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安曇野行のこと

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安曇野より昨日夜戻ってきました。
時系列でその旅の内容を長々詳細に描くことはしません。
そんなことをしたら、そこで過ごした分以上の時間がかかってしまう。

冒頭の写真は安曇野は池田町に着いて、夕食をとりに「台湾料理」屋に入る直前
店の前で撮ったものです。それまでの曇天が一時的にbreak upしたのです。
一緒に行った栗田や秋山ちゃん、功君にとって後々最も印象的な安曇野の山となった
「二百名山」の有明山が茜雲を背景にして姿を現したのでした。

「これは安曇野が歓迎してくれているってことだよ」

と私は言ったものでした。この後安曇野は翌朝までかなりの雨になりましたっけ。

Mooさんご夫妻のご歓待にはただただ感謝、感謝しかありません。
池田八幡神社の宮司様からお話を聞かせていただく機会、仁科神明宮ではガイドさんの
お話と共に、宝物殿にも入らせていただき、貴重な重文を含むお宝を拝見させて
いただきました。国宝松本城を見学後、銭湯嫌いで、超寝不足の私以外のメンバーを
穂高温泉にお連れいただき、鬼無里(きなさ)という名の蕎麦屋で絶品のきのこ汁と
天ぷらつきの蕎麦を堪能させてくださいました。

奥様の手による朝食もこれまた絶品。みんなは茄子漬の色に打たれました。
塩梅もよく、他のおいしい自家栽培の野菜をおかずの中心にして、炊き方絶妙の有機
無農薬米を感動しながらいただきました。

そのお米をめいめいの土産にもしていただいて、みな平身低頭、なんという幸せ。

奥様の故郷沖縄の珍味や「花酒」、地元の大吟醸清酒などをいただきながら、
話も弾みました。

*

11日夜、蕎麦屋から帰って来て、私は栗田と指し掛けの将棋を指し直し。
功君は先日のギグなどのbluerayディスクを持って来ていて、Mooさんご夫妻や秋山
ちゃんに披露しているようでした。私と栗田は将棋が終わってグースカ寝入ってしまった。
当然のように私が一番の早起きと思って、雨が上がったか、北アルプス常念山脈は
Mooさん宅のテラスの真ん前、迫るかのように見えているか確認しに戸を開けると、
なんと秋山ちゃんがすでにその眺望を見つめているではないですか!

「いやー、根本さん、晴れましたよ!」

秋山ちゃんは初めての絶景、息を呑む迫力の山塊の景に圧倒されていました。

「よかったね!本当に、本当に、安曇野がみんなを歓迎してくれ、そして送り出して
くれるんだね!」

栗田も起き出し、熟睡中の功君を起こすのはかわいそうということで、三人だけで
ちょっとだけ散策に出ました。Mooさんの言われるとおりの気象変化がそれから
起きだします。常念山脈はくっきり見えているが、下界(安曇平)は今濃霧の中、
その霧がMooさん宅のある「東山」という丘陵へと間もなく昇って来る、
そして山も見えなくなる、と。全くその通りでした。
そしてしばらくしてから快晴になる、とも。

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朝食後、またしても本当にその通りに。功君も息を呑んで北アルプスとの対面を
果たしました。みんなの感動は大きく、私もうれしい限り。雪に覆われたときのも
是非見たいと言うのでした。むべなるかな。

常念に秋の霞の流れをり

奇しくも芭蕉忌の昨日、私は「影遊び」をするMooさんや友人たちを尻目に句を捻り
出そうとしていました。「常に念じていること、夢や理想― それを覆い隠すように
なにかしらの霞みが掛かることもある」ということを含意にしました。

「その『常念』はpassionの『情念』もかかっていますか」

とMooさんが鋭く突っ込まれました。

「はい。さすがのご指摘!」

*

その時点でもハイライトだらけの旅でしたが、最終日、Mooさんと奥様に辞去の
ご挨拶をし、朝八時に出発、上で書いた通りの朝の上天気が続いてくれて、
目論んだ通り、それ以降のてんこもり企画も絶好のかたちで進みました。

