悲惨な写真を私らに見せたのだった。
もちろん衝撃だった。
しかし、ゆえに先生はやりすぎだと私が思うことはなかった。
ところが刺激が強すぎた児童がいて、親へそのことを話し、先生は非難を受けた。
職員会議でも責められたのではないか。
私は、そのことだけがきっかけではないが、
絶対平和主義者とも言うべき人間になっていった。
いったい人がどうして他の者の命を奪えるのかー
そんな「権利」などどう考えてもありようがないと心から思ったのだ。
とは云え、高齢者になった今、その絶対平和主義はますます確固たるものになって
いるかと問われれば、正直な話、全然そんなことはない。
交通ルール、マナーを守らぬ者へは悪罵を投げつけたくなるし、
実際聞こえないように投げつけているし、無謀すぎる運転をする者、
ゴミを平気で路上などに捨てる者たちは「死んでしまえ!」とも思う。
こういう感情が、訳のわからん「東洋の猿たち」を根こそぎ懲らしめてやるという
1945年原爆投下時のアメリカ軍が抱いていた想いに通底するのは疑いない。
もちろん「通底」とは言っても、距離は相当に離れているけれど。
Xのあるポストで、イランがイスラエルへ相当規模の報復攻撃をするという
内容のものを目にして、暗澹とした気持ちになった。
そんなことになったら、あのネタニアフのことだ、核を使って反撃してもおかしくない。
ホモ・サピエンスなんて、こんなものなのだ。
何が万物の霊長だ。
*
Mooさんの学生たちによる左翼運動の記事を全部読ませていただいて思ったのは、
Mooさんは、そして東北大学の仲間たちは、つまりサルトルに与しなかったのだな、
ということであった。
社会主義国家指導者たちはもちろんのことだが、サルトルはフランスという西側
自由主義陣営の国で、植民地解放、社会主義・共産主義革命のためなら暴力行使も
許容されるという立場をとった(はずだ)。
この<偉大な>実存主義哲学者の応援は、どれほどソ連などの政治家たちを励ました
ことか。(その後ソ連のハンガリーなどへの軍事介入に反対したりはしたが。)
植民地解放運動が、闘争となって、収奪者たちを武力で追い出すことは正しいか。
双方の犠牲はしかたがないか。
一方が武装し、攻撃してくる以上、もう一方も武装し反撃するのは当然か。
一方の大義のため、敵を、無辜の民を含め、殲滅するのは許されるのか。
サルトルはGandhiの運動をどう捉えていたのだろう。
黙祷。
(松井市長のだらしない姿勢に抗議しつつ。)
2024 葉月妄言 〜We are all from Africa
昔から思ってきたことだけれど、「人種」などというものがなぜ存在するのかー
いや、科学はただの環境適応の結果だとはっきり示しているけれど、
しかし無知蒙昧な者は、たとえそれを認めても、その「環境」の別こそが「人種」の
優劣を決めた「神」の祝福だとでも言い出すのではないか。
今XやYouTubeで、アメリカ・ネバダ州のある小さな町で黒人が土地の白人たちに
凄まじい「人種」差別を受け、彼はその様子をビデオに収めて拡散したことからの
夥しい反応を目にする。その差別はアメリカ南部の旧態そのままのひどさで、
多くの人々が嫌悪感を表明し、激しく非難しているが、
今度はUKで反移民暴動が例のサウスポートにおける無差別殺人事件についてのデマで
過激化、多発化してしまい、労働党政権は厳しく取り締まると声明を出した。
そして日本では、れいわ新選組に所属した川口市議会議員が、
「一部外国人」の犯罪を取り締まるため警察官増員などを求める議会の意見書に
党方針に従わず賛成したことで離党、なんとなんのゆかりもない愛知15区の
立憲民主党衆議院議員候補者として認定されたことが話題になっている。
