生まれ、生き、死ぬ意味
おもしろいよな。
スマナサーラ師は「宗教家」ではないと自らおっしゃる。
ブッダは生き方を教えているのであって、それは宗教ではないのだと。
つまりはこう生きれば人生の苦から解放される術を教えているのであって、
超越的な存在(=神)を前提にした「宗教」ではないのだと。
「死後の世界」については、ブッダは99.9パーセント触れていないそうだ。
師ご自身も死後のことは不可知であるというお立場だ。
しかし一方、それをとんでもない、来世、地獄極楽についてブッダは頻繁に
言っているとその仏典の名を上げ、根拠を示す仏教学者がいるのだ。
師は、「生まれること、生きること、死ぬことに何の意味もない」と言い切る。
ただ善く生きること、それだけだ、ということらしい。
この世で善く生き、もし来世があればその功徳でまた善く生きられるから
2つの勝利を得られる、と。
私は全く何宗にも何教にも属していない。
スマナサーラ師のおっしゃることに反対も賛成もない。
ただ、善く生きていると、歌が生まれる、藝術が生まれると私は確信する。
清々しい生き方に詩情は必然的についてくると思っている。
詩歌や藝術こそ実は生きていることの意味だとすら信じている。
いや、なにも清々しい生き方ばかりにそれらが付いてくるわけではない。
苦しみの中でも詩情は見出され、その苦しみをたとえ少しでも癒す。
ブッダの言葉に触発されて、何かしら自分で潤色することはつまり詩作なのだ。
「詩ならいいよ」とは、たとえば古臭い言い回しや非文法的表現を使っても詩ならば
許されるということで、私も何回かそういうことが言われる場面に出くわしてきた。
仏教でも同じようなことが言えるのではないか。
善く生きるための智慧を歌にしても許されるのではないか。
歌になってブッダの言わんとするところから離れてしまうこともあろう。
しかし、<正しく>理解した歌人が、詩情を付加しても許されるだろう。
「生まれること、生きること、死ぬことに何の意味もない」ー
そんな正に無味乾燥こそ生死ならば、私はやはり居ても立っても居られない。
We are part of everything
という確信を歌にしていくことこそに意味を見つけている。
I'm a son of the sun
だと思っている。
I'm a son of the moon
でもいい。
だって、月だって恒星が撒き散らした物質でできているのだから。
I'm a friend of the bird whose song I'm listening to
だ。
I'm a relative of the flower whose scent I'm smelling
だ。
そう歌っていく。
スマナサーラ師は「宗教家」ではないと自らおっしゃる。
ブッダは生き方を教えているのであって、それは宗教ではないのだと。
つまりはこう生きれば人生の苦から解放される術を教えているのであって、
超越的な存在(=神)を前提にした「宗教」ではないのだと。
「死後の世界」については、ブッダは99.9パーセント触れていないそうだ。
師ご自身も死後のことは不可知であるというお立場だ。
しかし一方、それをとんでもない、来世、地獄極楽についてブッダは頻繁に
言っているとその仏典の名を上げ、根拠を示す仏教学者がいるのだ。
師は、「生まれること、生きること、死ぬことに何の意味もない」と言い切る。
ただ善く生きること、それだけだ、ということらしい。
この世で善く生き、もし来世があればその功徳でまた善く生きられるから
2つの勝利を得られる、と。
私は全く何宗にも何教にも属していない。
スマナサーラ師のおっしゃることに反対も賛成もない。
ただ、善く生きていると、歌が生まれる、藝術が生まれると私は確信する。
清々しい生き方に詩情は必然的についてくると思っている。
詩歌や藝術こそ実は生きていることの意味だとすら信じている。
いや、なにも清々しい生き方ばかりにそれらが付いてくるわけではない。
苦しみの中でも詩情は見出され、その苦しみをたとえ少しでも癒す。
ブッダの言葉に触発されて、何かしら自分で潤色することはつまり詩作なのだ。
「詩ならいいよ」とは、たとえば古臭い言い回しや非文法的表現を使っても詩ならば
許されるということで、私も何回かそういうことが言われる場面に出くわしてきた。
仏教でも同じようなことが言えるのではないか。
善く生きるための智慧を歌にしても許されるのではないか。
歌になってブッダの言わんとするところから離れてしまうこともあろう。
しかし、<正しく>理解した歌人が、詩情を付加しても許されるだろう。
「生まれること、生きること、死ぬことに何の意味もない」ー
そんな正に無味乾燥こそ生死ならば、私はやはり居ても立っても居られない。
We are part of everything
という確信を歌にしていくことこそに意味を見つけている。
I'm a son of the sun
だと思っている。
I'm a son of the moon
でもいい。
だって、月だって恒星が撒き散らした物質でできているのだから。
I'm a friend of the bird whose song I'm listening to
だ。
I'm a relative of the flower whose scent I'm smelling
だ。
そう歌っていく。
2024-09-26 06:44
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