まずは大王わさび園。
秋山ちゃんと栗田が初めてで、秋山ちゃんは特に喜んでいました。

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「大王」とは魏石鬼八面大王、安曇野の先住民、つまりは蝦夷の長のことでした。
坂上田村麻呂に攻められ降伏した、と。史実としてはもちろん確定できない。
けれども、土着民が朝廷側の圧政に怒って放棄したことは疑いないようです。
罰として耳を削がれたとかで、安曇野市穂高有明に「耳塚」が在るそうです。
Mooさんと我が友一行が入った温泉のすぐ傍です。

このことを知り、やはり私の説、「千国(ちくに)街道」の名の起こりとなった、
Mooさんご夫妻が住まわれる池田町と同じ北安曇郡の小谷(おたり)村の千国地区の
名の由来は、「ちくに」がアイヌ語の「木」、「おたり」が「ウタリ=仲間」では
ないかという説に、少し信憑性が加わった感じがしました。魏石鬼八面大王のことを
記したボードのことを教えてくれた秋山ちゃんのおかげです。

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このわさび園は、黒澤明監督の『夢』に出てくることであまりにも有名で、
魏石鬼八面大王のことは霞んでしまっていた。そういえばなんで「大王」なのって
思わないでいた自分の浅薄を反省しました。

なお、「鬼」たちは安曇野を追われながらも五月雨式に戻ってきて、進出民と融和して
いったという伝承(『仁科濫觴記』)があり、ほっとしたものです。
仁科神明宮の仁科王さま、ありがとうございます。『トーホグマン』で私が書いた
通りのことであって、うれしかった!

*

秋山ちゃんにとってはおそらくこの旅最大の感銘事がやはり山梨県南アルプス市秋山で
起こりました。ナビで「秋山主要部」と指定し、着いてみるとすぐ傍に神社が。
熊野神社だったのですが、そこはなんと正に「秋山光朝館跡」だったのです!
甲斐源氏の名門加賀美遠光の長男だった秋山光朝の非業の死がありつつも、
秋山姓の人々が連綿とこの地に住み、誇り高く生きておられる。

秋山と言えば、『坂上の雲』の秋山兄弟が有名ですが、この伊予秋山家もここからの
出であるらしく、「光朝公七八五回忌」に「伊豫西條市 二十三代 秋山英一」さんが
「讃岐高松市 二十九代 秋山仁平」さんと共に、

寒きびし 血のつながれる 甲斐源氏

と句を添えつつ昭和五十四年秋に法要をしたというのです。

秋山ちゃんと劣らず栗田も功君も私も感銘を受けておりましたが、私を除く三人、
「ラップ現象」とも言うべき不思議な音を聞き、騒いでおりました。「へー」と
私が驚いていると、秋山家の墓所が在るさらに登ったところで美しい鳥が「ピリピリ
ピリ!」と鳴いて私たちの目前を飛んで行きました。なんとも不思議な気分でした。

熊野神社の社には、東西の二面に鬼面が据え付けられていました。

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甲斐でも先住民との争いがあったことは必定、その先住民を安曇野においてと同様、
「鬼」としたのでしょうか。そして供養かたがた祀っているのかな、と。

*

そしてさらに国道52号線を南進し、いよいよ静岡県との県境に近い身延町下山へ。
ここは私が勝手に(?)にsimoちゃんの遠いご先祖様の本貫地とするところ、
「下山医院」という看板をまず見つけ皆大盛り上がり、下山大工町という有名な
正に「下山大工」の町を賀茂神社中心に少し歩きました。下山氏は秋山光朝の
次男光重が祖なのです。

中央道がいよいよ混み合ってきたという情報があって、県南の身延に長くいることは
できないと判断し、今度はsimoちゃんと一緒に来ようと約して下山を後にしました。

*

中央道は大混雑、解消の見込みがないどころかさらに悪化すると判断し、
功君は甲州街道へ下りて、「道志みち」という険阻な山抜けの道を選択、判断よく、
遅くならずに無事解散地相模原市橋本に辿り着きました。

諏訪大社のことなども書くべきことはありますが、この辺にしておきます。


最後は私が最もMooさんのお家で好きなところ=縁側でくつろぐMooさんの後ろ姿を。
心から、奥様と共にいただいたおもてなしに感謝しつつ。


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