私は偏見をひとつも持たないなどととても言えない。
けれどー
世田谷の近隣で、明らかに外国人と分かる(つまり外見がはっきり「日本人」とは
異なると視認される)人々が集団を成し、目を顰めざるを得ないようなことをしたり、
触法行為をしているのを頻繁に目にしてしまったら、
警察などに「なんとかしてほしい」と思うに違いないが、しかし、
それは外国人でなくたって、たとえば「日本人」による集団暴走行為が頻発しても
同じように思うということをはっきり自覚する。
つまり、外国人だから、などということで分け隔てて取り締まりの強化を願うなどと
いうことはないのだ。
<自分たちの土地>に「よそ者」が入って来て、しかも我が物顔でそこで振る舞ったら、
嫌悪し、ある時には排斥したくなる気持ちは誰にも湧き起こるのではないか。
その「よそ者」は同国人であっても、外国人であっても同じだろう。
しかし、感情だけでは根本的に何も解決しない。
追い出せば、あるいはホロコーストや民族浄化とかというおぞましい手段をとれば
解決すると思う者もいるかもしれないが、憎しみの連鎖をつくりだすだけだ。
今パレスティナで起こっていることが正にそうだ。
その当事者の一方が、なんとナチスに殲滅されそうになった側なのだから悲しい。
Mooさんの住まわれる町の北隣、長野県大町市では過日市を挙げての夏祭りが2つ
行われたのだが、ひとつは若一王子神社の祭礼だった。
私はこの神社より、大町市にもうひとつある大きな神社、国宝も有する仁科神明宮の
方が創建は遥かに古いだろうと思っていたが、そうとも言えないようで驚いたのだ。
もちろんほとんど神話の時代の話で、正確なことなどほぼ知り得ない。
それでも私には仮説が思い浮かんだ。
仁科神明宮の創建は実在は証明されていない景行天皇の時代(4世紀前後)で、
アマテラスを祀るため仁科王が建てたと言われ、
一方若一王子神社はやはり実在したか不明の、景行天皇の子垂仁天皇の時代
(やはり4世紀前後)これまた仁科王がイザナミを祀るため建立した社が
オリジナルだという。
大町市は市域が広いけれど、それでも、古墳時代と呼ばれる頃に仁科王が2つの
大和政権の神を祀ったことは何を意味するのか。
なにしろ長野県の神社となれば、諏訪大社が一番有名で、また創建も最も古い。
主神はタケミナカタであって、これは国譲りの出雲の神、オオクニヌシの息子だ。
この上社は諏訪に土着していた狩猟採集民との融和を示す特色があり、
このことから私は、まず洩矢神を祀る縄文時代からの土着民がいて、
弥生時代末期に出雲からアマテラス側のタケミカヅチに追われて信濃へ逃れ、
そこでその洩矢神の民と争い、いつか融和していった、と推測する。
時代を少し経て、ますます強大になった古墳時代人(主に中国中部・南部出身者たち)が
信濃へも入って来て、仁科王を長に、大和政権の神々を祀り、
諏訪社の勢力(元々アマテラス側と対立し敗北した出雲の勢力と土着洩矢神信仰
勢力)を南へ(つまり諏訪へ)と押し戻したのではないか。
安曇野は最も南の今の安曇野市まで、古墳時代人が席捲、穂高神社も彼らが創建したか。
突然安曇野の話、諏訪の話になったが、その訳は、
諏訪大社にひとつの、きっとそれなりに望ましい、異民族同士の融和の形があることを
書きたかったからだ。
今「日本人」のDNA構成は、古墳時代人のそれが最多を占め、次に弥生人、
そして縄文人のそれであると分かっている。
古墳時代人も弥生人も、大陸出身者だ。
つまりは元々、日本の右の人たちが嫌う、中国人だ。
だからそういう人たちは縄文人のDNAを珍重する。
それこそが大陸人と「日本人」を峻別するうるわしい遺伝子だ、と。
