Black Sentiment Matters
クラシック音楽をこよなく愛するとは到底言い難いし、
通なことを言えるほどの知識や経験はほとんどない。
けれど父が、平凡社のだったか、毎月送ってくる豪華解説アルバム付きの
クラシック音楽の精華集とも言うべきレコードを聴くというなかなか優雅な年月が
あって、私もご相伴に与った。
父はそのレコード集を聴くため、弟(私の叔父)が継いだ電器屋から東芝Bostonという
当時最新鋭のステレオも買って、息子・娘を喜ばせた。
音楽の授業でとにかく感動した『くるみ割り人形』がチャイコフスキー編のレコードに
あると父から聞いて、とうとうそれが届いたときはBeatlesの新曲に勝るとも劣らぬ
うれしさで針を落とした。
『くるみ割り人形』に魅せられたのは、やはり第一に組曲だったからだと思う。
Beatlesのアルバムはまさに組曲だったから、比較的短いとりどりの曲が連続して聴けて
最後には「なるほどこの曲こそ」という絢爛なpieceで大団円を迎えるー
長い楽章をずっと聴いているのはまだまだ無理な小学生であった。
むろん(?)ベートーヴェンも好きだった。
何より『田園』が好きで、それは會津の五月の風情に合っていたからだ。
他にケテルビーの『ペルシアの市場にて』、グリーグの『ペールギュント』1、2楽章、
プロコフィエフの『ピーターと狼』などが大好きだった。
みな音楽の授業で聴いて感動したものだ。
しかし私はクラシックの大ファンにはならなかった。
子どもとして深入りはできなかったし、思春期に入ってますますrockやpopsに
ハマっていったからだ。
YouTubeのおすすめで西本智美さん指揮によるドボルザークの交響曲第9番を聴いた。
あの有名すぎる第2楽章Largoと第4楽章Allegro con fuocoがある『新世界』だ。
Largoを聴いていて、小学校校庭の夕暮れを思い出さない人がどれほどいるだろう。
もちろん日本独特のことかもしれないが。
私の母校は統合されてしまい、明治5年学制開始以来の歴史を閉じてしまっている。
西条八十作詞のすばらしい校歌ももう歌われなくなって久しい。
私の家族全員の母校でもあった。
小学校と、同じ町内の先輩後輩との遊び仲間サークルが「全世界」だった頃。
午後5時だったか、「家路(=Largo)」が校庭に流れた。
下校して再び学校の校庭へ行き主に球技をして遊んだ日々。
小学生であっても募る憂愁の日があった。
ドボルザークはチェコの人、あのメロディーはチェコ人の歌心と信じていたが、
Wikiなどを読むと、黒人霊歌などの影響があると言うのだ。
彼はアメリカで「国民楽派」の技量発揮を期待されたのだった。
だから「新世界」か、と納得。
スラブ人であるチェコの作曲家とアメリカに奴隷として連れられてきたアフリカ人の
詩情が融合したということか。
プレスリーの音楽だってBeatlesのだってStonesのだって、黒人音楽なくてはなかった。
黒人音楽は全人類の郷愁を誘うー
センティメントやポエジーの故郷か。
だってホモ・サピエンスの故郷だものな、アフリカは。
通なことを言えるほどの知識や経験はほとんどない。
けれど父が、平凡社のだったか、毎月送ってくる豪華解説アルバム付きの
クラシック音楽の精華集とも言うべきレコードを聴くというなかなか優雅な年月が
あって、私もご相伴に与った。
父はそのレコード集を聴くため、弟(私の叔父)が継いだ電器屋から東芝Bostonという
当時最新鋭のステレオも買って、息子・娘を喜ばせた。
音楽の授業でとにかく感動した『くるみ割り人形』がチャイコフスキー編のレコードに
あると父から聞いて、とうとうそれが届いたときはBeatlesの新曲に勝るとも劣らぬ
うれしさで針を落とした。
『くるみ割り人形』に魅せられたのは、やはり第一に組曲だったからだと思う。
Beatlesのアルバムはまさに組曲だったから、比較的短いとりどりの曲が連続して聴けて
最後には「なるほどこの曲こそ」という絢爛なpieceで大団円を迎えるー
長い楽章をずっと聴いているのはまだまだ無理な小学生であった。
むろん(?)ベートーヴェンも好きだった。
何より『田園』が好きで、それは會津の五月の風情に合っていたからだ。
他にケテルビーの『ペルシアの市場にて』、グリーグの『ペールギュント』1、2楽章、
プロコフィエフの『ピーターと狼』などが大好きだった。
みな音楽の授業で聴いて感動したものだ。
しかし私はクラシックの大ファンにはならなかった。
子どもとして深入りはできなかったし、思春期に入ってますますrockやpopsに
ハマっていったからだ。
YouTubeのおすすめで西本智美さん指揮によるドボルザークの交響曲第9番を聴いた。
あの有名すぎる第2楽章Largoと第4楽章Allegro con fuocoがある『新世界』だ。
Largoを聴いていて、小学校校庭の夕暮れを思い出さない人がどれほどいるだろう。
もちろん日本独特のことかもしれないが。
私の母校は統合されてしまい、明治5年学制開始以来の歴史を閉じてしまっている。
西条八十作詞のすばらしい校歌ももう歌われなくなって久しい。
私の家族全員の母校でもあった。
小学校と、同じ町内の先輩後輩との遊び仲間サークルが「全世界」だった頃。
午後5時だったか、「家路(=Largo)」が校庭に流れた。
下校して再び学校の校庭へ行き主に球技をして遊んだ日々。
小学生であっても募る憂愁の日があった。
ドボルザークはチェコの人、あのメロディーはチェコ人の歌心と信じていたが、
Wikiなどを読むと、黒人霊歌などの影響があると言うのだ。
彼はアメリカで「国民楽派」の技量発揮を期待されたのだった。
だから「新世界」か、と納得。
スラブ人であるチェコの作曲家とアメリカに奴隷として連れられてきたアフリカ人の
詩情が融合したということか。
プレスリーの音楽だってBeatlesのだってStonesのだって、黒人音楽なくてはなかった。
黒人音楽は全人類の郷愁を誘うー
センティメントやポエジーの故郷か。
だってホモ・サピエンスの故郷だものな、アフリカは。
2024-08-19 07:43
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