成城徘徊シリーズ(?)ー音楽家の反・反核
今朝ポタリングに出たら、早々にゲリラ豪雨・・・とまではいかないが、
強い雨で成城学園駅近くの、小さな入り口に庇のあるブティック風の店で雨宿り。
3日連続の成城自転車徘徊は、芥川也寸志さんのお住まいはどの辺りだったかを探るため。
ネット検索で、とある音楽家が芥川さんのお家へ行ったことがあると書いており、
「成城学園の駅から数分歩いて」たどり着いたとあり、
成城の北に位置する調布市入間町が徒歩で「駅から数分」というのは
普通考えられないから、そんなに駅の方へ飛地的に出っ張っている入間町域などあるのかと。
むろん地図を見れば、認識通り入間町で最も成城学園前駅に近いのは3丁目の、
成城4丁目と境を接する区域であり、飛地などない。
最南部は駅から1.2kmはありそうで、徒歩数分という表現はやはり大袈裟、
その音楽家は、昭和の日本を代表する作曲家、芥川龍之介の三男と親しく話しながら
歩くうれしさ、興奮で、駅からの道のりがあっという間に感じたというところか。
念のためそこへ行ってみた。
距離はもうとうの昔からつかめていたから、検証ということでもなかったけれど、
まあ、行ってみたのだ。過去に何度来たか分からないほど馴染みのところだ。
最近の私の成城話をもしある程度興味を持たれて読んでくださっている方が
いらっしゃれば、「もしかして芥川さんのお家は大江健三郎さんや田村正和さんの
お家に近いのではないか」と思われておられるかも。
そうなんです。
入間3丁目は上で書いたように成城4丁目の北隣、隣接しているので近いです。
芥川さんは1960年、その大江さん台本のオペラ『暗い鏡』を発表している。
お二人が国分寺崖線上の小径を互いの家へと行き来したこともあろうと想像し、
しみじみした。
1989年芥川さんが亡くなって、「親友で後輩」の黛敏郎氏がTVの追悼番組で
嗚咽をこらえて短い回想を美しい日本語で語っておられる(YouTubeで見た)。
そこで黛氏は、「私とは立場が異なるが」と言い、芥川さんが反核運動にも関わって
おられたことに触れて、私は考え込んでしまった。
黛氏が相当右寄りの人であることは昔から知っていたけれど、
その彼の言葉から、彼は反核に反対だったということになる。
きっと当時のことだ、共産主義社会主義国の核保有は是認され、
アメリカなどの自由主義陣営の核は平和を脅かすというような当時一部あった
主張に反対だったのだろう。
しかし、理由はどうあれ、核兵器に反対しない音楽家とはどういう人なのかー
私にはさっぱり分からない。
頭脳明晰な方のようだから、精緻な理論構築があったのだろうけれど、
結局は、政治的主義主張の対立で核使用がされてしまってもしかたがないということか。
愛国者たちがそれこそ愛する美しい日本が核でズタズタにされても、
左翼勢力に屈服するくらいなら、核で反撃し、死なば諸共でいい・・・と?
音楽も死ぬよ。
強い雨で成城学園駅近くの、小さな入り口に庇のあるブティック風の店で雨宿り。
3日連続の成城自転車徘徊は、芥川也寸志さんのお住まいはどの辺りだったかを探るため。
ネット検索で、とある音楽家が芥川さんのお家へ行ったことがあると書いており、
「成城学園の駅から数分歩いて」たどり着いたとあり、
成城の北に位置する調布市入間町が徒歩で「駅から数分」というのは
普通考えられないから、そんなに駅の方へ飛地的に出っ張っている入間町域などあるのかと。
むろん地図を見れば、認識通り入間町で最も成城学園前駅に近いのは3丁目の、
成城4丁目と境を接する区域であり、飛地などない。
最南部は駅から1.2kmはありそうで、徒歩数分という表現はやはり大袈裟、
その音楽家は、昭和の日本を代表する作曲家、芥川龍之介の三男と親しく話しながら
歩くうれしさ、興奮で、駅からの道のりがあっという間に感じたというところか。
念のためそこへ行ってみた。
距離はもうとうの昔からつかめていたから、検証ということでもなかったけれど、
まあ、行ってみたのだ。過去に何度来たか分からないほど馴染みのところだ。
最近の私の成城話をもしある程度興味を持たれて読んでくださっている方が
いらっしゃれば、「もしかして芥川さんのお家は大江健三郎さんや田村正和さんの
お家に近いのではないか」と思われておられるかも。
そうなんです。
入間3丁目は上で書いたように成城4丁目の北隣、隣接しているので近いです。
芥川さんは1960年、その大江さん台本のオペラ『暗い鏡』を発表している。
お二人が国分寺崖線上の小径を互いの家へと行き来したこともあろうと想像し、
しみじみした。
1989年芥川さんが亡くなって、「親友で後輩」の黛敏郎氏がTVの追悼番組で
嗚咽をこらえて短い回想を美しい日本語で語っておられる(YouTubeで見た)。
そこで黛氏は、「私とは立場が異なるが」と言い、芥川さんが反核運動にも関わって
おられたことに触れて、私は考え込んでしまった。
黛氏が相当右寄りの人であることは昔から知っていたけれど、
その彼の言葉から、彼は反核に反対だったということになる。
きっと当時のことだ、共産主義社会主義国の核保有は是認され、
アメリカなどの自由主義陣営の核は平和を脅かすというような当時一部あった
主張に反対だったのだろう。
しかし、理由はどうあれ、核兵器に反対しない音楽家とはどういう人なのかー
私にはさっぱり分からない。
頭脳明晰な方のようだから、精緻な理論構築があったのだろうけれど、
結局は、政治的主義主張の対立で核使用がされてしまってもしかたがないということか。
愛国者たちがそれこそ愛する美しい日本が核でズタズタにされても、
左翼勢力に屈服するくらいなら、核で反撃し、死なば諸共でいい・・・と?
音楽も死ぬよ。