そしてその縄文人は、アフリカを出たホモサピエンスの形質をほぼそっくり残した
人々だったと言う。その後日本列島が大陸から海面上昇で切り離され、
孤立してずっと「純血」を保った。
その容貌は、当然のことながら、アフリカ人に近かった。
今ほとんどの「日本人」が東洋人の容貌であるのは、
弥生人(東アジアの主に北部出身)と古墳時代人が土着縄文人と混血したからである。
混血とはつまり、ほとんどの場合、融和ということであろう。
いや、科学はただの環境適応の結果だとはっきり示しているけれど、
しかし無知蒙昧な者は、たとえそれを認めても、その「環境」の別こそが「人種」の
優劣を決めた「神」の祝福だとでも言い出すのではないか。
今XやYouTubeで、アメリカ・ネバダ州のある小さな町で黒人が土地の白人たちに
凄まじい「人種」差別を受け、彼はその様子をビデオに収めて拡散したことからの
夥しい反応を目にする。その差別はアメリカ南部の旧態そのままのひどさで、
多くの人々が嫌悪感を表明し、激しく非難しているが、
今度はUKで反移民暴動が例のサウスポートにおける無差別殺人事件についてのデマで
過激化、多発化してしまい、労働党政権は厳しく取り締まると声明を出した。
そして日本では、れいわ新選組に所属した川口市議会議員が、
「一部外国人」の犯罪を取り締まるため警察官増員などを求める議会の意見書に
党方針に従わず賛成したことで離党、なんとなんのゆかりもない愛知15区の
立憲民主党衆議院議員候補者として認定されたことが話題になっている。
私は偏見をひとつも持たないなどととても言えない。
けれどー
世田谷の近隣で、明らかに外国人と分かる(つまり外見がはっきり「日本人」とは
異なると視認される)人々が集団を成し、目を顰めざるを得ないようなことをしたり、
触法行為をしているのを頻繁に目にしてしまったら、
警察などに「なんとかしてほしい」と思うに違いないが、しかし、
それは外国人でなくたって、たとえば「日本人」による集団暴走行為が頻発しても
同じように思うということをはっきり自覚する。
つまり、外国人だから、などということで分け隔てて取り締まりの強化を願うなどと
いうことはないのだ。
<自分たちの土地>に「よそ者」が入って来て、しかも我が物顔でそこで振る舞ったら、
嫌悪し、ある時には排斥したくなる気持ちは誰にも湧き起こるのではないか。
その「よそ者」は同国人であっても、外国人であっても同じだろう。
しかし、感情だけでは根本的に何も解決しない。
追い出せば、あるいはホロコーストや民族浄化とかというおぞましい手段をとれば
解決すると思う者もいるかもしれないが、憎しみの連鎖をつくりだすだけだ。
今パレスティナで起こっていることが正にそうだ。
その当事者の一方が、なんとナチスに殲滅されそうになった側なのだから悲しい。
Mooさんの住まわれる町の北隣、長野県大町市では過日市を挙げての夏祭りが2つ
行われたのだが、ひとつは若一王子神社の祭礼だった。
私はこの神社より、大町市にもうひとつある大きな神社、国宝も有する仁科神明宮の
方が創建は遥かに古いだろうと思っていたが、そうとも言えないようで驚いたのだ。
もちろんほとんど神話の時代の話で、正確なことなどほぼ知り得ない。
それでも私には仮説が思い浮かんだ。
仁科神明宮の創建は実在は証明されていない景行天皇の時代(4世紀前後)で、
アマテラスを祀るため仁科王が建てたと言われ、
一方若一王子神社はやはり実在したか不明の、景行天皇の子垂仁天皇の時代
(やはり4世紀前後)これまた仁科王がイザナミを祀るため建立した社が
オリジナルだという。
大町市は市域が広いけれど、それでも、古墳時代と呼ばれる頃に仁科王が2つの
