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歴史資料としての映画




昔、東京都狛江市と神奈川県川崎市多摩区登戸を結ぶ多摩水道橋は、
初代がなんと1953年(昭和28年)に完成したもので、
それ以前両市を隔てる多摩川には小田急線の架橋はあったものの、
道路は両岸で途絶し、「登戸の渡し」で舟により連絡するのみだったと知って大いに
驚いたものだった。

その橋で結ばれた道路は、東京側では「世田谷通り」(三軒茶屋が起点の都道)、
神奈川側では「津久井道」という県道になるのだが、今この橋を利用する人でそれが
たった69年の歴史しかないと知る者は少なかろう。

上の東宝映画の冒頭に映される風景では、
まず小田急の電車が<2両>編成で東京都側から神奈川県側へと鉄橋を渡る。
そして次のシーンはその鉄橋の少し上流側を渡し船が東京側へと移動する様子だ。
乗っている人はわずか数人!

そして次には初代・多摩水道橋が正に建設されているところのシーン。
これは実際の映像だと思う。
登戸側から狛江方向を写している。

そして次ー
これが私には<問題のシーン>となる。

映画は、東京が戦後復興を着実に進める時代、その「大東京」に隣接する田舎として
登戸という場所を選び、そこの梨農家の親子の物語なのだ。
登戸が選ばれたのは、東宝の砧撮影所から遠くない田舎だったからだろう。
その距離は「世田谷通り」を使うと4キロあるかないかというような近さだ。
小田急でなら、撮影所最寄りの成城学園前駅から登戸まで間には3駅しかない。

「登戸の梨農家」は今でも在って、さすがに登戸駅周辺は開発されて市街地になったが、
少し北側の中野島方面へ行けばいまだにいくつも梨園を目にすることができる。
主人公の、東京のホテルに勤める女性はその登戸の梨農家の長女で、
華やかな東京でこれからエリートになりうる電気技師と巡り会い、求婚される。
「外国」の沖縄(当時はそうであった)で飛躍するチャンスを与えられ、
技師は彼女に早く結婚を承諾してくれと迫るのだ。

彼女には親戚筋らしい同じ農家の幼馴染の次男坊がいて、彼はずっと彼女を慕っていた。
彼女の父母は、できればその次男坊と娘が一緒になってくれれば梨園を守れるのだがと
思っているけれど、彼女は大都会東京、そしてそこで出会った将来有望な都会人男性との
恋が捨てがたいのだ。

・・・もしこれ以降ご興味があれば、ご鑑賞あれ。

しかし・・・1953年、東京と神奈川北部との隔絶はかくも凄まじかったのか、と思う。
道路が結ばれていないというだけで、登戸は大田舎だったのだ。
今川崎市の多摩区や麻生区などに住む人々で、「東京もんは」などと言って東京に住む
者たちに悪口雑言する者は皆無なはずだ。


さて、「問題のシーン」のことだ。

2分49秒のところから多摩川とその両岸の風景が映し出される。
そしてゆっくりとカメラを左方向へ振ってその左岸横に広がる田園風景を映す。
梨農家はその奥の方に在る、ということになる。

しかし、私の観察するところでは、このシーン撮影のカメラは狛江市の「五本松」
辺りに据えられたに違いないのだ。
なぜそう言えるかと云えば、右岸のはるか向こうに明らかに多摩丘陵が映っているからだ。
主に、後には向ケ丘遊園として開発される川崎市多摩区や宮前区の丘だ。

左岸の田園風景の奥に丘陵はない。
すなわちここは狛江市の元和泉地区であり、砂利道はつい最近まで土手道として在った。
田畑はすっかり住宅地となり、また今は西河原公園となっている場所だ。

だからどうした。

山本嘉次郎監督は、登戸の梨農家なのに、冒頭シーンでは狛江市の田園風景を使って
そこに在るかのように撮ったということなのだ。
なぜなのか。
きっと登戸の岸辺近くの農地風景が狛江側のより絵面が悪かったからだろう。

こう謎解きしても、だからどうした、である。


自分が住む、あるいは住んだところの昔の風景というのは実に興味深いものだ。
映画には歴史資料としての側面もある。

大昔ここで国際放映(世田谷区砧)の『けんちゃんシリーズ(初回は1969年)』で
正に上述の狛江市「五本松」でワンシーンが撮られたことについて書いた。
対岸の川崎市多摩区中野島がただの草っ原であったことに驚いたのだった。

国際放映、円谷プロ、東宝砧撮影所、さらには調布市に在る日活撮影所や角川大映
スタジオなども含めると、世田谷、狛江、調布、そして対岸の川崎市北部が
<手軽なロケ地>として撮影された作品はもっともっとあるに違いないのだ。

それが興味深く、楽しい。


なお、映画では梨農家の苗字が「石井」である。
実際多摩区の農家には石井姓が多いのではないか。
実は対岸の狛江市元和泉にも石井姓の農家がいくつも在る。
また、世田谷区砧周辺にも石井姓の農家(地主)が多い。

そんなことを知るのも楽しいのだ。



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コメント 2

ミドリブタ

興味深いシーンが映った映画ですね!! 2両の小田急線、渡しの船、田園風景などは自分が生まれるずっと前のことですが、楽しく拝見させていただきました。
狛江に住んでいた頃は、(mnemoさんもご存じかも知れませんが)多摩川の土手を横切る小田急線の小さな踏切がありました。今は高架されて踏切はありませんが、ほのぼのした雰囲気がありました。「岸辺のアルバム」という昔のドラマにもこの小田急線の小さな踏切が映っていたのを覚えています。
1週間前のことは忘れてしまうのに、数十年前のことは鮮明に覚えている今日この頃です。(笑)

by ミドリブタ (2022-03-22 12:05) 

mnemo

ミドリブタさん、コメントありがとうございます!

ええ、ええ、憶えています、あの踏切ね。 ^^
小田急の鉄橋も、多摩水道橋も架け替えられて美しくなったけれど、あの昭和ぶりが消えてしまったなあなどと感慨に耽っていたのももう遠い昔になってしまいました。

なにしろ川崎市の多摩区や麻生区の皆さんもとっくに「東京もん」になってしまっていますものね。その登戸も今大規模開発中で、昔を知る方は面食らうこと必定。

いつかミドリブタさんが再訪されたら浦島太郎の気分になりますよ。


by mnemo (2022-03-23 09:50) 

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