大和政権の神を祀ったことは何を意味するのか。
なにしろ長野県の神社となれば、諏訪大社が一番有名で、また創建も最も古い。
主神はタケミナカタであって、これは国譲りの出雲の神、オオクニヌシの息子だ。
この上社は諏訪に土着していた狩猟採集民との融和を示す特色があり、
このことから私は、まず洩矢神を祀る縄文時代からの土着民がいて、
弥生時代末期に出雲からアマテラス側のタケミカヅチに追われて信濃へ逃れ、
そこでその洩矢神の民と争い、いつか融和していった、と推測する。
時代を少し経て、ますます強大になった古墳時代人(主に中国中部・南部出身者たち)が
信濃へも入って来て、仁科王を長に、大和政権の神々を祀り、
諏訪社の勢力(元々アマテラス側と対立し敗北した出雲の勢力と土着洩矢神信仰
勢力)を南へ(つまり諏訪へ)と押し戻したのではないか。
安曇野は最も南の今の安曇野市まで、古墳時代人が席捲、穂高神社も彼らが創建したか。
突然安曇野の話、諏訪の話になったが、その訳は、
諏訪大社にひとつの、きっとそれなりに望ましい、異民族同士の融和の形があることを
書きたかったからだ。
今「日本人」のDNA構成は、古墳時代人のそれが最多を占め、次に弥生人、
そして縄文人のそれであると分かっている。
古墳時代人も弥生人も、大陸出身者だ。
つまりは元々、日本の右の人たちが嫌う、中国人だ。
だからそういう人たちは縄文人のDNAを珍重する。
それこそが大陸人と「日本人」を峻別するうるわしい遺伝子だ、と。
そしてその縄文人は、アフリカを出たホモサピエンスの形質をほぼそっくり残した
人々だったと言う。その後日本列島が大陸から海面上昇で切り離され、
孤立してずっと「純血」を保った。
その容貌は、当然のことながら、アフリカ人に近かった。
今ほとんどの「日本人」が東洋人の容貌であるのは、
弥生人(東アジアの主に北部出身)と古墳時代人が土着縄文人と混血したからである。
混血とはつまり、ほとんどの場合、融和ということであろう。
昨夜のこと
昨夜は渋谷のLanternというBeatles Barで歌った。
半年以上ぶりのお客様の前での歌唱だったが、なにしろその半年前の生演奏が
十年とは言わないがそれに近いほどのブランクがあってのことだったー
だから、まあ、生でお客様を前にして複数曲歌うことの慣れを取り戻せないままだった。
まずギター演奏では、練習は重ねたもののミスを何度もした。
歌については、最終曲の最後のシャウトが出なくなってしまった。
後者は声のsaveのしかたを忘れてしまっていたのが大きい。
情けない。
でもまあ、心が寛いお客様たちはとても喜んでくださった。
ありがたかった。
*
私がもしまたお客様の前で歌わせていただける機会を持てるなら、
できればワンマン、最低でも対バン1組という条件でやれればなあ、と思う。
問題はコヤと集客力。
*
昨夜の白眉は、私のシンガーとしての処女航海を共にしたVIAのバンドメンバーが
全員揃ったことだった。
バンド結成の呼びかけをした金子氏、功君、ドラマーの松川君、そしてK。
結成は1979年だったと思う。
45年前か。
いやはや。
松川君のドラムス・プレイを聴けなかったのは残念だったが、
みな健在を喜び合った。
総じてありがたいことの多い夜だった。
主催の功君にあらためて感謝します。
*
Kamala Harrisを応援するため、私のIS THIS AMERICAのRajoyバージョンを
ちょっとした付け足しをして掲げたいと思っている。
過日亡くなったSさんが生で聴きたいと言ってくれた歌でもある。
Yes, it's the land of liberty and love!
最終歌詞だ。
*
渋谷への行き、クルマを使ったが、Lantern近くの駐車場に20分で着いた。
スイスイ行けば、世田谷から渋谷は本当に近い。
そしていつまで経っても田舎者の私には馴染めぬ土地だなあと思う。
功君の友人でTさんが今回も山梨から音楽会に駆けつけた。
「コンクリート・ジャングル」と彼は言った。
ずっと聞かないでいた言葉だった。
東京やその延長の街に暮らす人々としか話していないからなあ。
Tさんはもともと調布の人で、多摩川のそばで暮らしておられた。
東京人ではあるけれど、多摩地区にはやはりコンクリート・ジャングルはほぼないから、
山梨で暮らすようになってからはますます四方八方緑がないところにいると
落ち着かなくなるのは当然だ。
さらに東京から緑が失われる開発計画や、国立公園に大規模ホテルを建てるとかの
狂気の沙汰を考えているらしい都知事や首相には本当に腹が立つ。
帰りは義父の娘の運転で、国道246は使わずに淡島通りを使って、のんびり帰った。
淡島通りは私が昔から愛好する渋谷から世田谷や狛江方面へ行くのに便利で、
まず渋滞は起きない道路なのだ。
音楽会では、本編が終了したとき、土曜なのに朝から午後4時まで仕事していた
義父の娘が「頭痛がする」と言い、恒例ビートルズ・セッションを私はスキップした。
早く寝たい彼女に運転してもらってすまなかったけれど、
少しであれ、乾杯をしてしまった私が運転するわけにもいかなかった。
それでも、好きな道を通りながら、緑の比較的多い我が<本拠>世田谷へ向かう
クルマの中、私は「幸せな夜であったなあ」と助手席でしみじみしていた。
半年以上ぶりのお客様の前での歌唱だったが、なにしろその半年前の生演奏が
十年とは言わないがそれに近いほどのブランクがあってのことだったー
だから、まあ、生でお客様を前にして複数曲歌うことの慣れを取り戻せないままだった。
まずギター演奏では、練習は重ねたもののミスを何度もした。
歌については、最終曲の最後のシャウトが出なくなってしまった。
後者は声のsaveのしかたを忘れてしまっていたのが大きい。
情けない。
でもまあ、心が寛いお客様たちはとても喜んでくださった。
ありがたかった。
*
私がもしまたお客様の前で歌わせていただける機会を持てるなら、
できればワンマン、最低でも対バン1組という条件でやれればなあ、と思う。
問題はコヤと集客力。
*
昨夜の白眉は、私のシンガーとしての処女航海を共にしたVIAのバンドメンバーが
全員揃ったことだった。
バンド結成の呼びかけをした金子氏、功君、ドラマーの松川君、そしてK。
結成は1979年だったと思う。
45年前か。
いやはや。
松川君のドラムス・プレイを聴けなかったのは残念だったが、
みな健在を喜び合った。
総じてありがたいことの多い夜だった。
主催の功君にあらためて感謝します。
*
Kamala Harrisを応援するため、私のIS THIS AMERICAのRajoyバージョンを
ちょっとした付け足しをして掲げたいと思っている。
過日亡くなったSさんが生で聴きたいと言ってくれた歌でもある。
Yes, it's the land of liberty and love!
最終歌詞だ。
*
渋谷への行き、クルマを使ったが、Lantern近くの駐車場に20分で着いた。
スイスイ行けば、世田谷から渋谷は本当に近い。
そしていつまで経っても田舎者の私には馴染めぬ土地だなあと思う。
功君の友人でTさんが今回も山梨から音楽会に駆けつけた。
「コンクリート・ジャングル」と彼は言った。
ずっと聞かないでいた言葉だった。
東京やその延長の街に暮らす人々としか話していないからなあ。
Tさんはもともと調布の人で、多摩川のそばで暮らしておられた。
東京人ではあるけれど、多摩地区にはやはりコンクリート・ジャングルはほぼないから、
山梨で暮らすようになってからはますます四方八方緑がないところにいると
落ち着かなくなるのは当然だ。
さらに東京から緑が失われる開発計画や、国立公園に大規模ホテルを建てるとかの
狂気の沙汰を考えているらしい都知事や首相には本当に腹が立つ。
帰りは義父の娘の運転で、国道246は使わずに淡島通りを使って、のんびり帰った。
淡島通りは私が昔から愛好する渋谷から世田谷や狛江方面へ行くのに便利で、
まず渋滞は起きない道路なのだ。
音楽会では、本編が終了したとき、土曜なのに朝から午後4時まで仕事していた
義父の娘が「頭痛がする」と言い、恒例ビートルズ・セッションを私はスキップした。
早く寝たい彼女に運転してもらってすまなかったけれど、
少しであれ、乾杯をしてしまった私が運転するわけにもいかなかった。
それでも、好きな道を通りながら、緑の比較的多い我が<本拠>世田谷へ向かう
クルマの中、私は「幸せな夜であったなあ」と助手席でしみじみしていた。